泣いたばあちゃん

百目鬼 祐壱

泣いたばあちゃん

 祖母は政治家が嫌いだった。テレビで政治家が映るたびに、罵りの言葉を吐いていた。

「あんたは、ぜったい、こんな人たちになっちゃいけないよ、都合が悪ければ何でもかんでも記憶にございませんって、そんなのばっかりなんだから。なんでだよね。ふざけてるよね、だって、覚えてなければ、それでいいってことなのかね、ちがうよね、ぜんぶ覚えておかないと、だめじゃない、覚えてないって、なかったことにしてるんだよ、あったものを。そんなの、だって、ひどいじゃない、あったのに、絶対あったことなのに、覚えてもらえなかったことがさ、ねえ、なかったことにされちゃうなんて、かわいそうだよ、ねえ、」

 そうやって涙声になっていく祖母を、困った顔で見上げたまま、幼い私は黙っているしかなかった。

 誤解のないように注釈すれば、祖母はふつうに優しかった。共働きの両親にかわってよく私の面倒を見てくれた。おいしいお菓子をたくさん買ってきてくれた。両親には秘密でおもちゃも買ってくれた。私は祖母が好きだったけど、でも、政治家に関する話をするときだけおかしくなる彼女のふるまいが、ちょっと恐ろしくもあり、それ以上に、変だと思っていた。だって、怒ってるとこ、そこ? 国民を裏切りやがってとか、お金にがめついやつらだとか、そういうことで怒るのではなく、確かにあったことを覚えていないことが悔しくて涙すら流すのだ。それがちょっと変だという感覚は、小さいときの私も確かに有していて、ごつごつとした思い出としてずっと、心のどこかで残り続けていた。

 そんな祖母とも、思春期に入ってからはほとんどしゃべることがなくなった。親戚と会うよりも、友達との時間が私にとって大事になった。たまに、正月ぐらいは会うかもしれないが、それぐらいで、政治家について話す彼女の姿も見なくなった。そのうちガンが見つかった祖母は、私が中学を卒業する春に帰らぬ人となった。

 祖母に妹がいたと知ったのは、それから少しして、母と一緒にテレビを見ているときのことだった。何の脈略もなく、おばあちゃんには妹がいたらしいけど、まだほんの小さなときに亡くなった。戦時中か、いや戦後すぐのことだったか。栄養失調で亡くなったその妹のことを、祖母はとても可愛がっていたのだと、母がそう言うのを私は聞いていた。

「そうなの?」

「うん、でも、おじいちゃんがさ、あんまり戦争のこと話したがらない人だったから、そういう辛い事って、あんまり子供に話したくなかったんだろうね、おばあちゃんがどう思ってたのかは分からないけどさ、だから、ほとんどそのことを聞くこともなかったんだけどね。本当にそんな人がいたのかって、私も分からなくなるぐらいよ。あんたに言うのも、どうしようかなって思ってたんだけど、でも伝えないのも違うだろうしね、そろそろいいかなって」

「そっか」テレビ画面の中では、お笑い芸人が何かふざけたことを口にして、スタジオの人々が大げさに大きな笑いを上げていた。「おばあちゃんも、いろいろあったんだね」

 その、妹を亡くした経験が、あのころ私が耳にした祖母の怒りや憤りにつながっているのか、それは分からない。本当にただただ政治家への義憤で怒っていたのかもしれない。それでも、私はそのふたつを結び付けて考えてしまう。本当のことは分からないけれど、あのときの祖母を忘れないようにしようと、それぐらいならできるのだ。それだけじゃなく、このあとの人生で自分の身に起こるすべてのことを、忘れないようにしようと、静かに一人心の中で強く思った。

「そういえば、てかあんた」母は手を打って思い出したように声を上げた。「中間テスト、どうだったの? 今日返却日でしょ」

「ああ、えっとね」バツで埋め尽くされた回答用紙はカバンの底でくしゃくしゃになっている。「記憶にございません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

泣いたばあちゃん 百目鬼 祐壱 @byebyebabyface

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ