31遊(サーティーワンユウ)〜閉じる世界で未来を探し始めた少女〜

@sumahosaikou

31遊(サーティーワンユウ)〜閉じる世界で未来を探し始めた少女〜

めっちゃヒヤヒヤしたなぁ。順番を待っている間ボクは区役所にくるまでのことを振り返っていた。退屈だからだ。朝早くきたというのにまだ呼ばれない。もうちょっとで昼だぞ。まぁ通路のソファーに運よく座れた分ボクはまだマシなほうなんだが。

「どうしたの?」

人懐っこい声にボクは顔を上げた。二十代半ばくらいの女性が目の前に立っている。赤い毛糸の帽子をかぶって茶色のコートを着た、髪が長くて凛々しい顔の美人だった。

この人が? と困惑しながらボクは言った。

「どうしたのって?」

「なんかめっちゃ危機一髪な顔してたから」

やはり人懐っこい言い方に、もしかして二十歳のボクと同い年くらいなのかなとなんとなく思った。

「さっきバスに乗ったとき客とぶつかったんだ。で、痴漢に間違われなくてよかったなって思ってたんだよ」

話したあとボクはふと気づいて女性に席を譲った。

「ありがとう。私、サオリって言います。キミの名前は?」

「ミキオ」

「ミキオ君か。しかし待つね。令和になっても相変わらず。早く水道使いたいのに」

「えっ?」

ボクは耳を疑った。

「うん? どうしたの?」

「水道使いたいってどういうこと?」

「すぐお湯出ないんだよ、洗面所の蛇口。だから札幌東区役所にきた」

「それって区役所で相談することじゃないんじゃないの?」

ということは、とボクは急に居心地の悪さを覚えた。違うのかよ。ーーフッ。

「そうなの?」

サオリは首をかしげる。

「なんか大変そうだね。じゃ水のままでいいや」

と、平気そうに言ってサオリは腰を上げた。

「教えてくれてありがとう。またね」

去っていく彼女の後ろ姿を見ながらボクは思う。本当に違うのか?

その日の昼過ぎ、ボクはまた彼女と出会った。今度は自宅の近くの百均でだった。

「また会ったね。ここへはよく来るの?」

「まぁ。貧乏なんで」

するとサオリはくすっと笑った。

「私もだよ。だから包丁を買いに来た」

「包丁?」

カゴをちらりと見ると確かに入っている。

「自炊のためさ。キミもでしょ?」

と、サオリはボクのカゴを見る。

「……まぁ」

「包丁以外になに買うの?」

「ボクはそれだけ。キミは?」

「私もそうだよ。これで塩むすびが作れる」

「塩むすび? いらないだろ、それ作るのに包丁なんて」

「そうだっけ? じゃ戻してこよう」

おいおい。

買い物を終えたボクはその足で近くの図書館へ行くことになる。サオリに頼まれたからだ。一緒に本を探してほしいと。まぁ暇だからオーケーした。

その本についてボクは道すがら聞いた。

「ーー《ユウチャージ》? なにそれ?」

「やる気を出させるもの」

えっ、なんだそれ?

「やる気出したいの?」

サオリはぎこちなくうなずいた。うん? と思いながらボクは次いで聞いた。

「《ユウチャージ》ってどんなの? 栄養ドリンク?」

サオリはくすっと笑った。

「さぁね」

それも分からない? ああだから調べるのか。

しかしそれについての本はないと司書は答えた。

「ないんだね」

と、サオリは平気そうに言ったが、どことなく嬉しそうにも見えた。そのときボクはスマホで調べればいいと思いついたが、その姿を見て言わないでおく。

「ないならしょうがいな」

「そうだね。でもせっかく来たから楽しむことにするよ。今日新聞読んでないからね」

「新聞読むんだ?」

「うん。読まないの?」

「読まないな。ニュースは見るけど。それじゃ楽しんで。ボクは帰るよ」

「そう。今日はありがとう。また会おうね」

次の日の朝、ボクたちは再会した。市営バスを待っている彼女にウキウキなボクが出くわす形だった。

「やぁおはよう。キミも乗るの?」

なんか元気がないなと思いながらボクは首を横に振った。

「ボクは地下鉄だ。ところでどこへ? ーー言いにくいならいいよ」

「ごめん」

「いいけど。でもバスか。ボクもそうしようかな?」

駅まで結構歩くし。

「キミはどこへ?」

ボクは苦笑いを浮かべた。

「ボクも言いにくいかな」

サオリは楽しそうに笑う。

「じゃ聞かない」

ボクは笑い返す。

「ありがとう」

笑い合った二人は札幌駅北口行きのバスに乗車する。つり革に掴まるボクたちのうち、サオリは終点の途中でボタンを押した。だが降りようとしない。どうしたんだろうと思っていると、「すいません、間違えました」と運転手のほうへ声をかけた。間違えたのか。彼女が降りたのはボクと同じ終点だった。

だがそこでボクは疑問を持つ。都会のど真ん中に降りたサオリはぼんやり突っ立っているからだ。

「どうした?」

「これからどうしようかなって」

と、サオリは困ったように笑う。

「どういうこと?」

「実は降りるところはここじゃなくてさっき間違えたところなんだよ」

と、サオリは清々しい顔で言った。行きたくなかったってことか。で、行かなかったからそんな表情を。

「じゃ暇だろ? ボクと一緒に行動しない?」

なに? ボクは驚く。口走った? どういうことだ?

「いいの? 用事があるんじゃないの?」

「大丈夫」

また。どうなっているんだ?

「ありがとう。じゃお言葉に甘えます」

と、サオリは微笑んだ。……まぁ、いいか。どうせ一時的な快楽だし。

あっでも。

「ごめん、ちょっとトイレ」

「うん。どうぞ」

トイレはすぐそこにあった。個室のドアを開ける。

あっ。ボクは便座のフタの上の青いボールペンを見つけた。忘れ物か。ボクは手に取る。インクは黒いタイプか。何の変哲もないただのボールペンだった。安物だな、まったく忘れるなよ。

ボールペンのキャップを外して、ペン先で片手の甲をちょんと触った。

なにやってんだボクは?

ボクはとっさのことにびっくりした。ボクはなにをやっている? トイレにあったボールペンで自分を突くなんて。きったない。だがほんの軽くだったから跡はついてない。よかった。しかしさっきのことといい、ボクはいったいどうしたんだ? わけが分からないがとりあえずボールペンをポケットにしまって用を足す。

サオリのところへ戻ると、彼女はバス停のベンチに座って、四十代くらいのおばさんとおしゃべりしている。どうしたんだろう? あまり楽しそうじゃない。誰なんだろう? おばさん。

「おまたせ」

「うん。ミキオ君、この人、《ユウチャージ》のことについて知っているんだって」

えっ? それなのになんでそんな暗い表情なんだ? まぁだからそのわけは聞かないほうがいいともボクは思った。

「へぇー、そうなんだ」

と、ボクはおばさんを見る。しっかりしてそうな印象のおばさんだった。おばさんは興味津々といった感じでボクを見上げている。なんか嫌な感じがしたとき、サオリのお腹が鳴った。

「参ったね」

と、サオリは困ったように笑った。ボクは言った。朝食べてないの? と。

「うん。そんな気分じゃなかったから。ねぇ、ミキオ君。場所を変えて聞かない? 《ユウチャージ》について」

えっ? 聞きたいのか? いやまぁそりゃそうか。

「でもこの人も用事があるでしょ?」

バス停にいるんだから。するとおばさんはボクを見て楽しそうに言った。

「大丈夫。キミに逢えたから」

えっ? なに言ってんだこのおばさん?

「ならいいよね? 行こう」

と、サオリは立ち上がった。

ボクたちは駅の地下街のファストフード店で話すことになった。サオリが牛丼の口になっていたからだ。ボクの横でサオリは牛丼特盛を美味しそうに食べている。付き合いでボクもテーブル席の上に牛丼の並盛を注文したが、朝食べてきたから食べる気がしない。

「食べないの?」

と、向かいに座るおばさんが声をかけた。彼女も牛丼並盛を注文していたが手をつけていない。

「そちらこそ」

「私は話終えてから食べたいから」

するとサオリはピタッと箸を止めて、申し訳無さそうに丼を置いた。おばさんはくすっと笑って、

「食べながら聞いてて」

サオリは申し訳無さそうに笑ってまた食べ始めた。

「じゃ話しましょうか」

と、おばさんはボクを見た。

「《ユウチャージ》って言うのは道筋を見せるものなの」

「道筋を見せる?」

「自分がお金持ちになるにはどうすればいいのか、その道筋を見せてくれるの」

なんだそれ?

「見せるってどうやって? マシーンかなんかなんですか?」

「その可能性もある。当たればいいのよ」

「当たる?」

「キミのポケットにあるものを出して。さっき手に入れたもの」

さっき手に入れたもの? ボクは心当たりがなかったがポケットを探る。するとなにか入っていた。出して見ると青いボールペンだった。これはさっきトイレで見つけたもののようだ。なんで入っているんだ?

「置いて」

おばさんはテーブルを指さした。戸惑うボクは牛丼を脇によけてボールペンを置いた。次におばさんはボールペンを指さして言った。

「これが《ユウチャージ》よ」

「えっ? これが?」

このただのボールペンが? ボクはにわかには信じられない。

「もっとも、このボールペンは数ある中の一つでしかないけど。そしてもう違うけど」

「どういうことですか?」

「《ユウチャージ》は体に当たればなんでもいいの。自分の体が勝手に動いて当たりさえすればね」

勝手に動いて。ボクはその経験をした。まったくわけが分からないことだったが、そういうことだったのか?

「キミの場合はボールペンだった。でももうこのボールペンは《ユウチャージ》じゃない。もうキミに当たったんだから。そしてキミにもう《ユウチャージ》は当たらない」

「一度きりなんですか?」

「そうよ」

ふーん。

「信じてないのね」

と、おばさんは興味津々な目でボクを見る。なんだその目はと困惑しながらボクは言った。

「はい」

正直全然信じていない。

「どうして?」

おばさんはその目を変えない。

「道筋なんて見えなかったから」

ボクは告白した。まったくなにも見えなかった。

「見えなかった?」

おばさんはやはりその目を変えずに言った。「どうしてかしらね?」

「さぁ?」

と、ボクはボールペンに視線を落とした。

「でも、体が勝手に動いたことは信じますよ」

ふとボクは疑問を持つ。

「ーーあれ? でもなんでボールペンあるんだろう? 二度も身体が動いたことになる。矛盾するな」

ボクのつぶやきにおばさんは即答した。それは私のためよと。

「どういうことですか?」

「私がミキオ君に《ユウチャージ》のことを教えるために、私の道筋がそうさせたのよ」

なに? ということはーー。

「あなたも《ユウチャージ》に当たったんですか?」

「そうよ」

ふーん。

「じゃもう金持ちなんですか? いや違うか」

「そう」おばさんは苦笑した。「まだそうなる途中よ」

途中ーーボクに話すことが果たして金持ちに繋がるのだろうか?

「さて、話終えたし、帰るわ」

と、おばさんは立ち上がった。

「食べないんですか?」

「サオリちゃんにあげるわ。足りないだろうから。言っておいて」

言っておいて? ボクは横を見る。サオリはまだ食べている。ーーまさか。

そのまさかだった。牛丼を食べ終えたサオリはおばさんがいないことをボクに聞いてきた。つまり、おばさんの話を聞いていなかったということだ。ボクはその質問の答えとおばさんの言付けを教えた。ついでにボクの牛丼も食べるよう勧めた。そのあとでボクは言う。

「話聞いてなかったのかよ」

「聞いてなかった」

と、サオリは困ったように笑う。

「お腹が減っていたんでね」

おいおいマジかよ。

「でもキミは聞いていてくれたんだよね。教えてほしいな」

そりゃ教えた。しかしおばさんの予想は当たっていた。ボクの話を聞きながらサオリは牛丼二杯をぺろりと平らげた。

「教えてくれてありがとう。なるほど、《ユウチャージ》ってそういうものなんだね」

と、サオリはめちゃくちゃ嬉しそうだ。その顔を見てボクは思う。金持ちになりたいんだなと。まぁそりゃなりたいよな、誰だって。でも、ボクは違うんだろうか? とおばさんの言葉を思い出す。ボクは道筋が見えていなかった。なぜ? そして考える。……まぁ、いいけどさ、別に。

「ミキオ君、これからどうする?」

「ああそうだなーー」

考えていると、サオリは提案した。

「よかったら映画館へ行かない? この上にあるよね?」

「ああ、七階にあるね。なにか観たい映画あるの?」

「ううん。ちょっとゆっくりしたくてね」

食べたからな。

「いいよ。行こう」

と、ボクはふとボールペンを見た。もういらないから置いてくか。

シアターへはエレベーターで向かった。その中でサオリは言った。なにを観ようか? と。正直ボクはなんでもいいし、それに彼女の好みも分からないから答えにくい。

「まぁとりあえずすぐ観れるやつだな」

「そうだね。私は正直なんでもいいからキミに任せるよ」

困るなぁ。

エレベーターを降りて広大なロビーに出たボクたちは券売機へ向かう。サオリは女だからとボクはとりあえず恋愛モノの当日券をちょっと並んで購入した。

それをサオリに渡した直後、ボクは声をかけられた。三十代の男だった。男はボクになにか話があるようだ。ボクはサオリに、先に行っていてくれと言った。エントランスを抜けて突き当りを左に曲がる彼女の後ろ姿を見送ったあと、ボクは男に言った。

「話って?」

「周りを見ろ」

なに? 不審に思いながらもボクはそうする。ボクたち以外の人の姿が消えている。どういうことだ? その疑問はすぐに解決した。

「オレのために消えたんだ」

オレのために?

「どういうことだ?」

「知ってるだろ? 《ユウチャージ》のこと。その力だ」

なに?

男はにやりと笑う。

「お前をボコボコにする。それがオレの道筋なんだ。金持ちへの」

そう言うやいなや男はボクの顔めがけ殴ってくる。ボクはとっさに後ろに下がってかわした。男は驚いた様子だったがすぐに間合いを詰めて二発目を放ってくる。ボクは男の背後に回り込むようにしてかわす。そしてすかさず男の股間を蹴り上げた。男は悲鳴を上げてその場にしゃがみ込む。

「もうやめろ。それより聞きたいことがある。人が消えているのは一時的なことか? それともずっとか?」

男は顔を振り向け悶えながらも、挑発するように答えた。

「さぁな。殺されたのかもよ。《ユウチャージ》に」

殺された? もしそうならサオリも? ボクは無性に心配になった。

次の瞬間ボクは男の頭に回し蹴りを食らわせた。吹き飛んで倒れた男の意識がなくなったのを確認するとボクはサオリの元へ急ぐ。だがその直後エントランスに係員が出現して足を止めた。一瞬驚いたが、ボクは状況を理解した。周りを見る。やはりそうだ。人が消えたのは一時的なことだった。《ユウチャージ》に殺されたわけではなかった。ならサオリも無事だろう。ボクはほっとしてエントランスを抜ける。その際にボクは係員に言った。

「誰か知らないけどあそこで人が気絶しています」

サオリは席に座っていた。しかし寝ていた。寝てるのかよ。まぁいいけど、とボクは隣の席に座った。しかしあの男はいったい何者なんだろう? と考えてすぐにやめた。誰だっていいじゃないか。あいつはボクをボコボコにしようとした。金持ちになりたいから? ふざけやがって。

「ミキオ君」

急に呼ばれてボクは思わず声のしたほうを見た。いつの間にかそばにおばさんが立っていた。さっきのおばさんじゃないか。帰ったんじゃないのか?

「話せる? 二人で」

「はぁ」

通路に出るとおばさんは言った。

「さっき狙われたでしょ?」

「はい」

「これからそういうのが何度もやってくるわよ。《ユウチャージ》の道筋に従うやつらが、ミキオ君、キミのところへ」

何度も? ボクはすごい嫌悪感を覚える。最悪だ。

「気をつけなさい」

「はい。ーーあの、帰ったんじゃなかったんですか?」

「キミに教えるために戻ってきたの。それも道筋の一つだから」

ああそうだな。聞いて損した。ーーいやでも。

「あなたは違うんですか? さっきのやつと」

その可能性に気づいて切り出すと、おばさんは笑って首を横に振った。

「違うわ。でも別の方向でキミに会うことになる、これからも」

「というと?」

「話すためによ。例えばキミになにか教えるためとか」

「じゃ今全部教えてください」

するとおばさんはふっと笑った。

「それは無理。できるなら一度キミと別れたりしないでしょ?」

確かに。

「その都度頭によぎるって感じですか?」

「まぁそんな感じね。じゃ私はあとこれ言って帰るわ」

「なんですか?」

「気になるでしょ? さっき人が突然消えたこと。《ユウチャージ》の力というだけでは納得できないでしょ?」

「まぁはい。どうして?」

「そうなるように心の中で願ったのよ、キミをボコボコにしようとしたやつが。そのほうが都合がいいでしょ?」

「まぁそうですね。ーーボクにもできたりするんですか?」

「できるわ。でもキミの場合は相手が襲ってききてからできるようになる」

不利じゃないか。最悪だ。

「でも簡単に倒したんでしょ? 大丈夫よ」

と、おばさんはボクの心を読んだように励ましの言葉を口にした。

「次のやつはいつくるんですか?」

「知りたい?」

おばさんは挑むように笑う。当たり前だろう! ボクはちょっとむかついた。なんだこのおばさん?

「そんな怒らないで、教えるから。次は明日で一人よ」

明日か。

「明日ほかには?」

「一人だけよ。じゃ映画楽しんで。ちゃんと感想言い合ってね。映画の一番の楽しみなんだから」

いや寝てるんだが。サオリは上映後ボクに起こされるまで寝ていた。

「いやぁ寝てしまったよ。ごめんね」

帰りのエレベーターの中でサオリはすまなそうに笑った。

「別にいいよ。面白かったし」

ボクはしっかり鑑賞していた。

「面白かったんだね。また観に行こうよ」

行くわけないだろ。一度観たのに。

「分かった、行こう」

なに?

「ありがとう。今度は寝ないようにするよ」

勝手にしゃべった? なぜ?

困惑するボクをよそにエレベーターは一階に着いた。

人混みが見え、途端に消えた。

なに? これは?

ふとボクはサオリを見る。いない。

これはまさかとボクはエレベーターを降りて左右を見た。一方に一人の男が立っていた。二十代の男だった。

「キミは誰だ?」

ボクは叫んだ。すると男は愉快そうに笑った。

「お前を病院送りにするやつだよ」

なに? ボクは驚く。ボクの敵だというのか? 確か敵は明日だったはず。なのになぜ?

「死ね」

と、男はボクに迫る。そしてボクの胸のあたりに右ストレートを放つが、ボクは後ろに飛び退きつつその拳を蹴った。やはりこいつは敵だ。くそ、あのおばさん外しやがった! 着地したボクは、蹴られて痛がっている相手に駆け寄る。懐に入ると顔を思いっきり殴った。その一撃で男は後ろに飛んで倒れた。近寄って様子をうかがう。意識を失ったようだ。

これで元通りかなとボクはエレベーターの中へ戻ると、サオリがいた。よかった。

「あれ? いつの間に降りてたんだね?」

と、サオリは不思議そうな顔でボクを見ている。話しておいたほうがいいか。そう思い、ボクは帰りのバス停まで彼女を連れて行った。

「もう帰るの?」

と、ベンチに座ってボクを見上げながらサオリは不思議そうに言った。ボクは話した。おばさんから聞かされたことを。そして連戦を。

「そんなことがあったんだね」

と、サオリは驚いている。ボクは話している最中に決めたことを言い出す。

「だからもうボクに関わるな」

「えっ? なんで?」

いやなんでって。

「危険な目に遭うかもしれないだろ。だからだ」

だがそう説明しても彼女はまるで理解できないようだった。

「大丈夫だと思うよ」

なんでそんな自信満々なんだ? そのわけは続く言葉で分かった。

「だってキミ強いから」

強いって言われてもな。

「それに約束したでしょ? また一緒に映画を観ようって」

「まぁ。でもボクより強いやつ現れるかもしれないだろ」

「大丈夫よ」

と、ボクの背後で声がした。この声はとボクは振り返る。あのおばさんがいた。ボクは聞く。

「大丈夫ってなにが?」

「キミより強いやつは出てこないのよ。最悪でも互角よ」

本当かよ。ボクはイマイチ信用できない。一度外してるじゃないか。

「よかったね、ミキオ君」

と、サオリは安心したように笑う。だがボクは安心できないから聞く。

「本当ですか?」

「もちろん」

「でも一度外してるじゃないですか。さっきまた襲われましたよ?」

「猿も木から落ちる」

最悪だよ。

「でもそれが最後だから」

おばさんは安心させるように言う。本当かよ。

「ミキオ君」サオリが言う。「信じたほうが楽だよ。信じよう」

まぁそりゃそうだけど。ボクは考える。ボクより強いやつは現れない。最悪でも互角。ーーまぁいいか。《ユウチャージ》の力もあるし、なんとかなるだろ。

「分かった。信じる」

そう答えるとサオリは嬉しそうにうなずいた。

次の日、ボクはまた彼女と会った。また百均でだった。

「やぁおはよう。今日はなに買うの? ーーまた包丁?」

サオリはボクのカゴを見て驚いた。

「そんなに必要なの?」

「ーーあっ」

「うん? どうしたの?」

「戻してくる」

戻ってきたボクにサオリは言った。

「必要なかったの?」

「うん。寝ぼけてた」

うっかりしていた。サオリはくすっと笑った。

「朝だからしょうがないね。じゃ買うものないの?」

「ーーうん、ないね」

「じゃちょっと待ってて」

「じゃ店の前で待ってる」

ボクは店を出る。その直後、下半身の片側に軽い衝撃を受けた。なんだと思いながら横を見ると、子供がしりもちをついていた。小学校低学年くらいの男の子だった。ぶつかったのかと思いボクは声をかける。

「大丈夫か?」

しかし相手は答えずにボクの顔をじっと見ている。なにを考えているのかよく分からない顔で。救急車呼んだほうがいいかと思ったとき、男の子は急に立ち上がった。

「ありがとうございました!」

と、男の子はまるで面接のようにはきはきと礼を言った。そして困惑するボクの前で深々と頭を下げた。ありがとうございました? 礼をされるようなことはなにもしていない。なんだこの子供は?

「ボクがなにかした?」

「はい、していただきました!」

「なにを?」

「道筋を教えていただきました。お金持ちになるための」

えっ?

「それでは!」

と、また深い礼をした男の子は振り返ってどこかへ歩き始めた。ちょっと待てと呼び止めようとしたとき、背後からボクを呼ぶ声がした。

「待ちなさい」

この声はとボクは振り返る。やはり昨日のおばさんだった。

「なぜ止めるんですか?」

「聞きたいことは私が教えるから」

だからいるのか。

「じゃ教えてください」

「あの子は見つけたのよ、道筋を。キミに当たったことで」

「ボクに?」

当たった? 確かにぶつかった。それで見つけたというのか? お金持ちになるための道筋を。しかしそれはーー。

「それは《ユウチャージ》に当たってでしょ?」

「どうやらキミが《ユウチャージ》になっていたようね」

はぁ? ボクが?

「そんなのありですか?」

「あの子の態度を見れば一目瞭然でしょ? それに察することできるでしょ? 私の昨日の話で。《ユウチャージ》には色々あるのよ」

徐々に納得していくボクの前にサオリがやってくる。あれ? とボクは思う。彼女は手ぶらだった。なにも買わなかったのか?

「どうかした?」

ボクに声をかけたあと、昨日会ったおばさんがいることに気づいてサオリは挨拶した。挨拶を返したおばさんは彼女に説明した。

「実はねーー」

「そんなことがあったんですか」

するとサオリはボクの肩に肩をぶつけてきた。ほんの軽くだったが鬱陶しいことこの上ない。

「えい、えい」

「よせ」

ボクはサオリが身体を引いたタイミングで彼女に手を向けてストップさせた。その直後、ボクたちの姿を楽しげに眺めていたおばさんが口を開いた。

「サオリちゃん、どう? 道筋は見えた?」

「いいえ」

と、サオリはガッカリする。

「仕方ないわね。きっといつか見えるわよ」

「はい」

「それじゃ私は帰るね。これを言ってから」

と、おばさんはボクのほうを見た。

「なんですか?」

「今日面倒くさいことが起きるから」

面倒くさいこと?

「昨日言ったことじゃないんですか?」

「違うわ」

「じゃなんですか?」

「詳しいことは分からない」

なんだよそれと思うボクをよそにおばさんは帰っていった。

「あれ? なにも買わなかったんだな」

と、ボクはサオリに言った。

「うん。ねぇミキオ君、これから焼肉を食べに行かない?」

焼肉? ボクはときめく。

「いいよ。でもどうして急に?」

「昨日地下街に行ったときに焼肉屋を見かけたんだよ。それを今さっき思い出して食べたくなってね。でもそうなると荷物が邪魔になる。だからなにも買わずに出てきたんだよ」

「へぇ、豪勢だな。貧乏なのに」

「あっ、そうだった!」

そしてサオリはうなだれた。見てられなかったボクは声をかける。

「仕方ない、ボクが奢るよ」

「えっ?」

と、サオリは顔を上げる。期待に目を輝かせている。

「いいの? キミも貧乏でしょ?」

「いや大丈夫」

昨日使う予定だった大金が財布に入ったままだからな。

「だから行こう」

「ありがとう。じゃ行こう」

と、晴れやかな顔をしてサオリが言った。

「うん。ーーしかし百均でなにか買ったとしても家に置いてきてから行けばいいんじゃないのか? 」

「ああ、なるほど」

おいおい。

「でも次からそうするよ。それじゃ行こうか」

「ああ」

そしてボクたちは焼肉をたらふく食べた。食べすぎたサオリは一歩も動けないらしく、ボクがおんぶすることになってしまった。彼女の身体は軽かったが、いかんせん満腹での移動はしんどい。それからまもなくサオリは眠ってしまった。まったくいい気なもんだ。

なんとか帰りのバス停までたどり着き、ボクは結構な人数の列に並んだ。しかしその途端に人は消えた、体が軽くなった。さらに満腹によるだるさも胃袋の重みも感じないボクは、サオリを見るといない。敵が来たのか。ボクは周りを見渡す。いない? いやそんなはずはないのに。ーーまさかとボクは上を見る。

赤いドラゴンがこちらを見ている。紫色の鋭い目をした、二メートルくらいのそれはビルを後ろに大きな翼を羽ばたかせている。ドラゴンだと? ボクは目を疑う。なぜ? いや分かる。これも《ユウチャージ》の力だ。

だが敵はどこだ? そう思ったと同時に前方から声がした。

「ドラゴンと戦って」

声のしたほうを見ると、ピンクのコートを着た長い髪の少女が立っていた。中学生くらいで、利口そうな可愛い顔をしている。この子が敵? だが少女はボクを敵と見ていないような気がする。その目はなにかを期待しているような表情を浮かべている。

だがドラゴンと戦ってと言ったーー。ボクは話しかけた。

「キミもボクをボコボコにしたいのか?」

少女は冷静な口調で答えた。

「場合によって」

場合によって? とボクはドラゴンを見上げた。ボクをテストする気か?

ドラゴンを見た途端、ドラゴンは火を吐いた。口から溢れ続けるそれはそのまま勢いよくボクへ向かってくる。ボクは前に走ることでかわしつつ少女に迫り顔に飛び蹴りを放った。直撃を食らった少女の身体は浮き、そして後ろのアスファルトの地面へ頭から吸い込まれるように飛んでいく。やったかと着地したボクは背後に気配を感じる。振り返るとドラゴンがいて口を開いていた。ボクがなにか違和感を覚えた次の瞬間火を放つ。ボクは横に跳んでギリギリかわす。その最中ボクは考えていた。違和感の正体を。ーー変わっていないんだ。ボクが一度目にかわしたドラゴンの火は周辺をなにも変化させていなかった。きっと今の攻撃も。いやそんなことよりもとボクは頭をめぐらせる。飛び蹴り、手応えがあった。だがドラゴンは火を吐き続けながら依然存在している。本体を攻撃しても無駄なのか? ドラゴンも倒す必要があるのか。少女は脅威にはならない。敵はドラゴン。かわしたと同時にボクはドラゴンへ駆ける。ドラゴンは火を吐き続けながらボクへ頭を向けようとするが、その前にボクはドラゴンの頬に回し蹴りを放った。ドラゴンの頭は火とともに蹴った方向へよじれた。どうだと手応えを感じながらボクは後ろに下がる。ドラゴンは横を向いたまま動かない。するとボクはまた背後に気配を感じた。振り返ると背後に少女が立っていてボクはとっさにパンチする。しかしその顔への一撃を少女は片手で受け止める。そこでボクは気づく。少女の可愛い顔は無傷だということを。直撃したはずなのになぜ? しかし、阻止された? さっきは攻撃をもろに食らったのに。ボクは焦る。脅威はドラゴンだけだと思っていた。しかし現状二体一に追い込まれている。不利じゃないか。ーー不利?

と、気づいた瞬間少女は落ち着き払って言った。

「もうやめよう」

えっ? と驚くボク。少女は満足そうな表情を浮かべている。

「もう分かったから」

と、少女は拳から手を離した。ボクは思った。テストが終わったんだと。

「なにを試したんだ?」

「キミが私の話相手になってくれるかどうか。そして分かった。キミは私の話相手にふさわしいって」

話相手? なぜボクを? いや分かる。《ユウチャージ》、金持ちへのためだろう。

「なんで戦う必要があった?」

「私と互角かどうか試したの」

「互角?」

二体一で? ボクは不満を覚えた。

「互角がいいのか?」

「うん。対等だから。それに静かな場所で話したかったから。このバトルフィールドはうってつけでしょ?」

確かに。二人と一匹しかいない。ボクはふとドラゴンを一瞥した。

「どうしてドラゴンと一緒に戦うんだ?」

「ドラゴンが好きだから。キミは?」

「まぁ好きだけど」

「そうなんだ! どんなドラゴンが好きなの? 二足系? 四足系? 私はドラゴン全般が好き! でも好きならどうして一緒に戦わないの?」

と、少女はテンションが上がって矢継ぎ早に言う。なんだこの子はと困惑しながらボクは一瞬考えた。

「戦うなら自分の力だけがいいからかな」

「そうなんだ」

少女は興味津々に聞いている。

「武器は?」

「それはありだな」

ボクは即答した。そのあと少女は座って話さないかとボクをバス停のベンチに誘った。

「待て。まだ付き合うとは言ってない」

少女は先にベンチに座ってから言った。

「もう話してるのに? それに付き合わないとまた戦うよ? 互角同士で戦ったらお互いただじゃすまない。不毛な戦いは避けようよ」

少女は諭すように言った。互角じゃないよと

不満に思いながらもボクはうなずいた。まぁ避けるに越したことはないよな。そしてボクも座った。

「私はフシコ。この子はナイフク」

と、フシコは目の前でおとなしくているドラゴンを指さした。

「キミの名前は?」

「ミキオ」

「ミキオ君はどうしてお金持ちになりたいの? なにか叶えたいことがあるの?」

「別に叶えたいことなんてないよ」

「ミキオ君」

「なに?」

「私は別にお金持ちになりたいわけじゃないんだ。でも叶えたいことがある。私は外に出たい」

と、少女は決然と言った。

は?

「出てるじゃん」

フシコはドラゴンを見た。

「今の私は嘘。この子と同じ」

その横顔はとても寂しそうだ。嘘?

「どういうこと?」

「本当の私は幽閉されている」

「幽閉?」

ボクは耳を疑う。ーーえっ? でもそれならーー。

「幽閉されているのなら出ればいいじゃないか、《ユウチャージ》の力で」

嘘の自分を作り出せるくらいならたやすいだろう。

「それはできない」

フシコは前を向いたまま答えた。

「どうして?」

「分からない。でもそうなの。不思議でしょ?」

「ああ。ーーああだから話相手がほしかったのか。出るために」

「それもある。でも今はキミと雑談したい」

「なんで?」

「そんな気分だから」

ふーん。

「なんか余裕あるな?」

「《ユウチャージ》があるから」

「でも幽閉されてるんだろ?」

「私が無理でもキミがどうにかしてくれる。だって外に出たいと思っている私が同じ《ユウチャージ》に当たったキミに出会ったんだから」

なるほど。

「私の願いを叶えてくれたら、なんでもしてあげるよ。だからお願い、私を外に出して」

フシコは思い切ったように言った。ボクはその真剣な眼差しを見つめる。ーー外に出すだけならーー。

「いいよ、協力するよ」

「ありがとう」

フシコの表情が晴れた。

「でも見返りはいらないよ。興味ない」

「どうして? 女としてキミを満足させることもできるんだよ? きっと」

と、フシコは頬を染めて言った。ボクはふっと笑った。

「ボクにそんな趣味はない」

「最近どんなニュースがある?」

と、フシコは言った。えっ? なんだ急に? ああ雑談がしたいのか。

「そうだなーー今日の未明ライオンの赤ちゃんが生まれたらしい」

「どうでもいい」

フシコはつまらなそうに言った。

「もっと刺激的なニュースないの?」

刺激的なニュースか。

「ーー最近連続殺人事件が起きているんだ、札幌で」

「へぇー」

フシコは食いついた。

「被害者の人数は?」

「六人」

「それぞれどうやって殺されたの?」

「全員刺殺だ」

「なんだ、つまんないな」

「つまらない?」

ボクは戸惑う。

「だって色々なパターンがあったほうが面白いでしょ」

そうか?

「ほかにないの?」

「そんなないよ、刺激的なニュースなんて」

「じゃ刺激的じゃなくてもいいから」

そうだなーー。ボクは色々話題を探してから話す。

「日本の出生率がまた下がったらしいな」

「つまらない。赤ちゃんなんていらない」

「じゃこれは? 最近チャーシュー麺が流行っているらしい」

「つまらない。食事なんて興味ない」

「子供のほしいもの、女の子部門一位はスリッパらしい」

「つまらない。ほしいものなんてない」

ふとボクは思った。

「外に出れたらなにがしたいんだ?」

「なんで?」

「色んなこと興味ないから」

するとフシコは考えるように上を向いた。そして納得したようにうなずいた。

「そうね」

フシコは次いで吐露する。

「私はとにかく外に出たい。そのあとはどうなってもいい。だからかな」

「じゃ雑談なんてしてる場合じゃないだろ」

「ああ、なるほど」

おいおいしっかりしてくれよ。ーーボクはふっと笑った。

「なに?」

むっとしたフシコにボクは弁解した。

「いやごめん。なんかサオリを思い出したんだ」

「サオリ? ミキオ君の彼女?」

いや違うよとボクは否定しようとしたとき、悲鳴のような大声が上がった。

「違う!」

その声にボクたちは驚いて前を見る。するとドラゴンは邪魔にならないよう配慮するように上に飛んだ。

誰だ? 視界の先に黒いコートを羽織った中年の女性が立っている。サオリ? 中年女性は彼女に似ている。

そんな女性はボクを睨みながら叫んだ。

「アンタはあの子の彼女なんかじゃない!」

「誰?」

と、フシコは不愉快そうに言った。相手はボクから視線を外さずに答えた。

「私はサオリの母よ」

母? ボクは戸惑う。ああだから似ているのか。でもどうしてサオリの母がいるんだ? そこでボクは可能性に気づいて周りを見渡した。もしかして世界がもとに戻ったのかと思った。しかしそうではなかった。ならサオリの母親がここにいる理由をボクが思いつくのとフシコがそれを口にするのとは同時だった。

「あなたも《ユウチャージ》に当たったんだね」

「そうよ」サオリの母親は認めた。「でもちょっと違う」

「違う?」

「私の《ユウチャージ》は金持ちになるためのものじゃない。守るためのものよ」

「守る?」

どういうことだ? 《ユウチャージ》にも種類があるのか?

「ええ。大事なものをね」

そしてサオリの母親はボクを指さして怒鳴った。

「アンタのようなやつからね!」

ボクはどきりとした。

「どういうこと?」

と、フシコは眉をひそめる。

サオリの母親は語り始めた。

「私はあるユウチャージに当たった。そして理解した。この力は自分の大事なものを守ってくれる力だと。その力を私はさっそく使った。ミキオ、アンタにね」

「ボクに?」

ボクは困惑するが間髪入れずにサオリの母親は言い足す。

「勘違いするな! アンタを守るために使ったんじゃない。サオリを守るために使ったのよ!」

サオリを?

「どういうことだ?」

「アンタ、この前札幌東区役所に行ったわよね? そのときバスに乗ったでしょ? そのとき女性にぶつかってヒヤヒヤしたでしょ? なぜぶつかったか分かる?」

「えっ?」

えーっと。

「ーーバスが揺れた拍子にボクが誰かにぶつけられたから?」

「そうよ。そしてぶつけたのは私よ」

「なに?」

そうだったのか? ぶつかってきた相手のほうなんて見てなかった。サオリの母親だったのか。しかも故意に?

「なぜそんなことを?」

「それが必要だったのよ。サオリを守る兵士を作るためにね」

「兵士?」

「サオリを守る、サオリの言うことに忠実に従う兵士をね。身に覚えがあるはずよ」

あっ。ボクは覚えがあった。勝手に喋ったり、勝手に決めたりと、ボクの意志に反したことをボク自身がしていたことを思い出す。あのときはわけが分からなかったが、そういうことだったのか。

「なぜボクをそんな兵士に?」

「私が決めたんじゃない。《ユウチャージ》が決めたことよ」

サオリの母親はもどかしそうに言った。

「なぜそこまでするの?」

と、フシコは不思議そうに言った。

「なぜ?」

サオリの母親はバカにしたように鼻を鳴らした。そして高らかに、誇らしげに言った。

「私はサオリの母親よ。当然じゃない。そしてサオリを愛している! サオリは最高よ、最高の娘よ。だからよ!」

なんだこの母親は……。ボクは唖然とした。

「最高なら兵士なんていらないんじゃないの?」

フシコは首をかしげた。

「最高ならなにかあってもどうにかするでしょ?」

「いいえ。必要なのよ」

「最高じゃないの?」

「最高よ。でもサオリはちょっと抜けてるのよ。だから必要なのよ」

ああ、なるほど。

ボクは共感した。

「最高じゃないじゃん」

「そういうところも含めて最高なのよ!」

と、サオリの母親は楽しそうに言った。

「ふーん」

全然納得していない様子のフシコから、ふとサオリの母親はボクに視線を向ける。

「でも、《ユウチャージ》は相手を間違えた。私が求めたのは恋のない兵士だったのに! なのにアンタは恋を! 私の娘に恋を! ああ!」

はぁ?

「別に恋してないんだけど」

「嘘おっしゃい!」

「嘘じゃない」

「ならなぜ焼肉屋に行ったのよ?」

「は? 焼肉屋?」

「さっき一緒に行ってたじゃない!」

「行ってたけど。それがなんだ?」

「一緒に焼肉行くなんてそういうことでしょうが!」

と、サオリの母親は絶叫した。はぁ? なに言ってんだこのババア?

「あっ、そうなんだ?」

と、フシコはボクを見る。

「違うよ」

「違わないわ!」

うるさいババアだ。ボクはうんざりして早くこの場をなんとかしたくなる。

「それであなたはどうしたいんだ? ボクを」

「どうしたい?」

ババアはふっと笑った。

「殺すのよ、アンタを! もう兵士じゃないんだから!」

そうくるか。まぁそうだろうな、そんな脳みそなら。ボクは身構える。

「それは困る」

フシコが決然と言った。

「私はミキオ君が必要だから」

「アンタは誰?」

ババアは眉をひそめて少女を見る。

「こいつのなんなの?」

「言う義理はない」

「ーー仲間ね。アンタ、こいつの仲間ね」

ババアはそう解釈した。

「まぁ正解」

「二体一。不利ね」

ババアは顔をしかめる。

不利ーー。

「でもやるわ!」

と、ババアはボクへ向かって走ってくる。

「ミキオ君、私がやろうか? それともドラゴン?」

フシコの呼びかけにボクは断る。

「なにもするな」

さてどうしたものか。ボクは考える。返り討ちはたやすいだろう。だがそれでいいのか? 相手はサオリの母親だ。どうするーー。

そうだ! ボクはババアに右手を向ける。するとババアは足を止めて立ち尽くした。まるで魂の抜けたような表情を浮かべている。

「なにをしたの?」

と、フシコは動かなくなったババアを興味深そうに見つめる。ボクは答えた。

「操り人形にしたんだ。だから動きが止まった」

「ふーん。どうやったの?」

「願ったんだ、心の中で」

初めてだったが簡単にできた。不利という言葉をその直前に聞いて、あの金持ちになりたいおばさんの言葉を思い出していたことが解決に繋がった。

「殺せばよかったのに」

フシコはなに食わぬ顔で言った。

「そういうわけにはいかない。サオリの母親だからだ」

「ふーん。で、この人形どうするの?」

そうだな。さて、どうしようかな?

「教えてあげるわ」

なに? この声は。その声がしたほうを見ると、あのおばさんが立っていた。

「誰?」

フシコは不愉快そうに聞いた。おばさんは真面目な顔をして答えた。

「救世主よ」

は?

「救世主?」

と、胡散臭そうな声を出すフシコ。

「そう。キミにとっても」

おばさんはボクのほうを見る。

「そしてサオリちゃんにとっても」

サオリにとっても? ボクは聞く。

「どういうことですか?」

「教えてあげる。ミキオ君、その人形に命じなさい、フシコちゃんをサオリちゃんだと思うようにと」

はぁ? ボクは目を丸くする。ババアにフシコをサオリだと思わせる? なにを言っているんだこのおばさんは?

「続けて」

と、フシコは吟味するように言った。

「それでフシコちゃんは外に出られる。種類が違うとはいえサオリちゃんの母親は《ユウチャージ》に当たった。そしてサオリちゃんの母親はサオリちゃんを愛している。ゆえにどんなことをしてもフシコちゃんを自分のもとに取り戻す。だからよ」

なんだその方法は? ボクは全然理解できない。

「なるほど」

と、フシコは言った。えっ?

「ミキオ君、命じて」

納得したのか?

「いいのか? それで。もっといい方法あるだろ?」

フシコはうなずいた。

「とにかく出られたらいいの、私は。出られたらどうにでもなる。でも戸籍とかどうしても必要になってくるし」

戸籍。なるほど考えてるな。

「でもいい親とは思えないぞ?」

「そこはミキオ君が変えればいい」

あぁ。

でもーー。ボクはおばさんを見る。

「サオリはどうするんですか? 無戸籍になるじゃないですか?」

「大丈夫よ」

と、おばさんは安心させるように笑う。

「サオリちゃんをサオリちゃんの姉にすればいいのよ。母親が関心を示さない、すでに独立した女性に。それで解決でしょ?」

「まぁ」

「ミキオ君」とフシコ。「お願い」

でも。ボクはおばさんに言う。

「サオリの意見も聞かないと」

「じゃ待ってる」

フシコが言った瞬間、ボクの背中は重くなった。世界がもとに戻ったのを一番実感できた。

ボクはサオリを起こして面と向かって話した。寝起きでふらふらしていてちゃんと理解できているのか心配だったが、彼女のその一言で大丈夫だと分かった。

「ありがとう」

その一言は嬉しそうで、泣きそうで、深くて、確かだった。

ボクはその意味を聞かなかった。あのババアからなんとなく察することができた。

「でも困ったね」

と、サオリはおかしそうに笑った。

「なにが?」

「これから独立した姉なのに、私、働いてないから」

「働いてないのか?」

「うん。母に止められていたから」

理由は分からないが、あのババアならしそうなことだな。

「ーーどうした?」

ボクは声をかける。彼女の顔が急に暗くなったからだ。

「うん。最近急に働けって言われたんだよ。たぶん家が貧乏だからだろうね。でも急にそんなこと言われても困る。でもこのままじゃいけないのも分かる。憂鬱だった」

「ーーもしかして、だから《ユウチャージ》に当たりたかったのか?」

彼女は言っていた。《ユウチャージ》のことを、やる気を出させるものだって。

「うん。ミキオ君、昨日私バスで降りるところで降りなかったよね? 実は昨日ハローワークへ行こうとしていたんだ。でも働くのが不安でやめたんだ」

彼女は辛さを吐き出すように言った。ああだからだったのか。

「働くのが怖いのか?」

「うん。キミは怖くないの?」

「別に。働くのは嫌?」

サオリは少し考えて答えた。

「嫌じゃない。でも怖い、今は」

「じゃどうする?」

「ーー養って?」

と、サオリは苦笑した。

ボクはきっぱりと言った。

「嫌だ」

その瞬間サオリとフシコが入れ替わった。

「遅い」

混乱するボクにフシコは言った。

「そして意気地なし」

と、 彼女は軽蔑した目で言った。

「そんなこと言っちゃ駄目よ」

と、ボクの隣からおばさんの声がした。

「まだ解決してもらってないでしょ?」

徐々に落ち着きを取り戻したボクは、首をかしげた。

「意気地なし?」

「うん。養えばいいじゃん」

ボクはふっと笑った。

「なんでボクが?」

「好きじゃないの?」

「好きじゃない」

「彼女は困っているんだよ?」

「だからなんだよ?」

フシコは怪訝な表情を浮かべる。

「そこのおばさんに教えてもらった。キミとサオリさんの間柄。ここまできて、キミは彼女を見捨てるの?」

見捨てる? おいおい。

「ボクはちゃんとしてるぞ?」

「してない!」

背後から声が飛んできた。驚いて振り返ると、ボクの親父がいた。どうしてか怒っているようだ。えっなんで? そう思った途端横で声がした。フシコの声が。

「誰?」

なに? 戻ってないのか? とボクは左右を見る。フシコとおばさんが確かにいる。ということは元の世界に戻っていないということ。そして親父も《ユウチャージ》に当たったということか。

「親父、なんの用だ?」

ボクは聞く。すると親父は怒鳴った。

「お前を変えるためにきた!」

「変える?」

ボクは眉をひそめる。

「ゼロから作り変えるんだ!」

「なに?」

「色々だからいっそな。時間はかかるけどな、《ユウチャージ》。だが仕方ない」

「ふざけるな!」ボクはキレる。「そんなことさされてたまるか!」

「お前のためでもあるんだぞ?」

「ふざけるな!」

親父をなんとかしなければ。殺してでも!

そう思った直後だった。親父はバカにしたように笑った。

「遅いな」

「なに?」

「オレはもう願ったぞ。《ユウチャージ》に」

ボクは愕然とする。そんな……。だがなにも変わった感じはしない。ハッタリか?

「言っただろう?」親父は言う。「時間がかかるって」

「どれくらい?」

と、フシコが焦りを口にした。

「分からないが長いぞ。だが今日中にまず意識がなくなるだろう。そして徐々に作り変わっていくんだ」

親父は満足げに答えた。

そんな……。ボクは絶望する。

「じゃあな」

そして親父は一瞬で姿を消した。

「おばさん」フシコは言う。「ミキオ君を救う方法はないの?」

「あるわよ」

あるのか!

「教えて」

おばさんはうなずいてボクたちに話す。

「まずミキオ君が人形に命じること、さっき私が言ったことをね」

ボクはうなずく。

「分かりました」

ボクは願う。ーーおっと、ちゃんとババアをフシコの最高の母親にしないとなーー。

すると、ババアはぱっと消えた。

「サオリの母親はどこに?」

「新しくなって自宅にでも戻ったんでしょ」

「それで次はどうすればーー」

言いかけてボクは意識を失った。


「ミキオ君」

しゃべっている途中で彼はその場に倒れた。もう? と嘘の私は呆然と立ち尽くした。

「早いわね」

と、おばさんはミキオ君を痛ましそうに見下ろす。

「予想外ね」

私は我に返る。

「早く助けないと」

「無理ね」

えっ? 私は耳を疑った。

「どういうこと? 方法あるんでしょ?」

「いいえ」おばさんは首を横に振った。「ないわ」

ない?

「だって先……」

「えぇ、さっきのは嘘。まずあなたを自由にしたかったから」

「どうして?」

「それが先決だったから」

嘘の私は力なくミキオ君を見下ろす。もう助からない。そんな……。

「ーーあっ。ミキオ君に言い忘れていたことがあったわ」

と、おばさんはなにか思い出したようにつぶやいた。

嘘の私は顔を上げる。

「なに?」

「ミキオ君が《ユウチャージ》の道筋を見なかった理由よ」

見なかった? そうなの?

「どうしてだったの?」

「未来がなかったのよ」

「未来がない?」

「そう。お金持ちになれる未来が」

本当にそれだけ? と私は思う。本当にその未来だけがないの? 私は再びミキオ君を見る。

私も未来がなかった。でもミキオ君が未来をくれた。でも、今度はミキオ君の未来がなくなった。私はたまらなくなった。

「おばさん」

「なに?」

「私はミキオ君を助けたい」

私は決心した。

「無理よ」

「いいえ、方法は必ずある。私は諦めたくない」

「でもミキオ君はまた蘇る。彼のお父さんが言ってたでしょ?」

「そんなのミキオ君じゃない!」

「これも覚えてる? お前のためでもあるんだぞ? って言葉。助けないほうがミキオ君のためかもしれないわよ?」

「そんなことない!」

「それにあなたのためにもなるかもしれない」

「えっ?」

私のため?

「あなたは《ユウチャージ》に当たったのよ。もしミキオ君を助けたとしてもいつか障害になるかもしれない」

「私は金持ちになんかなりたくない!」

私はきっぱりと否定するがおばさんは口を閉ざさない。

「でも《ユウチャージ》に当たったということはいずれそうなるはずよ」

「そんなの分からないじゃない」

「そうね。でも難しいことは確かよ」

ふと私は気づく。

「私の《ユウチャージ》の道筋でミキオ君が助かるかもしれない」

私の胸の中に希望が灯る。

「そうかもしれない。でも逆もあるかもしれない」

「逆?」

「助かったミキオ君を、あなたが殺すかもしれない」

私は絶句した。そんなこと、ミキオ君を殺すなんてこと私は絶対しない。だが、未来でするからもしれない。《ユウチャージ》によって。その道筋の可能性を私は否定できない。

「ほかの可能性もある」おばさんは言う。「助けたミキオ君が、命の恩人であるあなたを殺すパターンが」

私はむっとした。

「なんでそんなこと言うの?」

「ごめんなさい。これも私の道筋なの」

「そんなに金持ちになりたいの?」

私の非難におばさんは平気な顔で即答した。なりたいわと。

「どうして?」

「良い生活がしたいのよ。それより考えたほうがいいわよ、未来を」

「未来……」

「助けるのか、助けないのか」

もちろんほかの未来もね、とおばさんは言い足した。

「ほかの未来?」

「サオリの母、今はあなたの母親から逃げる算段を。また窮屈な生活は嫌でしょ?」

「そんなこと後回しでいい」

「そう? かなり難しいと思うわよ」

「……どこまで知ってるの? もしかして知ってるの? ミキオ君がどうなるか」

「知らない」

だが私は全然信用できない。

「本当?」

「不毛な追求よ、それ。もし私が知っているとしたらなぜ言わないか理由分かるでしょ? そしてそれなら言うわけない。そして知らなかったら知らないと言うだけなんだから」

確かにそうだ。そしておばさんは後者を選んでいる。

「……これ以上おばさんと話す必要はないようね」

と、私はイライラしながら言う。

「私のほうもそうだわ。それじゃ」

と、おばさんは一瞬にして姿を消した。

そして私は考える。

私はどうすればいいんだろうーー?

私は未来を探し始めた。

〈了〉

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31遊(サーティーワンユウ)〜閉じる世界で未来を探し始めた少女〜 @sumahosaikou

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