第9話 導へ向かう

死ぬために未だ生きているのか。生きた末に死が待ち受けているのか。

子どもの時から、頭の片隅にずっと存在していた。大人になった今でもその答えが分からずにいる。


恐らく、自分は望まれて生まれたのだろう。だというのに、生まれて良かったと思えたことは何回あっただろうか。

いつの日だろう。誕生日が待ち遠しいもので無くなったのは。人から言われてやっと認識する程度になってしまった。

真っ白に塗りたくられた高さのあるホールケーキを見て、クラインから見える塔のようだと思いながら蝋燭を立てたのは何歳の時だったか。

生まれ落ちた喜びの灯りへ息を吹きかける度に、消えた命の灯火の数を考えるようになったのはいつからだろうか。

何も変われなかった。何も成し遂げれなかったのに、大切なものばかり増えては両手から零れ落ちていく。砂時計の如く落ち、取りこぼした犠牲に対する罪悪感が足を固める。この責務から逃げ出すつもりなんて無い。……取り返しのつかないところまで来てしまった。今更無かったことになんて出来なくなった。

守らなければいけない世界も、人も。この正義感は間って違いないと信じている。信じていなければ、こんなに焦ることなんて無かった。何も出来ないことへの焦燥感で生まれた蟠りを、自分はいつ無くすことが出来るのだろう。


「これ以上、俺の中に死にたくない理由が増える前に」


終わらせなければいけない。そのために今日も息をする。

……遠い昔、埃を被った手記を見つけたことがある。これが今の自分を形づくり、そして全ての指針となっていた。



『愛があるから、幸せだと考えるのか。

幸せだからこそ、今が愛に満ち溢れていると考えるのか。

ふと考えたことがありました。別に情緒的に不安定だった訳でもなく、深夜にふと過ぎる哲学に似ただけの無意味な思考。


答えなんてありません。きっと、どちらも正しいのです。結局のところ、個人の価値観であり人間の物差しでしか測れない不確かな事象。

一方的な愛だけでは身を滅ぼすことだってある。果たしてこれは幸せなのでしょうか?

自己愛という言葉があるように、自分自身を己が愛していれば幸せなのでしょうか?それは結局、他者を拒絶して本当の意味での幸せになることを自ら拒んでいるだけではないでしょうか、と私は思うのです。そもそも自分が自分を愛せなければ、他者から寄せられる愛は不快に感じることもある。

面倒な生き物なのです、感情を持った人間というのは。ですが感情があるからこそ、愚かで強欲な未来を望むことが出来る。


盲信は愛でしょうか?依存は愛でしょうか?救済は愛でしょうか?恋慕は愛でしょうか?嫉妬は愛でしょうか?博愛は愛でしょうか?憎悪は愛でしょうか?

愛とは何でしょうか?愛とは結局何になるのでしょうか?

私たちは、結局自分に都合のいいように定義を言い換えているだけではないでしょうか。ならば正しい答えなど無いのです。自分の信じたいものだけ、信じるのが人間でしょう。


これは言い訳です。全てから逃げる私が自分を正当化するための言い訳。

私は、私の信じたいものだけを信じることにしました。それが私にとっての幸せだからです。

愛ゆえに、この幸せの導へと向かって行けるのです。



あぁ、後世の皆様へ。我儘を許せ、とは言いません。言い訳ついでの書き置きです。これは私が、この一族として遺す最後の言葉となります。


壊しなさい。本当にこんな国ですら守りたいのであれば』

​─────アダルハイダ・ディートリヒ 最後の手記より一部抜粋







「悪い、遅くなった……!」

「いや、問題ないよウィル」

カイムからの連絡を受け、ウィルペアト達も空き部屋へ到着する。反対方向に進んだというロドニー達は未だ引き返している最中らしく、その場には4人しか居なかった。

「状況は?」とそのままシェロへ問かければ、簡潔に階段前のツァイガーの状態を伝えられる。コアを2つ持ったツァイガーであること、恐らくこの階のツァイガーは殆どあのツァイガーが共食いしたということなどを説明した後に「……これは、ほぼ確実なことだと断言してもいいと思うから共有するね」と前置きをされる。

「今回の調査で得られた情報を整理すると、ツァイガーの正体は元グローセ隊員ということで合っていると思う」

「……先程共有してもらった内容から、俺もそうだと思ったよ。……それなら、コアの色と戦闘能力や回復について理解出来る」

「うん……コアの破壊が討伐条件な時点で、ここがツァイガーにとっての“心臓”に当たることは分かっていたけど……リボンタグの色がコアの色だと断言しても……、?ウィル、顔色が」

「…………え?」

パチ、とシェロとウィルペアトの視線が交わる。目の前のウィルペアトの顔色は青ざめており、明らかな動揺の色が浮かんでいた。

指摘後すぐに口元を覆い、「いや、大丈夫だ。魔力消費の影響だから直ぐに戻る」と告げれば僅かに疑念を含んだ視線に変えられる。困ったように目を細めて「話、遮ってしまったな」と切り替えれば数秒の沈黙の後に「いいよ」と返された。

「続けるね。コアの色や片目、武器の状態……そして抱きしめたツァイガーの状態から……俺たちの前任リーダー達だと推測出来る」

「アマンダとアーシュラの隊員カラーは前任の色だからな……戦闘能力が他のツァイガーと段違いになる可能性が高い。ロドニー達が来てから改めて伝えるが……」

「恐らくはシェロとアルフィオが最初に進めるように、ということを意図した指示を出すと思うよ」

構わないか?と問えばシェロはしっかりと頷きで意思表示を行う。

「もちろん。俺はその指示に従うよ」

「ありがとう、シェロ」

ヒソヒソと部屋の隅で会話を進めていれば、「遅れました……!」と息を切らす声が増える。扉の無い空き部屋であるため、到着して肩で息をするナイトの姿はすぐに見えた。

「ごめんね、討伐していたとかそういうのじゃないんだけど……」

申し訳なさそうに笑うナイトへ「いや、僕が読みふけっていたのが」とロドニーが補足しようとするもまぁまぁ…と曖昧に流されてしまう。む…と唇を僅かに尖らせながらもゴーグルを額の上へあげ、「階段前に居るっていうツァイガーは?」と近くに居たカイムに問えば「まだ階段前に居る」と静かに返される。


「先程のツァイガーだが200センチ前後。人型ではあるがツラは犬のそれと近いSクラスだと判断出来る。だが2階に存在するツァイガーをアレほとんど1匹で食ったのであれば、クラスが上がっている可能性も否定出来ないと考えている。」

「加えてコアと思われるものが2つ。だが女型ツァイガーの方は生きているのかさえ分からない程に反応は見られなかった。男の方は反応こそあるが基本的には女の方を守ろうとしている。共食い目的で殺したツァイガーを口移ししようとしていた点から、片側へ魔力を与えることを優先しているとボクは推測している」

一定のトーンのまま確認出来た状況と自信の推測を立てるカイムへふんふんと声を零しながらロドニーはしっかりと耳を傾けていた。視線をシェロやアマンダ達へ向ければ静かに頷かれたため、カイムの考察はほとんど正解であると判断して良いのだろう。

「そっか……確かにこれまで僕らが見てきたツァイガーは1個体に対して1つのコアだから……コアが2つあるなら、片側が破壊されていてももう片側が破壊されていないなら完全に討伐したとは言えない状況って解釈で合ってるかな」

「ああ、そうであると考えても良い。だが完全なる別個体では無いため、魔力を共有している可能性もある。必ずしもコア2つの破壊がイコールとして討伐に結びつくと認識しなくても良いのでは?とボクは考えているが」

カイムの考察を聞き、ロドニーは更に声を零しながらブツブツと考察を広げていく。そんな2人の様子を横目にしつつ「ふーん?」と声を零すラビへ「どうしたの?」とナイトが声をかける。

「いや?なーんか、癪に障るな……」

口元に手を当てつつ、ロドニーとナイトへ視線を向ける。……正しくはナイトへ視線を向けたのだが、傍に居たロドニーも頭に疑問符を浮かべながらこちらを見つめていた。

「え!?僕何かした……?」

「ん?いやあ……なーんか聞く限りの雰囲気にどっかの誰かさんを感じてなぁ。誰だったかなあ……?」

焦ったように声を上擦らせるナイトへ揶揄うように口角を上げる。それをどう捉えたのか真面目な性格であるナイトは「ええ……?」とこれまでの行いを振り返り始めていた。

「マイナス3点。ラビ・ルージンズ、話を遮るな。それは今不必要な会話であると判断した。今すぐ口を閉じるかこの場に必要な意見を出すべきだ」

「おっと!説教はごめんだぜ?カイム嬢。俺はただツァイガーの情報をきみから聞いて“癪に障る”としか言ってないんだ。その上での感想でしかなかったんだが……何か違うことでも過ぎったか?」

「…………」

挑発的に口角を上げてニヤニヤとこちらを見るラビへ舌打ちしそうになるのをなんとか堪える。既にカイムの中ではマイナス4点が追加されてはいるが、彼へ吐き出そうとした言葉の数々はどれもあまり良いものではなかった。

「んもう……だぁめ!2人とも、落ち着いて。今はリーダー達の指示を仰ぐ場面ヨ!」

ソラエルが居る手前、言葉を選んだ結果ジト…とカイムはラビを睨みつける。その2人を仲裁するようにアマンダが間に入り、「メッ!」と2人の額へ人差し指の腹を当てる。カイムは僅かに眉間のシワが浅くなったが、ラビは「先生、ただの感想なんだが…」と肩を竦めていた。

「ただの感想だとしても、今は隊長さんの指示を聞く方が先。でもすぐツァイガーの考察をしたのはいい事ヨ」

ね?と深く被ったフードの中から覗く黄色を視界に写せば、「……とりあえず、現状の確認だな」とウィルペアトが話を切り替える。


「これまで収集出来た情報から、階段前に居るツァイガーは上級クラスツァイガーかつコアを2つ有している特殊なツァイガーであることが分かった。」

「どちらを破壊するべきか、又はどちらも破壊すべきかは俺もまだ実体を見ていないから判断しにくい。だがこのツァイガーを倒さない限り上には進めないだろう」

全員の視線や意識が自分に向いていることを確認し、再度シェロへ視線を戻せば小さく頷きを返される。「そこで」と言葉を続けていく。

「シェロ・アルフィオの2人を先に上に行かせることを優先する。2人のサポートとしてカイム・アマンダの2人が着いてくれ。主にツァイガーの討伐に当たるのは俺達とヘルハウンドとソラエル……ノヴァのメンバーで行う。」

「ロドニー・ナイトは中間に居ることを意識してくれるか?どちらのサポートにも動けるようにして欲しい」

そもそもグローセのバディ制度は塔の調査を効率良くする為に出来た制度である。そのため、組織内でトップクラスの医療技術と修理技術を持つシェロを優先して進ませて待機させるべきだとウィルペアトは判断した。守る武器であるカイムと治療サポート班内で火力が高いのは現時点ではアマンダしか居ない。ならばこの2ペアを共に行動させた方が良い。攻撃力の高い武器はウィルペアトとロドニーの武器だが、新人コンビだけを後方に集中させる訳にはいかない。ヘルハウンドとナイトは歴からしてサポートに回ることには慣れているが、バディは新人である。治療サポート班に出来る支援の限界は、彼らも良く理解しているだろう。

「っ分かりました!」

「うん、分かったよ」

ピンっと背筋を伸ばすロドニーと柔い笑みを返すナイトを交互に見つめ、ウィルペアトは更に細かい指示を出していく。


「……ひとまず、俺からはこのくらいになるかな。何か意見があるなら今のうちに共有して欲しいが……」

そこまで告げればヘルハウンドが軽く手を挙げる。「どうした?」と問かければ「ちょっと個人的なこと」と視線を空き部屋の外へ向けられる。……恐らく、人にあまり聞かれたくは無いのだろう。

「分かった。……俺も階段前に居るツァイガーの確認がしたかった。それも兼ねていいか?」

「俺は大丈夫。シェロ、ごめんすぐに戻ってくるから」

空き部屋から少し離れ、向こうに居るというツァイガーへ共に目を向ける。

「見覚えは?」とウィルペアトが問かければ「髪型とか、そういうところなら。声までハッキリ聞いたわけじゃないからなんとも」というヘルハウンドの返しがあった。

「そうか……俺とシェロも前任とそこまで深く関わりがあった訳では無いから……判断はしかねる。……ところで、話したいことは?なんだったんだ」

「ああ……」

一瞬言葉を迷い、「アーシュラの、ことで」と詰まらせながら言葉を吐き出す。

「あの場では言えなかったけど、リボンタグは既に切られていた。多分他の子達は気づいていないけど……」

「……分かった。……とりあえず扉のある空き部屋に隔離はしているが……」

そのまま言葉を続けようとして、口を閉ざす。先程の考察でいけばアーシュラの遺体もツァイガーになる可能性は十分にあるのだ。きっと今それを改めて伝えることは何よりも残酷なことだとウィルペアトも理解出来ていた。それを察したのか、それとも自身もこれ以上会話を続けることが厳しいと判断したのか。「報告はそれだけ。ごめんね、連れ出して」とさほど差がない視線がこちらを向いた。

「いや、構わないよ。ありがとう報告してくれて。……とりあえず、シェロ達に声を掛けてくる」

そう言ってまた空き部屋へと戻ったウィルペアトからゆっくり視線を動かし、階段前の存在へと再度視線を向ける。

(……番犬みたいだな、ああして見ると)

長い耳を震わせ、地を這う程に低い呼吸音が響く。記憶に残る前任リーダーとはかなり異なるはずなのに、それでも懐かしさを覚えてしまう自分の記憶力が少しだけ嫌になってしまいそうだった。




全員が空き部屋から出た後、作戦の最終確認を行う。だが方針は決まっても最も重要な部分だけが決まらずにいた。

「あのツァイガー、さっきは目の前に別の個体が来た時にやっと動いたワ。周辺の血溜まりから察するにあまり動かないつもりかしら……?自分が退けば突破されることを理解した子なのかもしれないワネ」

再度カイムから話しかけられていたアマンダがそう零す。実際に動いた場面は4人しか見ておらず、後から合流した班員は未だに動く気配を見せないツァイガーへの対処法が分からずに居た。

「そこなんだよな……こちらから攻撃を、というよりは退かせるならそれでも」

そんな先輩達のやり取りを耳にしつつ、ふと足元を見た時だった。「あれ」とノヴァの声が響く。


「血ってここまで広がってましたっけ」


その言葉に全員の視線が足元へ向く。確かにそこには絵の具を零したような血が広がっており、それは階段前にある血溜まりへと繋がっていた。てらてらと光を反射させていたが、ごぽ……と何かが沸騰するような音が響く。炭酸のような小さな泡が浮かんでは爆ぜて辺りに血を散らしていくが……そもそも、血が泡立つことは有り得ないのだ。

「ッ全員伏せろ!!」

ウィルペアトの焦りが混じった指示と1つの泡が爆ぜたのはどちらが先だったのか。ぷっくりとした一際大きな泡が浮かび、てらてらと表面に光を反射させながらパンッと音を立てて爆ぜる。そのまま細く長い血液が伸び、壁へと突き刺さる。網目模様のようにも見えるそれは明らかな意図を持って班員達を分断させた。

ナイトは自身のバディを守るように腕を引き、庇うように抱き寄せたまま地面へ伏せる。ヘルハウンドもノヴァとソラエルの2人を引き寄せ、地面に伏せたようだった。

「罠ネ。分断目的の」

「ッは……そうだろうな……」

アマンダから強く腕を引かれ、頭を守るように抱きしめられていたカイムはなんとか胸元から顔を上げる。グッと抑えられていたことで生まれた圧迫感から解放され、息を吸い込めば「ごめんネ」と優しく頭を撫でられる。

「どうやらあのワンちゃんは私達……というよりはリーダー達をご所望のようだけれど」

起き上がって周囲の状況を確認する。カイム達が居るのはツァイガーから視認可能な範囲内。シェロを庇うようにして伏せているアルフィオと、ラビの腕を引いた状態のウィルペアトの2ペアがこちら側に居るようだった。

背後を確認すれば網目状に張り巡らされた血の罠をソラエルとヘルハウンドがそれぞれの武器で切っているのが分かる。ノヴァやロドニー、ナイトも支給されているポケットナイフでなんとか罠を外そうとしているが、元々リボンタグを切る為に支給されたナイフにそこまでの威力は無く手間取っているようだった。

「……躾がなっていない犬だな」

「本当にネ。最初からトップを欲張るだなんて……ワガママな子」

カイムとアマンダも体勢を立て直し、即座に武器を構える。今の状態であれば拳銃と投げナイフが適していると判断したアマンダはすぐ取り出せるように武器の入っている場所へ手を伸ばす。

他の2ペアも立ち上がった瞬間、ゴロゴロと低く唸る声と共にツァイガーはこちらに顔を向けた。


「…………進めた先に希望はあったか?」

それはどちらに向けた言葉なのか。シェロとウィルペアトに対して顔を向けたようにも見えるが、すぐに息を吐く。決して目を逸らさず、ウィルペアトは自身の手を後ろにそっと回す。女性側を守る動き方をするという報告があった。ならばタイミングを見て攻撃を仕掛ければ、シェロ達が行動する糸口が見えるはずだ。

「……希望では、無いのですか?」

言葉を選びつつ、ウィルペアトは返す。はぁ…と呆れた息を吐かれれば「違う」と即座に返される。

「多くを失ってきた。何も残らなかった。……これのどこが希望だと言うのか」

「……それを経ての隊員の成長に、俺たちは夢を見るからこその、希望だと言うのではないですか?」


「​───────リーダー」

後ろに回した人差し指をピッと勢い良く曲げる。同時にアマンダとラビが自身の銃を構え、発砲音は2発響く。……撃った先にいるのは犬のツァイガーでは無く、女性ツァイガー。想定通り守るように抱きかかえて自身の視界を覆ったのを確認した瞬間、シェロとアルフィオは駆け出す。同時にウィルペアトも自身の武器を握り直し、駆け出した。

(少しでも時間を稼がないと……カイム達が動く隙が無くなる。何よりも厄介なのは……)

ツァイガーが片手に握りしめている捻られた状態の武器へ視線を向ける。恐らくこれは討伐調査班に支給されている武器と同様の物……つまりツァイガーを討伐する為の武器を、ツァイガー自身が握っている状態なのだ。模擬戦を除いて実戦となることは無いが、基本的には討伐調査班の使用する武器同士での戦いは想定されていない。己の力の魔力を巡らせて使用する武器をほぼ底無しの魔力を保持するツァイガーが使用しているとなれば……最悪の予想ばかりが出来てしまう。

1歩強く踏み込み、目の前の身体へ斬りかかる。後方から駆け出す音はカイム達も移動を始めたのだろう。更にソラエルの「なんかベタベタしませんか!?」の声は聞こえたが恐らくは順調に罠は外せている。そう信じて再度力の魔力を武器へ集中させるも、ゴリッと骨のような部分に当たって完全に切断することは叶わない。


「夢ばかり見るから、失った時に一方的に絶望することに気づいていないのか」


シャムシールにボタりと赤黒い血液が付着する。ボコボコと泡立つそれが何を意味するのかは先程の罠から察している。

(このまま罠が発動すればシェロ達が進めなくなる、ッ1度抜くしか……!!)

引き抜く為にツァイガーの胴体を強く蹴るが、よろめくことも無かった。なんとか引き抜けばとめどなく赤黒い血液が落ちて行く。軽くシャムシールを振るって血を落とした瞬間、ガランと大きく音を立ててツァイガーは手にしていた武器を手放す。手放した意図が分からず混乱するも、即座に攻撃を仕掛けるが圧倒的に硬い身体を断つことは叶わなかった。何より、攻撃と防御においてはこれまで見てきたどのツァイガーよりも優れていた。


「ッ!!」

(速い……!ウィルの攻撃で間に合わないのか…!)

リボルバーを構え、ツァイガーの死角から1発放つもそれにも手応えは無い。後方ではようやく罠を切り終えたようで、ヘルハウンド達も合流出来たことを確認した後、カイム達と1度足を止める。ここから先に進むにはもう少しツァイガーの体力又は戦闘能力を下げる必要がある。

目の前のツァイガーが前任のリーダー達であるとしても、ウィルペアトとシェロは彼らの戦い方の細かい癖までは覚えていなかった。前任と過ごしたのは1年も無い。塔の調査へは2回同行したが、2回目の調査でリーダー2人は殉職したのだ。普段の訓練だけで彼らの戦い方を理解するには、あまりにも過ごした時間が少なすぎた。

ツァイガーはそのままウィルペアトの方へと腕を伸ばす。先程まで使用していた武器攻撃では無いが、鋭い爪は全てを切り裂くだろうということの察しはつく。再度シャムシールを構え直すがそれよりも速くツァイガーの手のひらが届いた。

片側の視界も黒に染まり、直後口元に強い圧迫感を覚えた。バキ、とイヤホンマイク部分の折れる音が耳元で響き、足元の浮遊感が己の今の状況を嫌でも理解させ、頬に当てられた指は想像よりも細く力強いものだった。

(武器攻撃じゃない、なら、……いや、その前に呼吸……ッ!!)

鼻と口を覆うように掴む手をなんとか剥がそうとウィルペアトも力の魔力を掌へ集中させる。普段の方法では意味が無いと判断し、指先へ魔力を集めたことでツァイガーの指は僅かに浮くが、すぐに力の魔力で対抗される。組織の中でもトップクラスの力の魔力量を保持しているウィルペアトと互角の魔力量で対抗出来るという事実を目の前で見せられてしまえば、容易に動くことは難しい。方法次第ではウィルペアトを盾にされかねない状況で、攻撃を仕掛けるわけにはいかなかった。

グ…と込められる力が一段と強くなる。頬には指先がめり込み、深く刺された爪が肌を割いて行く。唇にぬるりとした何かが触れ、それが口の中に流れ込んでようやく自分の血であると気づいた。このまま力を込められればツァイガーの指が自分の頬を貫通することは嫌でも理解出来てしまうのだ。

(呼吸の我慢はまだ、出来る……だが武器を振るえる程の、距離が開いてな……!)

ナイフなどであれば近距離でも応戦出来ただろう。だがウィルペアトの使用する武器は広範囲への攻撃に特化したものである。加えて上から力を込められることには弱い武器だ。これほどの近距離で攻撃を行えば反撃される際に武器破壊されかねない。……誰よりもこの組織での戦い方を理解しているのは、目の前のツァイガーなのだから。

ハァ、と息を吐かれる。これが失望を含む吐き方であることはツァイガーも人間も変わらないようだ。潰れた瞼の奥がギョロギョロと動かされる。見えない視界でもその姿を捉えたのだろう。ハッキリと後方に居る彼へツァイガーは言葉を投げかけた。

「……後継は、育っていないようだが……教育を間違えたか?ヘルハウンド」

「……いえ。貴方達の後継はしっかり育っていますよ」

潰れた瞼でこちらを覗き込まれる。地の底へ響くほどの低い声で笑い声は響き、僅かに塔が揺れたような錯覚すら覚えた。

「育っている?どこが。退化の一方じゃないか。どれか1つの力を示し続けていれば、いつかそれは綻ぶ。今の2人に足りないのはバランスだろ」

ブツっと肉を刺す音はどこから響いたのか。……理解しているはずなのに、頭の処理が追いつかなかった。ギチギチと音を立てて更に奥へと指をめり込ませていき、尖った爪の先が舌へ当たり引っ掻き傷を作る。そのまま指は更に口の奥の掻き乱そうと口腔に爪を立てていく。溜まる血は拒絶反応を起こすことすら叶わずそれは喉の奥へと流れていき、嚥下せざるをえなかった。

「〜〜っッ゛!!!!」

「ウィル!!」

そう呼んだのは誰だったのか。認識することすら出来ない。動かなければいけない、動かなければ。この存在は上を潰せば組織が動かなくなることを理解しているのだから。


俺が絶望になっては、いけない。

だって、それは誰の幸せにも繋がらない。


(しにたく、な)

もう二度と考えないと、頭に理解させないつもりでいた考えがこちらを見つめる。それを理解して口に出した時、ここまで繕ってきた全てが壊れてしまう。だというのに死への恐怖は自分をどこまでも素直にさせるのだと知ってしまった。

……瞬間。タンッと1発の発砲音が響く。

それはツァイガーの肘部分に当たったようで、腕が取れることは無かったが頬に込められた力は緩められた。

撃った本人へツァイガーは顔を向け、ギヂャと不快な音を立てて口角を上げた。

「仲間を思うか。それとも、ただの偽善か?」

答えは返ってこない。それに何を思ったのかツァイガーは再度ウィルペアトを持ち上げ、そしてそれをある一方向へと振り下ろす。……その方向にいるのは、アルフィオとシェロの2人だ。

指が頬を貫通している今では上手く指示が通らないことを理解している。それでも出せる限りの力の魔力を指先に集中させ、ウィルペアトは自身を貫く指を引き抜いた。

「アルフィオッ゛!!」

指示よりも早く、アルフィオはシェロの腕を強く引く。そのまま頭部を守るように抑えて奥へと滑り込めば先程までシェロの居た場所へツァイガーは力強くウィルペアトごと拳を振り下ろしていた。

その衝撃で2人は僅かにバランスを崩し、シェロを庇うようにしていたアルフィオは背を壁に強打してしまっていた。ケホッと激痛の伴う咳を出せば「アルフィオ!」と叫ぶライラックと視線が交わる。強打の反動により視界は不安定なままだが、まだ彼を守るために戦える。「だい、じょ……ぶ」と声を零すも、シェロは即座に背中を優しく摩る。そしてそのまま治の魔力を集中させ、アルフィオの回復を急いだ。


(まずい、時間が……!)

先程カイム達が邂逅してから現在までの時間をナイトは計算し直す。15分の経過が迫るが、迂闊に攻撃することは出来ない。……いや、ウィルペアトを離した今であれば攻撃することは可能なのか?

ぐるぐると思考を巡らせる。目の前の存在へ武器を向けることを躊躇ってしまうのは、関わりが無かったとはいえ人間を殺すということ。……優しすぎるナイトにとって、それは躊躇いという隙に繋がってしまう。

叩きつけた際の土埃が収まり、なんとかウィルペアトが上半身を起こしているのは視認できた。傍にはラビの姿もあったが、散弾銃であれば近距離攻撃の威力は増すのだろうか。

(迷ってる暇は、もう無い)

「ナイトッ!僕たちも!」

「……了解。ロディさん……!」

再度武器を構え直し、ツァイガーに向き直る。これ以上誰かが傷つく前に。……悪夢に変わる前に、終わらせなくては。



「​───怪我人に助けられてるようじゃリーダー失格だな」

「ッ……悪い、な。バディに助けられるような、リーダーで」

先程発砲したバディに対し、引き攣るように口角を上げる。挑発的にも見える笑みをどう捉えたのか、小さく舌打ちだけを返されてしまう。握ったままのシャムシールを持ち直し、空いている自身の掌を口元に当て、口腔に溜まった血をプッと吐き出す。空気の抜ける音は頬の穴が原因だろうか。ヒューヒューとした音が近くで聞こえたような気がした。

(……頬貫通なら、2……いや、3センチは行ったか?)

頬の皮膚が伸ばされる感覚に思わず眉を顰める。触れずとも治の魔力をそこに集中させれば、30秒もしないうちに穴は綺麗に塞がっていた。

(…………)

どれだけこの体質を憎んでも、結局利用してしまう自分に心底嫌気が差す。だが今はそんなことに思考を費やす暇は無い。

その傷口が綺麗に塞がるまでを、ソラエルはただじっと見つめていた。

(……ああ、やっぱり)

あの時自分がウィルペアトに感じた違和感は本物だったのだと再認識する。仲間意識のようなものを抱いたのは、きっと間違いではなかった。

(……同じなんだ、ぼくと、ウィペは、多分)

「ソラエル」

「っ、はい?!」

静かに自分を呼ぶヘルハウンドの声に声が上擦る。今はどちらに集中しなければいけないのか、改めて考え直すべきだ。


「……っぼくも、行きます!!」

「は!?おい無鉄砲に今行ったら……!」

ノヴァの呼ぶ声を背に受け、ソラエルも鉄扇を広げる。身軽な身体を活かしてタンッと軽く飛び上がり、投げる為に構えれば合うはずの無い瞳と目が合ったような錯覚を覚えた。……その視線の冷たさに、思わず行動が一瞬止まる。

「っぐゥ」

喉奥から絞り出すように出たのは無理やり空気を外に追い出したような濁った音だった。

「ソラエル!!」

「ッ!カイムッ!」

駆け出すタイミングを見計らっていたカイムがソラエルの隊服を強く引く。同時に手から離れた鉄扇はくるくると弧を描き攻撃を繰り出す。

ドンッとカイムを下敷きにするような形でソラエルは倒れ込み、「ごっ、ごめんなさい!!」と即座に謝罪する。

「いや、問題ないが」

そう返そうとするカイムの声を遮ったのはツァイガーの叫び声であった。ビリビリと身体を震わせるほどに叫ぶその姿に全員が目を向ければ、ソラエルの投げた武器は潰れた片目に深く刺さっているらしく、それを抑えて悶える姿がそこにはあった。

「っすまない、ソラエル!!」

バッと親友を離し、カイムはアマンダと共に駆け出す。治療を終えたシェロとアルフィオも同時に駆け出しており、向かう先はただ1つ……3階へ続く階段であった。

「ソラエル!!お前はこっちに戻れ!!」

「っぇ、あ、は、はい!!」

先輩に倣って攻撃を繰り出すノヴァが呼ぶ声でハッと正気に戻る。今は鉄扇1本しかない。……この状態で、自分に出来る最善は……

グッと唇を噛み締め、ソラエルはカイムと逆方向へと足を急がせた。



「っッ、本当、……味方であれば心強いが……敵になれば厄介だな。この組織は……!」

ボタボタと赤黒い血を零しながら、ツァイガーは四足歩行に近い体勢へと切り替わる。未だに肩に抱き寄せた女性を守るようにしていることは変わらないが、一言発するどころか1度も動くことは無かった。

(四足歩行形態……15分が近いな)

ロドニーやノヴァが攻撃を繰り出し、そのサポートをしつつヘルハウンドは冷静に考える。だが今の状態であれば優勢なのはこちら側であることに変わらない。

……視界の端で、くすんだ赤髪が駆け出したような気がした。

(……ああ、これは、多分)

漠然とこの先の結果を理解してしまう。きっと、自分はまた生き延びる。……だがそれでいい。そうでなければ、何も未来に繋げない。

(…………最大の敬意と、感謝を)

駆け出した赤紫が、自身の武器を振り下ろす。バキッという音と共に再度身体を震わせるほどの叫びが響いた。

「っっあ゛、ッぐ、ぁ゛……!!!!」

肩の彼女を強く抱きしめる。それは最後に愛おしい人を抱くのではなく、死んでも彼女を傷つけさせたくないという彼の意思表示のようにも見えた。

ボトボトと周囲に血を撒き散らしつつ、グラりとその犬は体勢を崩す。バタンッと大きな音を立て、血溜まりの中でツァイガーはピクリとも動かなくなってしまった。

「………や、やりましたか……?ぼくたち、勝っ……!!」

わなわなと歓喜で震えるソラエルは傍に居たノヴァを強く叩く。「いてぇよ」と返しつつもノヴァは小さな違和感を抱えていた。

(……結局、もう片側は最後まで動かなかったけど……コアが破壊されていないのに死んでるなんてことあるのか……?)

見る限りでは女性側のコアには傷1つ付いていない。だが戦闘中は一切動かず、戦闘後の今も動く気配が見られなかった。

「俺が血液採取は行うよ。……ウィル達は先に行ってて欲しい」

「いや、せめて終わるまでは」

「大丈夫だよ」

注射容器を取り出し、ヘルハウンドはその場にしゃがみこむ。腕に対してプツリと針を沈めれば、赤黒い血液が吸い上げられていく。その姿を横目にしつつ、半分まで吸い上げたのを見守ってから「ノヴァ、ラビ。俺たちは先に」と静かに促す。

階段の先を覗き込もうとすれば、先に続くのは永遠とも錯覚しそうなほどに長い階段であった。僅かにトントンと聞こえる足音はロドニー達の足音だろう。

(……とりあえず、シェロ達に討伐完了の報告を……)

やるべき事を考えつつ、怪我した場所へ治の魔力を巡らせる。3人分の足音が少し進んだ後、ヘルハウンドは沈めていた針を抜く。これを組織まで運ばなければ解析に繋がらないのだから。

「ソラエル、お疲れ様」

そう優しく告げるヘルハウンドへパァっとソラエルは笑顔を咲かせて返すのだった。






「……中間待機って、どのくらいなんだろう……向こうはもうツァイガーを討伐したのかな……」

ソワソワと落ち着かない様子で周囲を見渡すロドニーに対し、「んー…」と声を零す。恐らくこのスピードで進んでいれば2階側で何かあっても引き返すことはできる距離だろう。「大丈夫だと思うよ」と返せばバディはやっと安心したように息を吐き出した。

「なら良かった……!……流石に、リーダーが危ない場面になった時は……ヒヤッとしちゃったな……」

先程のことを思い出し、腕を擦る。強いからなんとかなる、という気持ちにうつつを抜かしてはいけないと改めて考えさせられた場面でもあるが同時に「やっぱり彼は凄い」と感じさせる場面でもあった。

「確かに。でもあそこでラビさんが撃たなかったら本当に危なかったから」

「……?ナイト、何か言った?」

「え?……ラビさんが撃たなかったら、ウィルさんも危ないって……」

「いや、……それ以外、に」

微かに聞こえた音にロドニーは足をピタりと止める。その意図が分からずにナイトも同じく足を止めるが、それ以外の音は一切聞こえない。


かえして わたしの

かえしてよ

仲間なのに なんで

全部奪っていくの


「…………気のせい、かも。ごめんね!止まっちゃって」

「ううん、大丈夫だよ……引き返す?」

「あー…………いや、……大丈夫だよ!」

パッと笑みで返すロドニーに少しの違和感を覚えつつ、ナイト達はそのまま足を進めていく。








「……俺達も進もうか、ソラエル」

「そうですね!ノヴァ達とも離れすぎちゃいますし……!」

ふん!と再度やる気を込め直すソラエルを微笑ましく見つめつつ、「じゃあ行こうか」と振り返った瞬間。



「行けるわけ、無いでしょう」



冷ややかな声を落としたのは誰だったのか。どちらの声でも無いのであれば、発言した存在はただ1つしかない。背後を勢い良く振り返れば、先程の融合した個体から離れたのであろう女性側のツァイガーがしっかりと二本足で立っていた。……その手に握るのは、男性が使っていた武器。

半壊した頭部からは脳みその代わりに濁った桃色のコアが顔を覗かせる。背丈は160センチ後半くらいだろうが小さな唇を歪に歪め、それは武器をソラエルへ向けた。

「っッ゛!!」

名前を呼ぶよりも早くソラエルを引き寄せ、手にしたサバイバルナイフで応戦する。だがそもそも武器の大きさに差がありすぎるのだ。ヘルハウンドの武器は地面へと叩き落とされ、そのまま刃先が自身の左目へと向けられる。……バディを庇った状態で、その攻撃を躱すことは不可能であった。

「ッぐ、ぁ゛ッッ……!!!」

「ヘルッ゛!!!!」

ざくりと肉を切り裂かれたのは、何度目か。裂かれた傷口は外気に晒され、じくじくとした激痛を伴う。視界を染める赤が自分から流れていることは理解できるのに、それは次第に黒へと染まっていく。

かろうじて見えた次の攻撃が届く前にソラエルの肩を強く押す。離れた直後、武器はヘルハウンドの脇腹を貫いた。

「……ゲホッ゛……っ゛、は、ぁ゛、……ッ゛」

ゴボりと溢れ返った血液を吐き出す。隊服よりも黒いそれが血であることは誰よりも理解出来、自身の脇腹から止まること無く溢れ出る熱は死へと近づく一歩である事の察しはついている。

「かえしてよ、ヘル。あなたは、分かってくれると思っていたのに」

「〜〜〜〜〜〜ッうわ゛ぁぁぁぁぁあ゛゛ッッッッ!!!!」

ツァイガーの言葉を遮るようにソラエルは声の限り叫び、手にしていた武器を勢い良く投げつける。その瞬間にヘルハウンドの腕を肩に回し、力の魔力を集中させてその場から離れることに集中する。

気を取られている隙になんとかツァイガーの横を抜け、先程までの空き部屋へとただ足を急がせる。ハァ、ハァと息を切らせつつ「ヘル、ヘル、お願いです」「もうすこし、もうすこしまって」と小さく呟き続けていた。






「ヘル、ヘル、大丈夫ですか。ヘル!!」

「……ソ………ェ゛………」

咳き込めば血液だけが吐き出される。ヒュッと息を呑む音が聞こえるが、「こ、これ抜いた方がいいですよね?ど、どうすれば」と武器を引き抜こうとするソラエルの手を弱々しい力で抑える。ゆるゆると首を横に振るが、ヘルハウンドにはそれが精一杯だった。

「……回復、かいふく、してくださいヘル。治の魔力を」

「………………」

「………〜〜〜〜〜っ、ヘル…!!」

ペタり、とヘルハウンドに触れ、ソラエルはなんとか自分の持つ治の魔力が使えないかと試行錯誤する。……皮膚組織を再生させるほどの力は、ヘルハウンドにはもう残っていない。そんな中で無理やり治の魔力を……しかも一切技術や扱い方について学んでいない討伐調査班が使うということは……地獄のような激痛が待ち受けているだけだ。

脇腹を貫いている武器ごと皮膚組織は取り込もうとし、その異物を身体は拒絶する。ただ皮膚の引っ張られる感覚は激痛以外の何ものでもなく、明滅する意識の中でなんとかソラエルにそれを止めさせることしか出来なかった。

「………ッ、………」

首を弱く振る。血液が止まらない、ただでさえ出血量の多い場所を切られたのだ。ぐらぐらと揺れる不安定な視界の中、不安そうに揺れる水色の丸い頭へ優しく手を伸ばす。

「ヘル、……ヘル、いやだ、いやです、ぼく、……ごめんなさ」

「…………あり、が……とう。……そらえ……」

嫌だ嫌だと幼子のように首を振るバディを宥める為に優しく頭を撫でる。ソラエルにとって、今はその優しさが何よりも嫌だった。

「良くない、良くないです……!!まってくださ、応援、を」

「…………」

ああ、そうだ。応援を呼ばなくては。……この子も1人になってしまう。

分かっているのに頭がこれ以上動かない。ただ漠然とこれから訪れるのは何なのか、ようやく理解が追いついてきた。

(……嗚呼、……まだ、……生きなければ、いけないのに)

自分が死んでしまえば、グローセを守ることが出来なくなってしまう。……自分が生き残り続けることに不快感すら覚えているというのに、ヘルハウンドは『生』に固執していたのだ。

瞼がゆっくりと落ちる。まだ、意識を保たなければ。せめて応援が来るまでの間、は。

「……ヘル、ヘル。お願いです、お願いします。」

「おいていかないで」

……天使が自ら堕ちたことは、罪では無いのかもしれません。本当の罪は、己の力が無くなった時に初めて犯した間違いを指すのでしょう。

嗚呼天使様。貴女の御加護は、誰のものでもなく貴女のものです。


バクバクとなる心臓を抑え、「応援」と小さく呟く。震える指で操作をし、それが一斉連絡のボタンを押してしまったことにソラエルは気づかずに居た。



「​─────だれか、誰か助けてください。ノヴァ、カイムッ……ウィペ……だれでもいい、たすけてください、おねがい、します、ねぇ!」

「ヘルが、ヘルがしんじゃう。ぼくじゃ、なにも出来ないんです。おねがいします、助けてください。お願いします」

「どうしたらいいんですか、血が止まらないんです、ぼくの魔力じゃ、ヘルをまもれない」


ソラエルの悲痛な叫びが、全隊員の耳元で響く。しゃくり上げる鳴き声と嗚咽が、今の状況を嫌でも理解させていく。


「………………ねぇ、だれか。」

あの日、自分を救ってくれたように。『───────たすけてよ、フィオくん!!!!』


ソラエルの悲鳴をアルフィオは静かに受け止める。そして僅かに表情を歪ませた。

この状況で自分がシェロの傍を離れ、ソラエルの元へ向かうことは危険だ。どちらかを天秤にかけなければいけない時の“どちらか”……それは十分過ぎるほどに理解している。耳元では応答したウィルペアトがノヴァとラビ、そしてロドニーとナイトで引き返して討伐に戻るとの連絡があった。……ならば、自分たちに出来ることは限られてくる。

心配そうにこちらを見つめるバディと視線が交わる。今はその優しい視線にすら、息苦しさを覚えてしまった。


「​───────………」

あの日の自分であれば、この時。……すぐに誰かの為に動けたのだろうか。

白い塔に自分の色が溶けているような錯覚すら感じる。……誰かの為に、……今の自分は、……誰の為に。

そんなこと。


「ごめん、なさい」

これは、誰に向けた謝罪なのだろう。








ヘルハウンドは至極普通の一般家庭出身である。北区で整備業を営む両親の元に生まれ、その影響からグローセへの所属を希望するようになる。高齢の両親は今でも自分のことを心配しており、そんな彼らを心配させない為に定期的に連絡を取っている。


自分は、きっと恵まれている方だった。幸せだったのだ、ただひたすらに。幸福であった。


死と隣り合わせのこの場所で、自分だけは生き延びてしまった。今日もまた、この生きづらい場所で息をする。それでしか呼吸が出来なくなってしまった。

右目の視力を失っても、バディを失っても……自分だけは、生きている。その事実が何度自分を苦しめたのだろう。だが、同時にそれは『自分は生きてこの場所を守る』という強い意志に変わっていった。

何人ものメンバーが変わるのを見守り続けていたり未だに進展を見せない現状に思うところはあるが、そんな中である物を拾った。


それは組織の一員であることを示すリボンタグ。ヘルハウンドは橙色のリボンタグと血にまみれた旧型のリボンタグを所持している。……これをリーダーにも、誰にも伝えたことは無かった。

恐ろしかったのだ。自分が今まで守ってきたこの場所は、ただの人殺しになるのでは無いかと思うことがではない。……きっと、この事実を知ったこれからの世代が壊れることが、恐ろしかったのかもしれない。


(……間違って、いたのかな)

だとしたら俺はいつから間違っていたのだろう。ただ生きているだけでは、取り返しがつかないほど長く、ここに在り続けてしまった。……今更何が間違いかなんて、分かるはずも無かった。



いつの日だったか。共同研究室の扉を開ければそこにいたのは柔らかな昼間の光を受け、小さく呼吸をするアーシュラが居た。

彼女が突っ伏した机にはタブレットと関連する資料達が広げられている。午前は巡回に行くと言っていたが、戻ってきてからも仕事をしていたのだろう。起こすことの無いように静かに扉を閉め、そちらへと向かう。

未だすぅすぅと息を立てる彼女へ隊服を脱ぎ、そっと掛ける。「ん……」と僅かに身じろぐアーシュラへ起こしてしまったか?と疑問は浮かぶもののまた小さく息をし始めたことに安堵する。


彼女がここに来たことに対して考えることは多すぎた。純粋に喜べない自分に嫌気は差したが、それでも彼女の成長は喜ばしいものであった。

一束の髪の毛が垂れ、その桜の一束を掬おうと手を伸ばす。同時にパチりと薄花色の瞳は開かれ、視界に映る赤を認識すると同時に「ぅえ!?」と上擦った叫び声をあげる。格好良く美しい女性になったと思っていたが、こうして昔と同じく子どものような反応を示してくれることに彼女らしさを感じて自然と口角が緩く上がる。

「良い夢を見れた?アーシュラ」

「っえ、あ、えぇ!そうね……良い夢を見ていたような気はしたけれど……寝起きでビックリしちゃったから内容も飛んじゃったわ……」

「はは。ごめんね?驚かす気は無かったんだ」

じわじわと上がる熱を冷ますようにアーシュラはぱたぱたと片手で軽く自身を扇ぐ。その時ようやく自分に掛けられた隊服に気づいたようで丸く大きな瞳を更に丸くしてヘルハウンドへ視線を向ける。

「どうしたの」

「どうしたのって……ヘルちゃん、本当に変わらないわよね……」

「……俺はずっと変わらないよ。ずっと何も変わってない」

変わらず、ここに居続けているのだから。

ヘルハウンドの隊服を差し出すアーシュラからそれを受け取り、再度赤へ袖を通す。これが自分の色だということは刷り込みのような形で理解が染み付いてしまった。自分の後にこの血の色を被る人が居ないことを願っているが……自分はいつまで、ここで息が出来るだろうか。



あぁ、せめてどうか。陽の下を歩く君が生きやすい場所であれたのなら。


俺がここに存在する意義は、あったのだろう。

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