第10話 あなたを思えど

「ッリーダー!すみません、お待たせしました……!!」

慌てたように階段を下がる3つの足音に向かいロドニーは声を掛ける。パッと振り返ったノヴァとラビに対し足を止めることなく「ソラエルは?!」と問えば軽く頭を横に振られる。

目の前で急ぐリーダーと自身の耳元で響く声が重なる。状況を確認しようとしてもソラエルの泣き声が問いかけを消し、ただしゃくり上げる声が全隊員の耳元で今も届いていた。

「せんせ……、ヘルハウンドさん達が討伐に当たってたのはさっきのツァイガー?だよね……反応的にも」

「……恐らくはそうだろうな。下の階のツァイガーが上がってきた可能性も考えられるが、その線は薄い」

先程顔面を掴まれた際に故障したのだろうか。口元のマイク部分の壊れたイヤホンで何とか連絡を取ろうと試みるが上手くいかないようだ。ナイトからの問いかけにウィルペアトが冷静に返した瞬間。


「ッ……!!」

「あら、到着は早いのね。お見事と言いましょうか」


背丈は160センチ後半くらいだろう。半壊した頭部からは脳みその代わりに濁った桃色のコアが顔を覗かせているツァイガーがこちらを向く。その手には赤黒く染められた武器が握られており、ぬらぬらとした特有の光を反射させていた。

先頭のウィルペアトが武器を構えるのと同時に後方に控えていたノヴァとロドニーも武器を構え直す。ナイトとラビも同様に引き金に手を添えるが目の前のツァイガーはただ呆れるように息を吐き出した。

「1人を迎えに来るのにこの人数を向かわせるのね。完全に二手に別れての探索はデメリットも多いわよ」

「……ご忠告ありがとうございます」

「少しの嫌味も通じないのね。……私、ここで呑気にお話するほど心に余裕が無いの」

ツァイガーの足元に広がる血溜まりがまた僅かに沸騰するように泡立つ。威嚇の意味合いが大きいことは理解出来ていても、1歩を踏み出すことを躊躇わせるには充分すぎた。


「死は惹かれ合うものよ。……だって道連れって言うじゃない。……ねぇ。私達も彼と、ヘルの元へ行きましょうよ。」

「私が連れて行ってあげるから」


一斉に血の罠が花のように綻ぶ。花脈のように細かく枝分かれしているその赤は先程のような粘度ではなく強度を上げたのだろう。細い脈は壁や床へ突き刺さり、行く手を阻む。

こちらへ伸びる罠をウィルペアトとロドニーの武器で払い落とし、払い損ねた細かい分をノヴァのレイピアで払う。2人の武器は1度の攻撃範囲は広いが、次の一撃までの間に多少の隙は生じる。そこを補えるのは次の行動までに隙が生まれないノヴァの武器が最適だった。突きが主体となるからこそ、弱点にもなり得るのだがそれすらも自身の能力でカバーしていた。

払われた罠が復活する前にナイトとラビの撃つ弾がツァイガーへと向かう。知識として目の前の存在が討伐する対象であることは理解していても、感情が先に現れる。ナイトは自身の手を隠すように両手を添える。包帯を持つ手が震えることもそうだが、昔の光景が今も脳裏を過ぎる。


彼は誰よりも先に知っていた。ツァイガーが何から成り立つのかを。


自分達の行動の正しさが分からなかった。だがあくまでも“知っている”という事実は“完全に理解している”という訳では無い。あの日見た真相を知りたいと願った。願いの代償に自分が失ったものは大きかったが、願いだけは失わずに済んでいた。

ふ、と短く息を吐いて即座に構え直す。自分はこの調査を終えてもきっと変われない。だがそれでも先に望む平和があるのであれば、それだけで充分ではないのか。そんな考えがふと浮かぶようになっていた。

今もまだこの状況でそんな考えを抱いている時点で自分はどれだけ脳天気な頭をしているのか嫌気がさしてしまう。……嫌気がさす程度で済んでいること自体がおかしいのかもしれないが。同期の彼のようになれた訳でも無ければ、同年代のリーダー2人のような芯の強さを持ち合わせてはいない。強いて言うなら優しさだけでここまで来たようなものだ。だがその優しさを責める人はこの組織には居なかった。

(……なら)

一瞬生まれた空間に向け、1発撃ち込む。それはツァイガーが武器を握る肩へ命中し、動きが僅かに鈍る。彼女の動きと血の罠がどう作用するかは不明だが、少しでも先に進むための糸口になるとナイトは考えた。


(もう変われないなら、僕なりに1番望まれる平和を目指せるように……進むだけだ)


「っ助かったナイト!!」

「良かった……でもこのままじゃやっぱりソラエルさんの所までは……」

「いや、全く策がない訳じゃないんだ」

武器に着いた血をウィルペアトは振るい落とし、「ノヴァ」と小さく問かければ「はい!」と真っ直ぐな声が返ってくる。

「俺とロドニーでこのツァイガーを抑える。その隙に君が進んで、ヘルハウンド達を探してくれ」

「っ、お、俺が……ですか?」

不意打ちの反応に思わず言葉が詰まる。ああ、と短く頷くウィルペアトは再度こちらに伸びる罠を切り落としていく。

「お願い、ノヴァくん。えっと、つまりリーダーが言いたいのは僕らの武器では今みたいに防御に徹することや切り込むことは出来るかもしれない。でもそれだけじゃダメだ。相手の不意をつかないとあのツァイガーはきっと僕らをここから進ませることも無ければ戻すことも無いと思う」

説明する時の癖なのだろう。どこで息継ぎをしているか分からない程の早口かつジェスチャーを交えてロドニーはノヴァへ補足する。僅かにズレたゴーグルの位置をぐい、と手のひらで無理やり整えつつ再度真っ直ぐノヴァを見つめる。レンズ越しにこちらを覗く瞳は普段よりも更に大きく、そして更に多くの星を反射させるように煌めいていた。ノヴァが口を開くよりも先に繋ぐようにロドニーが言葉を紡いで行く。

「今、相手の不意をつけるのはノヴァくんしか居ないんだ。ノヴァくんがどれだけすごいのか、僕だけじゃなくてリーダーだって皆だって分かってる。だからノヴァくん“に”託したいって思えるんだ。……僕だけの力じゃないけど……絶対、ここに居る皆で進むために頑張るから」

「……せん、ぱい……」

その言葉に込められた熱量は表情を見ていれば理解出来る。先輩から自分に対しての言葉を浴びる度に、隠すようにしてしまったリボンタグの重みが増すような気がした。罪悪感すら感じないような人間であれば……いや、そこまでいけばもはや人間というよりももっと無垢な存在だと言い切っても構わない。だがノヴァは綺麗で淀みない感情だけを持つ人外では無く、多少なりとも曇る感情を知る人間である。だからこそ今でも罪悪感に囚われているのだ。


「よそ見、しちゃダメよ。新入りくん達?」

「っ!」

薔薇のように幾重にも重なった血の花がこちらに向かって赤を広げる。赤い口に呑み込まれるよりも先に、ノヴァ達の前に立つリーダーがそれを切り落とした。床へ叩きつけるようにすればそのまま赤い薔薇の首は落ち、ただの血液へと戻る。目の前の彼は肩で息をすることが精一杯なようだが、膝を折ることは無かった。

「……武器の扱い。最初より慣れたわね、ウィル。まだ魔力の消費量とは伴っていないようだけれど」

「……っ、はは……それにはまだ、慣れませんが…………隊員を守れるのであれば。いくら捧げたとしても惜しくは無いので」

「……そう。前より怖いほどに自己犠牲的ね」

「守りたいものが増えただけです」

ハッと誤魔化すように息を吐きながら断言する。実際に言葉として出してしまえば、脳がそれを自分の意見だと考えてくれる。それだけでいい。余計な思考が混じることの無いようにたった一言を断言すれば、後は何もせずとも自然とそこに向かっていくことを知っている。

違う方向から向けられる刺さるような冷たい視線からは気づかないフリをし、僅かにノヴァへ視線を向ける。彼は未だに動揺を瞳に映していたが、そこに拒絶は無かった。

「ノヴァ。頼んでも良いか」

「っ、…………了解、っす」

先輩から自分に向けられた期待に応えるために再度武器を強く握り直す。その様子にフッと表情を和らげる。

「えっとね、あそこ。見ている限りあのサイドが隙になるタイミングが多かったんだ。あそこが空くように僕らも頑張るから、今!って時にノヴァくんはあそこに向かって走って欲しいな」

ツァイガーに聞こえないように声のボリュームを下げつつもあそこ、とロドニーは小さく指をさす。

「了解っす。……さっき直ぐに言えなかったんすけど、ありがとうございます。俺も先輩達がどんだけ凄いかってのは分かってますし、それを信じてるから進めるんすよ」

「え、えへへ……ありがとう。ノヴァくんの言葉に応えれるように僕、もっと頑張るよ」

ノヴァからの先輩に対する期待をロドニーははにかみながら受け取る。少し照れたように頬を掻いた後、「よし!」と改めて気を入れ直しているようだった。


「ロドニー、ナイト、ラビ……行けるか」

「っもちろん!です!」

「うん、僕も問題ないよ」

「…………ああ」

ロドニーが1歩前に出、ウィルペアトと並ぶ。彼の左側をカバーするように立ったのは幼少期が初めてだったが……もうあの時とは違う。彼のカバーという意味合いもあることは理解しているが、今は同じ戦う者として前線に立っていた。後方には最も信頼しているバディ相手と彼が信じている同期もいる。昔のように一人ぼっちでは無いという事実がこんなにも心強いものであることをようやく知れた。

「ロドニー、君がトドメを刺せるのであればそのまま刺しても構わない。君と相手の動きを見つつ俺も調整するから」

「了解です……!」

レバー部分に手を添えつつ、ロドニーも真っ直ぐツァイガーを見据える。ぶわりとまた血の罠が広がったタイミングで払い落としつつも先程とは異なり1歩を切り込んでいく。その動きに僅かに焦りを見せたのか、一瞬躊躇いを見せつつもツァイガーは追い打ちをかけるように罠を張り巡らせようとするがそれを許さないとでも言うように弾丸は飛んでくる。

(罠の再生までの時間を逆算すれば多分、そろそろ1番弱い強度になる……!どんどん弱くなってまた1番強いのに戻っているんだ……ずっと強度のある罠を出せる訳じゃないなら1番弱いタイミングでノヴァくんに進んでもらえば……ッ!)

ウィルペアトが更に踏み込み、その切っ先を胴体へ当てようとする。避ける為にバランスを崩したタイミングでツァイガーの持つ武器へロドニーの武器を当てれば完全に隙が生まれた。

「ノヴァ!!走ってくれ!!」

「ッす!!」

床と靴が擦れる音を聞きつつ、ノヴァは先へ駆け出す。僅かに残った罠がこちらへ手を伸ばしてくるがそれを交わし、レイピアで突き流すようにして更に駆けて行く。耳元で響いていた泣き声はとっくに止まっている。やっと通信を切れたのか、それとも別の事態が起きたのかは分からない。

ツァイガーの真横を通る瞬間、こちらへ伸びる腕を視界の横で捉える。だが即座にそれは切り落とされ、息を呑む音が響いた。

「ほんっとに……!!厄介ね、敵になるなんて」

そんな恨み節を背に受けつつ、ノヴァは先へと足を動かす。この足を動かせる理由は自分の才能に自惚れているからでは無い。自分の信じる先輩達が自分を信じるというのなら、それを受け入れるしか無いのだから。




「……なぁ、聞こえるか」

「…………ノヴァ……?」

即座に通信を切り替え、個人間での通信になるようにする。弱く聞こえた声はしゃくりあげており、ぐすぐすと鼻を啜る音が共に聞こえる。背後から聞こえる武器と発砲する音を受け止めつつ床に残された引き摺られたような血の跡へ視線を向ける。

(いや、でも最初に罠が発動した時も血があった……これが必ずしも“そう”とは限らない)

「お前、今どの部屋にいるか分かるか?」

バクバクとうるさいほどに鳴り響く心臓はきっと先程の行動故だと言い聞かせる。「えっと」「その」とポツポツと呟く声に対して焦りから僅かな苛立ちが募っていく。そんな考えに被りを振れば「…………ぁ」と言葉が落とされる。

「……たぶん、さっきの……最初にいた、部屋です。みんなで集まってた、本がいっぱいある部屋……」

「分かった。いいか、お前はそこから1歩も動くなよ」

「…………はい……」

無音に溶けるような声だったが、相槌を確認してから通信を切る。最初に集まった部屋であれば距離はほとんど無い。むしろ眼前と言っても過言では無いほどに。

「ッ先輩、ソラエ……ル……」

勢いのままに部屋を覗き込めば、そこに居たのは小さな身体を更に小さく丸めて蹲るソラエルと、壁に寄りかかるようにしつつも顔の片側を赤黒い血で汚し固く目を閉じているヘルハウンドの姿があった。

「…………」

呼び掛けにゆっくりとソラエルが振り返る。どれほど自身の目を擦ったのか分からないほどに瞼は赤く腫れ、涙と鼻水が僅かに垂れたままの彼女はきっとお世辞にも綺麗だとか可愛いだとかで表現出来るような表情ではなかった。ただ一般的な思考で考えれば哀れみを向けるには充分過ぎる程に痛々しい表情であり、あまりにも弱すぎる小動物のような何かのようでもあった。

「……………………ノ、ヴァ…………」

カチリと視線が重なった瞬間、ソラエルはフラフラとしながらも立ち上がり、ノヴァの元へと駆け出す。ドンッと勢いよく衝撃を受け止める。ぎゅうっとノヴァの隊服を強く握り閉めれば、落ち着いたはずの涙が堰を切るようにボロボロと溢れ出た。

「ぅ、ぅ゛ぁぁぁぁああああ゛あ゛…………!!!!」

声が枯れる程に泣き、叫んだ。それでもまだ涙は止まることを知らなかった。

ひきつけにも似た痙攣を起こすソラエルへどうすべきか迷い、腕を上げれば「ぼくが、」と掠れた声が響く。

「ぼくがッ、ヘル、を゛、……ヘルを助けれなかった゛んです゛……!!!!ぼく、が、……ぼくが……!!!!」

「……んなこと……」

「ぼくが、治の魔力を゛、ッ………ちゃん゛と、使えてたら゛…………!!!!」


「​─────ぼくが、討伐調査班じゃ、なかったら……ヘルは、助かったんです……!!」


その言葉に思わず動きが止まる。どれだけ鈍く、弱い存在であっても……その言葉だけは吐き出してはいけなかった。守られてしまった事実にどれだけ心を打ちひしがれたとしても、否定してはいけなかった。

ふと壁に寄りかかるヘルハウンドへ視線を向ける。……ああ、自分の知らない顔だ。こんな表情をする先輩を見た事は無い。盲信のように憧れた先輩達がこんな顔をするわけが無いと頭がいつまでも理解を拒む。

そうか、となんとか頭が事実を咀嚼する。壁に寄りかかる彼も1人の人間であり、守るべき国民だったのだ。だがその最期を『自分も所属している組織の先輩として』終わらせた。その勇姿は誇るべきものであり、尊敬する先輩として「やっぱり先輩はすごい」と純粋な尊敬を向けるには充分だ。

(……でも、先輩ならもっと活躍出来たのに)

ぬるい温度の中に氷を1粒落としたような思考が過ぎる。当時の状況は何も分からない。だがどんな状況であっても『先輩ならまだこれから先も活躍出来たはずだ』という理由の無い期待だけが宙にぶら下がっていた。

先輩が守り、繋ごうとした行動は否定しない。ただ盲目的な期待は行き場を無くし、目の前の彼女を抱きしめることを躊躇わせた。


(……俺達が、討伐調査班じゃなかったら…………?)


それならあの時、自分は後輩として先輩を救うことが出来たのか。……そんな選択肢があれば、迷わずそちらを選んでいた。

討伐調査班に居る白い彼に憧れ続け、その憧れだけでノヴァはこの組織を目指していた。だがそれはソラエルも同じだと言うことをどちらも知らない。同じ人に救われ、憧れ、期待し。あの後ろ姿を目標とした。別に憧れのようになりたかった訳でもその背中を追い越したい訳でも無いのだ。

行き場失った手でそらを撫でる。温く無い空気を緩くなぞり、力無くその手を下ろす。しがみつくソラエルは未だに肩を震わせて泣いていたが、前を向くための言葉1つすら浮かばなかった。


(……ああ)

ごめんなさい。先輩を守ることが出来ない後輩で。

次はもっと頑張りますから。だからどうか、憧れのままでいてください。


そんな後悔がノヴァの胸中には渦巻き続けていた。






「……はぁ……まぁいいわ。……2ペア残り、ね」

ふうんと声を零すツァイガーに再度武器を構え直す。床に広がった血の罠は全て元に戻っていたが、意地でも武器を離すことは無かった。

彼女と意思疎通が図れるのかは不明だ。だがこれから先を調べる上で誰よりもこの塔の情報を知っているのはツァイガーしか居ないのだ。知りたいという知識欲を唆すのは好奇心故か。はくはくと何度か口を動かし、「っ、あの!」とロドニーはツァイガーへ問いかけた。

「ぶ、無礼なのは承知です……!ですが、どうしても知りたいことがあって……!!」

「…………」

眼球が無いにも関わらず、冷めた視線がツァイガーから送られた気がした。ごきゅ、と空気以外の何かすら呑み込んでしまったような音が響いたが、それでもロドニーは切り込んだ。

「あ、貴方達、は……前リーダー、ということで合っていますか……!以前資料だけで貴方達のことは拝見しました。でも、だからこそ分からないんです……」

「少なくとも会話が成立する、ということは多少の自我は残っていることになります。ですがそれは上級クラスの特徴です……!先程の存在がSクラス程度と仮定しても、貴方達が……その、殉死、したのは5年前ですよね……?」

殉死、という言葉にピクりと反応を見せる。この言葉が彼女の逆鱗に触れたのかは分からない。恐る恐る伺うように、言葉を選びながらロドニーは言葉を続ける。

「……僕は、過去の調査資料から上級クラスツァイガーは古くから生きるツァイガーであると仮説を立てていました。……でも、貴方達にその特徴が当てはまるのであればこの説は間違っていることになる」

「……つまり、何が聞きたいの」

「っ、取り急ぎお伺いしたいのは、貴方達が、ツァイガーになった状況と……何故僕達を襲うのか、です。だって元は同じ組織の人間なのに、自我があっても殺意を抱く理由が分からなくて」

ふむ、と少し考え込むような素振りを見せつつキィ……と武器の先端で床を引っ掻き、不快な高音を生み出す。その場に残った全員が顔を顰めればふっ、と鼻で笑われてしまう。

「新入りさん、いい仮説ね。でも固定概念に囚われすぎ。……そうよ、私も……あの人も。元は組織のリーダー。……成りたくてツァイガーなんかになった訳じゃない。」

「でもね、私達ってツァイガーと同じなのよ。気づいているかしら?だって元を辿ればツァイガーも人間も、魔力を補うのは同じ植物や動物……つまり私達と、貴方達に流れる魔力の原理は全く同じ。強いて言うならそのキャパが異常な程に私達は大きくなったことくらいね」

少し俯くようにすればサラりと金髪の短い髪の毛が揺れた。だが武器を手放していない時点で警戒を解いては居ないことだけが分かる。

「組織の常識は間違いよ。最低クラスのツァイガー……分かりやすく言うなら国を襲いに来るツァイガーね。あの人達は私達よりももっと前からいる存在……というより、もっと前に殉死した存在よ」

「……5年よりも……もっと前……」

「50年や100年前の人も居るわ。運良く生き残った人も居る……そういう人たちが、国に向かうわ。国に向かう彼らに“襲っている”という自覚は無い。ツァイガーになったばかりなら、精神的にも不安定で負の感情が増幅される。当たり前よね?だって今まで私達が負の感情を向け、討伐対象としていた存在になるんですもの。」

「でも長くいればいるほど、願う感情は1つよ。」


「かえして欲しいの。私たちの居るべきはずだった場所に」


そう言って口元を悲しく歪める彼女に、再度武器を構え直せる程強くはあれなかった。だが、目の前のツァイガーは弱く無かった。

バチンッと血の泡が1つ爆ぜ、また血の罠を巡らせる。それは前線にいる2人だけでは無く、後方に控えている2人の頬も掠めていた。

「ッ!!」

「言ったわよね、私。負の感情が増幅されるって。…………怒っているのよ。お話はこれでおしまい」

15分はとっくに超えていたのだろう。背筋が凍るほどの悪寒と殺気を肌で浴びつつ、張り巡らされた罠を切り落とす。そのまま踏み込むが同時にツァイガーも手にした武器を構えていた。

(前リーダー、恐らくは彼女が治療サポート班……!でも、それなら彼女はアーシュラさんのような存在で無い限り討伐調査班の武器を扱うことには慣れていない……!)

ある意味それが1番の弱点となり得る。ウィルペアトもそれに気づいたのか視線をこちらへ流した。


「ロディ」

「っうん!もちろん……!!」


前線の2人の意図を察したのか、後方の2人もお互いが交互に装填し、攻撃の隙を与えないようにし続ける。ウィルペアトが武器を振るう直前に攻撃を止め、当たることの無いように調整をする。そしてそのままシャムシールが頭部のコアに向けられた瞬間、再度それを避けようとツァイガーがウィルペアトに対して武器を構え直そうとした時だ。


「怒っているのは、俺もですよ」

「ッ!!」


太刀筋を逸らし、それは頭部ではなく武器を握る腕に向けられる。硬い何かが砕けたのか武器の刃にヒビが入ったのかは分からない。鈍い音が響いたと同時に控えていたロドニーがレバーを引く。

(躊躇うな躊躇うな躊躇うな……っ!!これ以上の犠牲を出す訳にはいかないんだ……!!)

回転するドリルを持ち上げ、それをツァイガーの頭部目掛けて振り下ろす。藻掻くように伸ばされたその手は空を引っ掻き、周囲には砕けたコアの欠片が散乱する。グラりと身体が大きく揺れ、そのまま勢いよく血溜まりへと倒れ伏した。

「…………おわっ、……た……?」

その場に居た全員が安堵するように息を吐く。途端、吐き気を催す程の頭痛が全員を襲った。




かえして。かえしてよ。

死んでもまだ殺されるのね。私たち。


誰かの声がする。男性とも女性とも判断出来ない声が思考を遮るように脳内に訴えかけてきたものの、それだけでは留まらなかった。頭をこじ開けて無理やり映像や思考を流し込んでくるような、そんな不快感が占めていく。そして眼前に見えるのは先程の光景とは異なり、平和そのものとでも言うような……国の光景。


子ども達が間を通り抜けていく。これだけ多いということは西区だろう。陽の光が目をくらませるほどに差し込み、心地よい喧騒が耳に入る。隣へ視線を向ければそこに居たのは知らない人物だったが、何故か愛おしさを覚えていた。何も知らないのに彼に対しての感情だけはしっかりと理解していたのだ。


幸せになれないと分かっていた。でもその中で貴方と一緒に長く未来を見届けたかった。生きることでしか苦労も幸せも探し出せないから、そのどちらにも貴方がいて欲しかった。

苦しい時に隣に居て。幸せな時に貴方の笑顔を見せて。唯一我儘を言って欲しいなら、それだけで十分だから。

上に立つということは、それ以外の全てに出来るだけ公平な視点を持たなければいけない。……1個人に優先した感情を向けてはいけない。自分たちはリーダーとして在る以上、何よりも国民を最優先に考えなければいけないのだ。



ふ、と先程の光景に戻る。頭痛の落ち着いた頭を緩く振り、隣に立つナイトへ視線を向ければぎょっとした表情でナイトはロドニーを見つめ返す。その場に居たウィルペアトもラビも似たような表情をしていたものの、ロドニーにはその理由が検討もつかなかった。

「!?ロ、ロディさん!!」

「………………へっ?」

「鼻血が、あぁいや涙もなんだけど……!!」

「うぇっ!?!?あ、いや、え……?!な、なんで……」

オロオロと慌てるナイトの様子から初めて自分の状態を察する。涙が流れているのはゴーグルに溜まってしまった時点で察していた。理由も無く溢れ出た涙の正体は不明のままであり、ボタボタと輪郭をなぞって垂れているのが鼻血なのか涙なのか分からない。

慌ててゴーグルを頭上に持ち上げてゴシゴシとグローブで鼻を擦れば血と涙が混ざり合った液が付着していた。

それに動揺していれば血のような赤い液体を吐き出しつつも、武器を支えにして目の前のツァイガーは立ち上がろうとしていた。


「………………かえ、……して……」

「あなた……たち、だって、…………それを恋と言うじゃない。愛だと言うじゃない。…………個人を、想っちゃ、……ダメな……、……?」

「かえしてよ、…………かえして。……帰る場所が、あるの…………わた……し……た、……」

だがその言葉を言い切ることなくツァイガーはその場に倒れ伏す。血溜まりが沸き立つことは二度となく、本当に討伐が完了したのだとやっと安堵の息を吐き出すことが出来た。





「すみません、戻ったっす……!!」

「ノヴァ!良かった、合流出来たんだな」

そう言ってノヴァが戻ってきたのは5分後の出来事だった。未だに俯き続けるソラエルの手を引いて来たようだが、ソラエルが口を開くことは一切無かった。

体液を回収したロドニー・ナイトペアは先にこの場所を離れており、階段の段差に腰掛けつつラビから嫌味を普段の8割増しで添えられつつ武器の軽いメンテナンスを受けていた。

未だに俯き続けているソラエルとその場に居ないヘルハウンドの姿から状況を察していれば「先輩、その」とノヴァから声を掛けられる。

「……これ。……ヘルハウンドさんのっす」

そう言ってそっと差し出されたのは赤いリボンタグ。ノヴァが差し出す、ということはソラエルに切らせることは難しいと彼なりに判断したのだろう。

「……ありがとう」

「〜〜っ、ぁ、と。……そのっ、……これ、……すみませんでした」

言葉を言い淀みつつ、90度の謝罪をする。その手に握られているのは……ピンク色のリボンタグ。

「これ、……その、……先輩から、渡されたのに……俺……!!渡せなくて、……えっ、と……」

誇るべき先輩達の姿を自分が消す訳にはいかないと思った。言わなければ、渡さなければあの先輩の勇姿だって独り占め出来る気がしていた。だが独占欲よりも罪悪感の方に天秤が傾いてしまった。同時に、何かに向き合うためにはやはり自分の行いを謝罪すべきだと思った。

こちらに集まる視線に冷や汗が流れる。だが……ソラエルに向き合う為にも、やはり必要な事だと思った。

数秒でしかないのに数時間のようにも感じる間の後、「大丈夫だよ」と優しい声が返される。

「素直に報告してくれてありがとう、ノヴァ」

「…………怒らない、んす、か……?だって、おれ、嘘の報告を」

「……怒らないよ。今、素直に伝えてくれたじゃないか」

そう言っていつもと変わらない笑みで返されてしまえば困惑が強くなる。言葉を濁らせていれば「でもそれはノヴァがまだ持っていてくれ」と返される。

「俺が持っていても構わない。だが基本はバディが調査が終わるまで持つことが多いんだ。……絶対、これを自分が届けるという覚悟のようなものだな。」

「ノヴァが報告してくれたということは、君にとって何らかの変化があった事なんだと俺は考えている。……君が辛いのであれば俺が持つが、……出来れば君が。この調査を終えるまでは持っていてくれないか」

その言葉に小さく「………はい」と返せばいつものように目を細めた後、「シェロ達の方に向かおう」と変わらない声で返されてしまった。

予想のどれとも違う反応を返され、困惑しつつもウィルペアトとラビが進む方へ足を動かす。

「……ソラエル?行くぞ」

「…………」

こくり、と首を縦に振る姿を見守りつつノヴァも足を進めた。





歩き続けてどれほど経ったのだろうか。いつもより歩く速度をウィルペアトが下げているため、ノヴァもそれに倣うように後ろを着いて行く。ラビは何故か先程合流した時よりも眉間に皺を寄せており、ソラエルは未だに黙り込んでいた。

お世辞にも居心地がいい空気と言えない静寂の中、それを壊したのはソラエルの一言であった。

「…………置いて行って、良かったんですか」

その言葉に込められた意味を察し、全員が足を止める。ウィルペアトが数段降り、ソラエルの目の前に立てばようやく赤く晴れた瞳と目が合った。

「……ヘルは、……ぼくが、ちゃんとしていれば……ぼくが」

「……すまない。だが、そうするしか出来ないんだ。俺たちが彼らに出来ることはタグを届け」

「ぼくがちゃんと治せていたら、ヘルは助かったかもしれないんです」

ウィルペアトの言葉を遮るようにソラエルは言葉を続ける。それに対しノヴァとラビが僅かに表情を顰めるが、ウィルペアトが彼女にどんな表情を向けているのかまでは分からなかった。

「ぼくが治の魔力を使えていればヘルは、……ぼく、が討伐調査班じゃなかっ」

「ソラエル」

それ以上の言葉を遮るようにウィルペアトは言葉を重ねる。普段の柔い声色とは違い、それは明らかに発言を止める意味合いが込められていた。

ぐ、と続く言葉をなんとか呑み込む。というより、呑み込む以外の選択肢が無かった。それほどまでに彼の発した言葉には圧があったのだ。

『自分が治の魔力を正しく使える治療サポート班であれば、ヘルハウンドが死ぬことは無かったのでは無いか』。この意見がどれだけ軽い発言になるのかをソラエルは未だ理解しきれていなかった。

その理由は目の前に居るのが討伐調査班リーダーだから、というだけでは無い。もし、ソラエルの言うように討伐調査班も魔力を正しく扱えるのであれば、ノヴァはアーシュラを救うことが出来ただろう。天才肌である彼ですら、10パーセントの人間になることは叶わなかった。どちらの魔力も優れた真の天才であればなんて、過ぎてから悔いても何も変わらない。

……もっとも、自分が慕う先輩であれば10パーセントの人間でなくとも尊敬に値しているのだ。ノヴァにとっては国内における何パーセントの人間であるかではなく、“自分が慕う先輩”か“自分が守るべき国民”かが重要な点であった。


チラりと一瞬後方へ目を向け、「ラビ、ノヴァを連れて少しだけ先に行って待ってくれないか」と告げれば「はあ?」と苛立ちを含めた声色が背後に投げかけられる。

「きみ……随分簡単にそんなことを言うがそれがどういうことが分かってるんだよな?」

「分かってるし、悪いとも思ってる。ただここから先の話を君たちに聞かせれないだけだ」

「ハッ!内緒話と来たもんだ。なあ、それは悪いと思っているうちに入らないぜ。うちのリーダー様は随分秘密が多いらしい。秘密が多いってのはな、女じゃないと許されないんだぜ?知ってたか?」

止まることの無い嫌味を切り上げるように「ま、」と言葉を吐き出す。それでも目の前の存在が振り返ることは無かった。

「1人で何でも出来るようだし?俺たちに秘密だらけでも問題無いってことだろ」

頭だけを動かし、青みがかった瞳がラビへしっかりと向けられる。そこに含まれていたのは冷たさすら感じる程の静かな怒りであった。

「今は君と口喧嘩をしたい訳じゃない。俺ではなくソラエル個人の事情が絡む問題なんだ」

「おっと、睨むなって。そんで今度は個人情報だから話せないとも来たもんだ。……はーー……」

ガシガシと雑に頭を搔く。ラビが言いたいのは『ソラエルの事情を自分やノヴァにも話せ』ということでは無い。話したい内容は大方塔の調査前日、シェロが会議中に治療サポート班内に共有しておきたいと話していたことだろう。当人はもちろんだがこの場にはノヴァもいる。少し離れての待機というのは新人の2人に気を使った結果である事は薄々察してはいるものの、それ以外にも言いたいことは積もっていく。溢れてしまわないようにその文句を呑み込めば、サラサラと砂時計が溜まるように腹の底に溜まる気すらしてしまう。いつかこの時計がひっくり返ることが無いことを願うが、恐らくは近いうちにまた逆さになって溜まっていた不満をぶつけてしまうことは想像出来てしまっていた。

1度舌打ちを吐き出し、指示に従うようにその場を離れる。ノヴァはウィルペアトとラビを交互に見、急いでラビの方へと向かった。



「……すまない。あまり人に聞かれたくない話だと思って」

「……いいえ、大丈夫です」

目線を合わせるために少し屈めばソラエルはぱちぱちと瞬きをする。

「……ペアトリーダー。……聞きたいことが、あるんです」

「ん?……なんだ?」

努めて柔い声に聞こえるように問いかければ、意を決したようにソラエルは口を開いた。

「ペアトリーダーも、天使でしたか?」

「……それは、どういう……」

「さっきの戦いで、ウィペ。怪我をしても直ぐに治せてましたよね……?だから、もしかしたらぼくと同じなんじゃないかって、ずっと思ってて。」

「でも前に手を怪我した時、あったじゃないですか。あの時ずっと包帯してて……なんでだろうってずっと思っていたんです。けど、さっきので……もしかしたらやっぱり天使だったんじゃないかって。」

「同じなら知りたいんです。……どうやったら、誰かを守れるようになれますか。……治すためには、どうしたらいいですか 」

おそらくソラエルが言いたいことは以前ウィルペアトが怪我をした時のことを言っているのだろう。見回り中にうっかりガラス片で手を切ってしまい、しばらくの間包帯を付けていた時があった。普段から手袋を装着しているため、怪我をしていても気づかれないようにしていたがバディに正直に告げていた場面をソラエルに見られていたのだろう。ぐちゃぐちゃに巻かれた包帯と傷口に対して5割増しの小言と躊躇無く掛けられた消毒液の痛みも思い出し、僅かに眉間に皺が寄る。

「……俺は、君が思っている程同じ存在じゃないよ。」

穢れの無いその瞳が濁ったこちらを覗く。君のようにあれたのなら、どれだけ良かったかなんて生まれ持ったものを羨んでしまう。

無知である事が罪だと言うのなら、それを自分の罪状にして欲しかった。

「ないものねだりしか出来ないんだ。」


「……天使に、なりたかったよ。俺は」

言葉の意図が分からず首を傾げるソラエルへ「……俺の事情はまぁ、話せないけど」と一言添えて言葉を続ける。

「なれないことは分かっていた。でも、天使になれたらちょっとだけ何かが埋まるのかなって思ってたんだ。……なんて言うんだろうな……難しいな、いざ伝えるとなれば」

「ウィペ、何か足りないんですか?」

「んー……」

困ったように声を出しては見るが、自分に不足している部分はいくらでも思い当たる。だが何が最も不足しているかを問われれば優劣がつかなかった。

「……ウィペは、ぼくと全く違うんですか?」

「……似た部分はあるよ。……多分、俺について話すより……ソラエルについてと、今最も危険視されてる可能性について伝えた方がいいかな」

数秒の迷いの後、こくりとソラエルが頷く。それを確認してから「多分、君も自覚しているかもしれないが」と続ける。

「君は治癒能力が著しく高い。だがそれは対人ではなく、自分に特化しているものだ」

「……ぼく、に……」

「ああ。生まれ持ったものだが……恐らく、君の魔力は人と異なる。分かりやすく考えるなら【力の魔力・治の魔力】の中でも治の魔力がさらに細かく分類されてるんだと思う」

「……??それは、アーシュラとは違うものですか?」

「違うよ。多分もっと少ない割合しかいないんだ」

「……??ぼくは、すごく珍しいってこと、ですか」

「そういう解釈で構わない。……君は、あくまでも自分に対しての回復が早いだけで対人への治の魔力自体が多いという訳じゃないんだ。だから討伐調査班に選ばれた」

分かりやすく困惑を浮かべるソラエルへ事実を伝えるか迷うが、「……あと、危険視されてると言った部分についてだが 」と続ける。

「俺も当てはまることだが……これまでの調査結果から、魔力量が多い者ほどツァイガーに狙われる可能性があると考察されている。」

「ツァイガーも魔力補給を行うということは、魔力量が多い方が彼らにとっても栄養となる。……そして、これは俺の考察も含まれるが……」

5秒程言葉を詰まらせる。だがいつか知らなければいけない事実なら、自分が伝えるべきだと思った。この事実に彼女が傷つく可能性は高いが、他の隊員がその罪悪感を背負うより自分がその役を背負うと決めた。

「……殉死した隊員がツァイガーになるということは、必然的に魔力量の多い俺たちは……死んでツァイガーになった場合、グローセにとっての脅威となる」

「…………え……」

多少塔からの補正があるとしても、元の生まれ持った魔力量も大きく関わるとウィルペアトは考察していた。

予想していなかった答えにソラエルは何度か瞬きをした後、ゆっくりと事実を咀嚼していた。

「…………じゃあ、ぼくって」

天使なんかじゃない。人間からかけ離れたその存在は、ただの怪物じゃないか。

その事実が後頭部を殴りつけるように思考を鈍らせる。崇め奉られていた自分は、自分しか救えない化け物だったということだ。大切な人とは仲間はずれのただの怪物。

はくはくと口を動かすソラエルに申し訳ない気持ちを抱いていれば、「……でも、……ぼく、は」と告げられる。

「ぼく、みんなみたいになれますか。……なにも出来ないままでも、みんな許してくれますか。」

「ウィペが話してくれたように、ツァイガーに狙われるかもしれないんですよね。そんな迷惑をかけるぼくでも、」

ここでまだ、生きても許されるか。その一言すら声にならず空気に溶けて行く。それを上書きするようにウィルペアトは言葉を重ねた。

「ソラエルは生きていて、いいんだよ。」

「何も出来なくても、これから学んで行こう。……その権利は、君のものだ。学ぶことも生きる権利も君のものだよ」

そう告げるウィルペアトはこれまで見てきた中で最も泣きそうに笑っていた。それを問おうとすれば「ノヴァ達を待たせている。急ごう」と話を逸らされてしまった。




…………最後の言葉を聞き、苛立つようにラビはその場を去る。不安げにこちらを見つめるノヴァに対して何も言えなかったが、こちらも何も伝える気は無かった。

(生きる権利は君のものだなんて、どの口がほざいてるんだ)

チッと思わず舌打ちを打つ。先程の戦いから彼には苛立ちしか覚えていなかった。

そうやって他人ばかり肯定して、彼は自分自身のことを肯定しない。それを気づかせないように話を切り上げているのだ。

彼は滅多に治療面において自分のことを頼らない。1人で何でも出来るというならいっそ自分のことなんて放っておいてくれたらどれだけ良かったことか。だと言うのに中途半端に甘やかされて他人の命の価値ばかりを気にする彼が本当に苦手だと再認識する。

盗み聞きしていたことを察されないように、できる限りの早足で階段を上る。無限にも続くこの道の終わりは、一体どこになるというのだろう。そんな意味の無いことを考えながら。






​───────6階 資料室にて。

何とか階段を上り終えたシェロ達は休憩がてら資料室と思われる場所の調査をしていた。

3〜5階に当たるであろう箇所の入り口は全て真っ白な壁で覆われており、カイムやアルフィオの武器では破壊することが難しいと判断していた。

(……おかげで、誘導されるようにこの階まで階段が続いていたけど……途中の階の調査を任せるか……いや、合流することが先かな……)

普段から部屋に篭もりっぱなしなのが悪影響を及ぼしたのは何階の辺りだったか。他の3人は息を切らすことなく進むのに対し、自分の息はどんどん上がっていき、足は重くなる一方だった。

「私が背負いましょうカ?カイムちゃん達だといざという時動けなくなっちゃうもの……」

と心配そうに問いかけるアマンダと心配そうに覗き込むアルフィオの気遣いを出来る限り全力で丁重にお断りした。リーダーとしても男性としても、その他様々な面においての何かを守るためにも。

(…………もう少し、体力をつけよう……)

はぁ、と息を吐き出しつつ適当に手書きで残されていた書籍を手に取ればそのタイトルに息が止まる。


『魔力活性剤と治の魔力の作用について』


(​───────っ、なんで……!)

慌ててそれを手に取り、ページを捲る。そこに記載されていたのは自分が血眼になって調べたげた内容と酷似したものと、全く知らない情報だ。

(活性剤自体は恐らく6年前から存在していた……それは知っている、けど……)

クラインにはそもそも魔力を大幅に増加させる手段が存在するという噂があることを国民の1部は知っている。だが公にはその情報を知る者は居ないとされているのだ。……自分たちが隠し通しているのだから、当たり前なのだが。

この活性剤についての情報はウィルペアトやヘルハウンドのように組織に長く深く携わっている者ですら知りえない。自分と国の1部の人間が、この情報を口外しないように守り続けていた。



『何故自ら平和を潰す?何も間違いでは無い。私たちが行うことは“正しい”んだ』

『全ては、この国の為だ』

『シェロ、君には期待しているんだ。この国の1人としても、​─────……父親としても』



自分に期待などしたことも無いのは理解している。だがその瞬間だけ期待していると言われてしまえば……息子として、期待してしまった。それが組織に対しての裏切り行為になるとしても。

心臓が口から飛び出てしまうのでは無いかという程に早鐘を打つ。誰かの呼びかける声が聞こえた気もするが、バクバクとなる心音が全てを掻き消していた。

「シェロリーダー!」

「っ、」

ぐい、とアマンダが強く腕を引いてくれたことで現実に思考が戻される。そのまま伏せるように下に引かれ、ようやく皆が伏せるように屈んでいることに気づいた。

「ご、ごめん読み耽って……」

「構わないワ。……でも、今は緊急事態かも」

「ツァイガーだ。しかもクソ厄介なことに上級クラスの」

僅かに顔を上げ、部屋の外を覗き込む。そこには2メートルを超えるであろう存在がふわふわと漂うように浮かんでいる後ろ姿があった。

「浮遊タイプか……コアの位置は見えた?」

「ううん……カイムさんが先に気づいたけどまだ僕たちは確認出来てない、かな」

普段よりもカイムは眉間に皺を寄せ、遠くに浮くツァイガーを睨み付ける。

(……せめてコアの位置が確認出来れば……いや、人員的にも隠れる方が優先……)

そこまで考えていれば、不意にそのツァイガーが振り返る。……その顔に、カイムは見覚えがあった。



「逃げて」、と自分の前に立つ姿を覚えている。

「お母さん、お母さん……!!!!」

冷たくなる身体を抱きしめる。母の心臓を貫いたそれは引き抜かれ、胸元を赤黒く染めてぐちゃぐちゃになった肉が顔を覗かせた。

あの日を忘れたことは無い。あの日の自分の無力さを呪わなかった日は無い。


沸き立つ怒りを、憎しみを制御する余裕が今のカイムには無かった。ぼたりと液体を垂らすその口に刃を突き立てて、コアを粉々になるまで砕いてしまわないと……いや。それだけで気が済むはずが無い。

なぜなら、そこに居たツァイガーは自分の母親を殺した最も憎い相手だったのだから。


ダメだ、と思った時には既に遅かった。伏せた状態から起き上がり、部屋を飛び出す。暴れ出しそうになる感情を制御することが出来なかったのだ。

「ッカイムちゃん!?」

自分を思い、何かを察して叫ぶバディの声すら聞こえなかったのだから。

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