第7話 誰がために落ちる

「……は?おいおい行方不明って…」

僅かに口角を引き攣らせつつも平常を保とうとするラビへ一瞬視線を向けるが、直ぐに表示された連絡先の中から次に連絡を取るべき相手を絞る。

「……分からない。詳しくはノヴァ本人に聞く、が。これまでの調査の中で行方不明者が出た事実は無い」

「そ、そうだったんだ……っ、あ……でも、そう…です、よね。入る度にゼクンデが変わると言っても、基本はバディと2人1組での行動になりますし」

無意識の内に吐き出された言葉をロドニーは慌てて敬語で隠す。先程続きを読むことが叶わなかった冊子をぐしゃぐしゃにならない程度に強く抱き抱える。

自身の人差し指で何度か唇をトントンと叩きつつ、「ああ」とウィルペアトは返した。


「あっても、だな……旧隊服時代の時はリボンタグが今よりも切れやすかったし、血に染まりやすかった。」

「袖口や他の部分の隊員カラーを見れば問題無かったんだろうが、白や薄い色なら血に染まると判断が……っと、悪い。少し他に連絡を取る。その間、3人にこの部屋の調査を頼んでも構わないか?」

「僕は問題ないよ」

「僕もですっ!まだ調べている途中だったので……」

「同じく。……1度ここに他のやつも集まるのか?」

その問いかけに2回首を縦に振り、「もしもし」とウィルペアトは連絡をとった相手へと話しかけていた。


『はい、こちらヘルハウンド』

「ヘルハウンド、悪い。今大丈夫か?」

『ウィル。……どうしたの』

「ノヴァから連絡があった。アーシュラが地下で行方不明になったらしい。もし行けるならノヴァの所に向かって貰えるか?」

『………………』

「……ヘルハウンド?」


向こうから「ヘル?どうしたんですか?」と問いかけるソラエルの声が聴こえるものの、ヘルハウンドからの応答が無い。音声だけでは彼の表情を伺うことも出来ず、ただ心配そうにヘルハウンドへ声を掛け続けるソラエルの声が耳に届く。


『ごめん、……他にノヴァさんから報告は?』

「あ、あぁ……酷く困惑している様子だったから、これ以上は……ところで今、誰と合流している?」

『アマンダさんとカイムさんだよ。ただ、アマンダさんが負傷している。自己治療は行っているけどシェロに見て貰った方が確実だ』

「分かった。今俺たちは2階に居るんだが……階段付近にシェロ達が居る。カイム達にはそこを目指して貰えるように伝えて貰えるか?」

『了解。俺達は地下に行くべき?アーシュラが行方不明なら、……いや。3人じゃ厳しいかな』

そう問いかけてくるヘルハウンドへ一瞬言葉が詰まる。シェロにアマンダを診てもらうことを優先するなら、バディを含めた4人は纏まって居てもらう方が良いだろう。だがヘルハウンドとソラエル、ノヴァの3人のみを地下の再探索へ向かわせる訳にはいかない。

(それに……さっきのノヴァの反応……)

シェロのように医療や心理方面に関する知識を完璧に持ち合わせている訳では無い。だが先程のノヴァの受け答えがあまりにも普段通りに近いことがどうしても引っ掛かっていた。

これまで何度も色んな隊員からバディ相手が負傷した際の報告を耳にした。動揺のあまり支離滅裂な報告を行う者、嗚咽を漏らし続けた者、ただ静かに報告する者……だが、ノヴァのようにに報告する者は居なかった。

(言葉がいつもより気持ち早かったか……?だが、特に違和感がある訳でもない……いつも通りだったな……)

いつものように報告するノヴァに対し、ウィルペアトは疑念を抱いていた。


(とにかくロディ達か、俺達のどちらかが地下の探索に同行すべき……)

ロドニー達よりも自分達が行くべき理由が幾つか浮かぶ。しかし、それ以上に上に進まなければならない理由が大きすぎた。

(……アーシュラの行方不明、ノヴァの報告の真偽を確かめずに上の調査を進めるか……いや、進まないと、)

改めて時間を確認すれば12時46分。ここから塔の残された調査部分とツァイガーと戦闘になった場合に割かれる時間を仮定してもギリギリ、もしくは確実に夜が明ける。

(夜明けを待つ訳にはいかない。とにかく時間も無い……早く、行かなければ)

目的遂行のための道筋の中に、感情が顔を覗かせる。違う、違う。今最優先すべきことを考えなければならない。その為にはアーシュラに対し『行方不明。捜索不可』と判断を下して上の階へ進むべきだ。だが一個人として優しさが欠落しなかった今、地下探索へ向かうべきでは無いか?と訴え続ける部分がある。

「…………」

『……ウィル?』

「…………ヘルハウンド・ソラエル・ノヴァの方には俺とラビが行く。1度2階で合流した後、今後の動き方について改めて確認したい」

『分かった。俺の方でもノヴァさんに軽く聞ける部分は聞いてみるから』

「頼んだ」

通信が切れたことを確認し、はぁ……と息を吐き出す。先を急がなければならないことは分かっている。だが、組織のリーダーとして今の状況を放置する訳にもいかなかった。

「ウィルさん、大丈夫そう?」

ひょこと顔を覗かせたナイトへ慌てて視線を向ける。ある程度部屋を調べ尽くしたのか、片手には読み終えたであろう冊子が握られていた。

「あ、あぁ!……とりあえず、シェロ達にも連絡をとってカイム達を待ってもらおうと思って」

「そうだね。階段が見えてるからって思っても……カイムさん達がツァイガーを警戒する可能性も充分にあるから。ならシェロさん達がいる方が分かりやすいかも」

「だよな。悪い、もう少し待ってくれ」

軽く手を上げるウィルペアトに対し、ナイトも同様に返す。調査最中に私情を持ち込み過ぎることは気の緩みへと繋がり、危険が伴うことは理解している。

(……気を引き締めないと、カイムさんに怒られちゃうな)

よし、と改めて気を引き締める。アーシュラに関してはウィルペアトやシェロがノヴァに確認を取るだろう。なら自分達はその間に出来る限りのサポートをするだけだ。

(とりあえず、全員が揃うまで僕達も出来る限りの調査をしないと)

そう考えつつ、ナイトはロドニーとラビの元へ戻って行った。



────時刻は13時15分。2階部分にもちらほら存在する窓のような穴から光が差し込み、更に塔の白さを際立たせていた。

あの後はヘルハウンド・ソラエルがノヴァの元に向かい、2階までの道のりはシェロと連絡を繋ぎながら辿り着くことが出来た。先に合流していたカイム・アマンダの2人も待機している間に部屋の資料を読み込んでいた。

「ノヴァ、とりあえずこっちに来てもらえるか」

「…え、あ、……了解っす」

「シェロ、少し任せた」

「了解。大丈夫だよ」


軽く手招きをし、ノヴァを隣の資料室へと連れて行く。流石に全員の前でアーシュラの行方不明について問い詰めるよりも、1度報告として聞くことを優先するべきだとウィルペアトは判断していた。

数歩部屋に入った後、振り返る。パチパチといつもよりも数回多い瞬きの後、「報告、っすよね」とノヴァから切り出された。

「自分が何かこう、スイッチ?みたいなの踏んじゃって……それで地下に落ちてたんすけどそこ、水があって。先輩が報告した後はそのまま奥に進んで……確か……そう!ツァイガーと遭遇しました。Cクラスの」

いつもと変わらないように話すノヴァではあったが、ウィルペアトと視線が合うことは無かった。その後の報告に対しても適度に相槌を打ちつつ、報告を聞く。

「───討伐後は…地下、暗かったのもあって……パッと隣見た時に、先輩が居なくて……探したんすけど見つからなかったんで、1度先輩に報告を〜って思って報告しました」

「……なるほどな。地下について分からない部分も多い。もう一度俺とノヴァも含めて数人で地下の再探索兼アーシュラの捜索を行う予定だ。事態が落ち着くまでの間、ヘルハウンドとソラエルと共に行動してもらうことが多くなるが……ノヴァは問題ないか?」

「はいっす!自分のせいで先輩達の手も煩わせてしまってすいません」

「構わないよ。むしろ調査を行う、という点では必要不可欠なことだ」

そう告げつつ、チラりと隊服を見る。ツァイガーとの戦闘があったと報告されたが、汚れのような箇所は見つからない。先程ロドニーとナイトと再会した際は顔に土埃のようなものが着いていたため、2人とも慌てて擦っていた。

(水がある場所、となればやはり戦い方も変わるか)

これからのことを考えねばならないが、いつまでも2者面談を行い続ける訳にもいかない。「そろそろ戻ろうか」と告げて部屋から出ようとした瞬間、「先輩、聞いてもいいっすか?」と声を掛けられる。

「?どうした?」

「さっき先輩にも聞いたんすけど……聞いておきたくて」

「……ヘルハウンドに、ってことか。どうした?」


「…先輩は、死んでませんよね?」

そう告げるノヴァの意図が分からず、足を止める。部屋も差し込んできた僅かな光が足元を照らしていた。

「……そう、だな…?」

「…………そうっすよね!すみません、急に聞いて!」

「いや、構わないが……」

質問の意図と“誰”を指しているのかが分からず、曖昧に濁して返せばヘラりとした笑顔が返される。「あと質問したついでに、前に聞いたことある部分。改めて聞きたくなって」という言葉に「どうした?」と返せば初めてノヴァと視線が交わった。


「先輩は俺より先に死んだりしませんよね?」

「──────……」


それが当たり前だと信じて疑わない真っ直ぐな瞳は、自分がリーダーであるからか。それとも『先輩』だからなのか。とっくに痛むことが無くなったはずの左目の傷が痛み始めたような気がして、口角が引き攣りそうになる。


そうか、自分は彼にとってそう期待されていたのか。なら理想通りなのかもしれない。


引き攣りそうな口角を1度無に戻し、普段と変わらない笑みを浮かべる。優しく微笑むことがきっと彼にとっての『理想でいつも通り』なのかもしれない。


「死なないよ、俺は」


その一言に僅かに目を見開いて返される。それに何かを返されるよりも先に、逃げるようにその部屋を後にする。今はその期待が有難くて、いつもより重く感じてしまった。



「……ヘルハウンド、悪かった。確認に行ってもらって」

「いいよ。俺としても今まで行方不明になるなんて聞いたこと無かったから……状況を確認したかった部分はある」

ノヴァとの会話が終わった後、資料室の扉前でヘルハウンド・シェロ・ウィルペアトの3人で固まって今後の方針について確認を行っていた。残された隊員は探索で確認出来た情報を共有し合っており、ロドニーが必死にその情報をメモ帳へ残している様子が見えていた。

「さっきノヴァへ確認を取ったが……恐らくまだ困惑しているんだと思う。受け答えで問題がある、とかでは無いが」

「そうだね……俺も怪我の状態について確認させてもらったけど、傷は一切残っていなかった。可能性としてアーシュラが治療を行った後に行方不明にって考えてもおかしくはないのかもしれないけど……ヘルハウンドは?どう思った」

「そう、だな」

先程の様子を振り返り、口元を覆うように手を添える。何かが壊したのではなく元々そういうカラクリが作動したようにも見え、同時に何かを隠すためにこの場所は存在したのではないか?と推測していた。

(何を隠していたのかは分からないけど、恐らく使用目的としては合っているんだろうな)

なら、行方不明になったアーシュラはどこに消えたのか。結局はそこの疑問に戻ってくる。リーダーである2人はそれぞれの経験や今回獲た情報から様々な考察を立てているが、ヘルハウンドの中には1つだけ確信の無い仮説が存在していた。

(…………もし、アーシュラが殉死していたら?)

最悪な想像を避けたいが、どうしても頭の片隅に残っている死の可能性を否定出来ずにいた。死が伴う現場で、いつどうなるかを決めることなんて出来ないというのに。

その場合、ノヴァは虚偽の報告を行ったことになる。……だが、そうだったとしてもヘルハウンドはそれを咎めることは難しい理由があった。

(リボンタグの回収と報告、か)

義務付けられてはいるものの、結局は自己申告だ。残された側がリボンタグを回収出来なければ「回収出来なかった」の一言で済んでしまう。言ってしまえば、信頼で成り立っている報告義務は裏切ることが出来てしまうのだ。

あの日の自分と僅かに重なる。理由は全く異なるが、拾った橙色のリボンタグともう1つのタグの意味を未だに探し続けていた。

(……ノヴァさんも混乱しているのだとしたら、それを完全に責め続けていい理由にはならない。余計混乱を煽ったところで、必要な情報に齟齬が起きてもいけない)

最も長くここに居る者として、何が最善なのかを模索し続けている。理由が分からないからこそ、まだ探さなければならないのだと考えている。

だが冷静な自分とは違う部分として、彼女が殉死していたら?という部分で受け入れ難い自分も存在していた。心の底から彼女の幸せを願い、アーシュラが幸せになる未来になるのであれば何でもしてあげたいという親愛感情を長い間積もらせ続けて来たことによる感情なのだろう。……彼女が幸せである未来の中に、自分自身を含めて考えたことは無かったが。


未だ考察を続ける2人へ「これは俺の仮説だけど、」と呟く。こちらを見つめる2人の紫色の瞳と順に目を合わせ、続く言葉を考える。自分の過去の過ちが2人に気づかれてしまったとしてもグローセを守り続けるために言う必要があるのであれば、という感情があった。

「……アーシュラが、地下で殉死した可能性も捨てきれない。」

「ツァイガーの仕組みについて俺達はまだ理解出来ていない部分も多い……加えて新人であるノヴァさんが混乱しているのであれば、状況を受け止めきれずに言ってしまう事もあるんじゃないのかな。って」

自分が受け入れ難いことを口に出すことは、どれだけ歳を重ねて大人になっても慣れない行為だった。今もまだ死んだ仮説すら受け入れたくないと考える自分が続く言葉を詰まらせた。

「……まぁ、可能性としては充分ありえるな……」

「そうだね。……というより、これまで『行方不明』が無かったから……俺はその仮説は当たっていると思っているよ。殉死までいかなくとも、かなり深い傷を負っている可能性も」

「……この仮説についても共有するかどうかは、2人に任せてもいいかな?ノヴァさん本人の前でする話では無いから」

なら、と小さく呟いたのはシェロだった。

「ウィル達は地下探索とアーシュラの捜索をするんだよね?ヘルハウンドの出した意見は俺達3人で話し合って出た内の1つとして、待機している人達には伝えるよ」

「いいのか?シェロ……だが、それだと」

「大丈夫。……ただ、念の為ウィルから許可を貰っておきたい部分があって」

「ああ。なんだ?」

「……​──────」

その許可を求めたシェロへ2人が僅かに目を見開く。不可能な訳では無いが、彼がその許可を求めた事実に驚いたのだ。

「構わないよ。もしそうなった時、俺に報告は後で良いから」

「ありがとう。でも重要なことだから、もしそうなった時はすぐに連絡するよ」

分かった、とウィルペアトが軽く首を縦に振る。そのままこれからの方針について1度話し合い、『2階待機組はそれぞれ治療や簡易的な武器のメンテナンスを行った後に2階調査へ移行』『地下調査組は地下の調査をある程度まで行い次第、2階へ戻る』という内容で方針はまとまった。


「​────それじゃあ、行ってくるよ」

「うん。俺達も準備出来次第、調査に入るから」

…そうして、2箇所に別れた調査が再開した。




────2階 資料室にて。

「先に怪我の状態について聞きたい。ツァイガーに関する情報やさっきロドニーが纏めた情報については、治療後に教えて貰ってもいいかな?」

「もちろんですっ……!」

散らかったままの冊子の類いを纏め、空きスペースに置いておく。シェロから名前を呼ばれたロドニーはピンッと背筋を伸ばし、手にしたメモ帳を強く握りしめた。

「でも治療中にツァイガーに襲われることだけは避けたいんだ。……この中で怪我をしていた人は?先に診せて欲しい」

アルフィオの怪我の有無は先程の戦闘を見ていたシェロが理解出来ていたが、他の隊員とは入口で別れて行動して以来通信越しで現状把握をしている為、詳細まで把握することが出来ずにいた。

「ドライバーが負傷している。自身で治療を行ってはいたが、ランディーノ。彼女を診て欲しい」

そう告げてカイムは横に居るアマンダへ目を向ける。「ン?」と告げるアマンダへ「アナタの動きに僅かに違和感を覚えた」と返せばニッコリと微笑まれた。

「そんなこと無いワ!ちゃんとあの時自分で治療したもの。問題ない範囲ヨ」

「…………」

眉間の皺を更に深くするカイムに1度目を向け、シェロが「アマンダ」と呼びかければ観念したように両手を挙げ、「……分かったワ」とシェロの傍へ座る。腕を差し出せば手首へシェロの指を添え、ぐっ…と押される。そのまま腕を捲るように指示をされ、親指で押して、離して……を繰り返される。

「痛みは?」

「ウーン……無いワ!」

「押した時と離した時、違いはある?」

「それも問題無い。……嘘じゃないワ。本当に治療済みなの」

ね?と口元を綺麗に歪ませればすぐに目線を下げられる。そのまま幾つかの診察に答えていき、ある程度満足する情報が得られたのかそっと腕を離された。何度か手のひらを開閉していれば「……さっき、話し合ってた事なんだけど」とシェロが呟く。


「これはさっき話し合って出た仮説だけど……恐らく、アーシュラは……殉死、もしくは深い傷を負っている可能性が高い」

「……………………は、」

そう零したのは誰なのか。その声を問いただす者は居なかったが、「どういう、こと」と震えた声でシェロに話しかけたのはアマンダであった。

「あくまでも仮説だよ。幾らか出た中の1つで……恐らく可能性として1番高い」

「……それが分かった上で、あの子達は行ったの?」

頷きを確認するよりも早く、その場から立ち上がる。駆け出すアマンダの袖を引く感覚に立ち止まる。そのままグッ、と腕を引かれる感覚に振り返ればシェロが掴んで引き止めていた。

「やだ、リーダー?どうしたの?……手、離してくれないかしら?」

「ごめん、それは出来ない。この手を離したら、どこに向かうつもりなのかは想像出来ているんだ」

圧を掛けるのでは無く、ただ引き止めるためだけにシェロはアマンダの腕を掴んだまま離さなかった。力の魔力が込められていないならば、振りほどくことは難しくはない。だが真っ直ぐこちらを見つめる瞳がそれを許してくれないような気がしてしまい、アマンダは僅かに視線だけを逸らした。

「想像って……アーシェを捜しに向かうって考えているノ?…………それ、は、」

詰まらせつつ、次に続く言葉を探し出す。いや、こう考えることは間違っていないはずだ。治療サポート班の自分が動くと言うことは必然的にバディであるカイムも共に行動することとなる。万全の状態であると言いきれない今、彼女も共に危険に晒す訳にはいかない。

(落ち着かなきゃ、冷静に考えて、動かないと)

今、誰が誰の為に動こうとしているのか。だがそちらに思考を向ければ向けるほど、最悪の方向へしか向かない。

(……最悪の、方)

それは、誰の最悪?

「……確かに、さっきの話は俺達が考えた最悪な想定でしかない。それを確かめるためにウィル達は戻ったからね」

「それは……分かってる、ちゃんと分かってるワ。…………でも、その」

シェロの真っ直ぐな視線に痛みすら錯覚してしまいそうで、掴まれていない方の手でフードを軽く引っ張る。これ以上言葉を吐いたとしても、何がこの場での最適解かが分からずにいた。

頭では分かっている。だが今すぐにでもこの腕を振りほどいて、親友の探索へ向かいたかった。生存確認が取れていないのであれば、自分も仲間の為に駆け出したい。だがそうしてはいけない理由も理解出来る。

脳内で複雑に絡んだ糸玉のようになった思考を何とかほどこうとする。それ以上の言葉が浮かばず、思わず自身の唇へ歯を立てればプツリと切れた皮膚から口内へ微量の血が流れ込んできた。

そんなアマンダからシェロが目を離すことは無かった。きっと、今の彼女であればこのまま駆け出して行くような気がした。それを見過ごすことは出来なかった。

優しいだけでは治せない。厳しいだけでは誰のことも守れない。

他の誰でもない自分がその事を理解している。…優しい“だけ”の人では居られなかった、自分が。


……だからこそ。


「俺は止めるよ」

グローセの副リーダーとして、治療サポート班のリーダーとして。

「アマンダが1人ででも地下探索……アーシュラの元に行きたいと言うなら、俺はその前にキミを仮拠点へ帰還するように指示を出す。」

「ウィル達がアーシュラのことを探しに行った今、俺達には俺達が出来る最大限のことをするべきだ。もしその中でアマンダの出した結論が『それでも自分が行く』、という答えなら見過ごすことが出来ない」

「…………ッ、でも……」

フードを深く被った彼女がどんな表情で告げているのか分からない。そんな2人の様子をカイムはただジッと見つめ、ナイトとロドニーはこの空気感をどうするべきかとお互い何度も顔を見合わせては、口を開閉させていた。「アルフィオさん……」となんとか小さく呟いて意見を求めようとするナイトへアルフィオは1度視線を向け、すぐに目を伏せてフルフルと2、3回首を横に小さく動かす。今は誰も口を挟むべきでは無いことをこの場の理解していた。

少し腕を引いて離そうとするアマンダへ、掴み直すようにシェロは手を動かす。そのままの状態で静かに言葉を続けた。

「それは現状の把握が出来ていないことになる。厳しい意見にはなるけど、キミ自身を守ることも出来ないし全体を危険に晒すことに繋がる。さっきも言ったようにどうしてもしたいと言うなら、俺はキミを仮拠点へ帰還させることも検討しているからね」

普段の柔く包まれたような言葉とは異なり、冷静にシェロは言葉を紡いでいく。アマンダだけを叱咤したいのではなく、隊員全員のことを大事に思うシェロだからこそ優しさだけで諭すという選択肢を取りたくなかったのだ。この1件でアマンダや他の隊員から恨まれたとしても構わなかった。その覚悟の上での発言であった。

氷がじわりと溶けて冷たさを移していくように、カッとなっていた思考がじわじわと落ち着きを取り戻していく。完全に落ち着いた訳ではないが、シェロとはまた違う優しさで隊員全員を大事に思うアマンダであるからこそ、彼の伝えたいことは充分過ぎる程に伝わった。

「…………ごめん、なさい。…………冷静でいる事が出来なくて」

「謝る必要は無いよ。今、アマンダが冷静に判断出来るようになっているなら……それで」

ゆっくりと力を抜き、完全に抜けきる頃にはだらんとアマンダの腕は下げられていた。言い表し難い無力感ばかりが積もっていく。だがその中でも生まれてしまった疑念が完全に埋もれることは無かった。


『──アマンダならそう言うと思った!私も皆のことを信じているわ。もちろん、アマンダも含めて。ね』


仮拠点で彼女が伝えてくれた言葉が今になって反芻してしまう。彼女がみんなのことを信じていると言うように、自分も信じていると口にした。

「…………治療。再チェックをお願いしてもいいかしら?シェロリーダー」

いつもと変わらない口元の笑みだけで返す。その反応に何を考えているのか見透かすことは出来ないが、シェロはただ「構わないよ」と頷いて返していた。

その様子にナイトとロドニーはほっと胸をなで下ろし、アルフィオとカイムは変わらず無言のまま見つめ、そのままふい…と視線を逸らした。


(ボクがさっき伝えた言葉は、彼女に届かなかったのか)

自分自身のことも蔑ろにしないで欲しいという願いは届かなかったのだろうかと考えてしまう。長い付き合いのあったアーシュラが今、どうなったかを考えれば彼女が感情的に動こうとする理由は見える。それはきっと、仕方の無いことだ。

(…………いや。ボクもボクに出来る最善を尽くすと決めたんだ)

改めて自分が行うべき目標を確認し、カイムは自身の武器を持ち直した。




​───────1階 地下へ続く穴の近く。

ノヴァの記憶を頼りに辿り着けば、そこは変わらずぽっかりと口を開くように穴が広がっていた。

「ここっすね……こっから飛び降りる形で、下に降りたっす」

案内を終えたノヴァが振り返るようにして告げる。最初は道案内を頼む都合で先頭を歩いて欲しい、と頼んだが「いやいや……道案内とは言え、流石に先輩達の前は歩けないっすよ」という彼をヘルハウンドとウィルペアトが説得し、案内して貰っていた。

「ありがとうノヴァ。……ここ、降りてすぐに何かあったか?」

「いや……あー…でも、少し水が張ってて…?水の流れを見ていったら奥に進めるって先輩から教わりました!」

「水、か……この近くに池のような場所………あったかな…」

ふむ、と言いながらウィルペアト達4人も穴の先を覗く。吸い込まれるような真っ暗な闇は見ていて気分の良いものでは無かった。

「……なんだか、怖いです…」

うわ……と顔を歪ませるソラエルを横目に、改めてラビも視線を戻す。

穴の先…着地点が見えない訳では無い。ただ、抱えた重荷ごと飛び降りるにはあまりにも勇気が不足し過ぎていた。

(別に、大丈夫だろ。このくらいの高さ)

後輩であるノヴァもその救援に向かったヘルハウンドもこの場所から降りても問題は無かったと道中で話していた。なら多少ハンデのある自分だって、この場所から皆と同じように出来ると思いたかった。他の隊員と変わらず、同じことが出来ると。自分はそこまで弱くなっていないと、言い聞かせたかった。

足を前に出しているはずなのに、突然その場所にピンで留められたように足は動かない。痛む場所はどこにも無いはずなのに、無意識の内に奥歯を強く噛み締めていた。大丈夫だ、大丈夫大丈夫。まだ壊れていない。足も、心も、まだ完全に壊れてはいない。


「────ラビ?」


その声にハッと意識が戻る。見つめていた1点から目を逸らし、そちらを見ればウィルペアトがラビの方を見つめていた。


「……なんだよ」

「いや、ただ聞いただけだよ。……高さは無いと言えど、落下する形になるのは変わらないからな……大丈夫か?」

「……」

下唇を強く噛む。この場所から飛び降りる形になれば、他の隊員とは違い自分の脚は今度こそ壊れることは誰よりも理解出来ていた。だが、それよりも残ったプライドがバディである彼を頼ることを許さなかった。


「…これくらい自分で降りられるさ」

「…………」


ハッと平常を装うように鼻で笑って返す。ノヴァの前でも、バディの前であっても自分の弱点を晒すことだけは自分が許せなかった。

そう返すラビへ1度息を吐き、ウィルペアトはその距離を詰めてきた。

「な、なんだよ」

「悪いな、文句は後でも聞くから」

「は?……ッ、おい!きみなぁ!?」

1歩足を引くよりも早くウィルペアトの肩へと担がれる。そもそもこの歳になって担がれること、ましてや組織内で最も苦手な人物から担がれることは羞恥でしか無い。しかもこの場所には後輩が2人、最年長者が居る。こちらにもプライドがあるということをこの男は理解していないのか、それとも欠如していると思っているのか?という感情が思考を占めていく。にも関わらずウィルペアトはいつものようなスンとした表情のまま地下に続く穴へ向かう。

「さっきも言っただろ!聞いていなかったのか?このくらい自分で降りれる、さっさと降ろせって!」

「ああ言ったな。だからこれはただの俺のお節介だよ。君が出来ると言ったが、俺が勝手にお節介をしている……それだけだ」

無理やり抜け出そうにもビクともしない。組織内トップレベルの力の魔力を持つということはこういう事なのかと改めて分からされているような気がして、余計嫌気が差してしまった。

無意味にもぞもぞと抵抗を続けていれば軽く空を切る音と、ふわりとした浮遊感……から自分が落下していることを悟る。声を上げるよりも先にパチャッと水飛沫の跳ねる音が聞こえる。ラビの視界には少量の水と1階の床と同じような地面が広がっていた。

肩からようやく下ろされ、キッとそちらを睨みつければいつものような澄まし顔でこちらを見ている彼と目が合った。

「きみな、そんなに俺の言葉を信用出来なかったか?この高さくらい問題なく着地出来る。1から100までやらないと出来ない赤子とでも思っていたんだなぁ?」

「誰もそんなこと言ってないだろ。君をそんな風に見た事は無い」

「例え話に決まってるだろ。相変わらずきみは冗談1つ通じないな。……はぁ。俺のことは置いて行っても構わなかっただろ。どうせ、」

『俺は君たちの調査のお荷物だからな。』

出かけた皮肉を、吐き出す前に残りを全て呑み込む。よりにもよって今出す言葉では無い。

口を閉ざしたラビに対して何を考えたのか。パチと1度瞬きをしたウィルペアトは変わらぬ澄まし顔のまま言葉を続けた。


「俺は、ラビのことを置いていかないよ」


─────ああ。せめて今、世界で1番嫌いな顔でそれを言って貰えた方がどれだけ救いだったか。

いつものように作った笑顔では無かった。最近は見慣れてしまったいつもと違う素の表情で言われればただ眉間の皺を深くすることしか出来なくなってしまう。パシャパシャと足元の水面を揺らしながら、ウィルペアトはラビの横を横切った。そしてそのまま上に居るヘルハウンド達へ呼びかける。

「高さはあるが恐らく問題無く降りれる。ヘルハウンド達も大丈夫そうだったらこっちに来てくれないか?」

「ああ、分かった」

覗き込むような形でヘルハウンドが下を見ていれば、くいっと袖口を引っ張られる。「ん?」とそちらに視線を向ければソラエルがフフンと両手を広げて見つめていた。

「えっと、ソラエル?どうしたの」

「ヘル!ぼくもやってあげます!ウィペみたいに担ぐこともできますが、おんぶもなんだって出来ますよ!」

フンフンと少し鼻息を荒くしつつ「さぁ!」とグイグイ距離を詰める。

「……先輩、とりあえず行きましょ。先に待たせちゃってますし」

「む!ノヴァ、止める気ですか!?……でもぼくだってできます!」

「あのなぁ……」

困ったように眉を下げるヘルハウンドに気づいたのか、ノヴァが軽く話を逸らすがソラエルは更にぷくぷくと頬を膨らませていた。そんなソラエルへ「気持ちはありがたく受け取るよ」と返す。

「でも大丈夫だから、ね」

「う……ヘルがそう言うならしません……」

「あとはまぁ……力の魔力の影響があっても、体格差もあるからね。ノヴァさんなら問題無かったかもしれないけど……」

「え!!?なんでぼくはだめなのにノヴァは良いんですか!?!!?!?」

「だから先輩がさっき言った通り体格差とかだろって……」

1階部分でワーワー言い合っている様子は地下に降りた2人からも見えていた。

「……きみ、あっちを放っておいてちゃまずかったんじゃないか?」

「……やっぱりあの2人、あまり仲は良くなかったのか……」

1人残されたヘルハウンドの心労を考え哀れみの目を向けるラビに対し、未だにノヴァとソラエルの関係性を誤解しているウィルペアトはあぁ……と困ったように眉を下げた。



「とりあえず、ウィル達も待たせているし俺は先に降りるね」

そう告げてヘルハウンドは地下へ降りた。着地と同時に響いたであろう水音を確認した後、「なぁ」とノヴァがソラエルへ軽く声を掛ける。

「なんですか?」

「あんまさっきみたいに先輩、困らせんなって」

「なっ……!!困らせてないです!!」

「どう見たって困っ……て…………」

「?……ノヴァ?」

そこまで言いかけて、ふと思い返す。

確かに地下の探索が出来るのであればしたいと言われた。だが長い間探し続けていた2階への道が判明したのに、それを引き返すことになったのは誰のせいだった?いや、塔を調査する上できっと必要だった。だから自分のしたことは何も間違っていない。そうだ、そうに違いない。


なのに、なんでまだ。リボンタグに関して報告が出来ないのだろう。


大きな疑問の泡がこぽりと浮上していく。こぽこぽと湧き上がる『あれ、なんでだっけ』の疑問が次第に思考を占めていく。

(なんで?だって先輩は死んでないのに報告する必要は無いから。そうだ、先輩は死んでないんだから報告しなくて良い。だって先輩は行方不明になった。そう言ったから、……そう言ったのは、俺だけで)

上塗りするように、自分の考えを正すように何度も言い訳を重ねる。だが、ノヴァはそもそも嘘を吐くことが得意では無い。混乱する自分を落ち着かせる為、咄嗟に吐いた嘘だったがいつかボロは出る。そのくらい彼は素直だったのだ。


(​───────、あれ)

だからこそ、それに気づくまで時間は必要なかった。


(今、先輩達を1番困らせてんのって……俺じゃね?)

サッと血の気が引く感覚がした。筋肉が僅かに収縮し、ぶわりと頭のてっぺんから爪先まで鳥肌が立っているような気すらしていた。先輩に迷惑をかける後輩というのは当然の事かもしれない。だが今回自分のせいで塔の調査を遅らせてしまっているのでは無いか?という覆いきれない疑問が大部分を占めていた。


(いや、でも……あれ、そうなると、実質先輩を殺)

最悪の結論を出すよりも早く、ドンっと鈍い衝撃が胸元の辺りに来る。痛みは全く無いが、その正体へ目を向ければ見慣れた水色のつむじが顔を埋めるように自分の胸元に居た。

「……は、なんだよ……?急に頭突きして」

「何回も呼びました!でもノヴァ、ずっとぼんやりしていたので……行かないんですか?ヘルたちも待ってますよ?」

「あ、あぁ」

「アーシュラ、早く見つかってほしいですね」

純粋なソラエルの返しが鉛のようにノヴァの中な積もっていく。「ん」と曖昧に返し、穴へ飛び込むように落ちて行けば再度ぱしゃんと跳ねる音が響いた。先程自分が居た方へ視線を向ければ、未だにじっとこちらを見つめたままのソラエルと目が合った。

「どうしたんだ?……怖いのか、落ちてくんの」

「べ、べつにそんなこと……ちょっとしかな……ま、全く!無いです!ぼくだってできますし!!」

ふん!としつつもソラエルは靴の先をジリジリと出しては引っ込め、また少し先を出しては引っ込め…を繰り返している。短く息を吐き、「ん」と両手を広ければ恐る恐るこちらを覗く水色とまた目が合った。

「…………ちゃんと、受け止めてくれますか……?ぼくが飛び込んでも、落とさないでくださいね」

「落とさねぇよ。ちゃんと受け止めるから」

その言葉に1度だけぐっと下唇を噛み、トッとその場から下へと落ちて行く。ドンッっと先程より強い衝撃が来たものの、ぎゅっと強く瞑っていた瞼を開けば視界には自分と同じ隊服の白。パッと顔を上げれば視界にはオレンジと見慣れたノヴァの顔があった。

「だから言ったろ、受け止めるって」

「そう、ですね。……へへ」

くすぐったい言葉に笑みで返し、パチャンと音を立ててソラエルも床に足を付ける。その1連のやりとりをヘルハウンドの右目が見つめていた。ふい…と新人2人から目を剃らせば、ラビが指さす方角を見つめ「恐らく進行方向はそちらになるか」と確認するウィルペアトの姿があった。

「進行方向、分かった?」

「ヘルハウンド。ああ、とりあえずさっきノヴァから教えて貰った水の流れを見て、向こうに進むことにはなるな」

「了解。ノヴァさん、ソラエル。向こうに進むって」

「!わかりました!」

パチャパチャと水の音を響かせてソラエルはヘルハウンドの元へ駆けて行く。

「?ノヴァ、いきますよ!」

「……分かってるって」

彼女の真っ直ぐな笑顔に対し、自分はあと何回嘘を重ねなければいけないのだろう。……あと何回なんて、数えるだけ意味が無いかもしれない。

バシャともう一度水飛沫を跳ねさせ、ノヴァもそちらへと向かって進んだ。






「​───────で、その時アルフィオさん達が見た情報について聞いてもいいですか…!」

「上級クラスについての考察、だったよ……でも僕に聞くより」

「いえ、アルフィオさんからお聞きしたいんです…!シェロさんも調査は行っていますが、似たような場面でどう行動したかについては同じ班のアルフィオさんから聞いたほうが僕も近い考察が出来るようになるのかなって……ダメ、ですか?」

興奮気味に話す口元をメモ帳で隠すようにしてアルフィオを見つめれば、迷うように視線を動かした後、ぽつぽつと見た情報を共有していた。

「最下層クラスであれば見た目に差異が無いことから挙げられた仮説かもしれないけど……最下層クラスの方が、長く生存しているという記載があった、かな」

「!なるほど……確かに同じような個体で群れを作って動いてますもんね……弱いから群れて行動するのかと思っていたけど実は長く生存していたからこそ連携が取れた行動が取れているのか……?そうなると強くなるほど個人として動くように………たださっき共有してもらった中でアマンダさん達が見たツァイガーは…」

アルフィオの返しから得るものがあったのだろう。ブツブツと情報の擦り合わせを行っているロドニーに対し、どうすべきかぼんやり視線を向けていればハッとした表情で返される。

「ご、ごめんなさい1人でブツブツ話してしまって……!ありがとうございます、参考になりました!」

「……構わないよ」

そう返してバディに呼ばれたアルフィオに3秒ほど視線を向け、聞いた情報を忘れないうちにガリガリとメモに記していく。全てを書き終え、フゥ…と息を吐いてゴーグルを上げて再度メモの内容を確認する。

(ツァイガーに対して元人間説が出ている……それも隊員?アカシアさんの名前を知っていたってことは……ほぼ確実だと思ってもいいのかもしれない、けど)

己が書いた紙面であるものの、自分の脳内のようだと客観的に見てしまう。自分が書いた部分だからこそ読めるが、誰かに見せるのであればもう少し書き直す必要があるだろうか。

(さっきの儀式に関しての冊子、読めてないけど……今じゃマズイ、かな……)

挙動不審にキョロキョロとしつつ後ろ手に隠した冊子を強く握りしめた瞬間、カイムと話し終えたナイトが「ロディさん」と声を掛けてきた。

「な、ナイト。どうしたの」

「いや、カイムさん達の治療も終わったから…もう少ししたら行動するって。僕達はカイムさん達と別方向からの探索、にはなるんだけど……」

「そ、そうなんだ……シェロさん達とアマンダさん達が同じ、ってこと?」

「そうなるみたい」

そう、と返しつつもすぐに訪れる別れに対して無意識の内に眉が下がってしまう。それに気づいたナイトも「僕も心配だよ」とわはは…といつもの苦笑いを零した。

「でも最善を尽くすって決めたんだ。これは今回だけじゃないけど……だから一緒に頑張ろう、ロディさん」

「!うん、そうだね…!」

コツンと拳を合わせた後、「さっきの仮説って纏め終わった?」とナイトから問われる。

「ある程度はね……でもゼクンデからツァイガーが生まれることと、元隊員説に関してもう少し強い確証が欲しいかな」

「なるほどね。じゃあ僕の方でも似た資料を見つけたらすぐに声、かけるね」

「ありがとう!…っと、待って、シェロさんって今誰も診てない?確認しておきたいことがあって」

「終わったはずだよ。さっきアルフィオさんと話したいことがって言って…あ、今終わったみたいだよ」

「!分かった…!」

そう言ってすぐにシェロへ話しかけに行くロドニーを視線で送る。…ふと、彼の話していた仮説と過去の出来事が重なって過ぎった。

(……塔で生まれた、元隊員が……ツァイガー………)

これだけ持ち帰ってもかなり大きな収穫だ。むしろ国に報告すれば自分たちの在り方についてもっと考えるかもしれないが。

(………………『元隊員』、か)

赤い血溜まりの中に見たあの景色。恐怖した“それ”から逃げるように走り出したのは『恐怖』よりも『生存本能による逃げ』だった。

それによるトラウマは今でも残っており、大きく影響として出始めた。隠すために、誰かの笑顔を見ることに幸せを見出した。いや、元々の感情ではあったものの、誰かの幸せな表情や声を見て恐怖をぼかしているだけにすぎなかった。


(…………)

自分は、この調査を終えてもきっと変われない。……前に進もうとする彼を見る度に、その感情だけが不確かな輪郭のまま心に居座り続けた。

(………………いや、今はとにかく集中しよう)

変われなくても、この先に待つ結末が絶望しか無かったとしても。


守ると決めた。大切な人達がいるこの世界を壊さないために。


「ナイト、ごめんおまたせ…!もう調査に向かっても良いって!」

「分かった。じゃあ……僕らはこっち、だね」

自分を呼ぶ相棒の声に意識を戻される。今はただ、それぞれが出来る最善を尽くすのみだ。

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