第6話 愛。故の
───ノヴァ達が透明なツァイガーと邂逅する数分ほど前。
音の発生源へと自然に2人の視線は向く。確かに聞こえた金属音は壁に寄りかかるようにしていた化け物からだということは嫌でも理解出来た。同時に微かに聞こえていた呼吸音が止まる。
(……っ、さっきと呼吸が変わった…目覚めたのか…?)
掴まれたままの手首が下ろされ、離す代わりにアルフィオが庇うように1歩前へ出る。彼を挟んで向こう側に居る化け物はゆっくりと顔を上げるが、眼球があった部分は真っ黒な穴と水色の球体があるだけだった。
(コア…?……人型にしてはサイズ…いや、回復途中だった…?)
視界に入る情報の全てを確認しようにもシェロの位置からでは全てを見ることは難しい。粘着質な何かがぽたりと落ちた瞬間、「……誰だ」と問いかける低い男の声が響いた。
(発語有り……ここまで意識を持ったように問いかけるなら、ある程度慣れた個体…)
アルフィオもこの問いかけに迂闊に応じるべきでは無いと判断したのか。息を呑む音すら聞こえない静寂がそこに生まれていた。
「……いや。ここに来る時点でグローセの奴ら以外有り得ないか……」
「───────…」
ぽつりと呟かれたその単語に瞳を見開く。確かに塔の調査に来るのはグローセの隊員以外存在しないはずだ。同じ組織に所属する者達であっても、現在討伐調査班もしくは治療サポート班に所属する者しか国から出る許可を得ることはほぼ不可能である。その事情についてシェロはこの組織に居る誰よりも理解していた。
返答は求めていなかったのか。「誰でもいい、聞いてくれ」と目の前の化け物は言葉を続けた。
「今すぐこの塔を出ろ。ここは、……お前らは。この塔にとって…ただの餌なんだ。」
「殺される方がマシだ……人として死ぬ事が、どれだけ難しいことか……嫌な程に理解出来た」
ぽつぽつと言葉を落とす彼に応じるべきかシェロは思考を巡らせる。人との意思疎通を図ろうとするのはSクラス以上に見られる特徴だ。記録として残されているものは少なかったが、中には特定の単語に対して反応を示す個体も存在したらしい。
先程掴まれていた手をアルフィオの肩に静かに乗せれば、彼から小さく困惑の声が零れたものの“大丈夫”の意を込めてシェロは静かに首を縦に振って返す。
「……いくつかお聞きしたい事がありますが…構いませんか」
「…………お前、聞き覚えある……いや、いい…なんだ」
(…敵意を感じない……鎖で繋がれたことで戦意喪失しているのか…そもそも攻撃する意図は無いのか…分からないな)
変わらないトーンの声に仮説が浮かぶが、1度脳内の片隅に寄せて必要な質問内容を絞り込む。
「…何故、グローセのことを知っているのですか。ツァイガー達にはその認識がある、ということでしょうか」
「他は知らないが……俺は、元々はお前達と同じだからな。」
「死んだと、思ったんだ。調査に来て……身体を真っ二つに……だが、目が覚めたんだ。こんな、訳が分からない部屋で………半分、無くなって……」
鎖に繋がれた状態の手を見せるように軽く挙げられる。音を立てながら鈍く反射した金属の光は腕から手首にかけて続いており、だらりと力無く下がった指先には赤黒い何かが染み付いていた。
「元々は…ということは……人間であったという解釈で合っていますか?…グローセ隊員として、生きた人…」
「……はは……でも、どうなんだろうな。…グローセに入った時点で、俺たちは人間じゃ無かったのかもしれないな……」
「………どういうことでしょうか。先程の“餌”と言った部分と関わりがありそうですが…」
「…簡単な話だ。……お前たちは、生きる為に生き物を殺す。植物を殺す。…そうして、魔力を獲て……生命活動を続ける。」
先程よりも言葉数が増えた化け物の口から絶えず粘着質な音が鳴る。恐らくは口の開閉に伴い唾液のような液体が零れているのだろうとシェロは推測していた。
「ツァイガーだってそうだ。……生きる為にお前らを殺して、魔力を獲て生命活動を続ける。………やってる事は何も変わらない。むしろ人間だけでどちらも獲ることが出来るんだ。………本当に都合のいい話だよなぁ」
はは、と乾いた笑いを零す存在は果たして自分たちと同じ人間と称するべきなのか。ツァイガー達のような化け物と称するべきなのか。……どちらが正しいのか分からないままだった。だが“人間じゃなかった”と話した彼の真意は未だに分からないままだった。
でもな、と思い出したように目の前の存在は言葉を続ける。
「魔力を持てる量には限界がある。……ずっとずっと、そう思われていた。……ああ今回は運が良かった。……せめて、お前達がこの情報を生きて持って帰ってくれたら、こんな馬鹿げた組織も国もやっと終わる……」
心底安堵したように息を吐き、ゲホゲホと噎せ出す。パタタッ……と何かの液体は身体を貫いている鉄柱へ掛かり、そこからさらにポタリと液体が零れていた。
アルフィオへ視線を移せば、彼の表情にも僅かに困惑が現れているようにも見えた。…そうなるのも無理は無い。彼の話す事が事実だとすれば、自分達がこれまで戦ってきたのは人間だったことになるかもしれないのだから。
(……ここから出たらウィルに連絡…いや、1度招集を掛けて共有すべきか…)
そこまで考え、ふとシェロの中に1つの疑問が浮かんだ。
(…今…彼は、討伐するべきなのか……?)
少なくとも今は鎖で繋がれているため自由に動くことは無いだろう。放置したところで問題は無いが、告げられた内容の『調査に来て』『死んだと思った』が本当なら彼は人間ということになる。だが虚偽の内容であればこちらを騙す罠にもなり得るため、即座に討伐対象へと変わる。
─────事実だった場合、アルフィオ達が行っていたのは“ツァイガーの討伐”でなく“人殺し”だったことになるのだ。
「アルフィオ、」と小さく声を掛ければ意図を察したのか「…君の意見に従うよ」と返される。感情や規則に沿った判断で行動し、この存在が調査にどれほどの影響を与えるかは計り知れない。シェロとの経験の歴に差はあれど、アルフィオも組織内では中堅の立場になる。右も左も分からないほど無知では無い。
その一言に安堵を覚えつつ、改めて目の前の存在を見つめる。1度も『拘束を解いて欲しい』等の発言が見られなかったが、これは彼が逃げることを諦めている故の判断なのかも未だ不明だった。
「撤退を最優先。……話を切り上げるタイミングは俺の方でなんとかするよ」
「分かった」
ダガーナイフを握るアルフィオの手に力が入る。常に魔力を消費され続けているため、余分に魔力が回ることが無いように意識してはいたものの反射的に力を込めてしまった。
こちらへ顔を向けたまま動かない彼へ「…そう思われていた、というのは」とシェロが問いかければ再度こちらへ指をさされる。恐らく本棚の方向を指したかったのだろうか。側面に当たる部分には赤黒い文字で何かが書き殴られていた。
「魔力を増やすことは、出来るんだ。…人間は、どこまでも貪欲だ……永遠の命も、力も欲しがる………だがどんなことにも犠牲や代償は付きものだ。無償の優しさなんか存在しないんだからな。」
「誰でも魔力を増やせる訳じゃない。……元のキャパが無い奴は耐えきれないし、逆にありすぎるやつは………まだ分かって無いが…」
「どこかの犠牲を払えばいい。腕、脚、目……人間の身体だって偽物の換えはあるだろ」
先程アルフィオが目にしていた文字をシェロも目線だけを送り、即座に読み込む。
(腕は義手…脚が義足で……目……この流れなら義眼…?)
書かれているのは魔力の実験に関する考察と人体に関するもののみだった。それよりも下に掠れたような跡も見えたが、アルフィオの影で隠れて確認することは出来ない。
(つまり条件が当てはまっているなら魔力を意図的に増やすことが出来る、ということかな…)
あの日、“あの人”から言われた言葉が何度も頭の中に響く。…あの人達が立てた仮説が間違いではなかったと理解したくなかった。だが、知りすぎてしまった頭で今更拒むことは出来なかった。
言い表すことの出来ない感情は皺になって眉間に寄せられる。とにかく今獲ることの出来た情報をウィルペアト達に報告しなくてはいけない。だが目の前の彼は「なぁ」と未だシェロ達へ問いかけてきた。
「…どうしました?」
「最後に1つ、確認させてくれ。……どうしても引っかかっていたんだ」
黒い糸を引く口元が僅かに引き攣っているのがアルフィオからは確認出来た。目の前にいる“この存在”がここに走り書きを残していた者であった場合───シェロに強い恨みを抱いている可能性がある。半歩前に踏み出すと同時、1つの問いが投げかけられた。
「…………お前、シェロ・ランディーノか?」
「え………はい…」
(っ、)
反射的に応じてしまったのは副リーダーとしての受け答えによる経験の慣れが大きすぎたのだろうか。隣にいるアルフィオですら聞き取れるギリギリの声量ではあったものの、離れた“それ”にはしっかり届いていたらしい。10秒程の沈黙の後、「そうか」と声を零した。
「お前、まだこの組織に居たのか…………お前、お前が、お前がこんなことしなければ俺はァッ゛!!」
ギチギチと何かを強く握り締める音の中に細い糸が切れるようにブツブツと細い血管がちぎれる音が混じる。フーッと荒々しく息を切らし、それは何度も鎖に繋がれた自身の腕を強く引く。ゴキッっと鈍い音が響いた瞬間、力を無くした腕はだらんと落ちる。更に聞こえてくる骨の鳴る音はおそらく再生の音だろうか?一際大きい音を響かせ、床へビタンッとその半身は叩きつけられた。
「お前がッッ!!!!俺たちを『“化け物”にしたんだろ』!?!!」
人の頭では理解しきれない言動へ切り替わる。先程の淡々とした口調からは想像出来ないほどの速さでシェロ達との距離を詰めて行く。ビタビタと地面を叩きつける音と半身を貫く鉄柱が不快な高音を鳴らしているが、生命体以外が鳴らす唯一の音でもあった。
その鉄柱により生まれた半身と床の隙間を利用し、それは獣のような咆哮を上げてシェロへ赤黒く汚れた爪を振り下ろした。
「ッ!!!」
鋭い爪とアルフィオの握るダガーナイフの刃先がぶつかり合う音が響く。即座に力の魔力を武器に流し込むように意識を巡らせ、攻撃を逸らすように押し返せば僅かに“それ”の爪はギチと音を立てて捲り上がり、力のままに押し上げられたことで爪が剥がれて赤い体液が噴出する。最早これがツァイガーとしての体液なのか人間としての血液なのかを考えている余裕は無い。体勢を立て直したそれは2、3度アルフィオを躱してシェロへ攻撃を仕掛けようとするが、それよりも速くダガーナイフの持ち方を変えて応戦する。
咄嗟の出来事で判断が寸秒遅れたシェロも即座にリボルバーを構え直し、「ごめん」と誰に向けたものか分からない謝罪を零した。軽い発砲音と共に放たれたそれはどうやらぽっかりと空いた状態になっていた眼窩へ命中したらしく、悶えるように半身を大きく仰け反らせて何も無い眼窩をガリガリと赤い液体が出るほどに引っ掻いていた。
「ごめん、アルフィオ。今のうちに……!」
「大丈夫、分かってる」
その部屋から抜け出す前に隠し扉の役割を果たしていた本棚を少し雑に戻す。多少の時間稼ぎ程度にしかならないだろうが、あれは片腕のみで攻撃も身体を支える動作も行っていた。失われていた片腕にも赤子のような手は見えたが、あの手は恐らくほとんど機能していないのだろう。一瞬の距離しか無かったが片腕の力だけで這って居た。
(あの片腕さえ落とせばほとんど無力化されるのか……いや、再生能力も高い。本当に一瞬の足掻き程度…!)
扉の向こうからは未だに呻き声が響いていたが、1度だけ視線を送ってアルフィオとシェロはその部屋から飛び出す。1mほど離れたタイミングで扉を強く叩く音が響き渡り始めていたが、まだ影すら見えていない。2人分の呼吸を掻き消すように音は響いていたが、それも次第に小さくなり始めていた。
「シェロ、あれ…」
音が聞こえなくなって2分ほど経過した頃。アルフィオが目の前の壁を指さす。そこは大きく穴が空いており、壁の外側…シェロ達が居る側よりも内側の方に瓦礫が積み重なっていた。
「多分、ウィル達が2階へ行った場所……かな………ここから2階へ上がることが出来ると思う…」
乱れる息を無理やり整えるように数回胸元を叩く。一方アルフィオの方はシェロほど息は切らしておらず、先程と変わらない表情のまま心配そうにシェロを見つめていた。
「大丈夫だよ、アルフィオ。問題無いから……」
「…なら、良いけど…」
「うん……とりあえず、壁の内側の方に入ってからウィル達に連絡するね。合流出来たら2階で俺たちも調査を続けよう」
彼から先程の恨みについて言及されることも話題に出されることも怖くなり、話を被せ気味にしてしまう。本来であれば絶対することの無い自分の行動に何か思う点があったのか、数回瞬きと口の開閉があったものの「…僕が連絡、する?」と告げられるだけだった。
「大丈夫。俺の方でするから…ありがとう」
彼の気遣いに感謝を示しつつ、先程とは違う理由で早鐘を鳴らし始めた心臓を抑えるようにもう一度だけ叩く。無意識に増えた“大丈夫”の数は今更顔を覗かせる感情を落ち着かせる為でもあった。
誰にも知られてはいけない、知られたくない。バディであるアルフィオにも同期であるウィルペアトにも、組織に居る人……いや、クラインに住む全ての人にも。その覚悟で自分はグローセに入ったのだから。
そんな雑念を無理やり切り替えるように、シェロは耳元の小さなイヤホンを1度叩いた。
ギチ…と足首を掴む痛みが増す。このまま力の魔力を集中すれば容易く折れてしまうだろうか…ということはこの状態でも理解出来た。
(ノヴァちゃんが問題無く動けるうちにコアを壊してもらわないと…)
突くことに重点を置くレイピアでは足元に巻き付いた何かを切り落とすことは難しいだろうか。そもそもの距離感から考えても上手く受け身を取れなければ最低でも骨折レベルになる。
次の行動を考えていれば遮るように空を切る音が耳に届いた。その中にノヴァの息を呑む音も含まれ、そちらに急いで目を向ければタンクにノヴァが叩きつけられる瞬間と同時であった。
「ッぐァッッ゛」
「ノヴァちゃんッ!!!」
ジュッと焼き焦げる音と共にそのまま床に向かって滑り落ちる。気を失う程の衝撃では無かったらしいが、先程の戦闘のように満足に動ける状態では無いだろうということは嫌でも理解出来てしまった。
(宙吊りよりも下からの方がコアの討伐はしやすい……せめてノヴァちゃんが動けるようになるまで私が時間を…!)
討伐調査班に居た時のような行動を彼にさせる訳にはいかない。あの部屋を見た日…前バディと同期でありライバルを亡くした日からアーシュラの中の血の気の多さは露呈しないように意識していた。落ち着いて取り乱すこと無く、ノヴァが理想とする“先輩”のままで居なければいけないのに。
「討伐調査班が動けない方が良いよね。だってどれだけの力を持っていたとしても治療サポート班ではツァイガーを殺せない。だから命を張ってでもバディを守ろうとする。ゾンビ戦法が討伐調査班なら肉壁になることを望むのが治療サポート班なの、間違ってますよね」
「ッ……さっきから落ち着いたように返してくれるけど、要するに私には貴方を殺すことが出来ないということでしょう?」
「ご名答。だから絶望で心を折るために君を先に殺すんだよ」
一瞬の浮遊感が襲いかかる。足を掴むそれが離れたことを理解し、即座に落ちる衝撃に備えようとするがそれよりも速く膝より少し上の部分を強く締めあげられる。そのまま近くに寄せられ、コアが先程よりも近くで見えるようになった時。またクスクスと嘲笑する声が響いた。
「君のこと、やっぱり見た事無いな。ここ数年の子かな。可哀想に。こんな組織に憧れた時点で終わりだったんだよ」
「人の事を憶測ばかりで話すのね。…貴方、本当に何者なの?」
「……君たちと同じ。でも君たちと違う。僕はグローセを恨んでいる…そこに所属する隊員の全てが憎いんだ。組織ごと全部ぶっ壊れてしまえばいい。」
「これって正当な理由だよね。だから君を殺しても良い理由になる訳で」
支離滅裂な言い訳を並べ終えた瞬間、締め上げる力はより一層強くなる。骨が砕ける衝撃と痛みが同時に襲いかかり、何とか脚を繋ぎ止めていた肉すら容易く潰すように力を込められた。
「ッッッあ゛ッッ゛!!!?!ッぐ、……ッ!!」
「先ぱ……ッッ!!!ッ、ぁ゛……!」
意識が白く飛ぶ寸前、叫ぶノヴァの声で何とか引き戻される。浅く短い呼吸を繰り返して冷静さを取り戻そうにも、ぐちゃぐちゃに乱れた思考の中ではそれを取り戻すことは困難であった。
骨折であれば治の魔力を使用して…と考えていたのが筒抜けだったのか。四肢が欠損してしまえばそれを再生させることは出来ない。どれだけ進化を続けたとしても、人間は化け物じみた身体にはなれないのだから。
ボタボタと上からアーシュラの血を被り、透明だと思われていたその身体のシルエットが現れる。コアの真下が大きな1つ目だったらしく、ゆっくりと瞬きするように血液が動いていた。
(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い……!!!!)
ダラダラと流れる冷や汗と頭に上った血の熱さで視界が眩む。片脚を失っても尚落下することが無いのは繋がったままのもう片脚とアーシュラがパンツスタイルであることが理由だろう。カイムやソラエルのようなスタイルの場合、繋ぎ止める箇所が減る。そんな分析を無意識のうちにしてしまうようになったのは組織に所属し続けたことによる慣れか。欠損した部位を治そうと治の魔力が勝手に集中するが、繋ぎ合わせる物が無いそこに無意味に注がれ魔力が減り続けていく感覚に死が過ぎる。
「───────……た、」
……助けて、と願った瞬間。脳裏を過ぎるのはヘルハウンドの後ろ姿だった。
幼い自分を救ってくれたあの日から慕い続け、彼の背を追うようにこの組織に所属した。今度は自分が力になり、彼を支えたいと願っていた。また遠く知らない場所に行ってしまうのなら、何も伝えないままでいるから一生傍に居ても良いと許してもらいたかった。
(……まだこんな甘えを抱えてる時点で、子どもなのよ……!!)
彼が救ってくれたように。せめて私も大切な人を救いたかった。素直に慕ってくれているノヴァを守り抜いて、前に進ませる。それが先輩として……バディとして、彼に出来る最後の手段になったとしても。
溢れ出そうになった弱音を全て呑み込む。自分がどれほど小心者であるかはとうの昔から分かっている。だからこそ、それを見せないための見栄張りを。
不思議と脚の痛みも感じなくなってきた。ノヴァを叩き付けた事で空いたもう一本の腕がアーシュラのもう片脚を掴み、握り潰そうとまた力を込めたことで骨の軋む音が聞こえる。……なのに痛覚だけは完全に麻痺してしまっていた。
(私だからこそ、出来ることを)
誰かに失望されることが怖くて、弱味を見せることが出来なかった。バディである彼の隣に居続けて、いつか自分の小心さに失望して飽きられることが怖かった。だからこそ、彼が分かりやすく示す“先輩”の理想像であろうとした。
飛び掛ける意識は唇を強く噛むことで何とか留まる。挑発するように口角をあげて見せれば、「何?」とピリついた声が一言返された。
「……いえ?随分と舐められていると思っただけよ」
「ああ、なんだ最後の足掻きか。見栄を張ってバディに良いとこ見せようって?浅ましいね」
「…好きに言えばいいわ」
ノヴァへ視線を向ければ何とか立ち上がることは出来そうだ。彼なら合図を自分で読み取り、行動することが出来るだろう。
ナイフはこの距離では意味が無い。戦うなら治療サポート班として支給された拳銃が最も最適なのだ。
「……浅ましいついでに、もう1ついいかしら」
「彼への最期の言葉?はは、そんなの言わせる訳ないでしょ」
「いいえ。貴方への宣戦布告よ」
は?と呟く声を無視し、仕舞いこんでいた拳銃を取り出し真っ直ぐツァイガーへ向ける。失血により上手く握れなくなったことを悟られないように両手で握りしめた。
「貴方達にそこまで恨まれる理由はまだ分からないけど……でも私。あの子を守りたいの。」
命を奪って誰かを助けることはもう出来ない。だから自分の命を削って、貴方を助ける。
「行く先が天国か地獄か。向こうで答え合わせ、しましょう」
銃声が響き、アーシュラが撃った弾はツァイガーの目を貫く。奇声のような叫びを上げると同時にアーシュラの片脚を握る腕に力を込められ、骨が砕ける感覚が再度アーシュラを襲った。
「ノ、ヴァち゛ゃ……!!」
「〜〜ッッ!」
レイピアを構え直しツァイガーが背を丸めた瞬間に駆け出す。トンッと軽く跳び、力の魔力が武器のみに集中するように意識を巡らせる。そのまま真っ直ぐ突きさせば黄色いコアの中心部分に切っ先が当たる。砕く為に魔力を乗せればピシッとヒビが目視出来た。
未だに奇声を上げ続けていたが、最後に「たすけて」と呟いてピタリと動きを止めた。ゆらりとアーシュラの身体が揺れ、地面へ叩き付けられそうになる。「先輩!!」と叫んで駆け寄るノヴァの中に1つの可能性が浮かんだが、先輩がそんな事にならないと即座に否定し足を急がせた。だが先程の攻撃によるダメージから足が縺れ、すぐに進むことが出来ない。
幸いな事にツァイガーの腕部分がクッションの役割をはたし、アーシュラはゆっくりとその場に倒れた。両脚からは止まることない血が水溜まりのようになっていた。人として決して曲がらない方向へ曲がり、彼女は浅い息を何度も繰り返している。
「せんぱ………」
医療面に詳しくない討伐調査班であっても、これがどれほど最悪な状況であるかは理解出来ていた。同時にノヴァの頭はこれ以上理解することを拒んでいた。困惑する頭の中に「…………ノ…ヴァ、ちゃ……」と呟く声で何とか現実に意識が戻される。
「……ごめ、んなさい…………奥に進む提案、して…」
「そんなことないっすよ……!先輩が判断してくれなかったら、こんな場所があることだって分からなかったじゃないすか…!」
片腕でアーシュラの半身を起こす。足元へ目を向けなければ血の類は一切付着していなかったものの、顔色の悪さと滝のように流れる汗が状況を表していた。ぬるりと背を汚す液体の正体からは目を逸らす。自分の隊服を汚すこの赤い体液は先程のツァイガーによって浴びたものであって、先輩の血液では無い。大丈夫、先輩ならこれくらいすぐに治せるのだから。
緩く頭を振り、何か言おうとアーシュラは何度か口を動かしていた。ようやく声として届いたのは「部屋を、探して」という呟きだった。
「…………へや?」
「……今から話すこと、聞いて…………覚えて。…………伝えてね」
ふっ、と短く息を吐き。これまでの記憶を遡る。確信に変わったあの日──3年前の11月17日。あれが全てのきっかけだったのかもしれない。
「……私達が持って…使っている魔力はね。この塔が存在するからこそ、成り立っているらしいの……」
「……………………え……?」
「詳しい仕組みは分からない……けど……ね。……何らかの理由があって、この塔では魔力が作られていて…………その魔力を作る影響で、ツァイガーは出来る……」
どのような影響の与え方をするのか。そもそも魔力がどのように作られているかも分からない。だから自分はこの資料を見た研究室を探し続けているとアーシュラはぽつぽつと言葉を零した。
「…………そんな、……じゃあ…先輩が言ったように、この塔で魔力が生まれているなら……魔力を使って攻撃してくるツァイガーと…俺らが使うのは同じ、なんすか……?」
「あくまでも仮説よ………人はどうしても生きるために食事をする。……どんな生物であっても、今は魔力が宿る時代だわ………魔力摂取を避けて通ることなんてほぼ不可能だもの」
「…………」
「……だからね、私も1つの仮説を立てたの。…………ツァイガーのコアを食べたら、同じ魔力だから……強化されるんじゃないか、って…………皆に止められちゃったけど……」
「………………コア」
言葉を繰り返した時、ふと先程までの身体の痛みが消えているような気がした。「え」と困惑の声を上げれば「……これで、ノヴァちゃんは戻れるから」と青ざめたアーシュラがホッとしたように息を吐いていたのだ。
「いや、まって。待ってください先輩。俺じゃなくて自分の怪我を……今ならまだ大丈夫、ですよね。先輩なら治せますよね」
「…………」
「……ねぇ、先輩。そうっすよね。…………ねぇ」
祈りにも似た縋るような声に対し、アーシュラは1度だけ瞬きを返す。それだけだったのに、先程からチラチラと顔を覗かせている嫌な予感が確信めいたものに変わりそうだった。違う、先輩はこんな肯定をしない。いつものように否定しないで、認めてくれとひたすらに願う。
「…………先輩。死なないっすよね」
今すぐこの質問を否定して欲しかった。そんなことは無い、自分は死なない。いつものようにハッキリそう返してくれることを願っていた。
だがアーシュラの視界は既にぼやけ始め、先程までアドレナリンで耐えていた激痛も襲いかかっていた。痛みに伴い流れ始めた涙を拭うこと無く「……ナイフ、貸してちょうだい。ポケットナイフ」とだけ呟いた。
「……何に使うんすか」
支給された折りたたみのナイフの使用目的は1つしかない。飾り気の無いナイフを言われるがままに取り出したが、ノヴァはそれを握りしめたまま離そうとしなかった。
そんな彼の様子を見、アーシュラも出せる限りの力の魔力を集中させてそのナイフを無理やり奪う。元々ハンマーを使用して戦える程の力の魔力を持つアーシュラに対抗することは難しく、困惑している間に彼女は自身のリボンタグを切った。
「……いや、いやいや……先輩。待ってください。……なんでそんな、諦めたみたい……な………」
瞼が僅かに痙攣する。認めない、認めたくない。自分より強い先輩が後輩である自分を守って死ぬなんてことはありえない。認めない。1番に尊敬し、信頼している彼女が、そんなこと。
だがアーシュラはノヴァの胸元へ強くそのリボンタグを押し付けた。バディであるノヴァに切らせたくないという彼女なりの配慮だったのかは分からない。それを受け取ることが出来ずにいれば彼女は弱々しく離し、ノヴァの方へ手を伸ばした。
「…………ノヴァちゃん。……貴方にしか、頼めないの。」
「だから………………お願い、ね」
バディとして、誰よりも信頼していた。共に過した時間は僅かでしかなかったが確かにノヴァへ信頼を寄せていたのだ。そんなアーシュラの愛ゆえの願いだった。
伸ばした手はどこにも触れること無く、地面へ叩きつけるように下ろされた。ピタりと動くことを止めた彼女に対して「………………先輩?」と呟いて軽く揺すっても反応が返ってくることは無い。
「……先輩、ねぇ………やだな、…冗談はやめてくださいよ。」
「いつもみたいに、出来るって言ってください。先輩、ねぇ」
きっと、そうだっただけ。
強い理由なんて無い。それでも意味付けしなければいけないというなら、そうであるということ。
ただ、それだけでしか無いのだから。
「は、はは………」
……それだけでしか無いのなら、今すぐこの願いを受け入れてくれないだろうか。
「ねぇ、先輩。」
「死んでないって、言って」
“先輩”だったから。先輩というだけでしか無かったから?だから後輩であり新人である自分を守った?
……自分が弱いから、先輩は死んだのか。
ぐるぐると脳内に渦巻く感情が頭痛を引き起こす。目の前の現実を受け入れたく無いと抵抗しているようだった。
そうして訪れた静寂の中、改めて渡されたリボンタグをじっと見つめる。
(…………報告……)
耳元へ手を伸ばし、一瞬躊躇うように止まる。だが1度タップしてノヴァは連絡すべき相手の名前を探していた。
幼い時、自分はもっと冷めた人間だったような気がする。
一人娘であるアーシュラを両親は大切に育てていたが、2人とも事故にあい帰らぬ人達となってしまった。両親と交流のあった商家の養子にはなったものの、何でもそつなくこなしてしまうアーシュラは義兄にとっては目障りな存在でしか無かったのだろう。子どもの独占欲を煽るには充分過ぎるほどの才能だったのだ。
もちろん義理の両親は養子よりも実子を優先する。当たり前だ、なぜなら自分がこれまで育ててきた我が子なのだから。義兄のフォローをするように扱い方に小さく差をつける義両親に対し、仕方ないと同時に疎外感を感じるようになってしまった。
ああ、この家では出来ることが良くないのか。
自分はこの家の中で誰からも求められていなかった。
空いたままの心の穴を埋めるように北区を彷徨く癖がついてしまった。ある日放浪者同士の喧嘩を止めた際、人から感謝をされたことがあった。疎外感を感じていたアーシュラにとって「ありがとう」と言ってくれる人はもう居なかった。“出来ること”を否定されるのでは無く、認められることがこんなにも嬉しいというのは自らの自信に繋がった。
7、8歳の時。幼い正義感故にトラブルに巻き込まれかけた所をヘルハウンドから救われた。そこから彼を兄のように慕い、尊敬していた。憧れが長かったこともあり、自らの恋心に気づいたのはヘルハウンドがグローセに所属し、物理的にも距離が出来始めた時だった。
貴方が居たから、今の自分があると思えている。自分が救われた分貴方には幸せであって貰いたいと願い、力になりたいと願っている。
幼少期から無意識に抱き続けた恋心故に、『どこが好きなの?』と問われれば言葉が詰まり、考えることを止めてしまう。優しさに漬け込み甘えている自覚はあるが、誰よりもこの人の近くに居たいと思えた。1番安心出来る貴方の傍で、貴方の幸せを誰よりも先に祝えたらそれで良い。今の私に貴方を幸せに出来るほどの自信が無いからこそ、幸せの手伝いくらいは許して欲しかった。
どこまでもこの想いは秘めたままで。不変であり続ければ、いつまでも傍に居ても良いと思えた。
もう二度と大切な人が遠い場所に行って欲しくない。……アーシュラが願うのはそれだけだった。
(…………ああ……)
どうか、自分の知り得たあの情報が誰かの為になりますように。
強い眠気に襲われるようにして、視界を占めるオレンジは暗転し始めた。
───────2階 資料室前の廊下にて。
ナイトとラビによるサポートでツァイガーはある程度のダメージを受け、満足に動ける状態では無くなっていた。それでも飛びかかるツァイガーに対しロドニーはドリルランチャーを大きく振って壁へ飛ばし、ウィルペアトも慣れた動作でツァイガーのコアを同時に2つ破壊していた。
「ッこれでさい、ご……ッ!!」
最後の1体をロドニーが討伐し、武器の稼働音だけが響き渡っていた。ふっ、と息を吐き出した後に「大丈夫だったか?」とウィルペアトが問えば「は、はい!」とロドニーがすぐに返答した。
「すみません……リーダー達も調査中だったのに…」
「気にしないでくれ。2階に上がってからは余計気も抜けない……今みたいにすぐ呼んでくれれば問題ないから」
な?と優しく問いかけるウィルペアトへ眉を下げてもう一度謝罪を述べようとすれば、「…悪い、待ってくれ。連絡だ」と返される。
「───こちらウィルペアト。……あぁ、シェロか。どうした?」
そうして自分たちに背を向けたリーダーをロドニーはぼんやりと見つめる。同時に先程まで資料室内で読み込んでいた内容をブツブツと反芻していた。
(やっぱり1階に比べて資料が多いのかな……ナイトに後で聞く…でも毎回変わるなら絶対“そう”じゃないのか……んん…)
「?」とこちらを覗き込むナイトと目が合い、「な、何でもないよ!」と想定よりも大きな声が上がる。ハッとウィルペアトの方を確認するが、彼はまだシェロと連絡を取っているらしく、「そのままアルフィオと来れるなら2階へ」と指示を出していた。
「そう?…ならいいけど……もう1回調べても良いのかなって思ってて。ロディさん、まだ読みかけだったでしょ?」
はい、と先程まで自分が読んでいた冊子を手渡される。「ありがとう」と告げて再度パラパラとそれを捲っていれば、気になる題字がロドニーに目に飛び込んできた。
『塔で行われている儀式(仮)の可能性について』
ドクン、と心臓が大きく鳴る。フツフツと沸くように身体が熱くなるのはあの日見た光景と重なる部分があるからで。
(……やっと…!)
震える手でページを捲ろうとした瞬間、「何かあったか?」と真後ろから覗き込むようにしてラビが手元を見る。
「わぁっ!!!?!?」
「うぉっ……はは、予想以上に驚かせちまったな」
「も、もう……ビックリするからね……!」
バクバクと未だに鳴り続ける理由は驚いただけでは無い。…自分の中の良心が、『本当に良いのか』と訴えている。あの日好奇心から足を踏み入れたのは自分だ。それを理由に調査を続けている。
「ウ……リ、リーダーは?少し聞こえたけど……シェロさん達とも合流出来る?のかな…」
「ん?あぁ……らしいな。ほら、ちょうど連絡が終わったみたいだぜ?」
ん、と指す方へ視線を向ける。未だに話し込んでいるようではあったが、内容は2階に到着してからの話に変わっていた。
「じゃあヘルハウンド達には……っと、悪い。連絡だ。1度切る」
そう言って連絡を切断し、新たに入った連絡をウィルペアトは受け取っていた。
「こちらウィルペアト。……ノヴァか。良かった、連絡が途絶えていたから…………あぁ……」
ラビ達の方へ向き直りながら数回相槌を打っていたが、ピタりとウィルペアトの動きが止まる。
「───────は?」
そう言って明らかに困惑を見せるウィルペアトを幼馴染であるロドニーもバディであるラビも見たことは無かった。マイク部分を抑え、耳元に届く情報にのみ集中する。
「…………いや、…分かった。すぐにそちらへ向かうように連絡する。ノヴァは出来るだけ最初に入った方へそのまま進んでくれ」
そう返して連絡を切り、また別の連絡先を探し出した彼に向けて「……どうしたんだ?」とだけ問いかければ、「…………アーシュラが、」とぽつりと呟いた。
「────アーシュラが、行方不明になった」
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