第4話 邂逅。そして、
『先程、2階へ続くと思われる階段を見つけた。ロドニー達と上へ向かうが…トラップじゃないと判断したら向かえる人たちはこちらに来てもらいたい』
『またノヴァ達が地下探索に入った。以前シェロ達が探索した時と酷似している。念の為近くに誰か1組は待機出来るようにして欲しい』
先程ウィルペアトより全体共有された内容をシェロは脳内で数回反芻する。向こう側から細かく報告を受けてはいたが、ここまで各々が進展を見せることは今までの調査では一度も無かった。
過去にはツァイガー討伐のみだった年も存在する。何か1個の仮説を持って帰れば上層部も渋々調査結果に頷くことが今までだったが、今回はSクラスになり掛けているツァイガーとの接触だけではなく2階へ続くと思われる階段の発見もあった。
(出来ればノヴァ達の方に応援に行くか、カイム達の方に向かいたい…けど)
背を預けた先で短く息を吐きだす音が聞こえる。組織内において比較的戦いの場面に慣れているアルフィオであっても、敵の数が多ければそれは関係無くなる。逆手で握るダガーナイフは赤黒く染まり、彼の真白な手袋にもそれは侵食しようとしていた。
Zクラスのツァイガーが約10体。何体かは討伐した為、一度は半分以下にはなったものの群れの意識が存在していたのだろう。直後に10体追加されたツァイガー達にシェロとアルフィオの2人は囲まれていた。
(こちらの動向を見ている……動く時は一斉攻撃、か…)
「アルフィオ、戻る形にはなるけど向こう…直進の曲がり角に空き部屋があった……そこまで行ける?」
「…分かった。問題ないよ」
花を模したツァイガーのカサカサと動く音に再度意識を向ける。人間と全く変わらない片手と根のように細い何かを足のように器用に使い、肉厚な花びらをはくはくと呼吸するように開閉させている。完全に包みきれない大きめな赤いコアがこちらを向き、僅かに射し込む光をつるりとした表面に反射させていた。
ハンマーを起こし、引き金を引く。向けたリボルバーから放たれた弾はツァイガーの手を撃ち抜き、その場で蠢くだけの存在に落とす。
シェロの使用するリボルバーの弾薬の残数は残り2発。シリンダーを確認する余裕すら与えないこの状況から抜け出すことを一度優先すべきだと判断した。
飛び掛る個体へナイフが深く刺さる。彼の戦闘方法であれば至近距離での戦闘がメインとなるため、多数を同時に討伐することは出来ない。ならばこれ以上囲まれる前に一度この場から抜け出し、サポート側の体制も整えた方が良い。
パラパラと散らばるコアの欠片には視線を向けず、先程シェロが指示を出した方向を確認する。あと2体ほど討伐すれば道は開く。ならばこれ以上群れを形成する前に早急に討伐した方が良い。
花弁が開き、コアがこちらを覗く。“目が合った”と感じるのは眼球のようにも見えるその形状のせいだろう。そのまま迫る赤にナイフを突き立てれば1回分の銃声音が響く。チラりと視線を向ければこちらを見るシェロと視線が交じり合う。小さく縦に振られた首の動きから彼が何を言いたいのか理解し、視線を戻す。あと1体。前方に居るツァイガーを討伐した瞬間が……走り出す合図となる。
(───────……っ!)
構え直したと同時。死角から距離を詰めていたツァイガーがアルフィオの手元を目掛けて飛び掛る。逆手状態から持ち直すよりも早く発砲する音が響き渡った。…最後の1発。ということは今、誰よりも危険な状態なのは。
攻撃を受けたツァイガーはそのまま塔の壁へ叩きつけられる。やはり治療サポート班の通常武器による攻撃では特別な条件下で無い限り時間稼ぎ程度にしかならず、無くした2本の指を再生させようと躍起になっていた。
敵討ちとでも言うような勢いで前方に居たツァイガーもアルフィオへと飛び掛ろうと攻撃の手を伸ばす。それを躱して間合いを詰めればこちら側の優位へ持ち込める。そのまま先程より力むように握ったナイフを突き立てれば、不快な音を響かせて手元にコアの欠片が溜まった。
「ッ今…!」
「!分かった…!」
出来た経路がまた消えるよりも早くアルフィオとシェロは駆け出す。未だに再生を行っているのだろうツァイガーはこちらへ優先順位を変えることは無く、その場に留まっていた。残る複数体はワンテンポ遅く動く個体もいれば、こちらを追うことを諦めどこかへ消え去る個体もいた。
(群れの意識が消えた……そもそも共食いの可能性も薄い。ならさっき言ってた部屋まで進めば少しの時間稼ぎには繋がる…)
こちら側の現時点での状況と全体の戦況を脳内で組み合わせる。何がこの場において最適解か、何を最優先すべきかなんて1秒も考えずに答えが出る迷いごと捨て去る。今はただ“そう”動くことが何よりも良いと分かっていた。
角を曲がり、先程シェロが指した空き部屋へ身を滑り込ませる。僅かに差し込む光と扉の外の景色を2人でそっと覗き込めば2体のツァイガーがその場を通り過ぎ、暫くすれば呼吸を整える為に長く息をする2人の音のみがその場に小さく響いた。
「………」
どちらからともなく視線を合わせ、小さく頷く。は、と短く息を吐き出して改めて室内を見渡せば、本棚のような何かが奥に見えた。
(………)
シェロの眉間に僅かに皺が寄る。この室内で他に目ぼしいものも無く、わざとらしく置かれたこの本棚に多少の違和感を感じてしまった。
とっくに慣れてしまった手つきでシリンダーを確認し、弾を込める。調合済みの弾薬の方は未だ使うタイミングでは無いことに少しの安堵はあるものの、どれか1つでもタイミングが異なっていればバディ共々窮地へと追い込まれていただろう。
「─────…」
守られることが絶対では無い。近年治療サポート班が比較的殉職率が低いのは、討伐調査班が庇ったことも理由の1つとして考えられている。ここに来て初めて出会う相手であっても、どれだけ仲が悪いとしてもバディである以上多少の情は芽生える。その一瞬の感情と正義感が、安堵と少しの後悔と…深い心の傷を作ることは理解出来ている。
チャプ…と小さく液体の揺れる音が響く。先程の群れに会う前にアルフィオが討伐したツァイガーから採取した体液が揺れていた。
『───────…分かるだろう、シェロ。お前なら』
『何故自ら平和を潰す?何も間違いでは無い。私たちが行うことは“正しい”んだ』
『全ては、………の為だ』
「─────……シェロ?」
「、…ごめん、少し考え事」
記憶に残る声はこちらを覗き込むように見つめるアルフィオの声で上書きされる。今更思い返した所で何も変わらないというのに、耳に残る低い声だけは自分に一生絡みつくのだろうか。
……だが、それを一生背負うと決めたのはあの日の自分だ。拒否せずに全て背負うことを決めた……愚かな自分の無駄な贖罪。
「向こうの本棚。何か資料が残って無いかだけ調べさせて欲しい」
「それは構わないけど…」
「ありがとう」
アルフィオから何かを聞かれるよりも先にシェロは目の前の本棚を指さす。言及されることから逃げたつもりは無い。ただ、未だに彼に話す勇気が無いだけなのだ。
自らが指した先へと向かい、改めて本棚をまじまじと見る。体液の付いたナイフを軽く拭い、アルフィオもそちらへ向かって同様に本棚を見つめる。棚自体は特に異常な点は無いものの、数冊の古びた本のみがあった。近くにあった1冊を手に取り、パラパラと捲る。紙の色褪せ具合やこの時代にしては珍しく手書きで記されているということは100年以上は前のものだろうか?少し癖の強い文字ではあるが解読出来ないほどでは無い。内容は上級クラスのツァイガーについて考察を纏めたものであり、『上級クラスであればあるほど長く存在するというが、そもそも彼らはどう作られているのだろう』『最下層クラスであれば大して見た目が変わらない。新たに増え続けているのではなく、実は最下層クラスの方が長く生き続けているのでは無いだろうか』等の記載が残されていた。
「その部分。誰かの考察、かな」
「恐らくは。…でも、最下層クラス=長く生き延びているとは…何度か仮説にも上がってはいるけど、立証出来ないままだ」
先程群れとなり攻撃を仕掛けてきたツァイガー達を思い返す。Zクラスは再生速度が遅いため、1度攻撃を受けただけで討伐出来る時もある。しかしBクラス以上であれば再生速度は大幅に上がるため、長く存在しやすくなると考えやすかったのだ。
「そうだね…確かに僕達もそれで習ってきたし、それ以外の説は聞かないかな」
「…ここに書かれていることも一理あるとは思うけどね」
手にした1冊を元の位置へと戻した時、きぃ…と僅かに本棚の軋む音がシェロの耳へと届いた。普段の生活の中なら気にならないような些細な音ですら警戒する癖がついたのはいつからだろうか。
軽く見直しても本棚の様子は変わらない。気のせいか…と棚板部分に少し力を乗せれば、何故かそれはそのまま後ろへと動く。
「………え 」
トン、と軽く押すように再度力を込めれば、ギィギィと耳に残る高い音を立ててそれはゆっくりと半回転する。
「………隠し部屋…?」
「……たぶ、ん…」
本棚がそこに繋がる扉の役割を果たしていたのだろう。アルフィオもシェロ同様部屋の奥へと目を凝らすがそこには闇が広がるばかりで、微かに音が聞こえていた。
「─────…」
シェロは1度イヤホンへ手を伸ばし、ピタりと止まる。先に共有すべきか、それともある程度の安全が確認されてから報告すべきか。先程の全体報告から時間はあまり経過していない。
(…全く分からないまま報告しても、現状だと混乱を重ねるだけかもしれない……なら少し調べてからの方が…)
先程共有を受けた情報の全てを振り返る。動けるペアの方が少なく、特に1番危険な状態であるカイムとアマンダの元へ行くことが優先される。だが目の前の可能性を逃せばこの塔は二度とそれを見せてくれない仕組みは嫌というほど理解していた。
「…………アルフィオ、ここを見てからカイム達の方に向かおう」
イヤホンへ伸ばしていた手を下ろし、そのまま本棚へ再度手を掛ける。少し押すだけでも簡単に回る扉の先へ、微かな光が射し込む。
『───それ、何かに嵌るかもしれないわね。近くの調査を続けましょうか』
「───────っ!待って…!」
パシ、とアルフィオがシェロの手首を掴む。その手を止めたことに明確な理由は無い。突然過ぎったあの日の彼女の言葉が漠然とした不安と悪寒を生み出した。その理由も何も分からないが、脳内に鳴り響く警笛がこの先へ進むことを拒み続ける。
「…」
アルフィオ、と名前を呼ぶよりも早く。扉の先に僅かに見えた光景に視線は固定されてしまう。目を見開くシェロにつられアルフィオもそちら側を見れば、先程微かに聞こえた音の正体がそこにはあった。
「………ツァイガー……いや、人間……?」
ポツリと言葉を落とすシェロの声がその場に響く。目の前には壁に寄りかかるようにして項垂れる“何か”がおり、Sクラスツァイガーとは異なる目の前の存在は身体を鉄柱のようなものが数本貫いている。更にその上から幾重にも巻かれた鎖が目の前の化け物の異常性を表していた。
身体特徴からして成人男性だろうか?衣服の類を一切身にまとっていなかったが下半身は無く、赤黒い血肉から覗く白い何かは骨では無く赤子の手のような形をしていた。俯いている為顔を確認することは叶わなかったが、金色の髪の隙間から覗く球体特有の光の反射は確認出来た。
(……動く様子は無い。ならこの音は呼吸…?ツァイガーが寝るなんて報告、今まで…)
ふと床を確認すれば金属が反射する光が見える。数歩中に足を踏み入れる必要がある位置に落ちてはいるものの、視認出来ない程では無い。未だ掴まれたままの手首に1度視線を戻し、再度金属の正体を確認すればそれは錆だらけのポケットナイフだった。正確なサイズ感までは把握出来ないものの、自分達が使用しているポケットナイフと大差は無いだろう。だが、何故それがこの隠し部屋に残されている?
再度シェロの手首を抑える掌に無意識に力が込められる。未だに部屋奥の化け物へ視線が固定された彼をどう動かすべきか…と視線を一瞬逸らせば、本棚の側面にも赤黒い血文字が残されていることに気づく。
『ま力を増やす実験の成功?ある程度受け入れるキャパが必要』
『無理やりま力を増やすことは出来る。延命のためか?人体の提供と加工』
『うで→ぎ手 足→ぎ足 目→』
『たすけて』
所々正確に書き記されていないのは書いた者が余程急いでいたということだろう。だが、それよりも目を引くものがそこには書かれていた。
『シェロ お前だけは絶対に』
何故、ここに彼の名前が残されているのだろう。他とは異なる恨みを込めるように書き殴られたこの文字と、彼に何の繋がりが?
どちらかが口を開くよりも早く。耳に届いたのはジャラリ…と鎖が動く金属音だった。
「─────さん、ロディさん?」
「……えっ、あっ、ご、ごめんナイト…!少しここに見入ってて…」
「わはは、いいよ。そうかなーって思ってたから」
わは、といつものように眉を下げる彼を見ていれば安堵の気持ちが自然と沸き上がる。ウィルペアト達から呼ばれる少し前。ロドニー達ペアは彼らと別れてから空き部屋のような空間の調査を2人で行っていた。パサ、と古い紙をナイトが捲る音だけが響き、ロドニーは「ここは関係無いのかな……でも血痕が………いや、これがそもそもいつのものか…」とブツブツ早口で呟きながら壁に残された赤黒い染みを考察していた。
彼が1つのことに集中すると周りの声が届きにくくなることをナイトは理解していた。バディを組み始めた頃、幼馴染だという彼の元へ行き幾つか話を聞いていたのだ。その際に『真面目すぎるが故にどうしても周りが見えなくなる瞬間がある』という話もあった。
だから彼の考察の邪魔にならない程度に、周囲にも意識を向けることが出来るように適宜声を掛けるように意識していた。
(密室でツァイガーに会った方がこっちの形勢は圧倒的に不利、だからなぁ……)
破れて解読不可能となった本をそっと閉じる。ウィルペアト達と別れてから最下層クラスのツァイガーを2体討伐し、それ以降は空き部屋の調査を行っていた。
(これで最後の1冊だったけど……全部解読不可。ロディさんの方もある程度の結果は出た…のかな)
しゃがんだままのロドニーへ視線だけを送れば「……よし」という声と共に結んだ髪の毛の束が僅かに揺れる。「ごめんね」と軽く謝罪を述べるバディへ「僕も色々調べることが出来たから大丈夫」と告ればへにゃりと少し眉を下げた笑みで返される。
「…まさか本が全滅だとは思わなかったな…少しでも記述が残っていればって思ったけど、全く無かったんだもんね…」
「うん。さっきの1冊もほとんど……というか、恐らく文字が書かれていた場所は全部破けてたね…」
「そっか……とりあえず、ここから移動した方がいいよね!?前と違うのは分かってたけどどうしても細かく気になっちゃって…!!」
「大丈夫だよ。…まぁ僕も毎回変わるのには未だに慣れないし、“やっぱりあの時もっと調べてれば!”って後悔してからだと遅いもんね…」
先程まで居た空き部屋を出て、改めて塔内を見渡す。今回は随分空き部屋や曲がり角が多い構造らしく、かなり入り組んでいると調査に慣れていないロドニーであっても理解出来た。
改めて自身の武器を持ち直し、忙しなく周囲を確認する。先程のように染みがあれば分かりやすいが、ただの白塗りの壁から違和感を察知するほどロドニーには経験が無い。自ら努力して得た知識がどれだけあっても、現場での経験とは比にならない。
「……そう、だね。僕もその後悔だけはしたくない」
握る手に無意識に力が籠る。Bクラスを討伐した時に得た経験をどれだけ活かすことが出来るのか。自分の才能に自惚れている訳では無いからこそ、その伸び代をどう埋めていくか考えることに意味がある。ゆっくり息を吐き出し、「よし」と小さく自身を鼓舞し再度正面を向く。……カサカサと、何かが地を這う音が同時に耳に届いた。
「ッ!」
音の方へ2人同時に武器を構えれば、曲がり角から鋭く尖った何かが数本覗く。そのまま姿を見せたのはアシナガグモのような細身のツァイガーで、細い足を繋ぐように真ん中には桃色のコアが付いていた。
(サイズや足…爪?の尖り方からしてもCクラス……!)
レバー部分を握る手に力が籠る。ナイトも自身の武器であるピストルを握りしめたと同時、カツカツと勢いよく足音を響かせてツァイガーはこちらへと距離を詰めて来る。ナイトの撃った1発が右足を掠めたものの、僅かに躓いただけでスピードは一切落ちなかった。
「っダメだロディさん!避けて!」
「わっッ!!」
ガンッと床に突き刺さるよりも早くその場から避ける。何とか受け身を取ることは出来たが、白い隊服に土埃の汚れはよく目立っていた。1度ロドニーの方へ視線を向け、即座にツァイガーはナイトの方へと向かう。この個体に判断する知能があるのかは不明だが、本能的に大型の武器を所有する者を相手にするより勝算があると見込まれたのか。
「ッぐ、……!」
(撃ったとして当たる距離にロディさんも含まれる……!)
引き金を引く手に躊躇いが生まれる。その一瞬の隙をツァイガーは見逃さなかった。勢いよく手にしていたピストルのみを叩き落とし、左足をナイトに向かって振りおろそうとしていた。
「ッ!!」
反射的に瞼を閉じかけた、その瞬間。
「ッの……!!」
高く金属が何かに衝撃を与える音が間近で聞こえる。そちらへ視線を送れば腰を低く落としつつもドリルランチャーの先端でで左足の攻撃を阻止しているロドニーの姿があった。
(今このツァイガーの攻撃、力が集中されるのはこの左足…!それ以外の部分が油断していて、攻撃を逸らす、なら……っ!!)
思い出せ、あの時の模擬訓練で自ら得た知識を。誰よりも間近で見て、躱し方を学んだのは他の誰でもなく………自分自身であるということを。
「っ!」
ぐ、と腕の部分に力の魔力が集中するように意識を巡らせる。彼のように弾き飛ばすことは出来なくとも、せめてナイトが立て直すまでの時間稼ぎを。
勢いよく後方へツァイガーの攻撃を逸らせば、それは大きくバランスを崩し、そのまま無理やりロドニーへの攻撃に移ろうと足を伸ばす。
「────させないよ」
発砲音と同時に銃弾が命中した足はカツンと音を立ててその場に落下する。
「ロディさん!」
「わかっ、た……!!」
レバーを勢いよく手前に引けば、稼働音と共にドリル部分が回転を始める。短く息を吐き出しコアめがけてそれを当てれば、激しい音を立ててコアは粉々に削られていった。くたりと足が力を失ったと同時、はー……とロドニーも長く息を吐いた。
「よかっ、たぁ………」
あの日、間近で見ていなければ今の行動を即座に行うことは難しかっただろう。体験や知識をこうして活かすことが出来た時、じわじわと心に広がる嬉しさに伴い思わず頬が緩んでしまうことだけは注意しなければならないと新たな反省点をロドニーは見つける。
むにむにと両頬を触っていれば再度名前を呼ぶナイトの声が聞こえる。そちらへと視線を戻せばいつもの優しい笑みを浮かべ、こちらに拳をそっと突き出していた。
「!うん、ありがとう。ナイト」
「こちらこそ。ありがとう、ロディさん」
とん、と拳同士が軽くぶつかり合う。別れ際や何かを成功させた際に行うようになったグータッチの癖はいつしか身に染み付いていた。改めてお互いを確認した時に、土埃だらけになってしまった隊服を見て思わず苦笑いする。ぱっぱとそれを軽く払っていれば「僕、採取の方してくるね」とナイトから声を掛けられる。同意を示すよりも早くに手際よく採取の準備が行われる。……だが、採取の時。彼はほとんど顔を顰めていることが多い。
曖昧に返事を返しつつ、その背をぼんやり見つめる。
彼とはバディとしても、友人としても良い関係を築けているとは自覚している。だからこそ、彼にだけは決してあの事を話せなかった。
(……嫌われちゃう、よな…………だって、あんなこと…)
嫌われることを恐れている時点で、自分は臆病なのだろう。唯一この事実を話したことがあるシェロが内心どう考えていたかまでは完全に把握しきれてはいない。全体に伝えるには不確かな情報ではあるが、彼には話しても良いと憧れと信頼から判断していた。
(…………弱いのかな、僕)
吐き出そうとした息を大きく吸い込み、言えない事実ごと呑み込んで隠す。その時が来た時、自分は彼に何と伝えるべきなのか……未だに判断は出来ないが。
ぐるぐると解の無い思考を続けていれば「もしもし、こちらナイト」と誰かと通話を繋げているような声が聞こえた。
「あれ、ラビさん…………うん、うん……いや、そんなに…………分かった、すぐ行くよ」
「……?どうしたの」
「えっと……ラビさんとウィルさん。僕達に来て欲しいんだって。なんか……壊す?物があるとか……ぶ、物騒なこと言ってたけど……」
まさか、ね…と呟くナイトからぎこちなく視線を逸らす。リーダーである彼が無意味にそういったことをするとは考えてはいないが、改めてこちらに頼まれると少しの躊躇いが生じるのは仕方の無い事だろう。
「と、とりあえず向かおうか。そんなに距離、離れて無いみたいだよ」
「そうなんだ……わかった、向かおう」
採取を完了した道具を丁寧に仕舞い、ナイトはロドニーを見つめる。一瞬討伐したばかりのツァイガーへ目を向け、ロドニー達はその場を後にした。
「─────…とりあえず、俺たちも動こうか。ソラエル」
「っ、」
こくこくと勢いよく首を縦に振るソラエルを視界に入れつつ、ヘルハウンドは先程報告のあったカイム達の方へと足を急がせた。急ぐ足音が2人分小さく響いていたが、ソラエルは先程聞いた親友の状況を何度も脳内で反芻していた。
(2人が、いま、戦っていて、……?でもそれ、すごい強くて)
ぐちゃぐちゃに絡まる思考の糸を解こうと何とか落ち着きを取り戻そうとした時、すとんと1つの可能性が落ちてきた。
(カイムが、死んじゃう………?)
大きく心臓の跳ねる音が頭の先まで響いた気がした。ピタりと足が止まればサッと身体中の温度が引いていき、暑くもないのにダラダラと汗ばかりが皮膚を滑る。
(やだ、やだやだやだ……!!そんなの、ぜったい)
無意味な駄々こねばかりが思考を埋める。小さく震える手を口元に寄せるが、吐いた自身の息すら冷たく感じてしまった。
……あぁ、だから自分は無能なのだとつくづく感じさせられる。やっと出来た友人1人すら守れず、こうして駄々をこねることしか出来ない。わたしはこんな自分が嫌だったのに。だからあの日、わたしはわたしを捨てたのに。こんな弱い自分を捨てて、救ってくれたあの白い隊服の人と同じ場所に来て。彼は、皆は、ぼくを見てくれたのに。
心の柔い部分を深く針で刺されたように痛みと窒息感が体内を巡る。要らない、いらない。だってもう、ぼくはソラエルになったのだから。前のように戻ったところで、誰もわたしを認めてなんてくれない。
「……ソラエル」
「ぅ……あ、へ、ヘル………ごめんなさ、ぼく、…」
その場から動けなくなったソラエルを心配したのか、ヘルハウンドは少し屈んで顔を覗き込んでいた。何とか言葉を続けようにも1度出てきた嫌な予想が全ての邪魔をする。「あの」「えっと」を繰り返しながらもキョロキョロと忙しなく視線を泳がせる彼女に対し、「聞いて」と落ち着いた声で告れば、恐る恐るこちらへ視線が向けられる。
「…これから先も不安や心配になる場面は多い。厳しい言葉にはなるけど、その度に足を止めれば救えるはずだった人たちも救えなくなる。」
「どれだけ怖くても、足を進めなきゃいけない。…でも、無理にこの状況に慣れる必要は無いんだ。動けなくなった時、手を引けるように俺たちバディが居る。迷って動けなくなった時、誰かを頼ることは悪いことじゃないよ」
「……でも…」
「少なくとも俺は、ソラエルから頼られることを“悪いこと”とは思わないよ」
きゅ、と口を結んでソラエルは小さく頷く。嫌な思考を全て振り落とすようにふるふると頭を振って「…あ、ありがとうございます、ヘル」と素直に感謝を伝える。
「まだ、その……色々嫌なことばかり考えちゃうけど、ぼく、もう大丈夫です!」
「ん、分かった。…いざという時はお節介、勝手にやくからそれも許してね」
む、と小さく声を零しつつこくこくと首を縦に振る。にこ、とそれに対して僅かに笑みを浮かべたままヘルハウンドはそれを見つめていた。
「それは……構いませんが…カイム達が居るのはどっちですか?」
「ここを真っ直ぐ行く形になるかな。向こうも撤退はしてるだろうから同じ場所に居続ける訳じゃない。…少し、急ごう」
「ッわかりました…!」
未だに震えの残る自身の両手をぎゅっと握りしめ、ソラエルもヘルハウンドから教えて貰った方角へと足を進める。
死が常に隣合わせということは理解していたはずなのに、どこか隅に追いやり過ぎていたようだ。バクバクと鳴る心臓の音を聞こえないようにパタパタと音を立てて足を急がせる。
(カイム、アマンダさん……!)
親友と姉のように優しく接してくれた2人の名前を心の中で何度も呼びかけながら、ソラエル達も足を急がせた。
「ッカイムちゃん!報告は完了したワ。1度離れましょう」
「了解だ。ックソ、何なんだコイツ……!」
ただ攻撃を受け流すばかりのツァイガーに苛立ちを覚えつつ、カイムはアマンダの方へと足を進める。先程のツァイガーはこちらに攻撃する意思が無いのか、口の端からトロトロと何かを零しながら距離だけを詰めて来る。
(通り抜けようにも出来そうに無い……というよりコイツ…ボク達を入ってきた入口の方に追い返そうと…?)
その意図が分からず、再度舌打ちがその場に響く。先程のような発語は無くなったが、ズルズルと足を引き摺るようにして移動するようになった。
「近い人がこっちに来てくれるけど…ッ挟み込まれることだけは避けたいワネ」
「あぁ。今の状況でそれはこちらが圧倒的不利だ。せめてもう少し広い空間まで…」
2人と1体分の足音が塔内に響き渡る。足元に差し込む光の量が先程よりも増えた。…ということは予想通りの場所まで追い込まれ始めているということだろう。横目でそちらを見れば先程も見た白い柱が映る。ここからそう遠く無い場所に最初の入口があるはずだ。
(1度外に出るべきか…いや、入口を塞がれてしまえばここから出る人を待たれる可能性がある。なら奥まで進むべき…行き止まりだった場合、ボクの武器で何分応援までの時間を稼げる?)
浮かんだ案に含まれる可能性の1つ1つを素早く脳内で整理し、最善策を模索する。もしこれが入口側へ追い込んでいるのでは無く、別のツァイガーとの挟み撃ちを計画されているとしたら…を考え眉間に寄せられた皺が更に深くなる。
「真っ向勝負にしようにもこちらに不利すぎるワ……癪だけど、あのツァイガーの思い通りに動いて、私たちで時間を稼ッ…」
そう話しながらアマンダが後方を振り返った瞬間だった。
重い何か…そう。例えるなら石像を動かしているような低い音は僅かに聞こえていたのだ。その正体を確認しようと振り返った瞬間、“それ”は姿を現した。
ゆうに2m近くはある白い石像がぬ…っと角から姿を現した。ツァイガーとカイム達の間に割り込むようにして現れた存在にツァイガーも動きを止めたようだ。
『……誰?この子達を帰したいだけよ』
「………」
こちらから石像の顔を伺うことは出来ないが、困惑するようなツァイガーの発語は聞こえた。カイムも足を止め、そちらへと目をやる。
何かをぽつぽつと訴えるような声だけが聞こえていたが、パキ…と小さく音が響いた。
……同時。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!?!?」
先程まで追いかけていたツァイガーから奇声のような甲高い音が発せられる。反射的にカイム達は耳を塞ぐが、それよりも早くにボトりと落ちるツァイガーの腕がそこにはあった。
「……なっ…」
「………共…食い……」
ぽつりと呟くアマンダの声を掻き消すようにブチブチと何かをちぎるような音とともに咀嚼するような音が周囲に響く。影になっているため、状況の全てを視認することは叶わなかったが時々糸をちぎるように容易く奪われ落ちていくツァイガーの腕や身体の1部が見えていた。
『いや!痛い痛い痛い!!!やめて!!!』
『また死にたくない!!!なんで、貴方だって同じなのに、いやッ、嫌!!!』
『たすけ』
何度再生しても、それと同時に奪われていく。ボタボタとその場に赤い水溜まりを形成すれば、じわりじわりと白い床を染め上げていく。拒むような奇声が耳に届いていないのか、石像は未だに咀嚼を続けていた。
ゴリ、ゴリ……と噛み砕く音が嫌でも耳に入る。先程のツァイガーは最期の瞬間まで悲鳴のような鳴き声を上げ続けていたが、ゴキッと一際大きな音が響くと同時にその抵抗を続けていた四肢を力無く下げた。絵の具で子どもが雑に描いた作品のように口元には赤黒い体液を付け、目の前のツァイガーはそれをゆっくりと紅を引くように手の甲で拭う。こぽ、と小さく泡立って端から零れたそれに視線は誘導される。顎を伝い、鎖骨へ落ち、石像特有のつるりと丸みを帯びた胸へと流れて赤い染みを生み出す。人ならざるものに人間が定めた美学を当て嵌めて良いのかは分からない。
だが、その姿は確かに美しかったのだ。
花嫁のように白いベールを被り、目元を覆う黒いレースからは濁ったマゼンタのような赤紫色が光を反射する。無理やり嵌め込んでいるようにも見えるそれはこちらを虚ろに映し出しているかにも思えた。もう片側は覆われて全てを確認することは出来ないが、閉じられた瞼からは真っ直ぐに3本の傷跡が付けられていた。
ゴクリ、とわざとらしく嚥下すればそれはゆっくりとカイムとアマンダの方へ視線を向けた。艶めかしく動くそれは沸騰させるように自身の背から細い腕のようなものを作り上げる。
「ッ!ドライッ」
「っ!!」
カイムの声よりも先に、ツァイガーの腕がアマンダを素早く絡め取る。反射的に防御の判断を下したことで僅かに身動きは取れるものの、細い腕はギチギチとアマンダを締め上げていく。恐らくはこれも石像のような性質に近いのだろう。1つ息を吐くだけでも、それを絡め取るかのように締め上げる力は増す。先程の衝撃で深く被ったフードはズレているものの、両手すら満足に使えないこの状況ではそんな些細なことを直す猶予すら存在していなかった。
「ッ゛、ぁッ……!!」
僅かに軋む骨の音とともに喘ぎにも似た呻きが口から零れる。至近距離にも関わらず、先程のようにツァイガーが口を開くことは無かった。
(……、せめて、アノ子だけ、でも………っ!)
近くで呼ばれているはずなのに、カイムの声が遠く聞こえる。視界を占めるのは白と赤紫のコアだけ。全く違う存在であることは理解しているのに、こちらを見つめる赤紫色のようなコアに既視感を覚えてしまう。共に訓練する回数が多かったからこそ、何度もその色と目が合った。1度見たら決して忘れないその赤紫に痛みで顔を歪める誰かの顔が反射する。
「……っ、カイ、む、ちゃ……!逃げ」
「アナタを置いて逃げるなんて出来る訳無いだろ……っ!クソッ」
予想通りバディはこの場から逃げるつもりは無い。ならせめて応援が来るまでの間、彼女では無く自分へ意識を向けさせるべきだ。
(カイムちゃんがこのクラスを相手出来るかは不明…というより、ほぼ不可能ネ……確実にSか、共食いをしたことによるSSクラスへの成長…)
力の魔力面で優位に立てる隊員が最低でも2、3人は必要だろうか。だが耳元で得た情報からそれが難しいことも理解している。
「……お嬢、さん。素敵な白……ッ…なの、に……血で汚れるワヨ………?離してくれない、かしら……」
「…………」
「アラ………私とはお話、してくれないのネ」
手元は十分なほど隙間が無い。討伐とまではいかなくとも、カイムがこの腕を切り落とすことが出来れば逃げるまでの時間稼ぎくらいにはなるだろう。
(治の魔力を全力で使ってはいるケド……せめて、切れる前に…!)
再度腕を動かそうとすれば、目の前のツァイガーが赤に塗れた口をゆっくりと開く。唇を結ぶ赤い血の糸がぷつりと切れた瞬間、どこかで聞いた事のある声が落ちた。
「 ア カ シ ア ? 」
「───────……」
…“また、何も得ることが出来ない”。だが、誰も死なないことも有り得る。
最早何も得ることが出来ないことが当たり前だとどこかで錯覚していたのかもしれない。いつものように何も成し得ることが出来ないまま、帰還するのだと。
誰もが才に溢れている訳では無い。明星になれなくても、それでも良かった。
何も無くて良い。不変であることを望んでいた。……何かが変わることをどこかで恐れていたのかもしれない。
だからこそ、どうかこの日々が繰り返されることだけを祈っていた。
…………そうでなければ、私は。
息を吸うよりも、次の行動を考えるよりも早く零れ落ちたのはたった一言だけだった。
「どうして、知ってるノ」
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