第3話 いつものように
二手に別れて塔周辺の調査を始めて少し経過した頃、ウィルペアト側に進展が見られた。
「…ここか」
数体の下層クラスのツァイガーを討伐しつつ、塔に沿って歩いていれば何とか今回の入り口を見つけることが出来た。
塔の特徴は幾つか存在するが扉の無いぽっかりと空いた穴のような入り口も特徴だろう。時計塔として存在していた時はメンテナンス用の扉が1つだけ存在し、一般では内部に入ることは出来なかった。だが200年前の厄災以降唯一の扉は姿を消し、代わりに穴のような入り口が現れるようになった。そこから内部を確認するまでに5年の月日は費やしたが、まさか100年以上そこから進展することが無いとは当時の誰も想像していなかっただろう。
ポケットに入れたままの腕時計を確認すれば現在時刻は10時46分。討伐に割いた時間を除けば前回の調査より早い段階で今回の扉は存在した。
「アーシュラ、ここからの調査。お願いしてもいいか?」
「ええ!構わないわよ。ウィルちゃんとロディちゃん達は他の入り口、探すんでしょう?」
「ああ。恐らくまだ半分程度しか確認出来てないからな…もう少し進んで何も無かったら俺達もここから入るよ」
「分かったわ。それじゃあ行きましょうか、ノヴァちゃん。念の為鞘からレイピアは抜いておいてね」
「!了解っす!」
アーシュラからの忠告を聞き、グリップ部分を握る手に力が入る。途中拠点から塔への移動最中、今までどのような調査を行っていたかは先輩達から聞いていた。過去の調査では入ってすぐにツァイガー達に囲まれる…所謂『モンスターハウス』状態だった時もあるらしく、A・Bクラスツァイガーを含む数体から背後以外を囲まれた際は即時撤退するように、というのがウィルペアトから全体に言い渡された指示であった。その指示に従いつつ、ノヴァが即時行動出来るように…と思ってのアーシュラからの忠告に素直に従う。
「よろしくな。ノヴァ、アーシュラ」
「はい!」
「すぐにシェロちゃん達と合流出来たら連絡するわね」
軽く手を挙げ、その場を去る4人へ手を振って返す。ある程度見えなくなったところでアーシュラも自身のナイフを取り出した。
普段彼女がメインで使用しているのは拳銃の方だ。少し不思議そうにそちらに視線だけを向ければ「ゼロ距離射撃よりすぐに動ける方がいいわ」と返される。
「弾切れをすぐに起こしたら次、動けないでしょう?その一瞬の隙を作る訳にはいかないもの」
かつては討伐調査班でハンマーを振り回していた彼女だが、現在は治療サポート班でその才能を活かしている。異動しても尚その優れた才能を活かしていることが、彼女が周囲から厚い信頼を寄せられる理由だろう。
そんな彼女からの返しに同意を込めて小さく頷く。言葉として返さなかったのは警戒するように入り口の中を覗く彼女に倣った行動だ。グリップを握る力を込め直し、初の調査へとノヴァは1歩足を踏み入れた。
真っ白な床を踏みしめる音が小さく響く。警戒して歩を進めつつ、ノヴァは視界を占める白い空間を改めて見つめていた。200年以上前から存在しているにも関わらず、劣化が見られる箇所はほとんど無い。200年変化し続けているこの場所に不変であり続ける場所は存在するのか…?と疑問が浮かぶ。
「緊張してる?」
こちらを覗き込むように問いかけたアーシュラと目が合う。何か言葉を紡ぐより先にニコリと微笑まれればその意図が分からずキョトンとしてしまった。
「私も初めての塔の調査の時は緊張していたわ。」
「でも…ふふ。今より少しだけやんちゃだったから。ライバルだって居たのよ」
「先輩の、ライバル…」
「ええ。…討伐数を競ったり、…ふふ、大食い勝負だってしたのよ?」
どこか懐かしむようにクスクスと笑いながら当時の勝負内容をアーシュラは話し始めた。見回りや塔の調査での討伐数だけでなく、大食い勝負や短距離走勝負。他から見れば子どものようだと鼻で笑われてしまいそうな些細なことですら互いに全力で挑んだと目を細めながらアーシュラは語った。
「3人で勝負したら引き分けにならないかしらって思ってね、3人で大食い勝負したこともあったのよ」
「そうだったんすね……ちなみにそれ、誰が優勝したんすか?」
「ん?…んんっ……『これから客に出す物が無くなっちまうよ!』って止められて3人引き分けよ」
その時の店主の真似だろうか。軽く咳払いをし、少し低めな声かつ大袈裟な手振りで話すアーシュラへ「さすが先輩。そんな食べたんすね!」と連れるように笑いながらノヴァも反応を示した。
「えぇ。まだまだ食べることは出来てもお店に迷惑をかけるわけにはいかないもの」
「でも俺、先輩のその勝負した店はちょっと気になるっすよ」
「あら。なら…」
『終わったら行きましょう』、なんて気軽に誘うことは出来ない。隣に立つ彼を死なせたくない、バディとして最後まで守り抜くという強い意志はある。…だが、この場で未来の約束をすることに一瞬の躊躇いが生まれるのは未だ死が隣り合わせの事実に慣れていない証だ。
「ランチも美味しいのよ!そのお店。ノヴァちゃんもきっと気にいると思うわ」
隙を悟らせないように。違和感を生み出さないように。変わらずにそう微笑めば「あとで店名教えてくださいね」と素直に返されたことに心の中で安堵する。
「ええ、いいわよ。…少しは緊張、ほぐれた?」
「え、そんな風に見えました?俺」
「ちょっと私が過保護になっちゃっただけよ。…無理にこの状況に慣れようとしてないかなって…ノヴァちゃんにとって初めての調査だもの」
少し前を歩きつつ、再度ノヴァの方へ視線を向ける。「そもそも、ね」と小さく呟くが、きっと彼はその一言すらも漏らさずに聞いてくれることは理解していた。
「…慣れようとして、慣れるものじゃないもの」
理由なんて一つもない。元々あったその場所から仲間が1人、また1人と消えていく。
その度にまた誰かが己の無力を嘆くのだから。
人の死に慣れる理由なんて無い。…慣れるということは、それ程までに心を壊してしまっている証拠でもあるのだから。
パチ、と1度瞬きをしたノヴァへ「過保護にはなっちゃったけど、」とそのまま言葉を続ける。
「ノヴァちゃんのことは信頼しているわ。安心して前線を任せれるから、私も動くことが出来るの」
「先輩…」
加入直後はその素直さに思わず心配になったのは事実だ。しかしバディとして共に活動する内に心配はどこか遠くへ吹き飛んでしまった。眩しすぎる信頼と眼差しに安堵と少しの緊張はあるものの、結果としてそれがアーシュラのパフォーマンス向上に繋がっている。そしてアーシュラが『出来る』と答えてくれるからこそ、ノヴァも前だけを向いて戦うことが出来るのだ。
会話を続けようと1歩踏み出した時。ガコン、と明らかに何かを踏んでしまったような音が耳に届く。直後、地に着いていたノヴァの足がガクッと下がる。
「え」
「!ノヴァちゃん!」
アーシュラの声が届いたのが先か。足元に突如として現れた穴へ半身を呑み込まれたのが先か。
反射的に視界に入った床だったもの…穴の縁部分を強く掴む。ぶらんと宙吊り状態になったまま穴の中で軽く足を動かせば、何に当たることも無い。恐らく暗い空間のようなものがあるのだろう。
アーシュラの方を確認すれば彼女も同様に縁部分を片手で掴み宙吊り状態になっている。だが、いつ手にしたのだろう。白く歪な破片のような…小石程度の何かを別の手で握りしめていた。恐らく床が変形した際に生まれた物だろう。その欠片を下に落とせばポチャ、と水面に落ちる音がすぐに響いた。
「ノヴァちゃん、大丈夫?」
「俺は大丈夫っす!……すみません、俺…」
「大丈夫なら良かった。…びっくりするわよね。この塔、たまにこうやって特殊な空間が出ることがあるの。だからノヴァちゃんのせいじゃないわ」
(落としてから音が返ってくるまでそんなに時間がかからない……いや、段々目が慣れてくるからそこまで高くは無いわね…この空間……)
一瞬思考し、その場を調査すべきだという判断へ天秤が傾く。この高さであれば応援を呼んでも対応可能だろう。
「ノヴァちゃん。私の方でウィルちゃんへ連絡するわ。だから一旦この空間を調べてみない?」
「了解っす…!下、これ…水?なんすかね。さっきの音…」
「恐らくね……前にシェロちゃん達が水のある地下空間を見た事はあるっ……て」
縁を掴んでいた手をパッと離し、アーシュラは下へ着地する。やはり下は少しだけ水が溜まっているようだ。
ふわりと重力に沿って降りてきた髪の1束を払うように退ければ、ピチャンと音を立ててノヴァも下へ降りてきた音が響く。
「ここはまだ上からの光で見えるけど……水の流れが一定方向に向かっているわね。多分水を吸い込んでいる場所か、緩やかな下り坂のようなものが向こうにあると思うわ」
「さすがっす、先輩…!すぐにそこまで分かるなんて!」
「ふふ……あぁ、少し待ってね。繋がりにくくなったら困るから先にウィルちゃんへ連絡するわ」
ノヴァがそれに了解の意を示せば、アーシュラはウィルペアトへ連絡を行っているようだった。それが終わるのを待つ間、ノヴァは暗闇が広がる方へと視線を向ける。
風の音すらしない。もちろん何かが居るような気配すら無い。…だが、確かにゾワゾワとした寒気だけがそこにあった。
「────…お待たせ、ノヴァちゃん。ウィルちゃんに繋がらなかったからラビちゃんの方へ連絡したんだけど…」
「え、先輩どうしたんすかね……戦闘中?とかっすか?」
「ええ。…特徴的にCかBクラスかもって話してたわ」
そう答えながらアーシュラも改めてナイフを持ち直す。メインウェポンである拳銃に切り替えることも頭を過ぎったが、暗闇の中でむやみやたらに発砲する形となることだけは避けたい。
感嘆の息を漏らすノヴァへ「進みましょ」と告げ、足を暗闇へ進める。
(ここであれが見つかれば、とは思うけど……難しいかしら…)
あの日見たものはここにも存在するのだろうか。だがあまりにも状況が異なりすぎているため望み薄といったところか。
ピチャピチャと水の音が響く中、「そういえば」とノヴァが小さく話しかける。
「話が全然変わるんすけど…俺たちがこうして調査に出ている間って国はどうなってるんすか?あんまそういう…代わり?的な隊員は見なかったなって思って」
「あぁ…基本的にはそういうのは無いわ。ジェイムスちゃん達が〜って話も昔はあったらしいけど…国の偉い人から止められたんですって」
「そうだったんすか……いや、そういえば塔の調査行ってる期間の噂とから聞いた事あってもその間どうしてる〜ってまでは聞いた事無かったんで…」
「秘密、なんですって。私も詳しい仕組みまでは教えて貰えなかったけど…中央区に施設があるの、聞いたことあるかしら?国家に関する…」
「ああ!それはあるっす。でっかいやつですよね」
そう、とアーシュラは同意するように声を零す。アーシュラ自身も中央区に居住するようになってからその施設を目にしたが、グローセ本部よりも厳重な外壁の高さや監視の目の多さは少し考える部分もあった。
「基本的にはそこでグローセの皆が調査に行っている時はどうにかしているんですって。普段は他にもやることがあるから、見回りとか調査は私たちに丸投げ」
国家組織とは言うものの、この国が開示している情報はあまりにも少なすぎるのだ。リーダーである彼らならばもう少し知っている情報もあるらしいが、こちらから所謂“国のお偉いさん”に接触出来るタイミングはほぼ皆無である。
「そう、すか……」
「特に防衛に関する所の1番偉い人はパーティーにも出ないのよ。……なんて名前だったかしら………1回だけ名前は聞いた事あったんだけど…相手も酔っていたから……」
記憶の片隅を懸命に突っついてはみるものの、どうしてもその部分だけが思い出せない。その名前を聞いて『あれ?』となったはずなのにベロベロに酔っ払ってしまった相手をどう躱すかで手一杯になってしまったのだ。
ピタりと足を止め、うーん…と頭を軽く傾けるアーシュラと同じようにノヴァも足を止め、軽く頭を傾ける。確実に記憶の中にあるはずなのに未だ1文字も思い出せないことに何とも言えないもどかしさを覚える。ぴちゃぴちゃと響く水の音が絶妙に思考の邪魔をするのだ。
(───────……)
ハッと顔をあげる。ノヴァもアーシュラ同様、足を進めていない。にも関わらずぴちゃぴちゃという音だけがこの空間に小さく響いている。……考えられる音の原因は少ない。
ノヴァもその音に気づいたのだろう。手にしていたレイピアをいつでも振るえるように構え直した。
摺り足に近い状態で音の方へと近づいていく。緩やかな下り坂を少しづつ進み始める頃には何かを砕くような音も僅かに混ざり始めていた。
(共食い中……?ならクラスが上がる前に倒すべきだけど……)
地下空間に居るツァイガーだと仮定した時、これを上の階に出す訳にはいかない。クラスの判断を下してからにはなるものの、上で調査を続ける彼らの負担を増やすべきでは無い。
再度連絡を、と耳元に手を伸ばすと同時に何かがこちらをぬっ…と覗き込んでくる。目が合った、と錯覚しそうになるものの実際は心臓に当たるコアだ。視認しづらいが恐らく青色のコア。ゆらり…と身体を揺らすようにその姿をツァイガーは見せた。
(私より低い……Cクラスかしら。どちらにせよ共食い最中だとしたらまだここに別のツァイガーがいる可能性はある……!)
「ノヴァちゃん!」
「っ!はい!」
背を預けるようにそれぞれの武器を構える。未だ慣れない目ではその全貌を捉えることは出来ないが、全方位に警戒をして問題は無いだろう。
(………まだ、ここで終われないもの)
ぴちゃり、と水の音が響くよりも早く。目の前の化け物はこちらへと迫ってきた。
「─────……?」
「あら。どうしたノ?」
「いや……気の所為だ。すまない、足を止めて」
一瞬後方を振り返ったカイムだったが、すぐに視線を前方のアマンダへ戻す。「別にいいわヨ」と返す彼女と並んで周囲へ目を向け、時刻を確認すれば11時18分…シェロ達と別れてから10分ほど経過した頃だ。
「向こうではツァイガーを数体討伐したらしいが…こちらは1体も存在しなかったな」
「そうネ……周囲だったらZクラスの子が少し居て後は内部〜っていうのは見た事あったけれど…1体も居ないのは初めてカモ」
内部に入る前にシェロから忠告された内容を思い返す。
『───少しでも異常事態を感じたら報告すること。あとは定期的に位置の把握はしたいから、ツァイガーと戦闘になった時はアマンダかヘルハウンド。出来ればこの2人が俺に連絡してね』
ここに来る前の会議の内容を思い返す。彼ら2人に限った事ではなく、これが塔全体にも何らかの影響を与えているのであれば一瞬でも気を抜くことは出来ない。
ふぅ、と1度息を吐くと同時に着信を知らせる音が耳元で響く。「ちょっと待ってネ」とカイムに告げ、1度イヤホンをタップすれば『もしもし』と告げるシェロの声が届いた。
「はい、こちらアマンダ・ドライバー」
『アマンダ、今問題無い?』
「ええ、大丈夫ヨ。こっちも報告の連絡を〜って思っていたところだったワ。……何かあったノ?」
そう告れば一瞬の沈黙の後、『…Zクラスも含めた上で、ツァイガーを内部で見かけた?』と問いが続けられる。
「いえ…音すらしないノ。リーダーの方は?」
『同じく。あの後ヘルハウンド達とも違う所から入ったけど…全く。いつもならZクラスくらいは出てくるはずなんだけど…』
「隊長さん達の方は?そっちも同じ…?」
『ウィルの方では周囲にも居たらしい。こんなに偏ってることもそうそう無いけど…アマンダ達も注意して調査に当たって欲しい』
「了解ヨ。リーダー達も気をつけてね」
『ありがとう。アマンダ達も気をつけて』
プツと通話が切れたことを確認し、先程から何かを確認するように膝を着いて見つめるカイムへ「何かあった?」と屈みながら問かければ「確認して欲しい」と指をさされる。
「……穴、にしては随分不自然ネ」
「あぁ。自然に生まれたとは考えにくいな」
指した方を確認すれば、確かに正方形状の穴が存在していた。穴を覗き込もうにも位置が低すぎるため、長身のアマンダもカイムも覗くことは叶わなかった。
「何かしらネ……向こう側に何かある、とか?何かを嵌め込むようにも見えるケド……」
「どちらの可能性もある。後者であるならば周囲を探すのも手だろうな」
「なら少し探してみまショ!」
ネ?とカイムの方へ視線を向ければ「ああ」と短く返される。別に2人は不仲な訳では無い。お互いの身体情報について共有し合っており、その変化から体調や精神状態を把握出来るほどには信頼関係を築いている。今日のカイムは体調こそ問題ないものの、何かを探すような行動が多かった。
(でも今それを聞いても……)
ふむ、と考えつつ周囲を改めて確認する。ツァイガーが誤飲するよりも先に手がかりとなるものが見つかるのであれば問題ないが、流石に腹を割いて探すとなると話は別だ。
「…………ン?」
足を動かした瞬間。カツン、と何かを蹴り飛ばした音が響く。壁か何らかの欠片だろうか?その“何か”が飛んで行った方へ正体を確認に行けば、更に首を傾げるものがそこにはあった。
「どうした」
「……ねぇ、もしかして……コレ。かしら」
摘むようにアマンダが持ち上げたのは綺麗に正方形状に整えられた白い欠片だった。それ程厚みも無く、軽いコレが何かは分からない。ただの直感でしか無いが欠けた部分に嵌める気がしたのだ。
じっとその欠片を見つめ、「分からない。だが試す価値はあるだろう」というカイムの返しに同意する。そのまま先程の場所に戻り、ゆっくりと押し込めば『カチリ』と何かスイッチのようなものを押す音が小さく鳴った。その音が耳に届くよりも早く警戒態勢を取る。
真っ白だったはずの壁に線が浮かぶ。それを視線で追いかけ、1つの大きな長方形となった時。その壁をゆっくりと前に倒すような細く長い指が見えた。
(扉自体は私より少し高い……2mかしら。ただ腕を伸ばしているのか、それとも…)
ジリ……と1歩下がると同時に壁だったものはアマンダ達の真横へ倒された。そうして空間から姿を現したのは───アマンダと同じ背丈程はある、人型のツァイガー。
「っ、!!」
(Sクラス!?違う、どっち!?背丈で判断するならAクラスの可能性も───)
口のような器官を形成してはドロドロとした何かがそれを埋めていく。ポコポコと泡立つのはそこから呼吸をしているということで。
『……知ったところで、理解出来ない』
「ッ発語あり…!カイムちゃん、撤退最優先ヨ。Sクラスになりかけている」
「理解した。時間は稼ぐ、どこかのタイミングでランディーノ若しくは全体への報告を頼む」
『…お願い、帰って』
「テメーの言うことはさっぱり理解出来ないな。発語というには口の生成が追いついていないのか」
『はやくここから、離れて。今すぐに』
モゴモゴと口を動かしながら目の前の存在は此方へと細く長い指を伸ばしてくる。届くよりも先に武器を振れば、緑の刃はその細い指をぼとりと落とした。だが体液が床に落ちるよりも早く、切り落とされたツァイガーの指は新たなものが生えていく。
未だ口のような物を生成してはこちらに何か語りかけては来るものの、人の話す言語から掛け離れたそれを理解する手立ては存在しない。ツァイガーの発する無意味な音の全てを、人の頭では無意味な雑音としか認識出来なかった。
チッと1度大きく舌打ちをし、退路を一瞬確認する。こいつの速さが分からない。しかし再生速度はこれまで見てきたどのツァイガーよりも早かった。
(……だが、奴じゃない)
薄紫色のコアをキッと睨み付けても無意味なことは理解している。
応援を呼ぶにもシェロ達がどの位置に居るか分からない。とにかく今最優先すべきことは『上級クラスツァイガーの確認を報告すること』なのだ。
「──アナタが連絡を行うまでの時間は、ボクが意地でも確保する」
奴では無かった。だからと言って戦わない理由にはならない。
カイムは改めて武器を構え直した。
「わ゛ーーーーーっっっっっ!!」
ヒュッっと空を切る音をすんでのところで避ける。目の前のツァイガーの長い爪は壁にくい込んでおり、まともにくらえばどうなっていたかの想像は容易い。
「ソラエル、動かないで」
「っ、」
真後ろから聞こえる低い声を信じ、対となる鉄扇を握りしめる。目の前にいるCクラスのツァイガーは先程ソラエルが片腕を切り落としており、未だボタボタと赤黒い液体を垂れ流すだけで自己回復は出来ていないようだ。
ツァイガーが壁からその指を引き抜くよりも先に、手の甲のような部分にヘルハウンドのナイフが深く刺さる。ビクリと大きく身体が跳ねたのを確認したと同時に「今!」と呼ばれる声と共にソラエルは持ち直した鉄扇の先を勢いよくコア部分へ突き刺した。ぐ、と握る両手に力の魔力が集中するようにを込めればバキッと割れる音が響く。緑色のコアに大きくヒビが入り、バラバラと半球が崩壊すると共にダラりとその四肢のようなものは伸びきってしまった。
「やっ、た……?やりました!ヘル!!ぼく、やりましたよ!!」
「うん、凄いね。ソラエル。すぐに判断を下すことが出来たから討伐出来たんだよ」
「ですよね!ぼく、すごいですよね!!」
フフンとしつつもどこか安堵の表情を見せるソラエルの頭をヘルハウンドは緩く撫でる。すぐに空の注射容器を取り出し、血液を採取しようとした時だった。
破壊されたコアの欠片の中、真っ白な正方形状のような物が目に入った。恐らく壁への攻撃の際に生まれたものだろうが、何故かその一欠片だけに異様な程に意識が向いてしまった。
「……」
「?ヘル?どうしましたか」
「ん?…あぁ、いや。少し気になるのがあって」
緑色の欠片の中からそれだけを摘み、まじまじと見つめる。ぴょんぴょんと手元を確認したがるソラエルにも見えるようにするが、「なんですか?これ」と予想通りの返事が来るだけだった。
「分からない。壁の欠片……みたいなものだとは思うけど……」
「それが気になったんですか?」
「……うん……なんでだろう」
右手を口元に当て、ヘルハウンドはこれまでの調査で得た情報を思い返す。白い欠片に関する報告は聞いたことがあったか?類似する状況は?何故この欠片に意識が向いた?
くるりと欠片をひっくり返す。裏面も変わらない真っ白な面だ。…というより、どの面を見ても少しザラついた汚れのない面。
ジッと見つめたままのヘルハウンドに対し、何を思ったのか。ソラエルはぽつりと「それも報告ですか?」と呟いた。
「ぼくには壁みたいに見えますが……ヘルが気になったのなら、持って行って報告するのはありだと思います!」
「……そうだね。とりあえずこれは、持って行くことにするよ。もしかしたら誰か分かる人が居るかもしれないし」
そう言ってヘルハウンドが左腕のポケット部分へ欠片を仕舞込んだ瞬間。
「…………鐘?」
低く、それでいて一定の音が頭上から鳴り響く。ソラエルはわっと驚きの声を上げていたが、ヘルハウンドはそれ以上の言葉を発することが出来ずに居た。
「びっくりしました……この鐘、いつも鳴るものなんですか?」
「………………いや。1度だって、鳴ったことは無いよ」
ヘルハウンドがこの組織に所属して以降も。それより前の調査記録にも塔の鐘が鳴った報告は一度も無かった。それが何故今、鳴り出したのか。
思考を巡らせるよりも速く、全体連絡を知らせる音が耳元で響く。1度タップすればウィルペアトの『聞こえるか』という確認の声が届いた。
『今、鐘の音が鳴っているのはシェロ達の方でも聞こえると連絡を受けた。俺達の方でも原因を探ってみる。』
『あと、カイム・アマンダペアの位置に近いペアはそちらに応援に向かってくれ。上級クラスのツァイガーとの接触報告が挙がっている』
「…アマンダさん達が?」
「っ、カイム……!!」
一方的な連絡の場合、こちらからの音声は届かない。サッと青ざめたソラエルの表情を視界に捉えつつ、アマンダ達の位置報告を思い出そうとしていれば『最後に、』と普段より少し低く切羽詰まったような声が聞こえた。
『…………、先程、───────』
全体への報告を行う6分程前のこと。
ロドニー達と二手に別れてからどのくらい経過したのか。目の前で動くことが出来ずピクピクと痙攣を続けるツァイガーのコアへ刃を真っ直ぐに降ろす。鈍い音と共に橙色の半球は破壊され、白くぶよぶよとした脂肪のような身体だけが残された。
反応が完全に無くなったことを確認してからウィルペアトは自身の武器を軽く振る。パタタ…とツァイガーの赤い体液が真白な床に落とされた。
(140前後……Bか。Aクラス程では無いが一撃が少し重い……何体か食ってるな、この個体)
Aクラスツァイガーは170cm前後。その1つ下として考えられるBクラスツァイガーは140cm前後である為、かなりサイズ差は生じる。攻撃方法も異なるが基本的には大きさでクラス判断を下すことがほとんどだ。だが、共食いを行ったのであれば話は変わる。その基準こそ曖昧ではあるが、Aクラスになりかけているツァイガーであれば一撃の威力が確実に変わる。
先程の戦闘中にツァイガーによって破壊された壁の1部へ視線を向ける。あれをまともに食らっていれば2本程度の骨折で済めば優しい方か…とぼんやり考えていれば「おい」と短く一声掛けられる。
「……悪い。向こう側の確認に行ってくる。血液採取が終わったらまた声をかけてくれ」
「はいはい分かった分かった。そっち側を見たそうにソワソワしていたからなぁ」
ゆっくりと膝を下ろし支給されていた空の注射容器をラビは取り出す。白い肌を見ていればそれは人肌のようにも見え、思わず顔を顰める。
治療サポート班は所属後、シェロからツァイガーの採取方法について指導して貰う機会があった。だがリーダー業務の合間で行われるその指導は数回しか出来ず、後は実践を重ねて上達するしかないのだと以前アマンダが話していた。柔いツァイガーであれば手間は少ないが、中にはかなり硬いツァイガーも存在する。その場合はバディにコアを身体ごと貫通して貰い、そこから吹き出した体液などを吸い取るのが1番確実らしい。
(……………)
ぷつり、と針が沈む。未だぎこちなさの残る動きで行えば空だった容器には赤黒い液体が吸い込まれていた。
こういった行為を行っている時、「ああ、自分は治療サポート班なんだ」と改めて感じさせられる気がした。あの時怪我さえしていなければ、あの時自分の正義感に従って行動なんてしなければ…時間は戻せない。だからこそ後悔と劣等感に押し潰されそうになる。いや、いっそこのまま…という思考が浮かぶ時。決まって幼馴染の彼の顔がチラついた。
自分たち以降から所属している者は彼が『過去の調査で最上級クラスのツァイガーを呼び起こした』ことしか知らない。これも本人や班員から聞いた訳ではなく、ここに所属してから自然と耳に入る内容であり、それ以上を知らない。ヘルハウンドやウィルペアト、シェロのように昔から所属している者や彼の同期であるナイトも当時の状況を進んで語ることは無い。そもそも誰かの失敗談を嬉々として話すような人物が居ないのだから。
あの日話した記憶が脳内にじわりと広がる。あぁそうだ。自分の頭を占める者は隣に立つバディだけでは無い。
「──…そんなこと、この組織に入った時点で考えられたことだろ?今までだって救えずに死んで行った人間が何人いると思ってんだ。」
「きみのせいじゃない、なんて薄っぺらい言葉は言わないし実際どうなのかも知ったことじゃないがきみのために死んだ人間に対していう言葉が“それ”は違うんじゃないか?」
あの日。いつものようにヘラヘラとした貼り付けた笑顔ではなく、感情が表出した。口角の上がらない口で、むしろいつものように真顔でその言葉を吐いた。
そしてようやくその瞳がこちらを見た時、その場を満たしていたのは冷えた空気だけだった。息苦しさから逃げようと息を吸う度、重く冷たい空気が肺を満たした。
「そうだね。──も、いなくなった人だ。」
「救われない命を、“君よりは知っている”」
抜け落ちたそれを埋めるように。そのまま仮の話を続けた彼は1つ息を吐き出した。
「………、ウィルペアトさんが君のミスで死んでしまった時、僕は君に“ラビくんのせいじゃない”って言うのが正しいんだね」
そう告げた彼の口元は笑っていた。あぁ、今。よりにもよって君がそれを言うのか。
その言葉に込められた意図から目を逸らしても、逸らし続けることが出来るほど子どもじゃない精神が邪魔をする。幼馴染の瞳と、あの日こちらを見つめてきたウィルペアトの瞳に似たものを感じた。だからこそ、あの瞳にゾッとするような悪寒を覚えているのに。
『─────君に、お願いしたいことがあるんだ』
心を壊してしまえたのなら、いっそどれだけ楽でいれたのか。壊せるほど狂っていないからこそ、恐怖心なんてものが一生付き纏ってくるというのに。
はーー……と長く息を吐けば「ラビ?」とこちらの気も知らずに呼びかける声が聞こえる。ふと手元を確認すれば容器に赤黒い液体はたっぷりと満たされており、慌ててそれを引き抜いた。ダラダラと止まらない赤から目を逸らし、何とか処理を行う。きゅ、と容器に付着した液体を拭ってから「なんだ」と返せば先程破壊された壁を指さされる。
「軽く中を見てきた。恐らく更に内部に進めるだろうから向かうが…採取は終わったか?」
「…ああ。ちゃーんと、採取出来たぜ?なんだ、そんな細かく心配するなんて」
「保護者、とでも言いたいか?…そんな訳ないだろ」
「……人の話を遮るなんて、行儀の悪い坊っちゃんだなぁ」
1度だけ屍に目を戻し、すぐに立ち上がる。一瞬身体は傾いたものの、言及を避けるために即座に足を進める。壁だったものを跨ぎ、ひょこっとそちらを覗けば確かに別の通路が存在していた。
「…前回も思ったが、本当に不思議な構造だよな。そろそろ誰かと鉢合わせてもおかしくないだろ」
「ずっとこうだよ。…近くにロドニー達は居る。あとはヘルハウンド達かな。さっきシェロから連絡が入った」
「近いも何も無いと思うがなぁ…」
「通ってきた道の状況と似た報告があった。恐らく後方に居ると思う」
似た、とは言っても誘い込むように口を開いた場所が幾つも存在する訳では無い。柱の有無や倒したツァイガーの死体などを道標のように利用することが多いのだ。
ふーん…と声を零していれば後方に居たウィルペアトも破壊された壁の方の通路へと足を踏み入れる。同じく足を踏み入れ、後ろを着いて歩くが今日の彼は歩調を合わせる気は無いらしい。急ぐように早歩きになっているため、徐々にその距離は開く。
「…おい、もっとゆっくり歩けないのか?」
「あぁ、すまない。考え事してて」
少し離れた距離になってから声を掛ければ、言葉と共に振り返って足を止められる。何を考えているのかなんて大体の予想が着く。
「俺といるってのに他のこと考えてたのか?…ふーん?」
余計な事を考えるな、と釘を刺す意味も込めればわざとらしくニコリと目を細めた笑みで返される。
「ラビのことばかり考えていれば良かったか?君が1番嫌だろ?それは」
「げーーーー…実際にきみの口からそんなことを言われると震えるな…。相変わらず随分とお優しいことで」
大袈裟に寒い寒いと両腕を擦れば「はは」と適当に濁すような笑い方をされる。全ての意図を察した上でラビが最も嫌う笑みで返してくるのだから、この男も多少なり性格は捻じ曲がっていると理解していた。
「素直な反応どうも。君に対してはこのくらいで接したらやっと素直な反応が見えることは分かったからな」
ふい、と視線を逸らしゆっくりとウィルペアトは歩き出す。先程よりも開かなくなった距離に居心地の悪さを感じつつ、同じように歩を進めた。
どのくらい経過しただろう。果てしなく続く白壁を見ていれば時間の感覚が麻痺してしまう。
「─────……」
「ッだっ……!!おい!ゆっくりとは言ったけど急に止まる奴がどこにいるんだ!」
突然止まったことでぶつかった鼻先を擦りつつ目の前の存在へ文句を口にするが、ウィルペアトはそちらではなくジッと壁を見つめていた。
「お、おい……何か一言、謝罪くらい言ったらどうなんだ…?」
「…………う……な」
「は?」
「……ここだけ違うな」
視線を向けている壁を確認するも、他と変わった点は見られない。はぁ……と何とも言えない声を零せば「…1回壊してみるか」と突拍子も無い発言に「はぁ!?」と声を荒げてしまった。
「おいおい、きみなぁ……!!来る前にタイマーを破壊するだけじゃ気が済まなかったのか?いくら破壊神と言えども限度ってモンがあるだろ!」
「ラビの方こそ何を言っているんだ……別に俺が壊すなんて一言も言ってないよ。ロドニー達が近いはずだから、彼のドリルランチャーに頼った方が確実とは考えているが」
「はぁ……ならちゃんとそう言えよ。きみはいつも言葉が足りないんだよなぁ…!」
「はいはい、悪かったな。…壁の厚みを把握出来てないのに、無闇に蹴り続ける方が怖いだろ」
「………………気が狂ったと思うな、俺じゃなくても。……はぁ。ナイトの方に連絡すればいいんだろ?」
「ああ、頼む」
何度目かの息を吐き、ラビは連絡先の中からナイトの名前を探す。それを横目に捉えつつ、ウィルペアトは再度向き直っていた。
(………1部だけ、ズレてるんだよな……壁の線…)
これまできっちり揃えられていた中の小さな違和感。壊したからと言って何かが得れる自信は無いが、ウィルペアトの中には小さな焦りが積もっていた。
(…………)
無意識に眉間に寄せたシワが深くなる。焦ってばかりでは何も進展しないことを理解しているはずなのに、感情がそれに追いついていなかった。
ラビが連絡をとって数分後。ナイト達はすぐにウィルペアト達と合流していた。
「えっと……ここ?を壊せばいいんです…よね?」
「ああ。悪いな、無茶言ってしまって」
「大丈夫です!……でも、本当に壊して大丈夫かなって…ちょっと…」
そこまでゴニョゴニョと濁していたが、意を決したのかブンブンと雑念を払うようにロドニーは頭を横に振った。そして再度自身の武器を構え直しつつ、「少しだけ離れていてくださいね…!」と3人へ呼びかける。
「せー…………っ、のっ……!」
ゴーグルを下げ、誰に聞かせるわけでも無い小さな独り言は思ったより響く。それに気づかないまま力の魔力を込めつつ武器を振り下ろせば、盛大な音を立てて壁は破壊された。
「こ、これで良かったの……、って…」
「…………これ、は……」
壁が破壊された先。そこにあったのは長年探し続けてもその影すら見えなかった……2階へ続くと思われる、階段だった。
「か、階段って…………!今までの調査でも見つけられなかったもの、だよね……!?」
「あ、あぁ……そうだが…」
混乱のままにロドニーから肩を揺さぶられていれば、真上から低く鳴り響くような音が響く。
後方で待機していたナイトとラビも咄嗟に自身の武器に手を伸ばすも、それが鐘の音だと気づくまでに時間は必要なかった。
「ナイト、今の時刻。分かるか」
「えっ、あ、うん…!…でも、こんな中途半端なタイミングで……?」
「……時計塔として機能していた時、鐘は鳴っていたらしいが……それは正時に鳴っていた。単純にズレているだけかもしれないが…そもそも鐘が鳴った報告は一度も聞いたことが」
その瞬間、ウィルペアトの耳元で着信を知らせる音が鳴り響く。……その相手はシェロだった。
「……はい、こちらウィルペアト」
『─────ウィル、Sクラスに近いツァイガーが…確認された』
「………っ」
静かに告げられるシェロの声を掻き消すように鐘は鳴り響く。
全ての終わりを告げる、最後の鐘が。
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