第1章 繰り返されるだけ

第1話 どうか、この日々が

昔から行きつけだった店の皿が変わった。模様が色褪せ、見慣れていた大皿はただ真っ白でシンプルな皿に変わっていた。

好きだった商品のパッケージが変わった。味が変わった訳ではないのに、いつもと少し違う味がしたような気がした。

長い付き合いの友人に恋人が出来た。少しだけ感じた他人の気配が何となく居心地悪くなり、遊びに誘う回数が減ってしまった。


別に嫌では無かった。変わって欲しいと望んでいなかっただけで、変わることで何か不都合が生まれる訳ではない。ただ何となくぽっかりとした寂しさだけが心に居座り続けた。

大袈裟な表現でしかないが、自分がその場に取り残された。変わる時代の流れの中に自分だけが置いていかれたのだと錯覚していた。



誰かがまた殉職した。救える数には限りがあると理解していたのに、高望みをしたからだ。分かっていたのにどうして出来るなんて思ったのだろう。

必要な犠牲があった。それはきっと、他から見たら非人道的なことかもしれない。でも誰かがやらないといけなかった。それが偶然“そう”であっただけ、きっと誰も間違ってなんかいない。そもそもこの世界に正解なんて存在していないのだから。


自分たちはあまりにも無知だった。隣に立ち、背を預けた相手の全てを知らない。相手が過ごしてきた人生の数刻しか知らないのに、この身は動いた。

人の感情と時代はよく似ている。生きている間で一瞬しか知ることは叶わなくとも、どこまでもその一瞬に動かされる。たった一瞬の感情、されどそれは時代の一刻。繰り返してこの世界は紡がれていく。


「………なんて、」


いつの日から望んだ話。欠伸が出るほどつまらない夢物語。

くだらない慰めは止めよう。綺麗事をこれ以上並べて正当化なんてしなくていい。今さら言い訳なんて誰が聞く?これは、自分が思い描いた希望ある絶望の話。数多の絶望の中にあった縋りたい希望の糸。



​あぁ、どうか。助けてなんて我儘を二度と祈らないから。

せめて、“そう”思うことだけは赦されていたかったのに。





「​─────それじゃあ、次の項目に移るね」

時計の短針が1に進んだ昼下がり。グローセ本部2階にある第1会議室に治療サポート班のメンバーは集合していた。12時45分からの会議予定は班員の1人が遅刻した事で10分押して始まったが、当の本人は悪いなぁ!といつものように軽く謝罪の言葉を述べ、 結局その本心まで読み取ることは叶わなかった。

それぞれに支給されているタブレット端末を叩く音が響き、その手元には前回の塔調査の際に得られた情報が表示される。基本は目撃されたツァイガーの共有が主になるこの会議は治療サポート班リーダーであるシェロを中心に進められることが多く、塔への調査に赴く前には必ず最終確認として行われていた。


ハラりと落ちる髪の毛を掬い取り、そのまま耳に掛ける。それでもはらはらと落ちる毛束は気にせずトトンと画面を軽く弾く。フォン…と小さく音が響き、シェロの手にしていた端末からは前回の塔内調査で討伐されたツァイガーのホログラフィーが表示されていた。それを班員全員に見えるように机上に置き、静かに視線を上げる。


「これは前回調査で、ナイトとロドニーが討伐したBクラスツァイガーのスケッチを参考に作成されたもの。多数の節を持っていることや毒に似た成分を生成出来る点から蜈蚣ごこうをモデルにしたツァイガーかな…って推測しているけど……その部分について2人で考察した結果があるなら教えて欲しい。」

「ごめんね、こんな直前の共有になって。今回はかなり調査結果が出るまで時間がかかって」


シェロから説明と謝罪のバトンを渡されたナイトは「もちろん」とそれを承諾しつつ、「ううん、気にしないで」と柔く微笑んで返す。しかし当時のことを思い出したのか、少し顔を顰めたまま言葉を続けた。

「討伐したのは前回調査時の西側入口付近です。1部屋探索が終わって出たらすぐ、で。Cクラスと判断が迷いましたが身体の3分の1消失と同時に浮遊と魔力を込めた攻撃に切り替えてきました」

トッ、とナイトは手元をスクロールさせる。【判断:クラスB】から下に書かれた記述内容は全て親友であり相棒である彼と共に話し合い、考察を重ねながら纏めたものだ。その時、彼が口頭で話していた意見も踏まえつつ伝えるべき内容を選んでいく。


「コアはこの真ん中の節が丸々コアになっていました。浮いた状態でもスピードを保ったまま動けていて…自己回復をする前に、頭部を撃ち抜いてその後ロディさんが討伐。」

「頭部を撃ち抜けた際に浮遊能力が消えたからその時、でしたが…流石に140cmの浮かぶムカデは…ね」

討伐した瞬間を思い出し、ナイトは「わはは…」と苦笑いを浮かべる。浮かぶ蜈蚣が落ちて来た瞬間、ロドニーがドリルランチャーで突くようにコア部分へ武器を当てた。先端が球体を貫いた際にバキリとコアが破壊される音とその欠片の雨。パラパラと降り注ぐコアの白い欠片の中、貫通したことでツァイガーの体液となる赤い液体がこちら側へ噴き出した。白い隊服を真っ赤に染め上げる事態とはなってしまったが、前回がロドニーにとっては初めてのBクラスツァイガーとの邂逅となった。

一段落ついたと判断したのか「ありがとう」とシェロは告げる。そして自身の端末を手早く操作し、血液採取の結果が表示された画面を開く。細かな数値と血清療法等との関わり方など他の隊員よりも詳細にまとめられた中から、必要な情報と単語を目で追いかける。

「血液採取の結果が出て、成分が判明したんだ。人体にとって有毒のものだから早い段階で頭部を処理したことは正しい判断だったね。浮遊能力があることを考えると上から毒攻撃をされる可能性もあった」

「そうだったんだ……でも体液に毒が含まれる可能性も十分に合ったから軽率な判断だったかなってずっと気になっていたんだけど…」

そう告げるナイトへ「いや、適切な判断だったと思うよ」とヘルハウンドの柔い声が届く。

「ヘルハウンドさん…」

「確かに後から考えた時にそう思うナイトの気持ちが理解出来ない訳じゃないよ。けど一瞬の判断が命取りになる場面で、その判断を選んだナイトの行動は適切だと俺は思うな」

彼を『先生』と呼び慕うナイトにとって、その言葉はじわりと優しく響く。先程よりも少し柔らかくなった苦笑いを見つつ、何かを思い出すようにヘルハウンドは自身の右手を口元に当てた。


「でも蜈蚣モデルは初めて、かな。そもそも虫がモデルのツァイガーって少ないから」

「そうネ……私も虫モデルはあまり見た事が無いワ」

「俺もだよ。…それこそ、シェロやウィルが就任するよりも前に見たのが最後、かな。確かそれ以外での目撃情報自体も少なかったと思うよ」

ナイトの考察を聞き、ヘルハウンドとアマンダはそれぞれ言葉を零す。2人はアマンダの片割れが生きていた時から交流はあったが、以前共に調べ作業を行ったほどに交流があった。「盾と一緒に使うのにいい武器ってないかしら?」と彼女から相談を持ちかけ、ヘルハウンド側からの提案と協力の元、共に資料を読み直していた事がある。現在彼女のバディ相手であるカイムに対しての深い愛情と信頼から成る相談事だと判断したヘルハウンドはそれを快く受け入れていた。


そしてそんな2人の間に居るラビは会話を聞きつつ、手元の端末をスクロールさせる。話題に興味が無いのではなく、彼を含めた2年前に加入した3人もまだ組織内では新入りに分類される方だった。もちろん今年はノヴァとソラエルが加入した為、新人では無いものの全体的に見てもこの組織に所属し2年目まではまだまだ無知な部分も多い。スイスイと指を画面内で泳がせれば、そこには前回討伐されたツァイガーの一覧が丁寧にまとめられている。直近の塔内調査5回分のツァイガーのデータだけが常にこの端末には残されており、それ以前のツァイガーのデータは3階の物置部屋と化してしまった一室かリーダー2人の専用室に保存されているらしい。流し読みしているが話題に挙げられたツァイガーの情報が見当たらないことから、最下層クラスでも見られていない事実を再認識する。早急に画面から顔を上げたところで目の前に座るアーシュラとかちりと目が合った。彼女はニコリといつもの笑みを浮かべると「そういえば」と話を切り替えるように言葉を続けた。


「シェロちゃん、血液採取の結果以外にも伝えておきたいことがあるって言ってたわよね?今回の調査、ノヴァちゃんとソラエルちゃんも初めてだけど、ラビちゃん達だってまだ数回しか経験が無いんだもの、しっかり共有しておくべきじゃない?」

元々予定されていた議題内容の伝達ミスが起きないようにアーシュラからシェロへバトンが渡される。恐らくはこのまま話し続けると過去のツァイガー討伐について掘り下げが始まるだろう。意見を交わすことは構わないが、そのまま脱線しすぎてしまっても良くない。

会話のアンカーを渡されたシェロは「そうだね」と呟き、一瞬目を伏せた。想定していた反応と少し違うものにアーシュラを含め、治療サポート班全員から緩く視線が集まる。トトッとシェロがまた軽く画面を弾けば、全員のタブレット端末に新着メッセージを伝える表記が現れた。

「今送ったのは討伐調査班のメンバーの検査結果を俺の方で簡易的にまとめたもの。守秘義務上どうしても共有出来兼ねるものだけは省いているけど…それに、これまでの調査資料から考察される可能性…というより。上が1番懸点している点を記載してる。」

「もちろんこの資料で最も懸念すべきとして挙げられた2人や討伐調査班だけに限った話じゃないけれど、いつも以上に注意してサポートに当たって欲しい」

ライラック色の瞳が全員へ向けられる。そこで生まれた静寂を了承と捉えたのか、シェロは資料を見ながら口を開いた。



「​───────…以上が、上から治療サポート班内で共有するように伝えられた内容。答えれる内容は限られているけど、俺で回答出来るなら質問に答えるから」


そこまで告げられれば、ヘルハウンドが緩く手を挙げた。シェロから静かに視線を向けられた時に「そもそもの話になるけれど、」と静かに言葉を落とす。

「この内容は討伐調査班には一切口外するべきでは無いということ?もちろん、塔内調査の最中に混乱させたくないからということは理解できるんだけど」

簡易的にまとめられたソラエルのデータへチラりと一瞬目をやり、再度シェロを見つめる。任命式前日に撮影された隊員の顔写真が並ぶ中、こちらを真っ直ぐと見つめて笑みを浮かべた彼女の写真をこの話と共に聞くことになるとは夢にも思わなかった。

パチりと1度瞬きを返し、シェロも口を開く。先程の説明内容から彼が何らかの質問を投げかけることは当然予想出来る範囲内の事であった。…予想されていたもう1人の方、彼が疑問を投げかけて来ないのは経験の浅さ故か。個人的な感情が優先されているのかは不明だが。

「それは」

言葉の続きを紡ぐよりも速く。離れた場所から何かが勢いよく倒れるような音が僅かに聞こえる。いち早く耳にその音が届いた者からピタりと動きが止まり、それが全員に伝播する。


「…本部で音が聞こえるのって滅多に無い、ですよね?」

「そうね。多分この階でこの聞こえ方なら1階かしら?模擬訓練場の方面ね」

「今、模擬訓練場を使用しているのって確か」

「アノ子達ネ!」

4人がテンポよく会話を繋ぎ、そして自然と脳裏にある人物が浮かぶ。そのまま反射的に視線をバディ相手である彼に向ければ「…いや、いやいやいや!」と反論の声があげられる。


「俺は無関係だろ?そんなに見つめられたら困っちまうなぁ…?」

「そうネ、確かに音とラビ君は関係無いワ」

「だろ?いやぁやっぱり先生なら皆まで言わなくても分かってくれると思ってたぜ!!」


そこまで告ればラビは席を立つ。恐らくは次に起こる行動が予想出来たため、実行される前に去ってしまおうと考えたのだろう。しかしそれは隣に座るアマンダによって阻止されていた。


「あら?どこに向かうノ?」

「え?あぁ、いやぁほら!重要な話は聞けたから終わりかって思ったんだが違ったか?先生」

「だぁめ。まだ終わってないのヨ?勝手に終わらせないノ!」


彼女から強かに釘を刺され、少しだけ諦めたのか渋々ラビは座り直す。チラりとタブレット端末へ目を向ければ画像の彼と視線があった。ふい、とそれから視線を逸らし、「…で?」と声を零した。


「いやいや、流石にあのリーダー様が?調査前日に?何かを壊すなんて無いだろ!」

「ふふ、確認しに行く?シェロちゃんがそれでも問題ないなら」

「……そうだね。とりあえず伝えたい事は一通り共有出来たし、先に向かってて。俺、始末書貰ってくるから」

「なら私が貰いに行くわヨ!リーダー達は先に向かってても問題無いワ」

すぐに行くわネ!と言った後、アマンダは隣のラビに小声で「居ないからって、逃げちゃダメヨ?ウサちゃん?」と囁けば苦笑を返すしかなくなってしまった。

各々席を立ち、1階へ降りようかとなった所で「私、アマンダと一緒に始末書貰いに行くわね!」とアーシュラはアマンダの方へ向かう。最早当たり前のように慣れてしまったアーシュラからの腕組みに対し、愛おしげに彼女の頭部へとアマンダの頬をスリ…と寄せる。この場所で過ごした長さも影響があるとは言え、アマンダがアーシュラに見せる表情は他の班員に見せるものよりも柔らかく、アーシュラもその柔い表情に甘えていることも事実だった。


「あら!アーシェも一緒に来る?いいワヨ!行きましょ!」

「流石に1枚で問題無いわよね?音から考えてもそこまで大事じゃないと思いたいけど…」

「んん……念の為、2枚にした方がいいワネ……?」


そう話す同期親友2人の声が遠くなることを感じつつ、残されたメンバーはエレベーターへ乗り込んだ。






​───────………時刻は少し戻って13時25分。

討伐調査班のメンバーは模擬訓練場に集められていた。治療サポート班が会議を行っている間、討伐調査班はトレーニングルームか模擬訓練場で班での鍛錬を行っていることが暗黙のルールとなっていた。これは現討伐調査班リーダーであるウィルペアトよりも前の代のリーダーが生み出したルールのようで、未だに伝言され続けてきた。

今回は専属指導責任者であるジェイムスが希望休を出してトレーニング指導を行うことが出来なかったため、模擬訓練場にて1対1の訓練を行う流れになっていた。彼曰く今日は19回目の結婚記念日らしく、昨日はかなり上機嫌だったことを偶然昼食を共にする事になったノヴァは知っていた。惚気つつも討伐調査班時代の話を語るジェイムスに対して、ノヴァが明るく相槌を打つ光景を同じ時間帯に食堂に居た隊員は目撃していた。


「​────とりあえず、最初は15分間計測にする。15分の間に相手の急所部分に武器が触れる、又は武器が手から離れた瞬間にタイマーはストップさせる。」

「15分の時点でどちらかに決着が着いていない場合は引き分けではなく、“両者敗北”と判断する。訓練だからと言って引き分けの判断をしないことは理解して欲しい」

競技用タイマーを15分に設定しつつ、討伐調査班リーダー兼グローセの全体リーダーも兼任しているウィルペアトは班員の顔を1度確認した。ソラエルはそっと「ウィペ、少し厳しいですね」と隣にいるカイムに囁けば「正当な理由だろう」と小さく返される。同じ新人寄りの扱いでも親友であるカイムとソラエルには明確に現場での経験の差が存在する。戦闘面においての技術は努力や先天性の能力によっていくらでも磨きあげることは出来るが、実際の場面においての経験の差は現場でしか重ねることは叶わない。「そうですか…」と小さく呟いて改めて説明を続けようとするウィルペアトへと視線を戻した。

そんなカイムとソラエルから少し視線を動かせばあれ、と少し疑問を浮かべた顔を浮かべた人物と視線が混じる。「どうした?ノヴァ」と声を掛ければノヴァは少し手振りを添えて質問を投げ掛けた。

「いや、なんで15分なんだろうなーって気になっただけっすよ!」

「あぁ、そこか。調査資料でもかなり古いもので数行の記述でしか残されていなかったが…基本的にBクラス以上のツァイガーと邂逅した際に、約15分以内で行動不能にさせた方がいいんだ。」

「浮遊能力があるツァイガーの場合、約15分経過でその能力を発揮することが多い。特に浮遊するツァイガーがそのままクラインへ向かうと………あれ、どこだこのコード…」

タイマーにぐるぐると巻き付けられたコードを解きつつノヴァの問いに答えようとしていたが、どうやらそれは叶わなかったらしい。コード線の結びを辿るように動かしていたが、それは解けずに新たな結びを生み出していく。隊の中でも群を抜いて不器用な男にコードを解くということは難易度が高かったようだ。


「…ウィルさん、それ……右の結び目に通してください」

「ん、…あぁ……こう、か?」

ウィルペアトの左側からアルフィオが静かに声を掛ける。ぽつぽつと呟くアルフィオの指示通りにコードを動かせば、無事に1本のコードは解かれた。

「ありがとう、アルフィオ。助かったよ」

「いえ、別に……そこまで言われるようなことは」

左側に居るであろうアルフィオの方を向き、ウィルペアトは微笑むがその表情は眼帯の影響から見ることは叶わない。カバーなどではなく特殊な素材を使用した眼帯であるため、ウィルペアトは左側の景色を確認することは殆ど不可能である。

感謝の意を伝えられたアルフィオは静かに下がり、ウィルペアトが会話を再開するのを待つ。一方でタイマーのコードを差し込めば、ピコンと軽い音を立ててタイマーは起動した。未だにこのかなり古いモデルを使用し続ける意図は不明だが、何故かこの組織ではこの型のタイマーを好んで使用していた。


起動したことを確認し、ウィルペアトは近くの訓練武器倉庫のオートロックパネルを指紋認証で解除する。軽い音を立てながら扉は横にスライドし、その奥にはズラりと訓練用の武器が並べられていた。歴代の討伐調査班が使用していた武器を元に作られた訓練用の武器が全て保管されており、ノヴァが使用するレイピアもソラエルの鉄扇を元にした2対の武器を元にした物も勿論保管されているため皆自身の訓練用武器を手にする。

アクリル板に刃が変更された訓練用武器を軽く叩き状態を確認する。基本的に刃がある武器を使用している者はアクリル板に刃の部分は変更され、ロドニーの使用するドリルランチャーなどは更に特殊な専用素材で訓練用の武器は作られていた。


「…さて、1対1になる訳だが……今回の組み合わせは俺の方で決めても問題ないのか?訓練したい相手が居るならそちらを優先するが…」

「俺はそれでいいっすよ!先輩が組み合わせてくれた相手ですし」

ノヴァに一番に視線を向けて問いかければ、予想通りの返しが来る。それに軽く頷きつつウィルペアトは視線を横に移した。

「はは、ありがとう。他は?」

「ボクもそれで不都合は無い」

「ぼくも!です!」

カイムとソラエルの発言が重なったことに緩く微笑みを浮かべつつ、「2人は問題ないか?」とアルフィオとロドニーに問いかける。

「っはい!勿論ですっ!」

「問題ないです」

高く結んだ髪の揺れと静かに首を縦に振る同意の動きを確認し、「ありがとう」と一言返す。そうして全員から同意が取れた後、ウィルペアトは組み合わせを発表する。最初に模擬戦を行う相手は移動し、2組目で行う予定の2人はタイマーのある方と反対側のベンチで待機することとなった。最後の組の2人がタイマー計測の係となることを説明した後、ウィルペアトは「それじゃあ」と場を仕切り直す。


「対人にはなるが、模擬戦を開始する。どうか訓練ではなく、実戦を意識することを忘れないように。な」




「先程の行動、1点」

「……ウィルペアトさんへの行動?」

反対側のベンチに移動し、2人共に座った時。カイムが静かにアルフィオへ点数を告げた。「ああ」と肯定する彼女のこの採点行為は彼女自身も細かく気にしておらず、累計の点数などは記憶していなかったがアルフィオは彼女からこれまで付けられた点数を記憶していた。

「今月はゼロに戻ったね」

「何の話だ」

身に覚えのない言葉に反応し、思わず隣へ視線を向ける。アルフィオも一瞬視線をカイムの方へ向けるが、すぐに元に戻した。

「……君からの点数、だよ。…僕も大人になれてるのかな」

アルフィオから静かに落とされる言葉を切るように、カイムは言葉を吐く。

「ゼロに戻るのであれば、ボクから見ればアナタが良い事を出来る人間であるということだ。そもそも点数がどうであれ、ボクは現時点アナタを悪い人間と感じていない」

2組目で動くことを想定し、カイムは自身の首元のボタンをパチパチと外す。ファスナー部分を少しだけ下げ、そのままアルフィオへの言葉を続けた。

「人は誰しもかつてはガキで、生きている以上同じであり続ける訳がない。」

「ゼロに戻ったのだろう、ならば少なくとも先月のアナタとは別物と言える」

その言葉をしっかりと理解したのかアルフィオはゆっくりと1度、瞬きを行った。そこから会話が続くことは無かったが、同時に1組目の試合が始まるホイッスル音が響き渡った。



「思えば、君とは模擬訓練を行ったことはまだ無かったな。ロドニー」

「確かにそう、…ですね。リーダー」

意識を切り替える為に敬語を使って問いかけに返せば、昔より少しだけ愛想が混じったような笑みで返される。その笑顔に何とも言えないもどかしさを覚えつつ「っよろしくお願いします…っ!」とロドニーは武器を構えた。


動き出すのを見極めるこの一瞬を一刻と感じるようになったのはいつからだったか。ジリジリと詰められる距離で最初に踏み込んだのはウィルペアトであった。

「っわっ、っと……!」

踏み込まれた流れのままに繰り出された攻撃を交わす。恐らくウィルペアト側もこの攻撃は当てるというよりも距離を離す意味を兼ねているのだろう。実践であれば後方からバディ相手のサポートも発生する。背を預けたバディと連携を取りつつ攻撃を行うことを意識しているのか…と改めて感じ、学び取る。

1度距離を置き、訓練用武器であるため作動しないことは理解しているが持ち手のレバー部分をしっかり握る。ウィルペアトが武器を下げる動きを見せた瞬間、再度距離を詰め直してドリルランチャーを大きく左へ振る。それを避ける為にウィルペアトが1歩足を下げた瞬間、レバーを引く動作を行い、高く上げた。


「っ、!!」


その勢いのまま訓練用の武器をウィルペアトの左側へ振り下ろす。幼少期から彼の左眼が怪我をしており、それによって日常生活を送ることに影響が大きかったことは苦しいほどに理解している。向けた心配の言葉を濁すようにあの微笑みで包まれてしまえば、それ以上深く事情を聞き出すために踏み入れることは叶わなかった。

頭ではこれが模擬戦であることの理解も攻撃の一連の流れも全てシュミレーション出来ているのに、ほんの一瞬だけ感情に天秤が傾く。実際のツァイガー相手であれば見える弱点を攻撃することに感情が揺れることは無かったかもしれないが、目の前にいるのは人間だ。少しでも彼を支えたいと、彼の左眼の代わりで居ようとして長く染み付いた感情が一瞬の揺らぎを生み出していた。


「ロドニー、意識」

「っ、あっ!!」


だがロドニーがウィルペアトと共に過ごした時間が長く、隣で見続けて来たということはウィルペアト側も感情の揺れや行動の癖も把握しているということ。その一瞬の揺らぎを見逃さず、さらに1段低く腰を落としてから手にしていた訓練用の武器の背の部分で攻撃を受け止める。

実際の戦闘場面においてウィルペアトが使用している武器の刃の部分を利用し、攻撃を受け流すことは難しい。ツァイガー側の攻撃の力のかかる向きによっては特殊に軽量化されたあの刃が折れる方が先だ。コアを砕く分には問題ないが、攻撃を受け流すことには向かない。だからこそ1度反対側の背の部分で攻撃を受け止め、行動を制限する。


「ッ、」


一瞬短く息を吐き、ウィルペアトは自身の手に力を込める。力の魔力が腕に集中するように意識し、勢いよくロドニーの武器を弾いた。グイッと横に強い力で流されたそれはロドニーの片手を離れ、勢いよく飛ばされる。…それを視線で追った時、その先に居る2人と目が合った。


「あっ!ちょっとまっ……ッッ!2人とも!!避けてぇっ!!」

「えっ」

「わ゛っ!?」


ロドニーの声を理解するのが先か、本能が動いたのが先か。ノヴァとソラエルはサッとその場を離れ、ロドニーの手を離れたドリルランチャーは勢いよくタイマーに当たり、そのまま後ろへ倒れてしまった。


「わぁーーーーっ!!!ごっ、ごめんっ!!」

自身の手を離れたドリルランチャーはゴロりとノヴァの足元に転がる。ウィルペアトの方も想像していなかった被害に対して一瞬動きが止まり、「悪い、加減出来ず…!」と告げる。


「すまない、ロドニー」

「えっ、いや、ううん…僕の方こそ気が抜けてたかも…」

無意識のうちに普段と同じ砕けた言葉遣いになっていることに気づかず、「2人とも、怪我してない!?」とロドニーは後輩2人の元へ駆け寄って行く。


「大丈夫っすよ。ちゃんと先輩が叫んでくれたおかげで」

「危なかったじゃないですかぁっ!!まだバクバクして落ち着かないですから!!」

「………」

言葉が重なり、ノヴァは静かに隣の彼女へ視線を送る。いつものように理不尽に怒りを撒き散らしている訳では無いが、それでも絵に描いたように分かりやすく感情を表していた。ごめんねと眉を下げてロドニーが宥めているとウィルペアトも慌てて来る。


「すまなかった、2人とも」

「また物を壊したら怒られるのはウィペですからねっ!?」

「いや……流石に前日に怒られるのは避けた」

「怒りはしないけど、もう少し意識するべきとは言うかな」

先程までは存在していなかった静かな声に動きが止まる。模擬訓練場の扉が開く音が聞こえたため、会議が終わったことは理解していたが今この状況で視線を向けるのはかなり恐ろしい。

少しぎこちなく振り返り、「シェロ」と呟けば静かに息を吐く彼と目が合った。

「上まで音が響いてきたけど、また壊したの?ウィル」

「えっ、いや、…ギリギリ壊れてないと思いたい、が…」

「訓練することは構わないよ。でも調査前日に怪我人を増やすことだけはしないでってずっと言ってたよね」

「そう……だな……」


リーダー同士がいつも通り会話を始める様子をナイトは困った顔のまま反対側のベンチから見守る。「アマンダ・ドライバーとアーシュラ・エーデルワイスは?」と自身のバディ相手が居ないことに気づいたカイムの問いに「あぁ、」と優しく返す。

「始末書を貰いに行くって。多分そろそろ来るとは思うけど…カイムさん、ちょっと前。ごめんね」

「?なんだ」

カイムの下がっていたファスナーと襟元のボタンをパチパチとナイトが締め直していれば「あら!予想通りだったわね」と更に声が増える。

「アーシュラさん」

「でもロディちゃんも慌ててるってことは今回は仲間が居たってことかしら」

声の方をアルフィオが向けば、揶揄う子どものようにタイマー側のやりとりを見守るアーシュラが視界に入る。独り言か自分に対しての問い掛けなのか逡巡していれば「実際はどうだったのかしら?」と添えられる。

「ロドニーくんが使っていた武器がタイマーに当たって……模擬訓練中だったんです」

「うーん…元気なのは良いことだけど、物を壊すのはめっ!ネ」

アマンダの言葉にアルフィオが曖昧な同意を返せば「私達も向こうに合流しまショ!」と笑顔を浮かべられる。恐らくそんな反応を示さずとも治療サポート班の皆は音の原因に察しがついているのだろう。反対側に居た5人が合流する頃には今回1番の犠牲となったタイマーの状態確認が行われている所だった。


「おいおい、いくらきみが始末書を書くのが好きだからって何も前日まで書くことは無いんじゃないか?」

「別に始末書を書くことが好きな訳じゃ…あぁほら、まだ機能しているだろ?」

「……あれ。ウィル、残念なことにラウンドを数える所のランプは付かなくなっているけど」

「ほ、本当か…!?」

「やっぱり始末書、必要だったのネ。ちゃぁんと、持って来てるワヨ」

アマンダから見慣れた紙を手渡され、ウィルペアトも「わ、悪い……」と眉を下げた。それを横目で確認し、「でももう時間だから、1度ここで解散するべきじゃないかな」とシェロは模擬訓練場に設置されている時計に目をやりながら提案する。


「俺とアルフィオ、ウィルとラビは本部に泊まりになるから…これ以上確認することも無いし、午後からの見回りも俺たちになるから一旦解散しようか」

「そうだな…明日は早朝からの集合になる。遅れて来ると移動の時間が変わるから、5時30分までには2階の第1会議室まで居てくれると助かる」

朝の5時30分からの集合、という言葉に対し「あ、朝…」と不安げにソラエルは呟く。「朝、連絡しようか?」とヘルハウンドが優しく提案すれば「よろしくお願いします…」としゅんとした表情で頼んでいた。

基本的に調査前日はリーダー2人とそのバディ相手は本部に泊まりとなっている。リーダー達がギリギリまで作業を行うため、必然的にバディ相手である彼らも巻き込まれるのだ。3階の仮眠室を利用したり、医務室を利用するなどしてそれぞれ本部内で待機する形となる。


「今日はもう解散なら…ノヴァちゃん、良かったらお昼食べてから帰らない?私が食べ損ねただけだからまだお腹に空きがあったらでいいんだけど!」

「いいっすよ!というか先輩、食べないで会議に行ったんすか?」

「食堂が混みあっててね。だから帰りに屋台の方見ながら食べて帰ろうかしらと思って!この間気になる物見つけたから良ければ一緒にどうかしら」

「もちろんっす!!」

恐らくノヴァの今日の追加昼食はゲテモノ料理でほぼ確定だろう。アーシュラの食の嗜好を理解している者達はああ…と少し哀れみのこもった視線をノヴァへ向けるが、ノヴァはアーシュラと同じように笑みを浮かべて返していた。先輩を慕う彼であれば、先輩からの誘いを断ることはダブルブッキングでもしない限り考えにくいだろう。



「…とりあえず、一旦今日は解散。だな。模擬訓練が中途半端になってしまいすまない。トレーニングルームを使用してから帰宅しても問題は無いが、なるべく早めに切り上げるように」

「それじゃあ、解散」と告げられた声に合わせ、各々解散する。「これくらいなら叩けば直ると大昔の言葉が」「ウィル?今以上に怒られたいの?」というリーダー達のやりとりが模擬訓練場内で繰り広げられていたが、それを知る者は少なかった。




「本当に予想通りになるなんてね……まぁ、全力でウィルちゃんが取り組んでいるってことなんでしょうけど」

先程の光景を思い出したのかアーシュラは少し口角を緩ませる。始末書を貰いに行った時、対応してくれたオペレーターの彼女も音の原因に察しがついていたのか「他の人もおりますので出来れば程々に…」と静かにお願いされてしまった。

ゾロゾロと模擬訓練場の方からエントランス方面へ向かえばちらほらとオペレーター員が見られる。今日の午前見回り担当はヘルハウンドとソラエル、ロドニーとナイトの2組だったがツァイガー目撃情報は無かったため安堵の気持ちを抱えたまま午後はそれぞれの班が集まる場所へと向かっていた。

数名のオペレーター員や出勤の時間になった組織の人間と軽く挨拶を交わしながら回転扉の方へと向かう。塔への調査を翌日に控えた日はいつも以上に組織の人間が多く集まる。早ければ数日の内に帰還することとなるが、それは班への被害が最も大きく出たということになる。逆に長い期間調査を行えることは被害が最も少ないということになるが、帰還後は今回も得ることが出来なかったのか…と国の上に立つ者やグローセを快く思わない国民から冷ややかな視線を浴びることとなる。国家組織と言えども英雄では無い。先人の歴史を繰り返すように、自分たちもまた何も成し得ることの出来ない日々を送ることになるのだろうか。何かを成し遂げたいと思っていても、自分達が英雄となれる方法が明確に提示されていても。それが容易ではないことは十分に理解出来ている。その思考回路を保てなくなるほど自分達は子どもでは無いのだ。


「それじゃあ私はこっちだから。また明日の朝、よろしくネ!」

自身のバイクのヘルメットを優しく撫でつつ、アマンダは手を振る。各々がアマンダに対しての言葉を告れば、彼女は自分のバイクへと駆け寄る。2人用のバイクに跨る彼女をロドニーはぼんやり見つめていた。

彼女がどこに向かうのかは分からない。しかし、以前バイクの後ろに乗せてもらった時にこの後ろの席に座る存在の答えを知っている。想いを寄せる彼女に対し、様々な感情を必死に押さえ込んで尋ねた際にその答えを聞いた。妹と共用で使用していたというあのバイクも、薄く悲しみを織り交ぜた表情を自分に見せた理由も全てを知っている訳では無い。それでも好奇心の高さで踏み込んだ彼女のプライベートな部分に対して少しではあるが知っている部分はある。

これ以上踏み込んでしまった時、悲しむような、どこか愛おしげにするような、何かを誤魔化すようにしていた彼女は自分を拒絶してしまわないだろうか。そんな不安を追い払うように軽く頭を振る。それぞれが帰路へ向かうのに倣うように、ロドニーも自身の帰路へと足を動かした。



​────………時刻は20時45分。

軽いノック音の後に「いらっしゃいますか?」と鈴の音のような声が医務室の扉へ掛けられる。「はい」と落ち着いた声が返ってきたことを確認してから「エミリア・フローライトです。失礼しますね」と告げて中へと入ればシェロとアルフィオがエミリアの方へと視線を向けていた。そんな2人に対して1度だけ軽く頭を下げ、「本日の午後の見回りでお2人が討伐に当たったツァイガーの結果になります。Zクラスだった為、早めの解析結果となりました」と手にしたタブレット端末をシェロへと手渡す。

「ぬいぐるみモデルのツァイガーとなると子どもが知らずの内に被害を受けることが多いので…今回はそれを未然に防ぐことが出来たというのは良い事だと思います」

「そうだね。…でも、今回は俺というよりはアルフィオの方が」

「いや、僕よりも君の方が」

それが強い押し問答になることが無いのは2人の性格か相性の良さ故か。恐らくどちらも含まれるのだろうと察したエミリアは顔を綻ばせる。疑問を示すようにそちらを見やっても「いえ、何でもありませんよ」と嬉しそうに返されてしまった。

「助けていただいた御礼、とのことです。感謝のお手紙を頂いてますよ」

どうぞ、と今度はアルフィオへ1枚の封筒が手渡される。エミリアと封筒を1度だけ交互に見てから「ありがとう」とそれを受け取る。表面には“グローセの人へ(白い人とうすむらさきの人!)”と括弧書きまで添えられた手書きの文字。手書きで何かを書き記すこと自体が減ってしまった現代では珍しく、そして子ども特有のそのたどたどしい文字をゆっくりと視線で追う。封筒の角を持つ指先に少しだけ力が入ってしまうのは感情が先に表れた証拠だろうか。ほんの少しだけ曲がった角を擦るようにして伸ばし、エミリアへ視線を戻す。

「明日は早朝の出発ですよね?しっかりと……とまではいかなくとも睡眠はしてくださいね。目を瞑るだけでも休息にはなるんですから」

「……善処するよ」

「……先生?」

「…」

彼女から先生と問われ、静かな圧から少し目を逸らす。小さく息を吐き出し、「では、私は戻りますね。おやすみなさい」とエミリアは医務室を後にした。


「手紙、午後の子かな」

「そうだと思う。手書きなの、珍しいよね」

「確かに。でもちゃんとアルフィオに伝えたいと思って筆を取ったんじゃないかな?手書きの文字って画面で見る文字よりも感情が伝わるから」

エミリアから預かった端末内データを流すように目を通す。流れる中で必要なデータや疑問を頭の中に入れて、電源を落として傍に置く。そのまま珈琲とホットミルクの入ったカップを取りに行き、どうぞと手渡せばアルフィオも傍へ手紙を置き、両手でカップを受け取る。彼が好きそうなデザインだと思って購入したカップだったが、合っていたことに安堵する。ぽす、と軽い音を立てて隣に座ればホットミルクの薄い膜部分へ息を吹きかける彼の小さな呼吸音が耳に届いた。彼の日常を過ごす音が隣で聞こえることにくすぐったい気持ちを覚えなくなったのはいつからだったろうか。バディとして共にこれからを過ごすことが決まった時から……あの事故も多少は関係はしているが、それでも彼の心の傷を少しでも癒したいと思っていたのは事実だ。そこから交流を重ね、初めての友人と呼べるような関係になり、今では親友となった。敬称の無くなったシェロという呼ばれ方にも慣れてきた。

1度だけ珈琲を口に含み、飲み込んでから午後の見回りで討伐したツァイガーをシェロは思い返す。

「赤紫のコア、だったよね」

「うん。赤の時はもう少し彩度が高いはずだから…」

「ここ3年近くはツァイガーのコアの色もかなり固定されているよね。以前はマゼンタやシアンもあったけど……今は12色しかコアの色は確認されていないし」

ある程度コアの色もパターン化されているのだろうか。赤紫や赤のように似た色もあれば、黄やオレンジ、水色やピンクのように鮮やかな色も存在する。……というより、同じなのだ。現在組織に所属しリボンタグを与えられている自分たちと、彼らの心臓部分となるコアの色は。これが何を意味しているのかは未だに解析が追いついていない。どれだけ技術が発達したところで、肝心なことが分かるにはいつも膨大な時間を必要とする。

アルフィオも同様にホットミルクを1口だけ口に含む。ほんのりとした優しい甘さを飲み込めば薄く膜が張るような特有の感覚が喉に残った。


少しぽつぽつと会話をし、ふと浮かんだ疑問をアルフィオは問いかけた。

「そういえば、今日の会議の内容はなんだったの?」

「……あぁ」

その一言に真っ先に浮かんだのは討伐調査班には口外するなと上から言われた件の内容。それはどれだけ気を許している相手であっても伝えることは立場上出来なかった。

良い言葉が浮かばず、珈琲へと視線を落とす。表面に映る自分の顔を見て、(心配されるな…)と考えたがその予想は的中したらしい。「……言えないこと?」と呟かれて静かに頷けば「そっか…」と空気に溶けるような小さな声が響く。

「……あの時も話したけど、……僕なんかに出来ることは無いかもしれない。けど、ちゃんと君の役に立つように頑張るからって思っているのは…変わらない、よ」

「……アルフィオ…」

かちりとその瞳と目が合えば、逸らすことが出来なくなってしまう。「俺もだよ」と吐き出して「でも、」と言葉を繋ぐ。

「俺も変わらないよ。頼りにしているけど、キミの守りたいもののためにこれから一緒に進みたいと思ってるのは」

そう言って珈琲を飲み込む。独特な苦味が咥内を満たし、彼に伝えることの出来なかった蟠りごとそれを呑み込んでしまえば、味は変わらないはずなのにいつもより苦く感じてしまう。


100点にすらなれない俺の全てをキミが知った時、同じことを言ってくれるのだろうか。キミが思うよりもずっと、俺は。


また1口珈琲を呑み込み、笑みで返す。どうか、この日々が続く内はキミの言葉で空いた部分が満たされていることに安心させて欲しい。そう願って。






​────………更に時刻は進んで21時30分。

コンコンッと軽く叩かれたノックへ「どうぞ」と短く一言返す。ガチャッとノブを押しながら「きみ、まだ休んでいなかったのか」と呆れたように息を吐いたのはラビだった。1度だけそちらに目を向け、「あぁ、少しな」と生返事でウィルペアトも応える。

ふーん…と興味無いように言葉を零しつつ、コツコツと距離を詰める。手にしたタブレットを「シェロから。今日の会議内容についてまとめたものだと」と差し出せば「…ん」と受け取られる。


「それにしてもまさか前日に備品を破壊するなんてなぁ!模擬訓練にしては熱が入りすぎたんじゃないか?それともロドニーが相手だったから、か。幼少期からの付き合いと話していたからなぁ?」

「それは関係無い。ロディでなくても俺は手を抜かなかったよ……武器の相性なんて実戦で言い出したら言い訳にしかならないから、殆ど強制でやらなければ意味は無いからな」

「へぇ……ま!怪我させなくて良かったんじゃないか?明日魔力が少ない状態で調査に行くよりは今日の方がマシだろ」

「そうだな」


生返事しか返さない目の前のバディに対し、呆れたように息を吐く。どうやらロドニーの呼び方が無意識の内に愛称となっている事にも気づいていないのだろう。頭の中で明日の流れを再確認しているのかと思えば顔を顰めるしか出来なくなってしまう。

少し長めに続いた静寂の空気に耐えきれず、「じゃあ俺は先に仮眠室のベッド、占領させてもらうぜ」と告げて踵を返した時だった。


「あぁラビ、」


呼び止める声に視線だけで返す。先程までの表情から少しだけ口角を緩ませて、こちらを見つめているウィルペアトに柔く月光が射し込む。


「明日、よろしく頼む」


そう言って彼はまたいつもと同じように微笑んで来たのだ。…そう、いつもと同じ。誰にでもするその表情。手放しで信用してくれないか?と訴え、断った時はこちら側だけに罪悪感を残し、いつまでも脳裏を過ぎるようなその微笑みがラビは何よりも苦手だった。


「…わかってるさ」

その視線から逃げるように室内に存在する花の絵に目を向ける。恐らく目の前に居るリーダーやヘルハウンドが所属するよりも前からこの部屋にだけ存在する絵を誰が描いたのかも、どんなタイトルなのかも誰も知らない。当たり前に存在するからそれ以上を知らなくても何も問題は生じない。ただ、元より花に詳しいラビは描かれた3本の花の判別がついていた。異性に好かれたいという理由だけで身につけた雑学知識でしかないが、それでもこの花が示す“正解”を知っている。

だからこそ、余計に目の前にいる男と絵画は似ていると錯覚してしまいそうになる。このウィルペアトという男が示すその表情は、『そういうものだ』と思えばそれまでだ。誰に対してもこのように接するのだと、これが当たり前だと受け入れてしまえばそれまででしかない。ただ、バディとして近くに居続けた際にその寒気を覚える笑みに嫌気が差した。優しさでは無く嫌悪感から彼を問い詰めた際に、笑みを浮かべる理由を知った。ただそれだけでしか無いが、記憶の中に正解が存在するからこそ、己に向けられるこの微笑みがラビは何よりも苦手であった。


何も知らずに、無知のままいる事が幸せだったろうか。知ったからこそ、無知の時の自分になりたいと高望みするだけなのに。



これ以上何も返したくなかった。あの日のように踏み込むことなんてもう二度とするものか。

少し強めに扉を開き、勢いよく閉める。あれ以上留まっていれば段々息苦しくなっていただろう。自分に対して毒のようにじわりと蝕む彼の優しさの中になんか居たく無い。1秒でも早くその中から外れてしまいたかった。

「………………クソっ……」

八つ当たり程度に軽く壁を叩き、少し足を引き摺るようにしつつリーダー専用室から早足で離れる。

きっと誰も悪くないのかもしれない。頭で理解していてもそれを認めることを拒んだ。怪我をしても尚、この組織の一員として居れることも幸いだと喜ぶべきことであるはずなのに。心の中に居座り続ける蟠りを誰かのせいにしなければ、脚の次は心か。それとも…


(………)


その答えを出すことからも逃げるように、ラビの脚は仮眠室へと進み続けた。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


各々がそれぞれの想いを抱え、眠りにつく。…その中でも君だけは、またあの夢を見ていた。


幼少期より聞こえた“誰か”の声。それは両親でも友人でも近所の人でもない。1人の時でも聞こえていた。

ある時は男の声で。ある時は女の声で。怒りを含むわけでもなく、ただ寂しげに告げてくる。毎日聞こえるのではなく、大体半年に1度のペースで短くて1日、長くて1ヶ月程度聞こえてきた。


半年ぶりに聞いたその声は、いつもと同じ懇願の声では無かった。


『これでおわり』『これがはじまり』

『きたよ、きた』『やっときたよ』


『はやくかえして』『はやくすくって』


……そこまで聞いて、ハッと目が覚める。1度息を呑み込んでから夢である事にまた安堵した。数回瞬きして、額に自身の左手を当てる。モゾモゾと体勢を変えて再び目を閉じる。


それは、1つの祈りを意味している。それは、誰かの願いだ。

それは、貴方が望んだ希望か。……違う。これは、この希望は誰かのものだ。




​───────…なら、これは誰の希望なのだろう。

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