思い出アンインストール
ナナシリア
思い出アンインストール
「ねえ、佑樹くん。佑樹くんって彼女いるの?」
夏の体育館の不快な蒸し暑さの中、クラスメイトの彼女が俺に尋ねる。彼女の名前は、確か、近藤真優。
「彼女はいない」
そう答える。彼女はいないが、まだ昔の記憶に囚われている。
あれは、ひどく蒸し暑い夏の、今日のような日だった。
『金田優結です。群馬県から来ました。よろしくお願いします』
夏休み明けの転校生。珍しくもないが、やはり転校生というのは人の目を集めた。
しかし、優結は、群がるクラスメイトたちにさして気を向けず、一人席に着いた。
『金田』
『なに』
『クラスに馴染む気がないのは、なにか理由があるのか?』
お節介にも優結に尋ねた俺に、優結がいい顔をするはずもなく。
『あんた、先生みたいなこと訊くね。あんたには関係ないでしょ』
あえなく突き放される。
今転校生が来て優結のように冷たい対応をしたとしても、俺が話しかけることは考えられないが、当時の俺はクラスから浮いている優結に親近感を感じていたのかもしれない。
『まあ、関係ないけど。興味はある』
『……あんた、面倒くさいね。どうせすぐ転校するから馴れ合う意味もないだけよ』
俺は納得した。
そしてそれだけで優結のことをわかったような気になった。
『完全に無価値ってわけでもないだろ。せっかくだし、クラスメイトくらいは仲良くしたらいいのに』
『本当に面倒くさいね。嫌われるよ』
ため息を吐きながらも、優結は俺に一歩だけ近づいた。
『あんた、名前は?』
『及川佑樹』
『じゃあ及川、ちょっとだけ付き合って』
俺と仲良くなろうとしているのかな、と想像した俺は、即刻頷いた。
それ以降、俺たちがどうやって仲を深めたのかは、ほとんど覚えていない。
もう一つだけ覚えているのは、別れの時期のことだった。
彼女がまた転校することになって、俺と離れることを俺に話したとき、彼女が不思議なことを言った。
『佑樹。わたしと別れたあとは、わたしのことは全部忘れなさいよ』
『なんでだよ。嫌だよ』
『だって――』
彼女がなんと告げたのか。それは実際に彼女に尋ねてみないとわからない。
こうやって振り返ってみると、俺は忘れたくないとか言いながらも優結との思い出をほとんど失っている。
その記憶は、不自然なくらい自然に消えていった。
「ちょっと、聞いてる?」
「ごめん。昔のことを思い出してて。それで、なんだったっけ」
「わたしと付き合ってほしいって、話だよ……」
近藤さんは頬を膨らませて、俯いた。
「ごめん。気持ちはすごく嬉しいんだけど、近藤さんと付き合うことはできない」
「……そっか」
近藤さんは俺から目を逸らす。
「もしかして、好きな人とかいるの?」
「好きな人……」
どうなんだろうか。俺は、優結のことがまだ好きなのか?
「わからない」
近藤さんが訊きたいのはそういうことではないとわかっている。しかし、そう答えるしかなかった。
「じゃあ、気になってる子とか?」
「それよりかは好きって言う方が近いけど」
好きとか気になってるとかそれよりも、ただ優結と会いたい。
「その子の名前、知りたい」
ずいぶん掘り下げてくるのに驚いて近藤さんの表情を覗く。
彼女は、少し怖がっていた。
「金田優結」
近藤さんは、目を見開いた。
「わたし、連絡取れるよ」
まさに、青天の霹靂。
もう二度と会えないかもしれないとすら思っていた優結に、もう一度会えるかもしれない。
近藤さんは、優結が転校してくる前に同じ学校で仲良くしていたらしい。ほどなくして優結は俺の中学に転校してきた。
優結は俺の中学からまた別の場所に転校し、俺が高校に進学するタイミングで近藤さんがここに引っ越してきて、俺と同じ高校に入学した。
「本当?」
「うん、ほら、これ」
そう言って近藤さんは俺にスマホの画面を見せた。
「俺が優結と会えるように、取り計らってくれないか」
必死で格好悪いかもしれないと思う。だが、それよりも優結と会いたいという気持ちが勝った。
「わかった。でも、一つだけ条件がある」
俺は身構えて、続きを訊いた。
その条件は、意外なものだった。
「なんでわたしのこと覚えてるのよ」
「俺、忘れるのは嫌だって言ったし」
「わたし、理由まで話したはずだけど」
どんな理由だったとしても、俺が優結のことを忘れようとするはずがない。
「なんて言ってたっけ」
「わたしとの思い出だけ残してても記憶の容量が足りなくなるから、少しずつ忘れていかないといけないって」
「優結との思い出の方が大事だろ」
「佑樹は変わってないのね。三年前も同じこと言ってたわよ」
三年前の俺、結構やるじゃん。俺は自画自賛した。
「でも、わたしは三年前とは変わった」
どういうことだろう、と俺は首をかしげる。
「会えてよかった、佑樹」
「改まってどうしたんだよ。俺も、優結とまた会えてよかったけど」
「わたし、ずっと佑樹とまた会いたいと思ってた。だけど、佑樹の連絡先知らなかったし、佑樹はわたしのこと忘れてるかも、って思って諦めてた」
優結は先程までとは別人のように、弱さをさらけ出す。
「きつい態度を取ってしまって、ごめんなさい。またわたしと仲良くしてくれないかしら」
「実のところ、俺は優結との思い出をほとんどなくしちゃったんだ。それでもいいなら」
優結は目に涙を溜めていた。そして頷く。
三年前の優結はもっと冷たい印象だったが、本人の言う通り変わったようで、情緒豊かになっている。
「新しい思い出を作るために、古い思い出を仕方なく消しただけだって捉えればいいから。いっぱい新しい思い出作ろ」
「優結、本当に変わったな」
優結は気恥ずかしげに微笑んだ。
「優結ちゃんとはどうだった?」
「近藤さんと付き合う可能性はゼロになっちゃったね」
「それ、ちょっと複雑だね」
近藤さんが優結と連絡を取るのに取り付けた条件は、俺が優結と絶対に仲良くなること。
近藤さんが俺に好意を抱いていることは明らかだったが、それでも彼女は俺と優結の仲を優先した。それが意外で、驚いた。
「まあでも、佑樹くんと優結ちゃんが幸せなら、わたしはそれでいいや」
「近藤さん、あり得ないくらいいい人だね。もし優結がいなかったら俺の方から告白してたかもしれない」
「ふふっ」
近藤さんは淋しげに笑った。
「佑樹、真優、待たせちゃった?」
「いや、わたしは今来たところだよ」
「俺も。じゃ、三人揃ったし、行くか」
三人揃って歩きだすと、優結はさりげなく俺の方に手を差し出す。俺は躊躇わずその手を掴む。
「一緒に新しい思い出、作ろー!」
思い出アンインストール ナナシリア @nanasi20090127
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