40、祭りの明かりと暗がりと

 萌木山。萌木神社の境内にて。

「お、おーぉ……ヒーメちゃんがふたりに増えてる……」

 結衣はうれしそうに目を輝かせ、周囲の子どもたちと同じように目の前の光景に釘付けになっていた。


 彼女の目線の先、拝殿の一画に設けられた板張りの大舞台の上には、こと琵琶びわ三線さんしんといった和弦楽器だけでなく、ギターやバイオリン、ウクレレといった洋弦楽器を手にした巫女たちが並び、その前で2体に増えた着ぐるみのヒーメちゃんが演奏に合わせて舞いを披露している。

 ふたりへと増えた巫女姿のヒーメちゃんは片方が赤い袴、もう片方は青い袴になっていて、それ以外は特に差異はないように見えた。

 

 巫女たちが持つ楽器の種類はちぐはぐながら、ひとつひとつの持ち味を活かすようにアレンジされた曲を奏でて、各楽器から流れ出る音色に合わせるように2体の着ぐるみもスローテンポにもアップテンポにも対応してコミカルさを活かした舞いを見せている。

 ミトンのようになっている手の動きやデフォルメ化された大きな足袋たびによる足運びはゆるやかなれど軽やかで、みやびやかとまではいかないものの、見ている者を引きつける不思議な味わいが充分にあった。


 舞台の天幕代わりとなる細かい網目をもつネットが張られた下で、ふたりのヒーメちゃんは獅子舞ししまいのように大きく足を上げたり、跳ね回るような動きはしないものの、巫女舞みこまいとは一風いっぷう異なったすべるような滑らかさで舞台の上を所狭しと動き回り、お互いの動きを知り尽くした双子のように息のあった瓜二つともいえる演舞で見物客を魅了していく。


「これは思っていたよりなかなかデキる動きを……」

「なんだか踊りっていうより武道の演武みたい」

「所作を見て思うに、中の人はなんらかの武道をたしなんでいるのでないでしょうか」

「やだなあ美月ちゃん、ヒーメちゃんに中の人とかはいないよ」

「さすがに中に人がいないってのは無理があるっしょ」


 会話を繰り広げる後輩3人を横目に、琥珀は真剣なまなざしで2体の着ぐるみが見せる足運びを追っていた。

「センパイ?」

「ああ、ごめん。捜してる人がもしかしたらあの中に入ってるんかも、と思って」

「そういう感じの人だったんですか?」

「うーん、神社の関係者っぽい格好はしてたけど……」

「それで先輩の見立てはどうでしょう? 捜している人っぽいですか?」

「どうなんだろ。ああいうふうな着ぐるみだとイメージしづらいんよ。勝負していたんときとは足運びも構えも違う気がするし。かといって、こうやって見ていると似てる気もしてくるんよね」

「着ぐるみじゃなければ分かります?」

「それはまあ」

「着ぐるみじゃなければ……って、さすがにそれは……」

「当然でしょうに」


「そういえば、その相手ってどんな格好してたんですか?」

「ああいう巫女さんみたいな格好で、たすき掛けして水色の袴をはいてたなあ。あと、おでこを守るプレートみたいなのをつけてた」

「巫女さんみたいって……男の人でいいんですよね?」

「うん。それで歳や背の高さはうちとそう変わらんと思う」

「まあ、わたしたちは会ってないからその人を見ても分からないんで、断片的な情報で捜すしかありませんね」

「まあそれはお祭りが終わってからでもいいでしょ」

「無理に捜そうとせんでもええよ。そうすぐ再戦ってのも相手には迷惑かもしれんし」

 と後輩たちに答えながらも、琥珀の頭の中では口に出した言葉とは違う考えが渦巻いていた。


 実際のところは、すぐにでも再戦という形で拳を交えて、体の奥底でもやもやとくすぶる熱をすべて吐き出したい気分だった。

 道場で仲間や後輩たちと切磋琢磨せっさたくましているときの感覚や他の流派との手合わせや試合から生まれてくる発想や動き。

 その両方と同質でありながら同一にはならない感触をもう一度すぐさまにでも体感したかった。


 そして、それに関して対戦相手は誰でもいいというワケにはいかなかった。

 アマツヒサメ流とかいう妖怪退治の剣を使う彼との一戦で得た手ごたえや歯ごたえは、普通の相手が対戦者ではおそらく成り立たない。

 それなりに近い体験はできるだろうが、それは近く感じるだけでより遠いといった物足りなさを感じさせるものになり、胸の中で燃え上がっているものは不完全燃焼で終わってしまうだろう。


 やはり戦う相手はあの彼でなくてはならない。

 彼ならば、この思いも熱も受け止めてくれるはず。

 お互いにすべてを出し切るまで、誰にも邪魔されることなくとことんやりきりたい。


 そんな思いが強くなる中、『彼を捜し出す』という第一の問題が再燃し、振り出しに戻るどころかスタート地点から一歩も進めていないという現実だけがのしかかってくる。


 その現実のせいで抑え込むのも難しいと思うほどに高まっている欲求とじっとしていられない衝動をどうにか抑制しようとすればするほど、焦りやもどかしさといったマイナスの感情に加えて不安が強くこみ上げてくる。


 もし彼とふたたび出会うことができなかったら?

 この今の熱量の行き場はどうなるかまったく分からない。


 もし出会えたとして、再戦が拒まれたら?

 そう、そもそもの話、彼のほうには再戦を受ける理由がないのだから。

 

 そんな重苦しい不安を払拭するように、悪魔のささやきにも近い閃きが琥珀の脳裏に浮かんできた。


 こちらが見つけることができなければ、向こうに見つけてもらえばいい。

 再戦してもらう理由がないのなら、戦わざるを得ない理由をつくればいい。


 そう、もう一度フクマのような妖怪に取り憑いてもらえばいいのだ。

 妖怪に取り憑かれた状態ならば向こうからやって来てくれる。

 こちらが捜すだけでなく、向こうもこちらを捜すという条件ならば出会える確率も大幅に上がるし、出会った時点で否応なしに相手も自分と戦うしかない。


 もし、彼以外の相手がやって来たら――という懸念もあるが問題はない。

 妖怪憑きの前にやってくる相手なのだから、なにか特別な力や技を持っているはず。

 そんな相手となら、これまでに味わったことのある勝利の味とも敗北の味とも違う禁断の味ともいうべきあの手ごたえと歯ごたえをイヤと言うほど味わえるかもしれない。


 ギリギリの勝利どころか、こちらがボロボロになってもかまわないほどに持てる力を出し切る。

 そうやって楽しんで、最終的に力と技でねじ伏せてしまえばいいだけのこと。

 不思議なことにどんな相手が来ようとも、アマツヒサメ流以外の相手に負けるイメージはわいてこなかった。


 彼と戦いたい。彼に勝ちたい。彼に負かされたい。

 だからフクマのような妖怪に力を借りて、力を貸して――、


(あかん! その考えだけは絶対にあかん……!!)

 突如として頭の中に強く浮かんできた黒い考えの支配を振り払うように、琥珀は頭を左右に振りさらにほほを挟み込むように両手でぴしゃりとたたいた。

「だ、大丈夫ですか、センパイ?」

 心配そうに自分を見つめる後輩たちに、

「大丈夫、大丈夫。ちょっとネガティブな考えをしたんで、頭ン中から追い出したとこ」

 と答えて、琥珀は曲と舞いに自分の中の暗く黒い思いを消してもらおうと、すがるような気持ちで舞台上へと目をやった。


 演奏はまさにクライマックスという感じで、それに合わせて2体のヒーメちゃんが両腕を広げてくるくると回転しつつ舞台の上に大きく円を描くように動き回ると、その円軌道の中央から紙でつくられた小さな蝶が飛び出て、舞台の上を舞い踊りながら上空へと昇っていき、それぞれキラキラと輝く星に姿を変えてネットへと張り付いていく。

 見物客の大きな歓声があがり、天の川を思わせる天幕が舞台の上をより幻想的に彩る中、曲が静かに終わりを告げ、2体のヒーメちゃんも決めポーズを取って舞いを終えた。


 パチ、パチとまばらに鳴り始めた拍手の数が増えていく中、メガネをかけた巫女が舞台袖へと現れ、

「舞いは萌木神社のマスコットキャラクターのヒーメちゃんズ、演奏はクモさんチームの皆さんでした。みなさん、もう一度盛大な拍手を!」

 と告げ、舞台の一同が頭を下げると、より大きな拍手が境内に鳴り響いていった。

 

 拍手の音が小さくなっていき、人々が拝殿の前から散らばっていくに連れ、場を包んでいた興奮と熱気も徐々に薄れていく。

 しかし、琥珀の胸中にはさきほどの考えが深く突き刺さったトゲのように残っていた。


 彼女は決意を固めた。

 彼を捜しつつ、フクマのような妖怪も捜す。

 どちらも可能性としてはとぼしい気もするが、選択肢が増えたことでより能動的に行動する意欲がわき、悲観的な考えが薄れていくのを感じた。

 ただそのよこしまにも近い思いを誰にも悟られぬように、琥珀は胸の奥へと秘めることに決めた。



 境内にて2体のヒーメちゃんが巫女たちの奏でる曲に合わせて舞いを見せていた頃、街中のとある場所では――。


 祭り囃子や提灯のあかりに導かれるように、ひとりの少女が軽い足取りで路地裏の薄暗い道を進み、祭りの会場となっている街の中央広場を目指していた。

 祭りの灯りを目指しているものの、彼女の様子はとても夏祭りにふさわしくは見えなかった。


 表通りの喧噪とは無縁で人通りも少ない道をわざわざ選び、目立たぬようにして進む少女は生き生きとした足運びとは正反対に、意志と意思を感じさせない表情をしており、視線がはっきりとしない瞳は生彩に欠け、きびきびとした足の動きとは対照的に両腕は力なくだらりと垂れ下がり、自分の意識とは違うなにかに動かされているようにただただ前へと急いでいた。

 

 その様子だけでなく、少女の服装のほうも場違いというか、TPOすべてに対してふさわしくないとも言えるものだった。

 ショートカットの髪を白いフリルが並んだヘッドドレスで飾り、真っ黒な半袖のワンピースに質素な白いエプロンという、俗に言うメイドの格好に加えて、斜め掛けにしたピンク色の大きめなショルダーバッグも彼女の醸し出す不気味な雰囲気にひと役買っていた。


 そんな彼女の体は、夏のうだるような暑気しょきや若々しさからくる熱気とも違う気配、触れるもの近づくものの熱をも奪い取る冷気にも似た妖気でうっすらと覆われていた。

 妖気の発生源は、神社の封印から抜け出して萌木山の夏祭りに来ていた少女に取り憑いたフクマだった。

 そして今、フクマは精気を求めて、少女の体を操って多くの人々が集まる祭りの広場を目指していた。


 一歩一歩着実に広場へと近づいていく道中、(何者かに見られている)と自分への視線を感じたフクマはいったん歩みを止めた。


 食い入るように前方を見つめても視線の主は見当たらず、フクマはぎこちない動きで上半身だけ身をひねり、振り返って辺りを見回し、なにひとつ見逃すまい聞き逃すまいとする。

 一帯にただようのは自分以外の存在を感じさせない薄暗がりと静寂、そしてどこか心地よさを覚えるよどんだ空気。

 だがフクマは油断なく、少女の目と耳だけでなく、全身の感覚を研ぎ澄ませて視線の出処でどころを探ろうとする。

 その状態で長いようで短く、短いようで長い数十秒が経過した。


 周囲に変化はなく、自身にもなにも起きてはいない。

 気を取り直し、祭りの会場へ歩みを進めるべく、フクマが用心しながらふたたびぎこちない動きで向き直ると、行く手に女がひとり立っていた。


 さきほどまで気配を微塵みじんも感じさせなかったのに、今では圧倒的な存在感をもって彼女はそこにいた。

 10メートルは優に離れているのに、手を伸ばせば触れられるほど近くにいると錯覚するほどの威圧感があった。


 ゆったりとした灰色のシャツに、同じようにゆったりとした深い青色をしたズボン。

 全体的に爬虫類を思わせる硬質的なデザインでありながら、柔肌のような滑らかさも感じさせ、独特の艶めかしさすら伝わってくる。


 薄暗い中、フクマが憑いた少女の行く手に立ちはだかる女のメガネの奥に見える瞳が冷たく、そして妖しく紅い光を放つ。

 フクマは当然相手が何者か知っている。


 篝火魑カガチと呼び名に当てられた字が表すとおり、篝火かがりびのように赤々と燃える瞳をもつ魑魅ちみとして多くのものにおそれられ、そして悪事を働く妖怪を狩る鬼打姫オニウチヒメとして多くのものにおそれられた蛇の化身カガチ。

 それが今、フクマの行く手に立ち塞がっていた。 


「通せんぼうするようで悪いね。しかしね、お嬢ちゃんはよくても、みなが楽しんでいる祭りに悪い妖怪は出入り禁止なのだよ」

 カガチの言葉が終わるよりも早く、フクマは少女の体ごと後方へと大きく高く跳んでいた。 

 空中で身をひねってショルダーバッグを地面へと放り出し、カガチへ背を向けるように着地するとわき目も振らずに素早く祭りの会場とは逆方向に走り出す。


「ふむ。こちらを見るなり一目散に逃げ出すとは悪くない判断ではあるね……まあ逃がしはしないわけなのだが」

 カガチは感心したふうに言うと、フクマを追うため地を蹴った。


 結果は一目瞭然だった。

 フクマは少女が発揮できる全速力以上の脚力で脱兎だっとのごとく逃げ出したというのに、カガチのほうが明らかに数段速かった。

 あっという間に少女へと追いつき、横に並んだカガチの素早い手刀がフクマが宿るメイド服へと触れ、フクマはなにひとつ抵抗もできずに霧散する。

 少女の体どころか着ているメイド服に傷ひとつつけず、フクマを祓う一瞬の早業はやわざだった。

 

 糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる少女の体を、カガチがさっと手を伸ばして受け止めてそのまま軽々と肩に担ぎ上げる。


「ホント、目にも止まらぬ早業はやわざって感じにゃ」

 裏露地の目立たぬ暗がりから気配を消していた猫の化身スズノが姿を見せて、カガチに話しかけた。

「まあこれくらいの仕事はやってのけないと、姫様に申し訳が立たないからね。しかし、あれだね、こうやってひとりずつ運ぶというのは面倒なので2、3人まとめて運びたいところなんだが」

「そんなことしたら目立ちすぎるにゃ」

 スズノはフクマが逃げる際に投げ捨てたショルダーバッグを拾い上げ、手で軽くはたいた。

「少しくらい目立ったほうがフクマや他の妖怪変化への抑止力になると思うがね。そもそも女の子を運んでいくだけなのに、いちいち気配を消していくのは面倒なのだが」


「ボクたちが目立つ分には問題ないにゃ。目立つと困るのは女の子のほうにゃ、今の時代、デリカシーに欠けた連中がわんさかいるのにゃ」

「なるほど……よく分からんのだがね」

「分かってないのかにゃ……猫耳帽子のカワイイ巫女さんがいたとか、美人でメガネのお姉さんがいたとかなら噂になったところでどうってことないけれど、フクマに取り憑かれただけの女の子がみんなの噂になるのはよくないってことにゃ」

「なるほど、そういうことなら分かる。では、気取られぬように運んでいくとするか」

 カガチとスズノは、フクマに取り憑かれていた少女を救護所へと連れて行くべく、並び立って歩き始めた。

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