39、もうひとつの夏祭り

  

 一方、萌木山のふもと。夏祭りに沸き立つ街の中心に近い広場では――。


 月が太陽と交代して空の主役をつとめるようになってからしばらく経ち、昼からこもっていた地表の熱を冷ましていく清涼な夜風が吹くようになった今でも、広場を漂う空気は祭りの盛り上がりで生じた火照りを秘めたままだった。

 

 祭り終了までの折り返しの時刻を過ぎても、広場の中心に陣取じんどやぐらを囲むように設けられたおうぎ形のステージ周辺での踊りやパフォーマンスには多くの参加者や見物客が集まり、その外側に並ぶ様々な屋台も盛況で、あらゆる人たちが年齢層や性別を問わず今日この日の祭りを楽しんでいた。


 そんな盛り上がりとは一線を画するように広場の片隅に設置されている救護所の中で、富津ふっつ市子いちこは暇を持て余していた。

 祭りの前半部分を楽しんだあと、後半へと突入する時間帯に前任者と交代して救護所の受付として座ったまではよかったが、この役目は想像していた以上に暇だった。


 学校の成績はまあまあ、これといって得意な科目もなければ苦手とする科目もなく、運動面でも得手不得手はなく、友人やクラスメイトには恵まれているものの、自分はごくごく普通のザ・平均値とでもいうべき存在というか、おそらくどこにいても目立つことなく埋没してしまう人間だと、市子は自身で実感している。


 埋没という状況は正に今そのものと言ってよく、彼女がいる救護所はお祭りの会場の中では分かりやすく目立つ位置にあると言えるのだが、祭りを楽しんでいる人たちにはどこか路傍ろぼうの石といった感じである。


 そんな状況に置かれながら、市子はぼんやりと祭りの賑やかな部分へと目をやる。

 LED提灯のあかりが夜空の星を地上へ持ってきたかのように会場を彩り、その灯火ともしびの下で楽しげにしている人々の様々な格好と相まって、会場全体にいかにも祭りといった感じの雑多でありながらも陽気な光景を作り出していた。

 食べ物を提供する屋台の前では店先から漂う香りに誘われて思わず足を止める人々がいて、遊戯を扱う屋台は呼び込んだ多くの腕試したちを一喜一憂させている。


 流行はやりの曲に合わせる太鼓の心地よい響きが会場内の夜気を震わす中、色とりどりの浴衣やコスプレ衣装で着飾った少女たちが楽しんでいる姿を遠くに見ながら、

(さすがに、お祭りの救護所で受付とかはマズったのかもしんないなあ……)

 市子は後悔の念を抱き始めていた。


 彼女が通っている女子校は校外学習の一環として、アルバイトやボランティアを奨励していた。

 学校側の審査を通った地元企業・産業でのアルバイトや子どもたちの通うスポーツ教室や安全指導といったボランティア活動を通しての地域貢献や将来設計といった意義はもちろんあるのだが、生徒の立場での身もフタもない言い方をしてしまえば成績や評価にちょっとばかりの加点がされるというそれなりにうまみのある仕組みだ。

 春夏冬の休みとなる期間のみならず、通常の学期内でも加点はされるので、生徒の間ではそれなりに人気のある制度として、入学希望者の志望動機のひとつになっていたりもする。

 

 そんな地元の有名女子校に運良く進学できたのはいいが、授業についていけるものの、テストでは可もなく不可もなくといった感じの、成績面で突出したところのない市子にとって、この加点制度は願ってもないチャンスといえた――いえるはずだったが……。

 実際にこうして祭りが行われている広場の片隅で、ポツンと取り残されたような状況に身を置くと、どうにも『やってしまった……』という思いが先にきてしまう。


 救護所という立場上、忙しいよりも暇なほうが自分にも他人にもいいことであるのは分かっているが、何事も起きない手持ち無沙汰な時間を穴埋めできるような手段は用意しておくべきだった。

 とはいえ、漫画や雑誌を読んだり、メイクをしたりスマホをいじったりというような周囲から見て不真面目と思われるような行為は避けるのは当然だし、かといって学校の課題を持ち込んでこの場でノートを広げて独り勉強会というのも、それはそれでどうなのだといった状況になるので結局手ぶらのまま、受付嬢としてただただ漫然とした時間を過ごすしかなかった。


 救護所に設置されている扇風機の涼しい風が髪を揺らし、会場の熱気とは切り離してくれているのはありがたいが、椅子に座ってぼんやりとしているだけでは待ちぼうけともいえる時間へのスパイスとなるわけでもなく、座っているだけでも加点というプラス面と座っているだけなので退屈というマイナス面をはかりに掛けると、やはり選択肢を間違えたかもしれないという思いで、ふたたび彼女の視線は祭りを楽しんでいる同世代の女子たちへ向けられる。


 夏祭りであるから浴衣姿の女子が多くいるのは当然だが、それにとどまらず、アニメや漫画のキャラクターを模したコスチュームを着ている女子も同じくらいいた。

 このたびの主宰が、服の神様を奉っている神社ということで、様々な衣装での参加が許可された結果らしい。


 見覚えのあるキャラクターの衣装もあれば、まったく見たこともない格好もあったりと、見ているだけでもいい時間つぶしにはなりそうだった。

 自分から積極的にああいったコスチュームを着てみようという気にはならないが、外野として見ている分には華やかで楽しそうな非日常的かつファンタジックな雰囲気を感じ取れて、ついさきほどまで溶け込めるほどその近くにいたことがウソのように思えてくる。


 非日常と幻想的な風景を生み出すのにひと役買っているのが、会場内で使われている鬼打おにうち提灯と呼ばれている提灯だ。

 一般的な提灯として知られる鬼灯ホオズキ提灯がこの地域では鬼打提灯と呼ばれるのは鬼灯の字が間違って伝わったというわけではなく、神の使いとして厄除やくよけをつとめた鬼打姫オニウチヒメの逸話に由来すると、小さいころ祖母が教えてくれたのを市子は覚えている。


 鬼打姫の名がカガチであったことと鬼灯の異名がカガチであることから、縁起を担いで鬼灯提灯を鬼打提灯と呼ぶようになった、とも聞いた。


 そんなことを思いだしていると、急に市子の頭に閃くものがあった。

 この提灯の由来を自由研究としての課題とするのもアリかもしれない、と。


 提灯の歴史や変遷、鬼打姫の逸話などをそれっぽく形になるようにまとめれば、今ここで座っていることによる加点よりもポイントがつくかもという打算込みで考え始める。

 もしかすると過去に先輩陣がとっくに通過しているレベルかもしれないが、風土研究会や歴史研究会のようなクラブ活動があるとは聞いていないし、過去の生徒たちと同じような自由研究をしてはいけないとの決まりもないので、やってみる価値はありそうだ。 


 クラブ活動といえば、このまま個人で一匹狼的に動くよりは班のような集団かクラス単位で行動するほうがいいかもしれない。

 そのほうが効率も良さそうというのもあるし、なによりひとりでコトを進めるよりは気心が知れたメンバーで動いたほうが楽しそうだ。


 そうなると、まずはクラスの委員長に声をかけてみるのが先決だろうか。

 委員長はその素行から真面目オブ真面目の権化ごんげと周囲から持て囃されているくらいだし、授業についていけず置いていかれそうな生徒を自発的勉強会で手助けするほど面倒見がいいし、そしてなによりもこういった歴史をひもとくような題材を好みそうだから、率先して手伝ってくれるかもしれない。

 そうと決まれば、さっそく委員長に相談を持ちかけて――、


 と、ここまで連鎖的に計画を進めてきて、

(いやちょっと待って……そもそも夏休み中の委員長にどうやって連絡を取りゃあいいのよ)

 計画のかなめともいえる委員長への連絡をとるための手段がないことに市子は気付いた。


(コンタクトとる手段ないじゃん……って、そもそも委員長メガネだし――)

 と、ちょっと頭のよろしくない余計な発想までも浮かんできてしまう。


 あっという間に計画が頓挫とんざし、結局またぼんやりと祭りを眺めるという傍観者モードになっていると、会場内から知っている曲が流れてきたので自然と小さな声で口ずさむ。


 曲を口ずさみながら、

(うーん、やっぱり委員長に連絡は取れなくても、提灯のレポートには手をつけてみたいなあ。まずはどこから取りかかるといいのかな。って、とりあえずはこのまま何事も起こらずにお祭りが終わってくれるといいんだけど――)

 そんなふうに、いろいろと考えていると、


「お邪魔するよ、具合の悪くなった子はここで面倒を見てもらえるのだろう?」

 との声とともに、浴衣姿の少女を豪快に肩へとかついだ女性が受付の前へと立った。

「は、はい」

 予期せぬ来訪者に市子は慌てて応対する。


 市子と長机を挟んだ状態で目の前に立つミディアム・ボブの女性は二十代半ばに見え、メガネの奥に見える切れ長の瞳は涼しげかつ妖しげな光を放っていた。

 少女ひとりの体をその身で抱えているという成人男性でも根を上げそうな状況なのに、つらさや苦しさといったマイナスイメージは微塵も感じさせないどころか、赤い唇には印象深い余裕の微笑みを浮かべている。


 より印象的なのは、彼女のファッションだった。

 上半身は明るいグレー地に黒いラインで縁取られたウロコ模様が並ぶパイソン柄の短くゆったりとした袖を持つシャツ、腰から下は爬虫類の皮膚のような光沢があるダークブルーのパラシュートパンツに、ベージュ色をしたやや高いヒールのウェッジソールのサンダル、細いウェストにはオレンジ色のベースに黒のラインが斜めに入った長めの蛇柄ベルトが結ばれており、余った部分はそのまま前へと垂らされている。


 首には小さな蛇が巻き付いたようなチョーカー、左手首には尻尾を口でくわえた円環状のウロボロスデザインをしたブレスレットと、全身に蛇を想起させるアイテムを身につけていた。


 あまりにも蛇づくしなので、その唇から先が割れた舌が出てくるのではないかと、市子は女性の顔を思わず凝視してしまう。

 

 目の前に立つ女性こそ、かつては川を氾濫させる鬼神・清長姫キヨナガヒメとして人々からおそれられ、ハタオリノモエギヒメの神使となってからは悪疫や物の怪を断つ鬼打姫と敬われるようになった蛇の化身、清長キヨナガ篝火魑カガチ、鬼打提灯の名前の由来となった当事者そのものであることは、市子には知るよしもない。


 ここで、なかば見とれていた市子はハッとなって受付としての役目を思いだし、

「どうなさいましたか?」

 と尋ねた。 

「この子なんだがね、でやられたんだろう。少し休ませてやってくれないだろうか」

 と、女性が毒々しい外見とは裏腹に理知とした声で告げた。


 これも市子は知らないことだが、彼女の肩にかつがれている少女は、祭りに集まる人々の精気を奪おうと会場に近づいたところをカガチによって祓われたフクマ憑きだった。


 受付でのやり取り中に、待機していた医療スタッフが奥から進み出てきて、

「それでは、そこのベッドの上にお願いできますか」

 と女性にてきぱきと指示する。


 それに従う形で、

「よっと」

 運び方はガサツそのものだったが、取り扱いはかなり繊細な感じで、女性は救護所内に並べられた簡易ベッドのほうへと少女を運んでいく。

 彼女が市子の横を通り過ぎるとき、ゆったりとして見える服に隠されているグラマラスな体つきが分かるのと同時に、ほんのりと甘みを感じる高貴な匂いが漂った。


 市子はその香りに心を奪われかけたがすぐに気を取り直し、運び込まれた少女のおおまかな外見、格好、持ち物、そして現在時刻をノートへと記入していく。

 少女の持ち物には番号をかいた付箋ふせんをつけてベッドの下のカゴへ。


「ほう、なるほど。大した手際だ」

 浴衣姿の少女を簡易ベッドの上へと横たえたメガネの女性が市子の働きっぷりを見て感心の声をあげる。

「いえ、そんな大したことでは」

 市子が謙遜けんそんではなく恐縮した感じで答えたのとほぼ同時に、

「カガチ、また出たよ! 早くっ!」

 と、白い猫耳帽子をかぶった小柄でほっそりとした巫女が救護所に飛び込むようにやってきて、女性に告げた。


「分かった、今行く」

 と巫女へ向き直って返事をしたあと、

「もう2、3人くらいは運んでくるかもしれん。なにぶんにも祭りが盛況だしね。まあそういうワケでよろしく頼むよ」

 ぶっきらぼうに続けた彼女は言い終えるやいなや、救護所から颯爽さっそうと駆け出していった。


 市子はその姿に見惚れるような格好良さと憧憬しょうけいを感じると同時に、鬼打姫と同じカガチという名は彼女のような女性ひとにふさわしい名だとなんとなく思った。

 そして、その名前から連鎖的に、さきほど思いを巡らせていた提灯についての自由研究のことを思いだす。

 ここまではすべて偶然なのだろうが、なにか見えない運命のようなものに導かれてるような感覚がして、

(うー、やっぱりどうにかして委員長に連絡とりたいなあ)

 と、頓挫した計画を成功させるべく、市子は考えを巡らせるのだった。

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