37、後片付け

「さて、これで一件落着といっていいのかなぁ?」

 陽樹がひと息つくといった感じで軽く伸びをしながら、龍星に問う。

「とりあえずこの山の中の騒動はな」

「とんだ夏祭りになっちゃったね」

「まったくだ」


 そんな会話をする龍星と陽樹に、

「おいおい、まだ落着はしておらんぞ。後始末あとしまつというか、これから皆へとほどこす処置が残っておる」

 モエギが告げた。

「そういえば、記憶の改ざんとか物騒なことを言ってた気がするけれど」

「記憶の改ざんといっても、ほんの2、30分の間の記憶をあいまいにするだけじゃ。ほれ、『楽しい時間はすぐに過ぎる』というじゃろ、あんな感じでうれしい気分や楽しかったことはそのままにしてフクマが出てからの記憶を軽くすっ飛ばすのじゃ」

「そんなことができるのか」

「力を失っているとはいえ、神様のはしくれじゃしな。まあ祭りに来ていた人の数が思いの外に多いので、そこはちと骨が折れそうじゃが」


「姫様、でしたらわちきの力をお使いくんなまし。これで少しでも罪滅ぼしになれば」

 シズカの申し出に、

「お主の助けがあれば事は容易たやすい。まさに百人力を得たと言えるな」


「なあ、記憶をあいまいにするってことは、フクマに取り憑かれたり操られたりとかいう女の子たちの記憶も消えるのか?」

 龍星がモエギに尋ねた。

「まあ、そこらへんは覚えていてもあまり意味がないからのう。それとフクマに活力を奪われた者たちのそういった楽しくはない記憶もうやむやなものとして消えるはずじゃ」

「じゃあ、その……女の子たちは俺らに服を脱がされたことも忘れるのか」

「まあ本人的に楽しい記憶ではないじゃろうから、そこらへんの記憶も消えるであろう。その点ではお主らにとって役得、脱がし得じゃな」

「だから、そういう発想はやめろ」


「それだったら僕らの記憶も消してもらった方がいいかも」

「ああ。俺らがさんざん下着を見てきた記憶も消えるならやってもらうべきだな」

「いや、それはわざわざやらんでもよいじゃろ」

「なんで?」

「お主らの記憶に手を加えるのは別にかまわないが、この先、女子についたフクマを祓うたびに『なんだこれはー』を繰り返すことになるぞ」

「それも困るがなあ……」


「女子たちを下着姿にするのがいやならもっと研鑽を積むことじゃな。お主らの剣の腕が高まれば、いずれは星右衛門のようにフクマだけを切ることができるようになる。というか、できるようにならなければ、お主らはあのバイト巫女に『いやらしい』と言われ続けることになるぞ。まあその……幼なじみの可愛い巫女になじられるのが好きで好きでたまらないというのなら今のままでもよいとは思うが」

 モエギがにんまりとした笑みを浮かべて、からかうように言う。


「「よくないよ」」

 龍星と陽樹は声をそろえて否定した。


「しかし女の子たちに謝って回る必要はなくなったとはいえ複雑な気分だ」

「服を弾き飛ばしてきた罪悪感は残るからね。ヒメ様に言われたとおり、もっともっと腕を磨くためにとりあえずは修行のメニューを見直さないといけないかも」

「師匠が早く戻ってきてくれるといいんだけどな」

「だね」


「さてさて長話はここまでとして、バイト巫女どのを待たせっきりであることだし、早いとこ神社へと戻って皆の手当てをしたあと、祭りの続きを楽しむとしようではないか」

 と朗らかに告げたモエギに、

「いやいや、待て待て。後始末をしたあとは祭りは中止にして、街に逃げたフクマを追いかけたほうがいいんじゃないのか?」

 龍星が自身の意見を述べる。

「中止? せっかく皆が待ち望み、楽しんでいた祭りを台無しにする必要はなかろうて。それに祭りを続行する必要性はほかにもある」


「というと?」

「うまく説明できるか分からんが、今のフクマはわしと同じく、いや少々違う意味になるか、まあとにかくエネルギー切れという状態に近い。スタートラインはほぼ一緒、若干わしがリードしている状態ではあるが、ここからはどちらが先に力を取り戻すかのスピード勝負になる」


「だったらなおさら――」

「話は最後まで聞け。フクマは復活間もない状態ゆえの飢餓感か焦燥感か知らぬが、人々から活力を奪うために己の手駒を増やしすぎた。それをお主たちが打ち破っていった。つまりは……」

「つまりは?」


「察しの悪い奴じゃな」

 モエギが困った表情を見せる一方、

「あ、分かった。向こうはただでさえジリ貧な状態から分身を生み出したから……」

 陽樹が声をあげた。

 

「そういうことじゃ」

「どういうことなんだ」


 状況を把握できずにいる龍星と説明が伝わらないモエギの両名がすがるように陽樹を見る。

 陽樹は少し考え込んだのち、

「うまく伝わるか分からないけど、フクマってのは妖気のかたまりで、自身を小分けにする形で女の子の服に取り憑くってのは分かるよね?」

「ちびヒメの説明にもあったし、実際に取り憑かれてる子を見てるからそれは分かる。あれ? でも封印されてたフクマってのはいわゆる核の部分だけなわけだろ、そうなると女の子に取り憑かせてた妖気ってのはどこから来たんだ?」

「そう、リュウちゃんの言うとおりで、封印されてたフクマは十分な妖気を持ってないわけだから……」

「ああ、ようやく分かった。元々弱り果ててたフクマは本体部分、ようは自分の身を切り崩して女の子に取り憑かせてたってわけか」

「そう。で、女の子たちを使ってお祭りに来てた人たちの精気を奪ったんだけど、完全復活に至らないどころか、僕らとヒメ様が……」

彼奴きゃつの本体から生み出された分身を打ち倒した。つまりわしらは彼奴の勢いというか力を大きくぐことに成功しておるわけじゃ」


「理屈は分かるんだが、お祭りに来てた女の子の数からすると、あと100人弱はフクマ憑きが残ってるわけだろ。追いかけていって少しでも数を減らしておいたほうが得策なんじゃないか。うまくいけば本体であるフクマも捕まえられるだろうし」

 と、言いながら龍星は山の下へと目をやった。


 街はついさっきまでの山中での出来事などいっさい知らぬ様子で、祭り特有のにぎやかさと騒がしさに包まれている。

 だがその喧噪に乗じるようにして、フクマたちが人々の中に姿を隠していると考えると、龍星は軽く戦慄を覚えた。


「リュウセイの懸念はもっともじゃが、街に逃げたフクマらはおおっぴらには行動できんじゃろ。ここから街の様子を見ても騒ぎは起きておらぬようだし。カガチとスズノが追っかけていったということは、フクマが事を起こせばたちまちふたりに追い立てられることになるからな」

 モエギが彼の懸念を払拭するように言う。


「そのふたりがフクマ憑きになる可能性は?」

 陽樹がモエギへと向き直って尋ねる。

「ほぼゼロというより、まあ絶対あり得んな」

「それほどまでに信用できるのか?」

「信用できるのかと聞かれると答えは微妙になるが、フクマ憑きになるかと聞かれたら天地がひっくり返ってもあり得んという答えになる。これはふたりの特性ゆえといえるな」

 モエギの言葉に同意するように、傍らのシズカもうなずいてみせる。


「……ただのぅ、フクマ憑きにならなくともフクマの力を使ってちょっとした悪さをする可能性はあると頭のすみに置いておいたほうがよいじゃろうな」

 そのモエギの言葉にもシズカは同意するように首を縦に振る。


「なるほど。ところでそのふたりはやっぱり強かったりするのか?」

 龍星の問いに、

「強さの順列でいうと、カガチ→シズカ→スズノといった感じかの。スズノが相手ならば今のお主らふたりでもどうにかできるかもしれんが、カガチが相手だとしたらお主らが何人束になっても笑えるくらいに歯が立たぬと思うぞ」

 答えるモエギの語り口調はあっさりとしていたが、龍星と陽樹は身の毛がよだつ感覚を覚えた。


「まあ、ふたりに関しては下山という当初の目的はかなった形であるから、あとはわしの怒りを少しでも鎮めようと、フクマを1体でも多く狩り、その成果を手土産てみやげ代わりにするじゃろうて。わしのところに直に来ずにワンクッションとしてシズカに話を持ってくるかもしれんがそれはそれ。まあ、というわけでカガチやスズノとお主らがやりあうことはまずないじゃろうから、次の相手は神使のふたりよりも街中に逃げたフクマたちになるじゃろうよ」


「フクマが街の外に出て行く可能性は? それこそヒメ様の力が及ばなかったり、僕らが追っかけていけない場所に逃げられたら手の打ちようがないんだけど」

 陽樹の質問に、

「その点が気になるのは分かる。じゃが、フクマとはこの土地で生まれたいわば土着の妖怪であるがゆえ、この土地を離れて生きていくことはできん」


「ああ、だから僕らはフクマって名前を聞いたことがなかったんだ」

「あちこちに出てくる妖怪なら有名になってるはずだしな」

「マイナーなローカル妖怪ってトコロだね」

「あー、お主らの言い方はマイナーなローカル女神であるわしには効き過ぎるので加減してもらえると助かる」

「あ、そいつはすまなかった」

「でもマイナーじゃなくて『知られざる女神』とかに言い換えれば、なんとなくいい感じになるかも」


「なんとなくというのは引っかかりを感じるが、まあポジティブにいるほうがよいわな。で、なぜフクマを追わずに祭りを続行するかというさきほどのリュウセイの疑問に答えるならば――」


 モエギことハタオリノモエギヒメが今現在の姿に変わるほど力を失った原因は人々の信心が薄れたからということは、龍星、陽樹ふたりの神司も知ってのとおり。

 そして今回の夏祭りが人々の信心を取り戻すための計画の一端であるのも、シズカの話にあったとおり。


「――そして今宵の祭りでわしの神力はわずかながらも回復の傾向にある。三人の神使が危惧したように全回復というわけにはいかなかったのが難点ではあるのじゃが」


「なるほど。短い期間でもお祭りでヒメ様の力が回復したってことは、このままお祭りを続けれけばよりパワーが回復して、損耗の激しいフクマに追い込みをかけられるってことだね」

「そういうことなら、まあ合点はいく」

 陽樹と龍星が納得したのを見て、

「うむ。そういうことじゃから善は急げじゃ。さっさと神社へと戻るとしよう。あのバイト巫女どのも待ちぼうけでやきもきしておるじゃろうしな」

「そういえば、クーコさんはどうしたんだ?」

「この林の入り口、お主らが動かした要石のところに待たせておる」

「え? ソラちゃんひとりで大丈夫なの?」


「魔除けは施しておいたし、いまや神司となっておるから問題ないとは思うが、たしかに心細いかもしれんし、お主らの無事な姿を一刻も早く見せてやるべきじゃろうな」

 と言って、モエギは、

「ではリュウセイ、神社に戻るのにわしをおんぶせい。重くはあるまい、今のわしはお主たちのおかげで身も心も軽やかであるからな! お姫様抱っこでもよいのじゃが、さすがにリュウセイのほうが照れくさいじゃろうし、そういうのはリュウセイ的には本命相手に取っておくものじゃろうしな」


「いや、おんぶって言われても……女の子を、それも浴衣の女の子とかおぶったコトがないからいまいち勝手が分からんし」

「この際じゃ、わしで慣れておけと言いたいトコロじゃが、たしかに浴衣で背負われるのはこのわしにしても不本意と言えば不本意、なら着替えてもよいのじゃが、どうにも祭り気分に水をかけるようで気が引ける。なので背負子しょいこを使うのが手っ取り早いかの」


「「しょいこ?」」

 聞き慣れぬ言葉に声をそろえて聞き返した龍星と陽樹に対し、

「まさか知らんのか……いやたしかに現代っ子には通じにくいか。ほれ、二宮尊徳にのみやそんとくが幼少のみぎりにマキを背負うのに使っていたヤツじゃ」


「「にのみやそんとく?」」

 とふたたび聞き慣れぬ言葉として聞き返したふたりに、

「ウソじゃろ、お主ら……マズいぞ、シズカよ、わしらが山にこもっていたあいだにどうやら歴史の流れが違うパラレルワールド、二宮金次郎きんじろうが通じない世界ができあがり、わしらにそこに迷い込んでしまったようじゃぞ」

「あ、二宮金次郎なら分かる。夜中に校庭を全力疾走するっていう石像のことでしょ」

「ああ、それなら俺も分かる。学校の怪談で有名なヤツだな」


「学校の怪談じゃと……?」

「よくあるヤツで、深夜に勝手に鳴るピアノみたいな学校七不思議のひとつだね」

「夜中に校庭や教室をうろつく理科室の骨格標本や人体標本のバリエーションだろうけどな。しかし、夜の学校で歩き回る骨格標本に出会ったとしてもはまだ耐えられるけど、人体標本のほうはちょっと無理だな」

「ゾンビ苦手なのは小さい頃にアレを見たせいってのも多少あるかもね」

「だな」


「そ、その……夜中に全力疾走する二宮金次郎像というのは有名だったりするのか?」

「俺らふたりが知っているくらいだし、たいていの子どもなら全国レベルで知ってたりするんじゃないかな」


 龍星の答えを聞いたモエギは少しうつむくとわなわなと肩を震わせ始める。

「どこかで地雷を踏んじゃったかな」

「なんかマズいこと言ったおぼえはないんだが」


 モエギは顔を上げてキッとにらむように、龍星と陽樹を見据えると、

「なんでそんなオカルト話は全国に広まっておるのに、わしの縦横無尽じゅうおうむじんの大活躍は広まっておらんのじゃ! 剣士と妖怪からなる美男美女を率いて妖怪相手に獅子奮迅ししふんじんの大乱闘を繰り広げた天女じゃぞ! 映画化決定、全米が泣いたレベルのキャッチーさがあるじゃろうがっ!!」


 思っていたのとは毛色の違うモエギの怒りに、

「それを言ったら、天久愛流も似たようなもんだし」

「相手は全国区展開、こちらはマイナーでローカルの違いだろうね。悲しいけれど」

 龍星と陽樹は淡々と答える。


 淡泊な感想のふたりとは対照的に、モエギはだいぶ腹に据えかねてるようで、

「こうなったら、リュウセイにハルキよ、全国、いや全世界にわれらの名が轟き、響き渡るくらいの伝説をこの手で打ち立てるぞ。そうすれば日本全国のみならず世界中からわしの元に信奉者がぞくぞくとやってくるはずじゃ」


「大きく出るのは別にかまわないが、それを考えるのはまずフクマを封印してからだな」

「だね」

「おや、フクマを封印してからも神司として働こうという心づもりか。それはまあ、神としても冥利みょうりに尽きるが、はあ……やはりこの姿になる前にふたりを思う存分でておけばよかった」


「まあよい。元の姿に戻り、ふたりを愛でる日を楽しみにしようぞ。で、話を元に戻して、背負子をつくるとするか。シズカの糸とわしの布を組み合わせて……」

「ちょい待ち。糸で強度を保てるのか?」

「シズカの糸はハガネより強く、絹糸よりしなやかであるというのはお主らも身をもって知っておろう。まあ言葉を並べるよりも実物を見ればお主も納得できるはずじゃ」


 モエギはサイズを指定した棒をいくつか作るように指示し、シズカはそれに従う。 

 シズカが芯となるまっすぐな糸を何十と束にして、ばらけぬようにさらに糸を巻き付けていくと、直径5センチほどの棒が数本できあがっていく。


 龍星はそのうちの1本を手に取り、

「思ってた以上に頑丈だな」

 強度を確かめると、陽樹へと手渡す。


 陽樹は棒を受け取ると、

「それに軽いね。夢の新素材って感じ。アイドルよりこっちを売り出せば儲けが出ると思うけど」

「シズカひとりでは儲けを出すほど量産はできんな。それに妖力が元であるから、ちょいと強い神力を持つ者が触れたら文字通り御破算ごはさんになってしまうぞ」

 と、モエギは背面と座面を作るべく地面に敷いた布の上に残りの棒を並べていく。

 短いものでも30センチほど、長いものは1メートル近い。


 それらの棒を使って長方形や正方形といった四角形の枠を作り、その対角線上に新たな棒を渡し、糸でくくって、さらに頑丈な枠組みとすると、裏表にメッシュ状にした糸を貼り付け、表面を布で幾重にも覆う。

 そうやってできた厚みのあるしっかりとした背板と座面をL字型に組み上げ、肩や腰用の紐を合わせてることで、見る間に背負子がひとつできあがった。


「これが背負子か。どれ」

 と、龍星は背負子の肩掛け用紐に腕を通すと立ち上がり、腰用の紐をしっかりと腰の前でしめてみる。

「思ったよりしっかりしてるな。これなら人ひとり乗っても大丈夫そうだ」

「そうじゃろう、そうじゃろう。さあさあ」

 と急かすモエギに、

「待て待て、ちびヒメを背負うのは別にかまわないが、ほかの女の子はどうするんだ。そこに寝かしたままというわけにはいかないだろ。背負って運べというなら俺とハルで何回か往復するけど、そうなるとちびヒメには悪いが神社まで自分で歩いて行って欲しい」


「さすがに背負子を使ってもわし以外の女子を運ぶのは重労働じゃぞ、お主らにはこの先も働いてもらわくてはならぬからここで体を壊すなぞもってのほか。ここでふたたびシズカの出番じゃ」


「まさか大玉みたいして転がしていくのか」

「押していくほうがひと苦労ではないか。それにうっかり転がり落とそうものなら目も当てられん」


「というわけで、シズカよ、耳を貸せ」

 モエギがシズカに二言三言ささやくとシズカは心得たといった感じでうなずき、袖から背負子に使った棒に負けぬ太さの糸を繰り出していく。

 袖からするすると出てきた糸は山林の中を頂上のほうへ向けてどんどんと伸びていき、支柱もないのに空中で2メートルほどの高さを維持して浮かぶレールとなった。

 

「さて、あとはあの大舞台も片付けておかなくてはな」

 と、モエギはシズカがつくりあげた大きな蜘蛛の巣へ手を向けて引き寄せるように動かすと、それに連動して、蜘蛛の巣とそれに張り付いていた白布がこちらへめがけて飛んできた。

 

 モエギがさらに手を踊らせると、布は空中で十を超える数に分かれ、さきほどシズカが繰り出した糸に、1ダースほどの吊り下げ式椅子ハンギングチェアを思わせる即席のゴンドラとなってぶら下がっていく。

 そうしてできた地上50センチほどの高さにあるゴンドラに、

「クモの子のように風に乗るとはいかぬが、スキー場のリフトのようにこれを使って要石のところまで娘どもを運ぶ」

 モエギは倒れている少女たちを軽々と持ち上げては次々と乗せていく。


 その光景を見ながら、龍星は、

「リフトがあるのなら背負子とか必要なかったんでは?」

 当然の疑問を口にする。

「残念ながらこの仕組みには致命的な欠陥があってな。動力や組成はシズカの妖力なので、神力が強いわしが乗ると壊れてしまう。わしとて乗りたいのはやまやまじゃがな。そんなわけであるから、リュウセイがわしを背負って運ぶというのが最適解になる」


「やれやれ、本当に人使いの荒い神様だな」

 とぼやきつつも、龍星はもうモエギの奔放さには慣れたという感じで、彼女に背を向けてしゃがみこむ。

「では背中を預けるぞ、リュウセイ」

 モエギは遠慮なく背負子へと腰を乗せると、龍星の背に寄りかかる。

 それと同時にふんわりとした甘い香木のような匂いがただよった。


 その香りを意識しないようにして、

「座り心地とかは大丈夫か?」

 龍星は背中のモエギに尋ねる。

「悪くない。そっちはどうじゃ? わしを背負って歩けそうか? 重くはないか?」

 背負子のベルトで自身を固定しながらモエギが答えと問いを同時に発し、

「問題ない。羽みたいに軽いよ」

 龍星が答えた。余裕ぶった強がりというわけではなく、実際背中に重さは感じなかった。

「フフ……お主、なかなかどうして女子の喜ばせ方を心得ておるではないか」

 モエギは楽しそうに声を弾ませながら言った。


「ゴンドラというかリフトというか、この装置が神力で壊れちゃうのなら、僕もリュウちゃんと一緒に歩いて行くよ」

 との陽樹の言葉に、

「ああ、それなんじゃがリュウセイやハルキの神力なら乗っても壊れることはないじゃろう」

「そうなのか?」

 龍星が意外に思って声に出す。

「わし→シズカ→お主らという力関係の順で考えれば分かるじゃろ」

「じゃあ、俺もあれに乗れるのか?」

「理屈の上では」

「やっぱりちびヒメ、今からでも背中から降りて歩かないか?」


「い・や・じゃ。境内へと戻ったときのひと仕事を考えれば、わしの力を温存しておくべきなのは分かるじゃろ。それにリュウセイよ、お主の理想の男子とやらは女子に夜の山道をひとり歩かせて、自分だけリフトでスタコラサッサを決め込むのか?」


「それを言われると弱いんだが……まあ力を温存しておきたいっていうなら従うよ。ハルはそのゴンドラで先に上に行ってくれ。その女の子たちを降ろす必要もあるだろうし、早いとこ、無事な顔を見せてクーコさんを安心させたほうがいいと思う」


「分かった。そういうことなら、リュウちゃん、ヒメ様。お先に。上で待ってるよ」

 陽樹が布でできたゴンドラのひとつに慎重に乗り込むと、ゴンドラは糸の上を滑るように動き出し、陽樹や少女たちを乗せてゆっくりながらも上へと運んでいく。

「それでは姫様、神司様。わちきもお先に」

 殿しんがりを務めるように、シズカが白布のゴンドラへ優雅に座り、先を行く陽樹や少女たちのあとを追う。


 その様子を見ながら、

「それじゃ、俺たちも行くか」

 と言って、龍星が立ち上がりかけると、

「その前に……お主に謝っておきたいことがある」

 モエギがそっと呟くように言った。


「なにを?」

 との龍星の問いに、

「まずシズカの仕掛けにわしが乗ると壊れるというのはウソじゃ。神力の出力を調節すれば乗れないことはないからの。そんなウソをついたのは、こうしてお主とふたりっきりで話す機会が欲しかったからじゃ」

「なんか他の人に聞かれるとマズい話でもあるのか?」

「いやまあ、聞かれてるとマズいというわけではないが、皆の前では面映おもはゆいし、さりとてふたりのときでも面と向かってではそれこそ合わせる顔がないというか。であるからして礼儀にはずれた背中合わせでのごとになるが――」

 

「お主の流儀にもとるおこないをしでかしたことを今ここで詫びておきたい」

「俺の流儀?」

「ほら……その、神力を分けてもらうための手段とはいえ、口吸くちすいというか、せ、接吻せっぷんをしたことじゃ。リュウセイ的には、ああいうことはそれこそ夫婦か恋人同士がするものじゃろ?」

「あぁ……あれか」

 モエギとのキスを思いだして、龍星の顔がみるみるうちに赤くなっていく。


 これは確かに陽樹やシズカがいる前で謝られても気恥ずかしいことこの上なく、だからといってふたりきりで面と向かって詫びられていても気まずい感は否めなかった。

 モエギが背中合わせになるシチュエーションをわざわざ用意した理由がなんとなくではなく、その身をもって理解できた。


「でも、まあアレは……その、緊急事態だったからってことでいいんだよな」

「そ、そ、そのとおりじゃ! あのときは、その、事態が差し迫っておったから……とはいえ、やはりわしとしてはどれだけ詫びても詫びたりぬ。であるからして、その償いというわけではないが、わしが力を取り戻したあかつきには、福の神としてお主の願いを優先的にかなえてつかわすぞ」


 そう言ってから、モエギは体を少しずらして龍星の肩に後頭部を軽く乗せると、

「――それでなんじゃが、お主の願いは本当にあのような願い事でよいのか?」

 彼にだけ聞こえるような小声でささやいた。

 まるで周りの木々や星々にすら聞かれることをはばかるように。


「あのような願いって……ああ、美女美少女に囲まれて明るく楽しい青春が送れますようにってヤツなら別に無理にかなえてもらわなくてもいいぞ」

「そちらではない。本当の願い事のほうじゃ」

 淡々としたモエギの一言に、龍星は一瞬ひるむような表情を見せたが、

「そうか、願い事が分かっちゃうから隠し通すのは無理なんだっけ」

 と観念したように深呼吸をする。


 そして、

「ああ。俺の願い事ならあれでいい」

 とだけ答えた。


「……そうか。まあ悪いようにはせぬ」

 モエギの表情は龍星には見えなかったが、その声は少しさびしげに聞こえた。


 と思ったのもつかの間、

「よし、それでは参ろうか! フフフ、神仙天女ハタオリノモエギによる快進撃の幕開け、わしのわしによるわしのための伝説への第一歩じゃ、さあさあさあ、リュウセイよ、前へ前へと前進あるのみ、未来へレッツゴーじゃ! ハルキもシズカもこのまま追い越してしまおうぞっ!」

 と、モエギは高らかに無邪気な声をあげる。


「その第一歩を踏み出すのが俺でいいのか」

「リュウセイはわしの神司であるからして、リュウセイの一歩はわしのもの、わしの一歩はリュウセイのものじゃ」

「ちびヒメらしい理屈だ。悪くはない。よし、それじゃ行くとするか!」

 龍星は彼女に同調するかのように笑みを浮かべ立ち上がると、山頂の神社へ向かって一歩踏み出すと軽い足取りで歩みを進めていった。


 地上を見下ろしている月はもはや無表情ではなく、歩くよりは速く、走るよりはゆるやかな速度で夜道を進んでいく彼らの行く末を見守るかのように優しく淡い光を放っていた。


 そして彼らのことを見ていたのは夜空に浮かぶ月や星々だけではなく、地上にも――正確には樹上にも存在していた。

 ここまでの出来事を少し離れた木の上からこっそりとうかがっていたのは、焦げ茶色をした1匹の猫だった。


 夜の闇や山林の木々の中に溶け込みやすい色をした猫は息をひそめて鳴き声を発することなく、満月が映り込んだような金色の瞳ですべてを記録するかのように一部始終を観察していた。

 誰にも気付かれることなく、誰にも気付かせることなく、猫はことの成り行きを見届けると、たった一度だけあくびをするかのように口を大きく開け、目を細める。

 やがて辺りが静けさを取り戻していくと、猫は軽い身のこなしで木から飛び降り、街の明かりを目指して疾風しっぷうを思わせる勢いで夜道を駆け下りていった。

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