29、復活のモエギヒメ

 モエギは地を蹴って高く飛び上がると、上空で月明かりを受けながら、袖をはためかせて滑翔かっしょうするように一気に距離を詰め、龍星と陽樹のそばに着地する。

「やっと来たのか。で、どうにかする当てはあるんだろうな」

 今にも倒れていきそうなのを隠して根性だけで立っている龍星が尋ねると、

「無論、どうにかする当てができたからここへ来た」

 モエギは勝算ありげな表情と声色で自信満々に言い放つ。

「それじゃあ、ちびヒメを加えて大勝負といこうか」

 と、龍星は陽樹を促しつつシズカへと立ち向かおうとしたものの、これまでに受けたダメージはやはり強烈で、ふたりとも踏み出すこともかなわずによろめくと手近な木の幹に寄りかかるようにして座り込んでしまう。


「あれほど念を押したというのに……相手との技量の差が分からぬお主らでもあるまいに」

 と、モエギは龍星と陽樹を交互に見て、

「だが、ふたりとも刀気は十分に高まっておるな……ふむ、リュウセイのほうが頭ひとつ抜けて刀気が高いか。ならば……」


 モエギが龍星のほうへと歩み寄り、清水のように澄んだ瞳で、彼のことを見下ろす。

 その瞳から読み取れる感情は哀れみや嘲りといった負を象徴するものではなく、どこか昂りに似た驚きと称賛の輝きがあった。


 龍星が息を整えて言葉を発するよりも先に、

「物事には分相応というものがある。お主らは人の子ながら十二分に戦った。もう休むがよい」

 モエギが静かに、そして優しく諭すような口調で告げた。


「ここまできて休めとか、それこそ冗談も休み休みにしてくれ……俺はまだ全力を出してないし、見せ場はこれからだ」

 龍星はモエギを見返しながら、傷ついた体を鼓舞してなんとか立ち上がろうとする。

 その瞳には並々ならぬ闘志が炎のように渦巻いていた。

 しかし彼の体はその意思には応えず、立ち上がる途中で力なくへたり込んでしまう。


「そういう負けん気の強いところは嫌いではないな」

 モエギは彼のそばへとさらに近づいていく。

 それに伴い、モエギの登場を遠巻きにして見ていたフクマ憑きの少女たちも警戒しながら、ゆっくりと三人のほうへと近づきはじめた。

 無表情な月の光が照らし出す中、おびただしい妖気が周囲を取り巻いていく。


「お主らの相手は後回しじゃ、しばし待っておれ」

 フクマ憑きの少女たちへと視線を投げかけると、モエギは身をかがめて龍星の左手にはまる未散花から大きなサイズの白い布を引っ張り出した。

 モエギが動いたのを見て、フクマ憑きの少女たちはいっせいに妖気と糸の塊であるボールを使ったスパイクとシュートを仕掛けてくる。


 モエギはなんら慌てることもなく、引っ張り出した白布をボールが迫ってくる方向へとはためかせると、布は支えもないのに宙に浮く板のようになってボールの前に立ちはだかった。

 次々と妖気と糸で固められた玉が板状と化した布へと命中するが、白布はその衝撃にいっさいたわむことすらなく、妖気を打ち消すだけでなく、糸玉を吸収してその大きさを増し、さらにはフクマ憑きの少女たちへと詰め寄るように進んでいく。


 モエギが楽隊に指揮するように片手をひらりと踊らせると、白い布は一瞬で何十もの細長いリボンへとその姿を変えた。

 糸のような細さから帯のような太さまで、多種多様なリボンは宙を舞って、フクマ憑きの少女たちの手足に絡みついていたシズカの糸を寸断し、さらに少女たちをぐるぐる巻きに縛り上げてその動きを封じ、地へと転がす。


 龍星と陽樹は、自分たちが苦戦した相手を赤子の手をひねるように無力化したモエギの力に驚きを隠せなかった。


「参ったな……これ、俺ら最初からいらなかったんじゃ……」

 龍星のぼやきに、

「なにを言っておるのじゃ。今のような芸当ができるのも、お主らがここまで頑張ってくれたおかげじゃ。さきほど身の程をわきまえよと言ったが、言い過ぎじゃったな。取り消すぞ。本当にお主らの働きは天晴あっぱれなものじゃ……ふたりともわしが来るまでよくこらえてくれた。お主らのような神司を持てたことを、わしは誇りに思う」

 目を細めて慈しむように言うと、モエギは龍星の頭に手を伸ばし、その髪を優しくなでた。


 見た目は年下の少女による、子どもをあやすような手つきのくすぐったさとぬくもりに、目頭が熱くなってくるのをぐっとこらえ、

「ほめてくれるのはありがたいけど、タイミング的にはちょっと早いな。まだフクマ退治は終わってないし、さっきも言ったけど見せ場はこれからだ」

 龍星は照れくささを誤魔化すように言った。


「そうじゃな。わしもお主らに負けぬ活躍を見せねばならぬし、シズカにはわしの神司をここまで痛めつけてくれた報いを与えねばならん」

 モエギはこれまで以上に大人びた笑みで応えた。


 そして、このかんシズカは手をこまねいていたわけではなかった。

 モエギの動向を警戒しながら、着物の裾からそっと糸を繰り出し、フクマ憑きの少女たちを締め上げている白布を切り裂いて取り除こうと地面を這わせていた。


 そのことを察したモエギは、

「リュウセイ。お主の流儀にはちと反するが、わしの策に付き合ってもらうぞ」

「え? 策ってなんだ?」

「すぐに分かる……目をつぶっておれ」

 と、モエギが龍星の瞳をのぞきこむようにして顔をぐっと近づける。

「ちょっと待て。一体なにをする気なんだ?」

「時間がない。目をつぶれ、と言っておろうが」

 顔を赤くして怒ったように言うと、龍星のほほを両手で挟み込み、モエギは彼の唇にそっと自分の桃色の唇を押し当てた。


(な……なっ……!?)

 龍星の人生初めてのキスは、ほのかに暖かく柔らかい感触と、甘いカステラとこしあんの味で、そこに至るまでに浪漫も情緒もなく、そして思っていたよりもあっけなかった。

 頭の中がぐちゃぐちゃと混乱し、思考がまともに働かず、龍星は身動きも取れず、まばたきもできない状態で、モエギのなすがままとなる。

 体の中で炎が燃え上がるような感覚が沸き起こり、そこから体中の血管を導火線のようにして全身の隅々まで熱が行き渡っていくのを感じた。


 しばらく唇を触れあわせたのち、モエギは体を起こし、ゆっくりと離れて龍星から距離をとる。

 ここでようやく、自分とその置かれた状況を客観的に見る機会が訪れ、

「お、お前、こんなときにいったいなにを考えてるんだっ!!」

 どうにか頭の整理がついて、顔全体を真っ赤に染めながら龍星が言った瞬間、シズカの糸によって拘束を解かれたフクマ憑きの少女たちがモエギめがけて飛びかかってきた。


「!? まずい、ちびヒメっ!」

 龍星は叫んで体を起こそうとするが、鈍痛がそれを許さない。

 そのとき、モエギを中心に円を描くように彼女の足下から炎が燃え上がり、それは炎の柱となって空まで届くように巻き上がり、彼女の姿を覆い隠した。

 突然出現した巨大な火柱に、モエギを取り押さえようとしていた少女たちは弾き飛ばされ、炎に妖着を焼かれて下着姿で地に倒れ伏す。


 唐突な出来事に龍星と陽樹が言葉を失っていると、

「安心せい。わしなら無事じゃ」

 色とりどりに揺らめき、生き物のようにうねる炎の中から答える声に続き、

「はっ!」

 という気合いをこめた声が響くと、炎が花火のように四方八方へと散って火柱は跡形もなく消え失せる。


 炎が消えた場所に立っていたのは、時代劇に出てくるような女剣士を思わせる萌黄色の小袖と袴に白足袋、草鞋わらじばきという和装の上に桃色の薄い羽衣はごろもをまとった娘だった。

 年齢は十代後半から二十代前半といったところで、凛とした面構え、秀でた眉、力強さを秘めた瞳。涼しげな微笑みを浮かべる口元、肩の下まで伸びた柔らかく波打つ髪と見る者の心を引きつける鮮麗な印象を持っていた。

 身にまとう小袖の袖と袴の裾には波打つ炎のような紋様が浮かび上がり、それは満ち溢れんばかりの若々しい活力を感じさせる神々しい輝きとなって彼女の体を包んでいる。

 その姿は絵巻物やCGプリントに描かれていた天女ハタオリノモエギそのものだった。


 天女姿の娘は龍星へと目をやり、にっこりと微笑むと、

「礼を言うぞ、リュウセイ。お主のおかげで元のわしの姿に戻ることができた」

 その笑顔に、龍星は少女モエギの面影を見て「お前、本当にあのちびヒメなのか?」と尋ねた。

「いかにも。こちらがわしの本当の姿と言うたであろう? フフッ……もうちびヒメなどとは呼ばせぬぞ、リュウセイ。それから『わしに惚れるでないぞ』などと言いたいところじゃが、このわしの美麗な姿を前にそれも酷な話じゃろうから、さあリュウセイ、存分にわしに惚れよ、焦がれよ、憧れよっ!」

 少女の姿ではなく天女ハタオリノモエギとしての姿を取り戻したモエギは、龍星と陽樹に向けて無邪気にウインクすると、少女の姿のときと同じように気取ってひらりとその場でターンしてみせる。

 翻った袖に描かれた炎の紋様が淡く儚くも美しく赤い軌跡を宙に描いた。


 そうしてモエギは、シズカのほうを威圧するように睥睨すると、

「天の者、地の者、とくと聞け! 名だたる神々の力を宿した七天罰、れを賜りし我が名はハタオリノモエギヒメ、つかさどりしは福と服。森羅万象しんらばんしょう有形無形ゆうけいむけい、老いも若きも男も女も遠慮はいらぬ、喝采かっさい礼賛らいさん歎美たんびせよ! 今宵こよいめでたき祭りのうたげに、意気軒昂いきけんこうたるこの麗姿れいし、さあたっとぶがよい! あがめるがよいっ!! 激賞げきしょう三歎さんたんするがよいっ!!」

 はしゃぐような声で大胆不敵に名乗りをあげた彼女の首元で、勾玉の首飾りが月や星の明かりを吸収したようにきらびやかな光を放った。

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