26、婀羅紅寧

 琥珀を退けると行く手をはばんでいた不可視の壁は消え去り、ふたりは光の蝶に導かれるように木々の中を抜けて、例の花魁道中へと追いついた。

 追いついたというよりは、向こうが待っていたというほうが正しいかもしれない。

 ふたりがたどり着いたときには、彼女たちは歩みを止めており、陣を張るようにそこにたたずんでいたからだ。

 その場所も龍星と琥珀が仕合を繰り広げた露地ろじに似た立地だった。


 炎のようにゆらゆらと揺れる鬼火をいくつも周辺に配して、遊女姿の女性がひとり、その中心にこちらに背を向けて立ち、様々な衣装を身につけた10人のフクマ憑きの少女たちが彼女を守るかのように五人ずつ二列になって並んでいる。

 巫女装束、浴衣姿、コスプレ衣装と彼女たちの着ている服に統一感はないものの、夜の山林にて空の明かりと鬼火に照らし出された少女たちはそのちぐはぐさとは一線を画した奇怪な雰囲気をまとっていた。


 少女たちの光彩を失った涅色くりいろの瞳が漫然と、龍星と陽樹のふたりへ向けられる。彼女たちは琥珀とは違い、寄生型のフクマ憑きのようだった。

 龍星と陽樹はそのうつろな目を向けてくる少女たちの後ろ、集団の中心的存在とおぼしき遊女姿の女性へと目をやると、視線に気づいたのか、彼女はゆっくりとこちらへ振り向いた。


 大きく襟が後ろに引かれた黒基調の留袖とめそでは袖と裾に黄色い線がひとすじ走り、腰には黄色地に緑青色の横縞が3本入った幅広の帯。それより下には鮮紅色せんこうしょく斑紋はんもんが入り、よく見れば蜘蛛の巣をかたどった模様が美しく無理のない形で前身頃まえみごろに華を添えていた。

 下駄は三枚歯の黒高下駄、鼻緒は紅白。髪は伊達兵庫髷だてひょうごまげ、そこにサンゴの玉で飾りつけたかんざし、大きな玉をはめ込んだ鼈甲べっこう簪、さらには六本の見事な金簪。

 蜘蛛の眼と脚の隠喩であるそれらは揃って、彼女がジョロウグモの化身であると納得させるだけの偉力いりょくを持っていた。


 白粉おしろいで白に染められた肌は生命いのちを宿した白磁はくじのようになめらかさとなまめかしさを感じさせ、目尻と唇を彩る血色映えるべにときりりとした眉の黒が強い生命力を表現している。

 それでいながら、見る者の心を惑わすようなはかなく物憂げに見える表情のアンバランスさがより彼女を妖艶かつ幻想的な雰囲気の持ち主に見せていた。

 彼女こそがこの地で織り手の娘たちをかどわかしてきた蜘蛛の化身シズカこと妖怪婀羅紅寧アラクレナイノシズカ、龍星と陽樹が出会った巫女の本性であり、その様は文字通りの魔性のものといえた。


 巫女の姿だったときとは違い、上品さを維持しているものの、あでやかさや婀娜あだっぽさ、そして妖気を隠さずにその全身からただよわせている姿は、モエギから事前に話を聞いていなければ、同一人物とはとても思えない。

 そして、ただそこに立っているだけでも、これまで相手をしてきたフクマ憑きとは比べものにならない妖気を発しており、それによって辺りの空気は背筋が寒くなるほどの冷え冷えとしたものとなってふたりを圧倒する。

 神力によって護られてるとはいえ、気を抜けば、全身からすべての力が奪われてしまうような戦慄があった。


「あのおっとり巫女さんがここまで雰囲気が変わるとはねえ」

「化粧に化けるって字を当てる理由が分かった気がする」

 冷や汗を拭ったふたりの口から自然と感想がもれる。


「可愛らしい虎のお嬢さんをお待ちしていたんでありんすがねぇ……ん? 主さんたちはさきほどの……」

 やってきた龍星と陽樹を見て、蜘蛛のシズカが口を開いた。

 伏し目がちにしていた目をぱっちりと開き、こちらをとらえた深い闇色の瞳が鬼火の揺らめきを受けて艶めくように潤んで見える。

 穏やかなその口調はまるで耳元でささやかれているかのようで、巫女のときと同様に、聞いていて心地よさを感じる柔らかな声だった。

 瞳も声も、相対する者を底なしの沼に引きずり込むような妖しい魅力に満ちていた。


「姫様が追ってきているものばかりと思っていたでありんすが、どうやらお二方の風体ふうていを見るからに、お二方とも姫様の神司になったんでありんすね」

 予想外だったかのように、彼女が告げる。

「フクマの封印を解いた責任を取るためにね」

「それは難儀なことでございんしたね」

 龍星の放った皮肉が通じた様子もなく、相変わらずのおっとりとした口調でシズカは答えた。


 特に悪びれる様子もない態度にごうを煮やしたのか、モエギの式神である蝶が抗議するかのように突進していく。

 シズカはそれに臆する様子もなく、すっと地面を蹴って後ろに跳ぶと空中で優雅に両腕を左右に広げる。

 すると袖や裾からおびただしい量の細糸が放たれ、周囲の木や地面へと伸びて、あっという間に三十度ほどの傾斜をつけた超巨大な蜘蛛の巣ができあがった。

 月明かりを浴びてきらめく金色の横糸と銀色の縦糸の織りなす、美しい幾何学模様がシズカの足下に広がり、彼女は龍星や陽樹を見下ろすようにその中心へと降り立つ。


 蝶は追撃するかのように舞うが、シズカは慌てる様子もなく、そっと白い手を前へと向ける。

 血のような紅で彩られた爪を持つ指先から一筋の糸が放たれ、蝶を絡め取ると、そのまま彼女の着物に浮かぶ蜘蛛の巣模様の中に捕らえて紋様の一部としてしまう。


「げっ、ちびヒメの式神が捕まっちまったぞ」

「これはマズイかもしれないね」

「というと?」

「ヒメ様の神力で動く蝶をノーダメージで取り込んだってことは、向こうの妖力のほうが高いからって考えられるでしょ。僕らの力じゃ足止めどころか攻撃が通じるかどうかも分からないよ」

「でも、あの蝶は俺らのハリセンと違って、フクマを吹っ飛ばす力もない道案内に特化してたタイプだろう? だから、この炎天と氷天ならやれるんじゃないのか」

「どうだろう? やってみないと分からないけど」

「じゃあ簡単だ。やってみればいいんだ」

 龍星は言うが早いか、ハリセンを構え、陽樹もそれにならう。


 彼らの臨戦態勢を見たシズカがそっと腕を上げると、網の前に立ち並んでいた少女たちも攻撃態勢をとる。

 つかみかかるように伸ばした手のそれぞれの指にクモの脚を思わせる動きをさせ、目には敵意を宿して、少女たちはふたりめがけて一斉に飛びかかってきた。

 だが龍星と陽樹の敵にはならず、彼女たちの妖着はふたりが放つ剣技の前にことごとく散っていく。


「おんや? お二方がお使いになるのは、天久愛流でありんすね」

 ふたりの戦いっぷりを見て、シズカが言った。

「いかにも」

「主さんたちや天久愛流に恨み辛みはありんせんが、わちきの大望をかなえるために少々痛い目をみておくんなんし」

 シズカの袖から無数とも言える糸の束が飛び出し、ふたりの前に倒れ伏している半裸の少女たちへと一目散に伸びていく。


 龍星と陽樹がそれに対して行動を起こすよりも先に、糸は少女の手足へとからみつくようにして、倒れていた彼女たちを引き寄せ、立ち上がらせた。

 シズカがたたずむ蜘蛛の巣の前に下着姿の少女たちが壁のようになって立ち塞がる。

 それを直視しないようにしながら、

「女の子を盾にする気か!」

 と問う龍星に、

「盾? そんなケチなことしんせん」

 シズカが堂々とした態度で答えると、それが合図だったかのように、少女たちの手足に絡みついていた白銀の糸がするすると彼女たちの体を覆っていく。

 首から下を糸で覆われ、包帯がまかれたエジプトのミイラのようになった少女たちの胸元に、黒いクモの紋様が浮かび上がる。


 クモの八本の脚は、四本ずつ上下に分かれて向いており、そのそれぞれの足先から妖気を帯びた赤い糸が飛び出すと、上は少女たちの肩や腕、胸元を、下は腰、脚のラインをなぞりながら、彼女たちの体の上に枠組みを描くように伸びていく。

 赤い糸が少女たちの体をキャンパスにとある形を描ききると、一瞬の明るい光を放ったのち、少女たちの素肌を覆い隠していた糸はその姿を変えて、彼女たちの体を覆う新たな妖着の形を取り始める。


「え、なんだよそれ。ずるすぎだろ」

「チートでしょ、それは」

 思わず龍星と陽樹のふたりは声をあげる。


 これまではハリセンでフクマの取り憑いた妖着を弾き飛ばしてしまえば、少女たちがふたたびフクマ憑きとして立ち上がってくることはなかった。

 しかし、今目の前で起きているのは間違いなく服の再生のみならずフクマの再生であった。


「どうなってるんだ? ちびヒメは一度フクマを弾き飛ばせば、二度と取り憑かれることはないって言ってただろ」

「可能性はふたつ。ひとつはヒメ様の思い違い。ただこれは今まで相手をしてきた女の子が復活することはなかったからたぶん不正解。有力というかたぶん正解なのは、僕たちの神力よりも向こうの妖力のほうが強くて、神力の保護が上書きされてるって可能性」

「そっちのほうがありそうだな。で、この場合どうすればいいと思う?」

「プランは二つ。一つは三十六計逃げるにしかず」

「却下だ。ここまで来て尻尾をまいて逃げられるかって」

「じゃあ次。ヒメ様の過去話カコバナから推測すると、フクマを弱らせてから封印したっぽいから、相手の妖力にも限度がある」

「分かった。あれだろ、つまり向こうさんのMPが底をつくまでハリセン叩き込み続ければいいんだろ?」

「MPってのが正しいかどうかは分からないけど、例えとしてはそういうこと」

 ふたりは事態を打開するための目算を立てると、ハリセンを構え直した。

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