25、決着

 対峙するふたりの周囲にうっすらと夏の夜のそれとは違う熱気と冷気がただよう。

 そのふたつが混じり合うことで生み出された闘争の空気を凌駕りょうがするように、ふたりは目の前の相手へと精神を集中させていく。

 頃合いだった。


「さあ、やろうか。楽しみだよ、キミの本気」

 琥珀が身構えると、

「なるべく期待に添うように努力はするよ」

 龍星も腰を少し落として右手を木刀の柄にそっと乗せた。


 琥珀は名も知らぬ好敵手の構えを見ながら思案を巡らせる。

 向こうの狙いは居合抜きを使ったカウンターと見てまちがいなさそうだ。

(さてさて、どう攻めますかね……)

 隙の無さはこれまで以上。しかも相手のリーチの中に踏み込んだ途端に、電光石火でんこうせっかの一撃が放たれるのは目に見えている。

 ここからはタイミングの読み合いと考えて、呼吸と拍子を読み合うように対峙していると、琥珀にとって自身の目を疑うようなことが起こった。

 目の前の相手から戦意や気迫といった伝わってくるはずのものが感じ取れなくなったのだ。

 それはまるで相手が体ごと周囲の空気へと溶け込んだかのような錯覚を彼女に与えた。

(マジですか……ますます攻め込みにくく……)

 攻めるタイミングを見計らっているうちに、とうとうしびれを切らしたのか、相手のほうが先に動いた。


 疾風迅雷しっぷうじんらいのごとく、一気に静が動に変化する。

 すり足で距離を縮めるような動きではなく、これまでの琥珀と立場を逆転させたかのように、歩幅は大きく、大胆不敵とまで思えるほど一直線で突っ込んでくる。

 視線はこちらを見据え、姿勢はやや前傾姿勢、木刀の先端は巧みに体の後ろ側へとに隠している。

(なるほど、寸前まで軌道を読ませないつもりね)

 ――彼が振り抜く木刀の描く半円を見切り、こちらの最高の一撃を入れる。

 その瞬間のためだけに、間合いぎりぎりまで引きつけようと試みる。


 だが琥珀の予想よりも早く、相手は右手を動かして木刀を引き抜いた。

(いやそこはまだ遠いでしょ、まさか目測を誤ったん?)

 切っ先が描く半円はどう考えても自分には届かない。わずかながら、という距離ではなく、そもそもあと数歩は足りない。


(こちらが動くんを見越しての先読み?)

 たしかに少し前の琥珀なら、同じようにしびれを切らして前に出ていただろう。

 それを計算に入れたとしても、やや遠い。

 琥珀は瞬時に相手の思惑を探ろうとする。

 振り抜いたあと軽く円を描いて剣を戻す、という動作を攻防戦の中で一度、素振りの最後でも自然にその軌跡を見せていた。

 おそらくは何十、何百、何千と反復することで、無意識でも繰り出せるほどの技に昇華したのだろう。

 そうとなると、狙いは一撃めが当たらなくともすかさず二の太刀という二段構えと考えていいはずだ。 

 しかし、相手の基本戦法をカウンター狙いと読んでいる今なら、こちらから攻めるのは不利になる。さらには得意の動きをこちらが知らないままならともかく流れの中で見た限りでは見切れないような軌道でもない。

 だからこそ、この距離での彼がとった行動は失策ともいえる。

 それらのことも相手も理解できていると思っていたのに――。


(そこまで以心伝心いしんでんしんとはいかないか……あーぁ、これで終わっちゃうのはもったいないな……もっとずっとやり合っていられるんと思ったのに……うちが勝ったら稽古相手になってもらうような約束でもしておけばよかった)

 そんなことを考えつつ、剣の動きが生み出す隙に一撃を入れようとした次の瞬間、口惜しい気分でいた彼女を驚嘆させる出来事が起こった。

 居合いのように振り抜かれた木刀は半円の弧を描いている途中で、その切っ先をまっすぐに彼女へと迫ってきたのだ。


(突きに切り替えてきた?)

 彼女の判断どおり、龍星は振り抜いた木刀が半円を描く途中、先端が琥珀に向いた状態で突きへと移行させたのだ。

 柄頭となる部分に左手を添えて、体全体で切っ先を押し出すかのように、より速度を増して、あっという間にあと数歩という距離をあと数センチへと詰めてくる。


(すごい、すごい、すごい!)

 居合抜きの素振りや自分の得意技を必勝の一撃に見せかけたフェイクとしたのかどうかは分からない。

 しかし彼女が先に動くか、後に動くかまで向こうが計算に入れていたのは間違いない。

 はしゃぎだしたい気持ちとは裏腹に、琥珀の脳内ではこの切っ先をどうさばくべきか目まぐるしく計算が始まる。

 視界にとらえたすべてがスローモーションのように動く。

 切っ先はぶれることなく一直線に琥珀へと迫る。

 白木の木刀は相手の着ている白装束に溶け込むようで距離感がつかみづらい。

 それまでも計算のうちだとしたら、これほどまでに恐ろしく、また楽しい相手はない。

(でも、終わらせるっ――!!)

 受ける、よける、弾く――さまざまな対処法が脳裏に浮かび、それぞれを実行したあとの予測まで弾き出す。


(横に弾いて、がら空きになった体に突きを、うちの最高の一撃を入れる!)

 木刀を拳で弾くのは正気の沙汰とは言えないが、左拳を犠牲にしても今できることをやりきりたいという、ここまでのやり取りから生じた高揚感には抗えなかった。


 琥珀は木刀が自分の間合いに入ると同時に、左の拳で大きく外へと弾く。

 しかし確実に拳で弾いたつもりだったが、思ったより手ごたえがなかった。

(空振った!?)

 自身の目測と拳への感触を疑い、琥珀は思わず視線を横へとずらす。

 視界に映ったのは、ずらされた木刀があるべき場所にちらつく白い物体だった。

 それが木刀ではないことには一瞬で気づいたが、その正体まで分からなかった。

 しかし、すぐにそれが見覚えのあるものだということに気づく。

(ハリセン!? うちが拳で弾くタイミングで木刀をハリセンに戻したん!?)


 ハリセンが木刀になるのならその逆もあり、それは理屈として分かる。

 そのことを考慮に入れたとしても、もし拳で弾くわけではなく、小突いて軽く軌道をずらす程度だったら? もし木刀をつかんで至近距離での格闘戦になったら?

 たまたま拳で大きく弾いたから、木刀をハリセンに戻すという奇策が功を奏しただけ……違う、たまたまとか誘導されたとかそういう感じじゃない。

 こちらがいくつかのパターンを想定していたように、彼も彼なりの策をいくつか講じていたはず。そのひとつが見事に花開いたというわけだ。


 そして好機を見逃さず、龍星はさらに間合いを詰めて、彼女が体勢を立て直すよりも速くその懐へと潜り込んでいく。


(まずい!)

 思ったよりも接近されすぎた。

 おまけに左腕を大きく振り回すかたちになったせいで、バランスがやや崩れ、こちらの胴ががら空きだ。

 本来突き出しておくべき右拳も、左拳への違和感のせいでタイミングがずれた。

(ここで引き離さんとこっちが終わる!)

 今すぐに使えそうなのは右腕と右脚。どちらも相手を一撃で倒すほどのパワーは見込めないが、体勢を立て直すきっかけにはなるはずだ。

 琥珀はなかば相手を突き飛ばすように、勢いよく右拳を前に出した。

 突きに手応えはあったが、それにも若干の違和感があった。

 琥珀の目には、相手が左手の掌を使って、彼女の拳を滑らせるように受け流し、その軌道を逸らしていく一部始終が映った。

 拳がとらえた感触は、その左手に厚く巻かれた手ぬぐいのものだった。


 拳を突き出すのに勢いをつけすぎていたせいで、琥珀の体がバランスを崩す。

「あっ……」

 ハリセンが彼女の伸びきった腕の下を沿って滑るように戻ってきて、彼女の脇腹に静かに触れると、そこから浄化の炎がほとばしり、体を包む妖着を瞬く間に焼き尽くしていった。


 これまでと違うフクマの消え方に、龍星は戸惑いを覚えたが、琥珀のミニチャイナが消えるとの同時に炎が消え失せたことと、彼女の体に火傷らしきものがひとつもないことを見て、とりあえずは安堵する。


 妖着を失い、飾り気のない白いスポーツタイプの下着姿となって、糸が切れたマリオネットさながらに力なく崩れ落ちようとする琥珀の体を、龍星はしっかりと体で支え、さっと未散華から引き出した布を彼女にまとわせた。

「一本取られちゃったか……」

 龍星の肩にあごを乗せる形になった琥珀が、彼の耳元でつぶやく。

 その声は、悔しさを感じさせるものではなかった。

「ごめん、だまし討ちにみたいな手を使って。でも、そうでもしないと君には勝てそうになかった。それに……」

「それに?」

「どんな手を使ってでも勝たなくちゃいけない理由があるんだ」

「理由?」

「ああ。君に取り憑いていた妖怪フクマは時間が経つごとに強くなる、そうしたら腕試しをしたいっていう願い事もどんどんゆがんで君本来の思いからかけ離れていくから、なるべく早く決着をつけたかった」

「そっか、そうなんだ……えっと……ありがと。で、今さらなんだけど、キミ、名前は?」

「鶴が来る龍の星、って書いて『つるぎりゅうせい』だ」

「キミが龍で、うちが虎か……なんか出来過ぎな組み合わせだね」

 龍星からは琥珀の表情は見えなかったが、彼女は笑っているようだった。

「そうだな」

「とりあえずは、いい勝負だったよね?」

「たぶんね」

「また勝負できるといいね」

「……それはちょっと困るな」

 と答えた龍星への返事はなかった。

 琥珀もほかの少女と同じように気を失っていた。

 龍星は彼女を抱きかかえて、そばにある木へと寄りかからせる。


「どうやら結界は解けたみたいだよ」

 陽樹が近づいてきて声をかけた。

 その言葉どおり、今まで宙に浮いていた鬼火はひとつ残らず見えなくなっている。

「これで先に進めるな」

「しかしまあ見ているだけでひやひやしたよ。実際に相手をしていたリュウちゃんはもっと大変だっただろうけど」

「ああ。師匠までとはいかないけど、それに近いのを相手にしているような感覚だった」

「そこまでの相手だったんだ。ってよく、そんな相手に挑発することできたね」

「そこはほら、策略ってやつ?」

「僕なら挑発としてもあんなハッタリをかますことはできないかな。実際のところ、パンツなんか見ている余裕なんかなかったでしょ」

「彼女も言ってたけど『兵は詭道なり』だぜ。つうか、あれくらいのこと言わないとあの子を怒らせてカウンターを狙うなんて芸当できないしな」

「たしかにまあ、怒らせるには手っ取り早いやり方だったかもしれないけどね」

「だろ……って、見えてないのを知ってて教育的指導とか言ったのか?」

「何年つきあいがあると思ってるの。カウンター狙いで、リュウちゃんがあの子を怒らせようとしているのは分かったからね」

「やっぱ、そういうトコロじゃ、ハルにはかないそうにないな」

「兵は詭道なりと言えば、ハレの型から突きへと変化させるのもすごかったけど、あの土壇場で木刀をハリセンに戻すなんてよく思いついたね」

「素振り中に思わずハレの型が出ちゃったから、これは見せ技として使えるかもってなってさ。ハリセンに戻したのはさすがに木刀で女の子を叩くわけにはいかないし……だまし討ちみたいな感じだったから、あとであの子にはもう一度きちんと謝らないとダメだな」

「ところで謝るとしたら、あの子だけじゃなくて、ここまで脱がしてきた子全員に謝らないといけないよね」

「ああ。それで考えたんだけど、今回あの話はあきらめよう」

「あの話って?」

「ブルーグレーな青春からの脱出」

「そっち? なんで?」

「不可抗力とはいえ、結果的に服を脱がすことになってる俺らを応援したり、道場に弟子入りしたりしてくれるような女の子がいると思うか?」

「あー。そういわれるとたしかに」

「師匠が帰ってきたら、師匠にも謝らないとダメだな、こりゃ」

「話せば分かってもらえるとは思うけどね」

「ますます師匠に頭が上がらなくなる」

「そうだね」


「しっかし、疲れた」

 龍星はひと息つくと、どっと疲れが出たのか、勢いよく地面に座り込んだ。

「今ので終わりだったらどんなによかったか」

「手練れというか共生タイプだけでなく、より強い支配タイプがいるって考えると、この先きつそうだね」

「ちびヒメは、俺らなら共生タイプは問題なく対処できるみたいに言ってたけど、実際のトコロ、けっこうツライわ」

「もしかすると、ヒメ様的には、僕らがふたりで戦うなら対処できるってことなのかもね」

「ああ、そういうことか。半人前と半人前を足して一人前とか言ってたしな……じゃあ次は協力プレイでいくか」

「OK」

「そういえば、あのちびヒメの蝶はどうした?」

「あっち」

 陽樹が指さす方向を見ると、モエギの式神は彼らよりもずっと先に進んでおり、早くしろと言わんばかりにその場でぐるぐると小さな円を描いていた。

「まったく、人使いの荒い神様だな。まあそれだけ俺らが期待されてるってことにしとくか」

 自らを元気づけるように言うと、龍星は立ち上がった。

「それじゃあ、街に出られる前に追いつこうぜ」


 ふたりは光の蝶の導きを頼りに、シズカを追って林の中をさらに下っていく。

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