23、一撃に賭ける

(さすがに油断して突っ込んできてはくれなかったか……)

 ヤトの型を主軸に防御を固めていた龍星が初めて放ったハレの型。

 できれば初見の状態で決めたかった一撃が通らなかったのはやや手痛いが、計画の第一段階はどうやら上出来のようで、思惑どおりに琥珀は警戒するように後ろに大きく飛びのいて距離を取った。

 龍星はそれを追おうとはせず、その場に残ってハリセンを左脇に構え直して、琥珀の警戒を誘う。

 彼女が用心に用心を重ね、こちらの隙をうかがっているのが分かると、龍星は用意しておいたセリフを口にした。


「ではお言葉に甘えて、そろそろこちらのターンに移らせてもらおうかな。パンツは充分堪能させてもらったことだし」

 その一言に、ようやく自分が着ているチャイナドレスの丈に気づいたのか、琥珀は顔を赤らめると裾を下へ引っ張って、

「まさか、うちの下着を見るためだけに攻撃せずにいたってわけ……?」

 怒り半分、あきれ半分といった感じで尋ねる。

「だとしたら?」

 さらに挑発するような龍星の答えに、

「リュウちゃん、最低だね。それこそ教育的指導が入るよ」

 陽樹が横やりを入れる。

「お前、どっちの味方なんだよ」

「この状況なら、どう考えても女子側につくでしょ」

「それもそうか」

 当然ともいえる答えに龍星は思わず苦笑する。


「……その余裕とふざけた態度が命取りにならんきゃいいけどね」

 琥珀の表情が今までと一転して、きつく険しい顔つきになった。

 怒りを宿してもなお、その表情は凛として美しく見える。

「さて、これ以上見られたところで、もうどうってことないし」

 琥珀はミニチャイナの裾から手を離すと、

「避けることも受け流すことも許さない。一撃で沈んでもらう」

 まるで本物の虎を彷彿ほうふつさせるぎらつきと炎を思わせる輝きをその目に宿して、拳を固めた。

 薄く開いた口からは荒々しさを押し殺したような呼吸がもれる。

 彼女を中心に周囲の空気が凍りついていくような感覚が広がった。


 チリチリと肌を刺すような敵意が向けられる中、

(よし、どうやらここまでは成功みたいだな)

 龍星は内心ほくそえんでいた。

 彼の立てた作戦は、まずは距離を取ったあと、琥珀の頭に血をのぼらせる。これは攻撃を単純化させるための策だ。

 そのために彼女の果たし合い、勝負にかける意気込みを逆手にとって、それを茶化ちゃかすような態度を取ってみせたのだ。

 ここまでの攻防の最中、下着なんか見ている余裕などなかったが、彼女の怒りを買うための最上策と踏んで、それを採用してあからさまに挑発してみせた。

 こっちの思惑を知ってか知らずか、陽樹が後押ししてくれたのも大きい。

 まあ琥珀から向けられている敵意というよりも殺意を見るかぎり、思った以上の効き目があったのもたしかだが。


(問題はここからだな)

 激昂げきこうした彼女の一撃に耐えられるかは分からない。

 だが、一撃必殺を狙ってくるのならば、おのずと向こうの狙いも読める。

(さて、拳が来るか蹴りが来るか)

 龍星が考えを巡らせていると、琥珀が握りしめた右の拳に異様なまでの力が集中していくのが、なんとなくだが分かった。

 これはおそらく神気の宿った鉢金や服のおかげだろう。

 おそらく琥珀は一瞬で踏み込んできて、右手の正拳を当ててくるに違いない。

 陽樹の言葉が正しければ、得意技は突進力を活かした突きのはずだ。

 だとすれば、カウンターには絶好だ。あとはタイミングの勝負だけ。

 対応が一瞬でも遅れればどうなるか。ここからは瞬きすらも命取りになりかねない。

 背筋に冷たいものが走り、手にはじっとりと汗をかいているのが分かる。

 それでいて、不思議な高揚感があった。


(武者震いってヤツになるのかな……この感覚は久しぶりだな)

 焦りを抑え、呼吸を楽にして、一瞬の勝機のためだけに備える。

 琥珀を迎撃するため、防御主体となるヤトの型へ移行して、その初手として、ハリセンを両手で握り、体の正面へと構え、先端は斜め下段へと向ける。

 構えをとるとほぼ同時に琥珀が動いた。

 姿勢は低く、速度は今までよりも速い。一直線すぎると感じるほどに、まっすぐこちらへ突き進んでくる。

 稲妻を思わせるような速さ。だが対応できない速度ではない。


(いける……ッ!)

 このまま琥珀の繰り出す拳を紙一重で避け、こちらは一撃を入れて終了……のはずだったが、

「おっと。あぶない、あぶない」

 と、龍星が動くよりも早く、突然、琥珀は攻撃の勢いを殺し、飛び退くようにして大きく距離を取ると、そこからさらに後ろへと下がって構え直す。


(まさか読まれたのか?)

 龍星は動揺をむりやり抑え込み、

「……さっきまでの意気込みは?」

 と、挑発する態度を崩さぬまま聞く。

「あのさ、目が笑ってないんよね、キミ。フッ……『兵は詭道きどうなり』か、なかなかどうして策士じゃないの」

 答えた琥珀の表情からは険悪さが消え、どこか敬意を表す感じに変わっていた。


 一方、龍星は策が読まれるとは思ってもいなかったので、外面に出さないものの焦りやショックを少なからず感じていた。

 琥珀の怒りを買い、一撃を誘うところまでうまく行っていたのだが、まさかの土壇場で、彼女がそれまでの憤怒ふんぬを押さえ込んで冷静さを取り戻したのは大きな誤算だった。

「はぁ……手強いな」

 思わず口からボヤキがもれる。

「そういうキミもね」

 琥珀は楽しげな表情で返すと、大きく深呼吸をし、それから、

「ふふ……あは、あははははは」

 と愉快そうに大声で笑った。

 さきほどまでの怒りはどこへやらといった感じで、妙にすがすがしさを感じさせる楽しげな笑いだった。

 突然のことに面食らう龍星に対し、

「あー、ごめんごめん。今の笑いは自分なりのスイッチの切り替え。アタマ冷やすためのね。いやー、すっかりだまされたというんか、ホントとんでもない食わせ者だねえ、キミは」

 琥珀は笑った理由を説明しつつ、感嘆ととれる楽しげな表情を龍星のほうへと向けた。

 

 気持ちを切り替えたことで、かなり頭が冷えてきたのを琥珀は感じていた。

 そして落ち着きを取り戻した状態で、もう一度目の前に立つ相手へ目を向ける。

 道場で「頭に血がのぼっているときには、心の中にもうひとりの自分をつくって冷静かつ客観的に事態や状況を見てみること」と教わっていたのに、途中まではまんまと彼の術中にはまっていた。

 この長いとも短いともいえる手合わせの中で、こちらの性格を読んでの挑発だとしたら相当の手練手管てれんてくだとしか言い様がない。

 それは彼女にとって軽蔑の対象では決してなく、むしろ称賛に値するものだった。

「うちの腹立ちやら動揺やらその他諸々を自分のペースにはめ込んでから、怒りの一撃を誘っておいて必殺のカウンター狙い……よくまあこの接戦の中で考えつくよね。本当に面白いよ、キミは」

 琥珀はこれまでで一番嬉しそうな声で、朗らかに笑った。

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