22、竜虎相搏つ

 そして琥珀のいうところの第二ラウンドがゴングもなく始まった。

 先に仕掛けてきたのは、やはり彼女だった。

 これまでと同じく、獲物を追い立てる獣の狩りを思わせる速度であっという間に距離をつめると、蹴りだけでなく拳や肘も入れ混ぜたコンビネーションを繰り出す。

 連発される彼女の攻撃に、龍星は全力で対応する。


 攻防というよりは防戦一方に近い中で、徐々にハリセンが手になじんできたように龍星は感じた。さらには、まるでハリセンそのものに意思があるかのように、打撃を受け止めるときには芯があるかのようにやや硬く、受け流すときには柳のようにしなやかにと、こちらの意図を汲むかのように手の中で変化する。


 だが、いくどかカウンターを取るようにして服にハリセンを当てようと試みても、龍星の打撃は腕と脚をたくみに使う琥珀の防御を突破することができなかった。

 ハリセンに妖着を浄化する力があっても、彼女を包み込んでいる大元を直接打ち据えなければ問題は解決しない。

 龍星は、はやる気持ちをぐっとこらえる。


 そしてまた攻防戦が続く。

 一見、互いともに隙だらけで打ち合っているように見える。それでいてお互いが必勝の一撃を打ち込むべく、相手の一挙一動を見逃すまいとしているのだ。

 ふたりがそれぞれまとう神力と妖力が竜虎相搏りゅうこあいうつの言葉を体現するように熱気と冷気に姿を変えて立ちのぼり、周囲を取り巻く空気がひりひりとしたものに染まっていく。

 陽樹だけでなく、式神の蝶、鬼火、周辺の木々までもが魅入られたように、ふたりの戦いの成り行きをただただ静かに見ているしかなかった。


(こうも隙が無いと直接当てるのは難しいな)

 と勝ち筋について考えているうちに、龍星の脳裏にひとつ妙案が浮かんできた。

 琥珀が防御したときに生じるハリセンのしなりを利用して、部分的でもチャイナドレスにハリセンが触れればフクマを祓えるはずだ。

 そうなると今までどおりカウンターを狙って行くにしても相打ち覚悟で臨まなければならないかもしれないが、相打ちだとしても結果オーライと考えられる。


(よし!)

 龍星は決意を新たにすると、勝機を見いだすためにより防御に集中する。

 そしてカウンターとして繰り出す攻撃も今までよりも一歩踏む込むようなやや大胆めいた動きへ変えていく。

 しかし、こちらが踏み込めばあちらが退き、こちらが退けばあちらが押すというように事態は一向に好転しない。

 そのため、龍星はあえて自ら隙をつくるという危険な賭けに出ることにした。

 その隙もわざとらしい隙ではかえって相手の警戒を招くため、さりげなく自然にできたわずかな隙というようにカモフラージュしなくてはならない。

 自分の思いつきながら、なんとも無理な注文といえたがやるしかなかった。


 乱戦ともいえる中、琥珀の動きに対して少しずつ遅れ気味になるように防御を最小限の動きとテンポに抑えて、より正確なカウンターを打ち込むための一撃を誘う。

 龍星の精彩を欠くような動きを琥珀は見逃すことなく、攻撃はより鋭くなっていく。

 そしてチャンスを見計らうお互いの波長があったかのようにその瞬間は訪れた。


 間隙を縫うような琥珀の突きがこちらのカウンターも防御も物ともせぬ勢いで繰り出される。

 龍星は計画どおり防御を捨てて、踏み込みを強めて、横から薙ぐようにして繰り出したカウンターの軌道を途中で山なりに変化させて琥珀の肩を狙う。

 琥珀はそれを見越していたかのように軽く身を沈めるとハリセンの一撃を左腕で受け止め、右拳によるストレートを出し切った。

 龍星はその突きに対して左肩を使ったブロッキングで押し返すと、琥珀の追撃を逃れるために素早く、そして大きく後退して彼女から離れる。


 直撃ではないが、ハリセンがいい感じにしなった手応えはあった。

 しかし油断せずに、龍星は琥珀からさらに距離を取る。

 彼女の一撃をもろに受けた肩がズキズキと痛みを訴えてくる。

(キックだけでなくパンチの威力も半端ないな……)

 肉を切らせて骨を断つという作戦は得策ではないことが身に染みて分かったが、こちらも一撃を入れることに成功したはずだ。


 しかし……結果として、彼の作戦は失敗に終わった。

 龍星の目には悠然と立つ琥珀の姿が映っている。

「なんで……」

 思わず口をついて出た言葉に、

「しなったハリセン、ぎりぎり当たらなかったよ」

 龍星の目論見もくろみである『しなるハリセンによる一撃』に気づいていたのか、陽樹が冷静に解説する。

 言われてみれば、あの快打音を聞いていない。

 ハリセンはくわだてどおりにしなったものの、琥珀のチャイナドレスには今一歩届かなかったのだ。


「服に一撃と聞いたときは楽なもんだと思ったけど、実際そこ以外はノーカンとなると厳しいルールだな」

 龍星はぼやきながら呼吸を一度整える。

 そのぼやきを聞き逃さず、 

「ふむふむ、どうやらそのハリセンにはなにか仕掛けがあるんね?」

 尋ねてきた琥珀に、

「隠しても仕方がない。簡潔に言うと、このハリセンはただのハリセンじゃない。君の服に取り憑いてる妖怪フクマを一発で退治することができる」

 龍星は素直に答える。

「なるほどなるほど。つまり、うちはボディに一撃でも食らえば負けになるんわけか」

「そういうことになるな」

「でも、そんな簡単に手の内を明かしちゃっていいんかなぁ? それを言わずにいたら『ただのハリセンだし、一発くらい当たっても大丈夫』って感じで油断したかもよ」

「ネタばらししたほうがフェアでいいんじゃないかな。まあ含むところがあるとすれば、こちらは服に一撃当てれば勝ちなんで、このことでそっちの動きを制限できればいいなとは思ってる」

「なるほど。あえて教えることでこっちの動きを限定的にさせるってわけね」

「そういうこと」

 探り合うような言葉を交わしている間にも、ゆっくりと、本当にゆっくりとだが、自分の受けていたダメージが回復していくのが龍星には分かった。

 おそらくはモエギに分け与えられた神力が持つ効果のうちのひとつなのだろう。

(もう少し時間をかせがないとな)

 万全の状態でなければ、手の出しようがないというのを、先ほどの一撃でいやというほど感じ取っていた。


「それでどうするん? まだ1対1にこだわるん?」

 どこか楽しげな琥珀の問いに、

「ああ。もちろん」

 と、龍星は力強く答える。

「いい答えだね」

 言うが早いか、琥珀がふたたび仕掛けてきた。


 一撃を喰らえば陥落するという状況ですら、琥珀はその勢いを落とすことなく、龍星の懐に入るように踏み込んでくる。

 龍星はこれまで以上に防衛に専念することにした。よく見て、よく避け続ける。

 突き、蹴り、それらを組み合わせたコンビネーションが襲い来るが、相手の術中にはまらぬよう、先を予測し、あるときは体を反らし、ある時は受け流すようにして、体勢を崩すことなくかわし続ける。

 言葉にすれば簡単に聞こえるが、全身全霊を注ぎきっても紙一重、薄氷を踏んで渡るような感覚だった。


 そんな龍星の心を知ってか知らずか、

「防戦一方じゃ、そっちもつまらないと思うんよ? 一撃狙いなんだろうけど、試合だったら指導が入っちゃうんじゃない?」

 どことなく小馬鹿にするような口調で、琥珀が挑発する。

「そうかな? いまだに俺が立ってるってことは、こっちはそっちの攻撃を見切ってるってことにもなると思うけど?」

 龍星は負けじと軽口で挑発し返す。


(とはいえ、そろそろ頃合いかな)

 と感じた龍星は攻勢へと転じることにした。

 体力も充分と言っていいほどに回復し、付け焼き刃かもしれないがちょっとした作戦もある。

 ただそれを成功させるにはいくつかのステップが必要だ。

 まず必要なのは距離。今のままでは間合いが近すぎる。こちらから距離を取ろうとしても琥珀はすぐに詰めてくるだろう。だから彼女のほうから距離を取ってもらわないといけない。


(――よし、プランは決まった)

 琥珀が繰り出す攻撃の合間を縫って、龍星はハリセンを左小脇にかかえるかのようにその切っ先を体の後ろ側に隠し、そのあと瞬時に半円を描くようにして一気に前へと振り抜く。

 琥珀はそれを軽々とかわして一撃を入れようとしたが、ハリセンが素早く頭上で円の軌跡を描いたのを見て、攻撃の手をとめて大きく後ろへと飛び退いた。

 ハリセンはそのまま今度は右下へと軌跡を描く。


(危なっ……下手に踏み込んでたら一撃もらうとこだった)

 琥珀はとっさの判断が間違っていなかったことに安堵すると同時に、目の前で相対する相手の一挙手一投足に驚喜していた。

 彼に挑む前はあっという間に決着がつくだろうと予想していたが、蓋を開けてみれば意外な結果、ここまで粘られるとは思ってもいなかった。

 これは実に嬉しい誤算で、おかげで会得している技だけでなく、(なにか新しい発想の動きができるかも)といろいろと試せるいい機会、いいスパーリングパートナーを労せず手に入れた気分だ。


 ただここに来て、防戦一方のカウンター狙いの動きから一転して、攻勢に転じたということは相手がなにか策を持っているとも思った。

 土壇場でこれまでにない動きを繰り出してきたというよりは、ここまで隠し通してきたというのがおそらく正解だろう。

 今度はこちらが防戦一方になるかもしれないが、今は少し様子見が必要なタイミングかもしれない。

 琥珀は注意深く身構えた。

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