3、三人の巫女

 拝殿の後ろにある本殿と呼ばれるやや大きめの建物の横を抜け、明るい境内から離れることでほの暗さが辺りに満ちてくると、建物を挟んだだけだというのに、祭りの喧噪がどこか別の場所での出来事のように遠のいてく感覚が増していく。

 一歩一歩進むたびにその感覚は強くなっていき、徐々に祭りという空間から切り取られた不気味な静けさの中へと放り込まれたかのようだ。

 そんな違和感とも言える感覚のまま、神社の裏側へと抜けると、少し距離を置いた場所に林が見えてきた。


 まだ夕闇は訪れていないのに、林はその表口からうっそうとして暗く、葉のざわめきは暗がりに潜むものが立てる呻きのように聞く者を不安にさせる。

 その暗い林の手前、少し開けたところには明るい光を放つ石灯籠いしどうろうがまるで林へ誘う入り口を形作るように2個設けられ、その傍らに置かれた縁台えんだいのそばに、龍星の言葉どおりの容姿をした三人の巫女がいた。

 彼女たちがいるおかげか、その場所はある種の異様さと相反する安心感という矛盾に似た要素を抱えた非日常的な空間、現実のものとは別の異空間のようだった。


 巫女のひとりが龍星に気付いて、

「あ、やっと来た。おぉい」

 高く挙げた手を大きく振った。

 猫耳飾りのついた帽子を軽くかぶったショートカットに、小柄でほっそりとした体つきと身のこなしがどこか少年っぽい感じを漂わせる巫女で、龍星や陽樹より少し年下に見えるあどけなさがあった。

「まったく待ちくたびれたぞ、少年」

 ぶっきらぼうに続けたメガネの巫女は竹で組んだ簡素な縁台に大きな徳利とっくりとともに腰を下ろしていた。

 三人の中で最年長、それでも二十代なかごろらしいミディアム・ボブの彼女は、メガネの下の瞳から鋭い眼光を放っていたが、龍星が連れてきた陽樹を見て「ほう」と一言うなずきながら表情を少し柔和にする。

 微笑みを浮かべた唇は紅を差しているかのように赤い。

 酒気をおびているせいか、彼女の頬や襟元からのぞく肌がほんのりと桜色に染まっていた。丘というよりは小山とでもいうべき豊満な胸をしており、襟の合わせ目からは胸の深い谷間が強い自己主張をしている。

 少年ふたりがついついその胸元に視線が行きそうになるのを堪えていると、

「こちがご友人でありんすか?」

 優しげな声で、最後のひとりが聞いてきた。

 彼女も龍星の言葉どおりに、おっとりとした優しいお嬢さんといった印象の色白で細面ほそおもて、背の中ほどまで伸びた長い黒髪は淡くつややかな光をたたえ、うなじのあたりで白い紙と紅白の紐で束ねられている。

 二十歳そこそこの清楚かつ上品で古風な上流家庭のお嬢様、といった雰囲気の持ち主だった。

 三人ともお揃いなのは巫女として紅白の衣装くらいで、あとは三者三様といった感じである。

「な、言ったとおりだろ?」

 龍星は小声で陽樹に同意を求める。

「思ってたよりSSRガチャだね」

「そういう例えは女子に失礼だろ」

 龍星は陽樹を肘で軽く小突くと、巫女たちへと向き直り、

「それで男手が欲しいとのことですけど、具体的にはなにをすれば?」

「ふたりにはこの石を動かしてほしいのだー」

 くだけた口調で、猫耳帽子の巫女が指さしたのは林の手前、1メートル四方に敷き詰められた玉砂利たまじゃりの上へと置かれたやや大きめの石だった。

 高さも直径も六十センチほど、全体的に丸みを帯び、基調とした灰色にところどころ黒が入り交じった色で、大きさや質感は石というよりは岩に近い。

 ぱっと見たところ、この石を動かすのは男の力でもひとりきりでは怪しいところだが、ふたりがかりならどうにかなるのではと感じられた。


「この石を玉砂利の上からどかして、ここらへんの土の上に置いてくれると助かるのだ」

「なるほど。これはたしかに男手がいりそうだね」

「だろ?」

「ただ持ち上げるのは絶対に無理だと思うから、転がすのが正解かなあ」

「ふたりでも持ち上げるのは無理か」

「石って見た目より重いって言うよ」

 そんな会話をしているふたりに、 

「ああ、その石だがね、そいつは盤持ばんもちや力試しに使うようなものとは違ってそこまでの重さはないよ。だから私の見立てでは君らふたりなら持ち上げることができるはずだ」

 と、ミディアム・ボブの巫女が声をかける。

 ふたりが彼女のほうへ目を向けると、巫女は大徳利の首に巻かれた縄をつかんでラッパ飲みしているところだった。

 視線に気づいた巫女は大徳利から口を離し、甘い吐息を吐き出すかのように「フーゥ」と一息ついて手で口元を拭ったのち、柔和と言うよりは妖艶な笑みで男子ふたりへ応える。

 その笑みは妖しげな魔力のようにふたりの胸をざわつかせただけでなく、この石は持ち上げられるという自信とやる気をわき起こさせた。

「よーし。それじゃ、挑戦してみますか」

 陽樹が腕をまくり、龍星も「おう」とうなずいてみせる。


 龍星と陽樹は石を挟むようにして位置につくと、持ち上げるためのとっかかりを探る。

 さいわい石の表面はざらついた感じで手が滑るようなことはなさそうだ。

 どうにか持ち上げるのに適した部分へと手をかけて「せーの」とのかけ声で、ふたりは力を込めた。

「がんばってー」と、猫耳帽子の巫女が彼らに声援を送る。


 メガネの巫女が口にしたとおり、石の重さは予想していたよりも軽く感じられ、

「本当だ、思ってたよりは軽そうだな」

「だねえ。ひとりでこれを持ち上げろって言われたらきついけど、これならいけそう」

 ふたりはやや拍子抜けしながらも、石をゆっくりと持ち上げる。

 すると、今立っている地面が軽く揺れた気がした。

 そして夏のものとは思えないほどの冷気を含んだ風が足元から立ち上り、それはふたりのほほを撫で、髪を軽く揺らす。

「ん? なんだ今の?」

「地面の下に空洞があって、そこにあった空気が出てきたのかな?」

「空気がたまってたとしても、冷気はこんなに勢いよく昇ってはこないだろ」

「そう言われてみれば」

「とはいえ、この状態だと下が見えん。とりあえずこれを降ろしたら確認してみるか」

「あいよ」

 そんな会話をしながらも石をどける作業はものの五分とかからず、汗をかくこともなく終わった。


 石をどかし終えて、さきほどの冷気の正体を探るべく、石が置かれていた場所に目をやると、そこには握りこぶし大の穴があるだけで、十センチほどの深さの空洞にも特に気になるものはなかった。

「特になにもないな……さて終わりましたよ」

 龍星が三人の巫女のほうへと向き直ると、

「ありがとうございんす」

「ありがとねー」

「礼を言う」

 一言の礼だけを残して、それぞれが煙のように龍星と陽樹の前から姿を消していた。

 唯一、猫耳帽子の巫女が「ばいばーい」と手を振りながら林の中を奥へと走り去って行く後ろ姿だけが見えた。袴に草履履きとは思えない軽やかな足の運びで、見る間にその背中は小さくなっていき、ふたりの視界から消えてしまった。


「あれ? それだけ?」

 面食らった表情で取り残される形となった龍星に、

「……それだけだったみたいですなあ」

 陽樹が追い打ちをかけるように言う。

「達観したように言うな。せつなくなる」

「やっぱりキツネにでも化かされましたかね」

「ここの神社、お稲荷さんじゃないだろ。狛犬はなぜかネコだったし……ん? ってことはあの猫耳帽子の巫女さんとか実は化けネコで、俺らはネコに化かされたとか?」

「そうだとすると、この神社の成り立ちが気になってくるね……って、今の巫女さんたちに聞いておけばよかったんじゃ」

「たしかに。しかしこうなってくると、ちょっと興味がわいてきたぞ。この岩というか石のことも気になるし、だいたい神社でコスプレやらネコミミやらと疑問は有り余るほどある。それとまあ下心的に巫女さんと仲良くなるきっかけとして、神社の由来を聞くというのは選択肢として有りだ」

「案内板を探すとかじゃないんだ。じゃあ神社のほうに戻って、ほかの巫女さんに聞いてみるかい?」

「そうだな。なるべくさっきの巫女さんたちみたいな子がいてくれればいいんだけど」

「それは贅沢ぜいたくな注文じゃないかなあ」

「まあ、その前にお参りしておこう。今みたいな結果になると困るし」

「神様に願掛けしておくってこと?」

「そう。ヒーメちゃんだっけ? ここの神様は服の神様も兼ねた福の神らしいし。それにどのみちお参りはする予定だったからな。よし、とりあえずお参りだ……って、その前に手を清めておくか」


 方針の決まったふたりは境内のほうへと引き返し、祭りの華やかさやさきほどまでの林の前とはまた違った趣きがある手水舎へと向かった。

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