支配人さんが歩き寄ってきて、ローテーブルの上の食器類を黙々と片づけていく。その間、リーマンさんも漫画家さんも押し黙っていた。

 ローテーブルの上がまっさらになった後に、漫画家さんが口を開いた。

「リーマンさん」「なんでしょう?」「こんなはずじゃなかったんですよ」「え?」「俺は確かにカスみたいな漫画家です。間違っても自分が描いた作品を親になんて見せられません。俺は子供のころからずっと漫画家になりたくて漫画描いてきましたけど、才能ないから新人賞も取れないし出版社に持ち込んでもろくに読んじゃもらえません。ああ念のため言っときますけどね、以前描いてた漫画は全年齢向けの健全なやつですよ本当に。少年漫画にありがちなギリギリを攻めたじれったいお色気シーンだって全くない硬派なやつです。銃があって殺しがあって陰謀があって友情があって愛がある、そんなやつです。愛っていってもエロの言い訳として使うんじゃなくて本当の愛です。まあ本当の愛を表現できていれば俺の漫画があんな邪険に扱われることはなかったでしょうから結局愛なんてこれっぽっちも表現できちゃあいなかったんでしょうがねアハハ。ああ俺才能無いんだって気づいた時に筆を折っておけばよかったんですけどね、でもね俺ね漫画以外何もなかったんですよ。それ無くなったらもう生きていけなかったんですよ、だから描き続けちゃったんですよ。リーマンさんがどれだけネット文化やオタクのノリに詳しいかは分からないし興味あるかも謎なんで、もしかしたらこれは釈迦に説法かもしれないし馬耳東風モードかもしれないんですけど、えっとね、ネット上だととにかくエロ系のウケがいいんですよ、男向けコンテンツはね。アニメ化してるWEB漫画っていっぱいありますけど、エロと無縁な作品なんてほぼありませんよ。たとえバトルがメインのものであってもそうです。なぜか女キャラは必ずきわどい衣装を着てて、歴戦の女戦士って設定のキャラでさえ胸とか腹とかふとももとかとにかく急所という急所をむき出しにした甲冑を装備してたりします。そんな甲冑着たって邪魔でスピードが落ちるだけなのにね。まだ全裸で戦ったほうが勝率上がりますよ。まあ言うまでもないことですけど、男の読者がリアリティよりエロを求めた結果の有様ですわアハハ。まあそんな空気に触れてるうちにじゃあ俺もそっち方面でやってみるかどうせ王道で攻めても勝ち目ないんだしって思ってエロ漫画描き始めたわけですよ。したらびっくりするほどの『いいね』がついてびっくりですよ。コメントものべつ幕なしにつくし。『エッッッ!』の嵐ですよ。俺の今までの努力って何だったんだろうと思うのと同時に何で早くやらなかったんだろうって思いましたよ。睡眠時間削ってバイトも減らして描きまくってあげまくりました。投稿サイトだけじゃなくてTwitterのフォロワー数も急上昇。漫画の更新を知らせると歓喜のリプで溢れるし、漫画と関係ないこと呟いてもそこそこ反応もらえるし、人生で初めての成功体験でした。ついでに言うと、そんな漫画描いてるくせに俺自身はぜんぜん性欲感じなかったんです。彼女欲しいとも風俗行きたいとも思いませんでした。リアルでは独りぼっちでしたけど全然寂しくなくて。エロ漫画描くまでは人並みにムラついてたし寂しかったんですけどね。まあそんなことはどーでもよくて、とにかく俺はそんなわけでどんどんネットで増長していったわけですわ。オタクウケのいい薄っぺらいこと言って信者たちを熱狂させました。噛みついてくるフェミニストたちには一言二言言い返してやりゃあ、あとは信者がファンネルみたいに飛んでって勝手に叩きまくってくれて楽ちんでしたよ。インフルエンサーとか呼ばれてるワケわかんない連中がみんなそうであるように、俺もフォロワーのことなんかただの数字、戦闘力としか思っていませんでした。その一人一人に命があって意思があるなんてちっとも考えていませんでした。んでまあ、ある時、弁護士さんとレスバしたわけです。俺の信者ファンネルがオートでびゅんびゅん飛んでって、弁護士さんを炎上させました。どんどん燃え広がっていきました。いつもの俺なら燃え広がる炎を眺めて悦に入ってたはずでした。王様気分の何様で。だけどさっき弁護士さんが言ったとおり、弁護士さんが絡んできた動機は、俺の漫画を見た異常者が実際に強姦事件を起こしやがったからなんです。俺はTwitter上では『異常者の証言なんてアテにならない』って反論して冷静ぶってましたがね、実際は冷や汗が止まらなくてロクに寝ることもできませんでした。睡眠薬を酒で飲んで気絶するように眠る毎日でした。ねえ、リーマンさん、俺、こんなはずじゃなかったんですよ。正義のヒーローが悪の組織と戦ってヒロイン助けたり、優しい殺し屋が弱い人たちを守ったりする漫画を描いてみんなに読んでほしかったんです。だからがんばって描いて描いて描きまくって、だけど気が付いたらこんなところまで流されていたんです。ねえリーマンさん俺ほんとにこんなはずじゃなかったんですよ信じてくれますか?」

 語っている最中、漫画家さんの体はだんだんと前傾姿勢になっていき、最終的には貧乏ゆすりも加わっていた。寒さで震えているように見えなくもなかったけど、それにはあまりにもここは温か過ぎた。

「信じますよ」とリーマンさんは答えた。「じゃなかったら計画に参加しようとは思わないでしょうし」

「ありがとうございます。でもなんか計画に参加するのが免罪符代わりの言い訳みたいに見えてませんか俺の場合?」「少なくとも僕の目にはそう映ってませんよ」「ならよかった。こういうのって他人の評価って関係ないのは分かってるんですけどどうしてもやっぱり気になっちゃうんですよ他人から見たら俺ってどんな風に見えてるんだろうって」

「分かりますよ」とリーマンさんが言うと、漫画家さんは「本当に分かるんですか?」と苦笑した。「なんかリーマンさんって他人の目とか全然気にしなそうな感じですけど」

「見た目だらしないですか?」「いやそういう意味じゃないですよ。清潔感ありますよ普通に。なんていうか、人に嫌われても好かれても全然関係ない、俺は俺の価値観だけをアテにして生きていくぞーって雰囲気があるっていうか、アドラー心理学を地で行く感じというか」「それは買いかぶりすぎですよ。僕会社では結構周りの目にびくびくして仕事してましたよ」「そうなんですか意外です」

 ロビーのすみっこ柱時計がぼーんと音を鳴らした。針を見ると12時を示していた。

「俺部屋に戻って一杯ひっかけようと思うんですけど、よかったら一緒にどうです?」

 そう誘う漫画家さんに、リーマンさんは「今は遠慮しておきます。僕飲むとすぐ酔っちゃうので。また今夜、計画の最終ミーティングの後にでも」と答えた。

 漫画家さんはちょっぴり寂しそうに片方の口角を上げて頷くと、客室が連なる廊下へ消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る