第41話

「なんの?」

 魔力を込めた紙飛行機が延々と書斎を旋回するなか、「どう考えてもズルだろそれ!」とギャーギャー喚く植木鉢の女を無視して、俺っちは問う。

「固有名詞が知らない言語で書かれてる。魔族の言語ってことか。そこは読み飛ばすが、」

 書き物机に置いてあった単眼鏡を彫りの深い顔に嵌め込むバナナマンはそう言うなり、俺っちに向けて音読を始める。

 片目だけでけえなおい。そのわりに鼻の穴とサイズ、タメってるのなんなん。

 顔が面白すぎて話が入ってこなそうなんですけど。

「『ドゥー国シバッグ第一王子、並びにナントカ王国ウンタラ王女。ふたりの結婚をもってナントカ王国の植民地解除、および常任理事国への加入を認める。なお、常任理事国が開く会議においてナントカ王国は拒否権を持たず、決議において発言権は有さないものとする』だとさ」

「つまりどういうことだよ?」

 肩を軽くあげてチンプンカンプンだとジェスチャーする俺っち。

 猿顔の男は単眼鏡を外して羊皮紙を静かに置いた。

「まぁつまり、レガリオが助けようとしてるお姫様の国は弱小国だってことだ。こんな誓約書が用意してあるってことは、もうそういう方向で話が進んでるってことだろう。ヒト族に近い地位を確立するために、不平等な条約を結ばせるっていうな」

「ふむふむ、理解理解」

 よく分からねえ。

 口から出たとりあえずの相槌とは裏腹に、俺っちの頭の上にはまだハテナがふよふよと浮かんでいた。

 そのハテナは何度か回転するなり、今度は机の上に降りて羊皮紙を覗き込む。

「ってお前かよ!」

「ぶッへぇぇえええッ⁉︎」

 即席の張り扇でぶっ叩くと、ソルドメスターの亡霊が横にぶっ飛び、本棚と本の間にできた隙間に埋まった。

 お掃除完了。

「そういえば初めてお姫様に会ったとき言ってたわ。たしか『みんなのために必要な政略結婚』だって」

「詳しくはないが、ナントカ王国は魔族に似た特徴を持つ国民が殆どだって聞いたことがある。現状では人扱いしてもらえてないんだろ。続く書類に『ナントカ王国国民に対する奴隷制は原則継続。市民権獲得条件は別途規約を参照』って書いてあるしな」

 俺っちは羊皮紙を持ち上げ、ペラペラと雑に振った。

「じゃあなに、この紙切れ一枚で人間認定してもらえるってこと?」

「紙のうえではな」

 バナナマンが言う『紙のうえでは』のひと言。

 それは俺っちが予想しているのと同じ意味を孕んでいるに違いない。

 すなわち。

 どんな契約を交わそうが、ヒト族は魔族を認めないということ。

 端っから認めようとなんてしていない。

 不公平な契約内容がそれを物語っている。

「変な話だな。お姫様の国の連中が魔族なら魔力だってあるはずだから、みんなでヒト族ぶちのめせばいいんじゃねえの?」

「たとえそうやって勝てたとしても、怨嗟は必ず残る。負けたとしたら……」

 その続きは聞かずとも分かった。

「人間扱いどうこうって話じゃなくなるな」

「そういうことだ。どうする? お姫様はレガリオ、お前の救済ではなく、外交による長期的なヒト族への同化を望んでいるのかもしれない。いまなら引き返すのも遅くは────」

「バッカじゃねーの⁇」

 そこで。

 勝負は諦めたのか、資源ごみの山を築いたミス=ポッツが手のなかの紙飛行機擬きを適当に投げ捨てて言った。

「勝てばいいじゃん勝てば。怨嗟は残るってさ、そういうやつはみんな仲良く地獄行きにして、仲良くできそうな連中だけ残せばいいじゃん」

 そこで、嵌った本棚から抜け出してきたゴーストも彼女に加勢する。

「そうだそうだ、ぷけけ……ここで逃げるんてダメだ(生きて帰れると思うなよレガリオ)! せめて大ボスに一矢報いなきゃ(相討ちになっちまえ)! 応援してるよ、相手を!」

「おい、最後心の声が漏れてるぞオバケ剣士」

 オバケ剣士、略して青二歳サノヴァビッチ。オバ剣士って言うと思った?

 俺っちが再びソルドメスターの亡霊を追い払っていると、困った様子のバナナマンがミス=ポッツに答える。

「ま、まぁその理屈も分からなくはないが……」

「それに長期的なヒト族への同化って、それ認められるまで仲間が苦しむってことでしょ? 意味が分からん。なんで魔族こっちが損しなきゃいけないわけ?」

「それは違うよ、ポッツ」

 熱くなりつつあるミス=ポッツを制止して、俺っちは口を開く。

ヒト族そっちとか魔族こっちはないんだ。そういう区別は、悪いものを生みこそすれ良いものは生まない」

 俺っちはバナナマンを相手に、ゾンビボーイやゴブリンキング、サイクロプスやオルトロスと争ったときのことを思い出した。

「バナナマンがヒト族だって知ったとき、驚きはしたんだ。大抵のヒト族は隙あらば俺っちたちを殺しにかかるから、なんでこいつは平然としてんだろって。でも、殺そうって気にはならなかった。侵略してくる兵士や野生の猛獣とは違う。向かってこないなら、迎え撃つことはない」

 列車の乗客もそうだ。

 兵士たちは殺しに来たから逆に殺してやった。

 でも普通の客は向かってこなかった。

 だから返り討ちにすることもなかった。

 ヒト族か魔族かの区別は意味をなさない。

 自分が生き残ること。

 俺っちが一番大事だと思っているこれを守るのに必要な区別は、

 向かってくるか、向かってこないか。

「俺っちはお姫様を、彼女を蔑ろにする存在から取り上げ連れて帰りたい。俺っちなら、俺っちたちの故郷なら、彼女も、彼女が大事にしてるものも大事にできる」

 俺っちは王権象徴物レガリアのひとつ、魔力の編み込まれた手袋(水仕事もお手のもの!)をしっかりと着け直した。

「だからバナナマン、俺っちは行くよ。お姫様がどうしたいかは、本人に直接尋いてみる」

「……だな」

 王笏を握り締めるバナナマン。

「独善的だね。まぁ、魔王らしくていっか」

 ふっと笑うように息を吐きつつ、腰に手をやるミス=ポッツ。

「「バウバウッ‼︎」」

「ぷけっ、カッコつけんなレガリオ! 死ね!」

 その他ノイズが数名。

 なんだか辛気臭くなったな。

 こういうシリアスな空気マジで無理なんよ。

 取り巻く陰鬱な雰囲気を払拭するため、俺っちはいまだに部屋のなかを飛び続けていた紙飛行機を捕まえて言った。

「つーわけで、勝負は俺っちの勝ちだねミス=ポッツ!」

「はぁ⁉︎ どう考えても無効試合だろ! お前魔力使ってんじゃん!」

「一番飛ぶ紙飛行機を作ったやつが勝ちって言ったんだ。別に魔力禁止なんて言ってないもーん!」

「上等だよ母性愛者マザーファッカー! おもちゃなんか使わずに腕っぷしで勝負しようじゃねえか。お前を潰せば次の獲物はあーしのだろ!」

 繰り出される蔦の攻撃。

 俺っちがそれを避けると、伸びた先でそれはいくつもの本を掴み取るなり身を翻して投擲した。

「いい加減にしろお前ら、せっかくきれいに話がまとまるとこだったじゃねえか」

 ランダムに飛んでくる本を王笏でガードしながら、バナナマンは呆れ気味に言う。

「そうだそうだ! ぼへぇッ⁉︎」

 本のひとつがソルドメスターの亡霊に直撃し、落ちた先でゴーストを挟み込んだままパタンと閉じられる。

「だってさ、ミス=ポッツ。現時点でお前に味方してるやつ、ひとりもいねぇぇぇええええぇぇぇぇ!」

「知るか! ぶっ飛ばす!」

 いつの間にか伸びてきていた蔦に掴まれて本棚に向かって投げ飛ばされた俺っちは、空中で飛翔の受け身を取る。

 直後。

「あーしの勝ちだ!」

 足下から生み出した樹木によって突撃してきたミス=ポッツのタックルによって本棚ごと書斎の壁が粉砕され、ふたりもろとも隣の部屋に投げ出された。

「お前の相手すんのマジで疲れるんですけど」

「ひゃっはー! あーしの勝ち! あーしの勝ちぃ!」

「誰も参ったなんて言ってねーよ! ラウンドツーじゃこら!」

 バラバラと蔵書が散乱。

 砕けた壁から骨組みが剥き出しになり、埃が舞うなか。

「ほほう、ついに現れよったか」

 いくつもの窓から月明かりが差し込む大広間。

 十人以上は腰掛けられるであろう長机。

 その一番奥で若い剣士をひとり控えさせた老人が、テーブルの上に肘をついて顔の前で手を組んでいた。

「誰だ、ジジイ?」

「また敵おっさんかよ。タコさんウィンナー(本製品は食べられません)でお腹いっぱいなんだけど。てか降りろポッツ」

 上に伸し掛かる形で倒れ込んだままの植木鉢の女を、俺っちは身体を捻って退かす。

「駅で脱線事故があったあと、広場で戦闘があったと聞いておったからのう。そろそろ来る頃合いじゃろうと思っておった」

「壁から?」

「いや、そこはさすがにドアから……」

 全部お見通し、みたいな態度が一番気に食わないからな。

 予想外の登場ができてよかったぜ。

「さて、始めるとしようか」

 老人はそう言うなり、横に控えさせていた若い男から長剣を受け取った。

 それを身体の前で、

 軽く。

 キンッ、と床に対し垂直に突き立てる。

 すると。

 ゴバッ‼︎ と数メートルに及ぶ長テーブルが左右に裂けた。

 鋭い断面を見せながら、上に載っていた食器や蝋燭がバラバラと音を立てて撒き散らされる。

「大剣豪、エルダー=ソードマン」

 座ったままの老人。

 蓄えた長い髭の間から、彼は声を発した。

「ワシの名じゃ。冥土の土産に覚えて逝くとよい」

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