第40話
「ぷけけ、ついに来やがったな……」
猿顔の男と植物のような身体をした女性。
ふたりが歩くその前で、しつこく絡んでくる二頭一匹の珍獣を迷惑そうに腕を振って追い払おうとする手袋とマントの男。
彼は魔族の王、レガリア。
最強の生物にしてナマケモノの次に怠惰な男、と僕は認識している。
そんな彼がなぜ、わざわざヒト族の里までやって来て兵士や
理由は簡単。
男を強く突き動かす理由なんてひとつしかない。
夢現つの恋情、貪るような愛、性を求める激情。
なぜ他人の僕がそんなふうに容易く決めつけられるか。
それは僕がかつて男だったということもある。
が、訳は他にもある。
「うお、すっげえ広いな! こんながらんどうでなにすんだろ?」
「舞踏会の会場じゃねえの? あーしは踊りなんざ興味ねえけどな」
「シャンデリアがピカピカだ。あんなデカいのよく掃除してんな」
レガリアと植物女の会話する様子の能天気だこと。
僕はお上りさんのように辺りを見回しながらのろのろと歩く連中を冷めた目で見ながら、彼らが向かう先、回廊へと続く扉の影で侵入者の接近を待っていた。
なにも知らないで。
いまこの瞬間も僕に狙われているなんて、夢にも思ってないんだろうな。
とはいえ、一回だ。
僕の壮大なる復讐に許されるチャンスは。
これを逃したらすべてが水の泡。憎きレガリオを野放しにすることになる。それだけは避けなければならない。
魔族一の剣豪────
「(いまだ!)バアァアッッ‼︎‼︎‼︎」
────ソルドメスターの名に懸けて‼︎
お姫様がいると思われるお城の大広間を抜けて、次の部屋へ向かおうとしていた俺っちと他数名の
次の部屋だか廊下だかへと続く扉を開いた瞬間。
「……
そいつは現れた。
「ちっ、失敗かよ! くそが。脅かして心の臓を止めてやろうと思ったのに」
ふよふよと宙を舞う丸いフォルムの体。脚や指はなく、代わりに短い尻尾のような突起があり、突き出した腕は下向きに折れていて、頭には白い三角巾。尖った歯列の間から覗く舌は大きく、犬のようにだらりと口から垂れ下がっていた。
しかし、一番特徴的なのはその額に突き刺さった矢だろう。
バッテン印に貼られたコミカルで大きな絆創膏の上から突き刺さった、何本か抜けた羽とシャフトの傷が中古感を醸し出す本体。
そして、側面に取り付けられた『召集状』。
「えぁ、ソルドメスターかお前?」
「ぺけけ、そうだよレガリオ。お前に殺された魔族一の剣豪、ソルドメスターその人だ」
俺っちが驚いた様子で尋ねると、ゴーストはイライラした様子で返答する。
「もう人じゃないけどな。てかその矢がなければ気づかなかったわ。なんで矢もセットになってるんだ?」
すると、初めて魔王城に集まったときのことを思い出したバナナマンが、
「そういや、レガリオのところに召使いの少女がいただろう? ソルドメスターとやらを運んだ」
「うわ、そうだった。あいつが引き抜こうとしてシャフトを折ったんだったな。それで矢ごと召されたわけか」
「納得してる場合じゃねえ! 僕の亡骸をまともに葬りもせず女のケツ追いかけやがって!」
「大丈夫だって。お前の仏さんはちゃんと召使いに処理させたから」
そう言って俺っちは距離が近いゴーストを手で押し除けて回廊を歩き始める。
「ぺけっ、そこが問題なんだよ!」
押されて何度かくるくると回転していたゴーストが体勢を整え、しつこく追っかけてくる。
「あのクソガキ、僕を適当な家の庭に埋めてたんだぞ!」
「マジか、そりゃ可哀想だ。住人が」
「もう許さねえ……これで僕は完全にお前たちの敵! この先でお前たちを待つヒト族の剣豪の味方するからな!」
「その割に敵の情報をくれてるけどな。そっか、相手は剣技を使うのか」
「あしまった!」
ゴーストとなったソルドメスターは空中で八の字を描いて踠く。
バカなのかこいつ。
ソルドメスターの亡霊には構わず、俺っちたちは何枚ものヒト族の肖像画が飾られた廊下を歩き、出くわす扉ひとつひとつを開けてはお姫様の所在を確認した。
綺麗に整えられた部屋たちは荘厳で高級そうな家具を取り揃えられているが、そのきちんとした風景が生活感を完全に掻き消して作り物感を漂わせている。
普段から使っているのだろうか。
どのベッドもピシッとしたシーツがマットレスとの間に折り込まれていて、側の机に置かれたランプは埃ひとつない。
手入れはされているが、使ってはない。そんな感じ。
金持ちの家は息が詰まりそうだ。
俺っちの魔王城もそれなりの家具があるし、毎日召使いの少女が掃除や洗濯をしているだけあって清潔感はあるが、これは清潔というより新品。使わないなら俺っちにくれないかな。枕とかめっちゃほしい。
「「ガルルルッ!」」
「なんか見つけたか!」
俺っちは突然唸り出したオルトロスに目を向ける。
そこには、
「……なんもないんかい」
綺麗な部屋を足跡で泥だらけにしたうえに、ソファにきちんと置かれていたクッションをズタボロにしている駄犬の姿があった。
もういいわこいつ。
二個もあるのに鼻が利きやしない。
次に入った部屋は大きな書斎だった。
部屋の両側に
格子窓の前に置かれた机にはインクに羽ペン、書類の束もある。
紙飛行機がひとつもないな。
よく飛ぶやつを作ってやろう。
「ミス=ポッツ、競争な。飛距離が一番の紙飛行機を作ったやつが次の雑魚をぶちのめすってことで」
「あ、上等だよ? 世界樹の親戚舐めんなよ、木には精通してんだから」
「いやそれ羊皮紙……」
バナナマンがツッコむと、植木鉢の女は苛立たしげに、
「し、知ってるわそれくらい!」
持っていた羊皮紙をバナナマンの顔に叩きつけた。
「おい紙を持ってこい、木でできたやつだ! あーしの同胞が受けた雪辱、ここで晴らしてみせる!」
いやこれ紙飛行機勝負なんだけど……それでいいのか植物族?
とはいえ、折り紙をするどころか紙というものに触ること自体が初めてのミス=ポッツに紙飛行機など作れるはずもなく。
「てぃ! って、あ⁇」
俺っちが作った完成形を見様見真似で作った折り紙、というより単なる折れた紙の塊を投げるも、離すとほぼ同時に不時着。
勝負あったな。
「一発勝負なんて言ってねえもんな? もう一枚よこせ!」
「俺っちは別にいいけど、お前はいいの? やればやるほど敗北が惨めになるぜ」
「るっせえ!」
「君たちなにしに来たの……」
ふよふよと様子を窺っていたソルドメスターの亡霊が、こめかみの辺りに呆れの汗を浮かべる。
バナナマンはというと、俺っちとミス=ポッツが白熱の紙飛行機バトルをしている横で、投げつけられた羊皮紙を顔から引っぺがし、まじまじと見ていた。
ひと通り読み終えるなり、ポツリと呟く。
「これ、誓約書だ」
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