第31話
矢はこれで最後。
探せばそこらに落ちているかもしれないが、忌々しきスタッグビートル=ザ=スラッシャーは、安全圏で煽ってくるような
これで決めきれなかったら、生首は放っておいて森のなかに逃げ込もう。
「物理法則の力を借りるっす! 姉さんはただ、あのクワガタ野郎が動いた瞬間に矢から手を離せばいい」
「……本当にいけるのね? それで」
「信じるのは初対面のオイラじゃなくて、不動の摂理っすよ。大自然が味方っす!」
自然が味方か。
レイナは改めて短く呼吸をし、スタッグビートル=ザ=スラッシャーに照準を合わせることに全神経を注いだ。
失敗したら……は、この一撃の結果が出てから考えよう。
今はただ成功するビジョンを強く妄想するべきだ。
妄想をより強く、詳細に。
それがあたかも現実であるかのように。
自分だけでなく、現実さえも騙せるほどに精密な妄想を作りあげ、未来を上書きするんだ。
心の内を掻き乱していた
ヘラヘラと勝ちを確信した憎たらしいクワガタ野郎の顔。
その眉間にだけ集中し、矢尻の震えをぴたりと静止させる。
「ドンッッ‼︎‼︎‼︎」
ごろん、とスタッグビートル=ザ=スラッシャーに向かって転がったアンデッドキッドが目一杯叫ぶ。
不意に動いた生首と、そこから発せられた爆音に反応し、
スタッグビートル=ザ=スラッシャーの落下が始まる。
瞬間。
レイナの手から矢が消えた。
なだらかな放物線を描くそれは、
「……ッ⁉︎ バカな────」
敵を追尾するように落下を始め、クワガタ野郎の脳天を貫く。
開かれる羽。
しかし、それが羽ばたくことはない。
鈍い音とともに地面に直撃した光沢のある甲虫の巨体が、すべての足を力なく投げ出し動かなくなった。
「……マジか」
「やったっすね、姉さん!」
「なぜ当たった。なんでこいつ死んでんの⁇」
「それはっすねえ!」
腕があったら得意げに組んでいたであろうことが容易に想像できる表情でアンデッドキッドは話し始める。
「昆虫っていうのは面白い習性があって、木に留まって樹液とか吸ってるときに鳥とかの天敵が来ると、衝撃を感知して落ちるんすよ。飛ぶんじゃなく、落ちる。そうすると鳥たちはどこに行ったのか分からなくなって、カブトムシたちは安全に逃げられるわけっす! オイラはこの習性を逆手に、木の幹を蹴ることで虫取り網なしによく虫を捕まえてたっすよ!」
「いやそっちじゃなくて……」
欲しい回答とは程遠い解説を受けたレイナが額に呆れの汗を浮かべつつ、そばに転がるクワガタ野郎の顔を踏みつけた。
「こいつが落下を始めたことで矢の向きは逸れてたはずなのに、どうして弧を描いた矢の先にちょうどこいつが落ちてきたのかって話」
それを聞いたアンデッドキッドは短く考え、答える。
「それが自然の摂理ってやつっすよ! オイラは勝手にモンキーハントって呼んでるっすけど」
「こいつ絶対原理知らないじゃん……」
そこで、足元から思わぬ咳き込みが聞こえてきた。
「クソ……こんな素人魔族の弓術にやられるとは、不覚!」
「文字通り虫の息じゃん。喋ってないで早いとこくたばりな?」
レイナは冷たく言い放ち、クワガタ野郎の顔面に下ろした足をぐりぐりと踏み躙った。
「ふっ、俺様を倒して安心してるようだが、お前たちの敵は人類だけではない。味方だと思っていた者に後ろから刺されて死んどけクソガキども」
「なんで敵対するんすか? 見た目判断になるっすけど、あんたこっち側の人間じゃないんすか?」
「好き勝手生きてる貴様らには分からないだろうな。この狭い星で色んなやつが共存するのは一苦労なんだよ」
ペッと折れた歯をドロドロの血とともに吐き出し、クワガタ野郎は言う。
「種族や思想、文化や価値観。なにもかも違うやつらをひとつの箱に押し込んで取りまとめることは、最初から無理があるんだ。だから殺し合う。そして、負けたやつらは一番強いやつのルールに従って、生かしてもらえるようにゴマをするんだ。分かるかクソガキども? 敗者は生きるために、飯よりも寝床よりも先に市民権を得なきゃならねえんだ」
「だからあたしら人間……いえ、魔族を殺すと?」
「人類の敵となる魔族と一緒くたにされたら終わりなんだよ。本来同胞かどうかなど関係ない。貴様らと敵対することで、俺様らは人類側につくことができるんだ」
「ふーん、そう?」
直後、レイナはつまらなそうに蹴撃を振るう。
スタッグビートル=ザ=スラッシャーの顔面にブーツが蹴り込まれると、昆虫型の人間は水平に吹き飛んだ。
「ちょっと甚振られたからって矛先が強者じゃなく同胞に向かうのなら、あんたらがあたしたちと同類じゃないのは確かね」
数メートル先の木に直撃して動かなくなった彼を見向きもせず、魔王の側近はアンデッドキッドの生首を拾い上げて歩き出す。
「まぁあっちとかこっちとか、ク
「姉さん……」
アンデッドキッドが目頭を熱くして腕のなかからレイナを見上げた。
「一生ついて行くっす!」
「せめて足を手に入れてから言ってくれる? ていうか一生はついてくんな」
「でもクワガタ野郎、ちょっと可哀想でしたね。オイラたちとヒト族に板挟みにされて。親父が中間管理職やってた頃を思い出すっす。毎日疲れた顔して帰ってきたなぁ」
「そうかな。立派なヒト族として死ねて本望だったんじゃない?」
カツカツと。
線路の枕木を踏むレイナの足音が静まり返った森のなかに響き渡る。
「まぁ、運命を誰かに託した時点で、死んだも同然だったけど」
「死してなお歩き続けていたのか……ってことはアンデッド⁉︎ 姉さん、オイラの兄弟をよくも!」
「せっかく話がまとまってたのに変な方向に広げないでもらえる? 置いて行くよ⁇」
「あっは、冗談っすよー!」
ツギハギの生首がいたずらそうに笑う。
次第に見えてくる損傷した線路。
転がるヒト族の兵士の死体や銃火器。
ヒト族の里までは、もうしばらく時間がかかりそうだ。
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