第27話

 なんてことだ。

 目の前で高らかに笑い声をあげる老人に、俺っちは身体を強張らせる。

「お、おい……バナナマン」

「なんだ、珍しいじゃないか。顔面蒼白だぞ?」

「そりゃそうだろ。いまこの陰茎野郎ディックヘッドがなんて言ったか聞いてなかったのか⁇」

「いや、聞いてたけど……てか呼び方ソーセージから派生しすぎだろ。原型留めてねえぞ」

 うーん、と猿顔の男は顎に手を当てて虚空を見つめる。

「死を乗り越えて悟りの境地に到達した、だっけか?」

「そっちじゃねえよ!」

 俺っちはことの重大さを理解していない脳内おバナナたけ、もとい、お花畑のゴリラに怒鳴りつけた。

「あいつは言ったんだ、『ソーセージではない!』と。なのに直後なんて言ったと思う?」

「さあ? なんだっけ」

「『ソーセージ=イン=ザ=フォレスト』って言ったんだよ‼︎」

「『そう、セージ=イン=ザ=フォレスト』って言ったんだよ⁉︎」

「ヒト族の社会やべえって。完全に認知入ってるボケ老人が幹部だか十傑だかなんだかよく分からん役職ついてるんだぜ? 終わりだろ」

「お前の耳だよ終わってんの」

「おしゃべりはそこまでだ! 小僧ども‼︎」

 苛立ちでパタパタと足を踏み鳴らしていたソーセージ野郎が、痺れを切らして俺っちたちの会話を無理やり中断させる。

 首元で半円を描く銀の留め具と、シンプルなデザインの肩章が黄金に輝く紫のマント(俺っちの)。

 顔に深く刻まれたシワは、憤怒のためか標準装備か定かではない。

「いまの状況が分かっているのか貴様ら?」

 そうだ、人柱なかまのひとりがやられてるんだった。

 まさかソーセージ野郎の前方不注意を笑ってすぐに己の後方確認不足を思い知らされるとは。

 人生、前だけ見てちゃダメだぜ。

 俺っちは倒れた隻眼の巨人に駆け寄り、意識を確かめんと肩のところを何度か叩く。

「おい大丈夫かよサイクロプス? 誰にやられた?」

「そこのソーセージ野郎だろ」

「まさか! 片足突っ込んでるどころか、棺桶で半身浴してるような老ぼれだぞ。死期が近いって」

「いまの発言で貴様の死期も早まったぞ!」

 腕を組んで仁王立ち、していたかと思えば、列車が駆け抜ける木々の枝を避けるために不定期な屈伸運動を繰り返す老人。

 ついに鬱陶しくなったのか今度は避けずに腕で払うと、太い木の枝が勢いよく折れ、弾け飛ぶ。

 その力は明らかにヒト族の生体機能を超えていた。

 言わずもがな、マントに込められた魔力によるものである。

「声をかけても無駄だ。そいつは既にこの世の住人ではない。単眼では奥行き感覚が掴めなかったんだろうな。やつの棍棒が空を斬る様子は実に滑稽だったよ」

 その言葉を聞き、俺っちはソーセージ野郎の戦闘スタイルに目星をつける。

「物理ではなく精神攻撃。それがあいつの武器か」

「全身ボッコボコに打撲傷ができる精神攻撃なんて聞いたことないわ。サイクロプス感受性の大富豪かっての」

 猿顔の男は戦死した仲間に向けて十字を切り、見送るようにその身体に手を置く。

 違うんだバナナマン。あのソーセージ野郎は俺っちに向けて精神攻撃を加えてるんだ。

 だって片目しか見えないせいで間合い管理ができなかったって、それ遠因俺っちじゃん?

 なにこのデジャヴ。超弩級ドジっ子キャラの素質があったのか俺っち。

「となると、」

 俺っちはサイクロプスの形見、まるで大木をそのまま引っこ抜いてきたようなゴツさと巨大さをもつ棍棒を手にした。

 お前の意志は受け継いだぜ、隻眼の巨人よ。

「拳でも奇策でもない。ソーセージ野郎! お前を倒すのは、亡きサイクロプスが残した熱き殺戮の願い────あ、」

 宣誓するように振りあげた棍棒。

 それが線路に沿ってアーチを架けるように枝葉を広げた木々に捕らえられ、即座に遠くの景色へと消えていくのを呆然と眺めるなり、俺っちは口を開いた。

「……、やっぱ拳でいきます」

「素手で私に勝とうとは、なかなかに侮られたものだ! それとも自殺願望か? ならば冥土の土産に見せてやろう‼︎」

 片足を前に前傾姿勢になる老体。

 はためく紫色のマント。

 ソーセージ野郎に魔力を供給するように、マントの怪しげな光が脈を打ちながら中央へと流れ込む。

 低い位置に構えた両手が発光し始め、

 そして。

「私は見た。悟りの境地。そこは一切の煩悩が取り払われ、心のなかを波打ち渦巻いていた雑念が凪ぐ静謐の世界。お見せしよう。これが、」

 曲げた膝を戻すとともに振りあげられる両の腕。

 紫がかった半透明の膜のようなものが顕現したかと思えば、それは高波のように押し寄せ、俺っちとバナナマンを襲った。

 しかし、

「……なにをされた?」

 身体に異常はない。

 外傷もなし。臓器に異常も感じられない。

 痛みも痺れも、怠さや眠気もなかった。

「不発か? そっちはどうだ、バナナマン」

 話しかけるも、バナナマンは答えない。

 なにが起きたのかを探る素振りを見せたかと思えば、今度はこちらを向いて口をパクパクと無意味に動かし始めた。

 ちゃんと喋れやゴリラ。そんなんじゃ全然聞こえ────

 ……いや、違う。

 吹き抜ける風。

 揺れる列車。

 そこにあるはずのものがないことに俺っちは気づく。

(音が消えた⁇)

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