第25話
メキメキと軋む音。
ぶち抜かれた腹部。
召使いの少女は声を失いました。
次の瞬間。
鮮血がボタボタと粘り気を伴って流れ落ちます。
「あッがは────ッ⁉︎」
深紅に染め上げられる回廊の絨毯。
身体を支えようとついた手が、直前に口元を抑えて浴びた血液で滑り、真っ赤な掌紋が壁に血みどろの痕を残します。
魔王城の地上階。
隅々まで掃除が行き届き、毎日ピカピカに磨かれたその場所は、バラバラに解体された鎧男たちと、動かなくなった食器族の残骸が辺りに散らばる凄惨な空間と化していました。
そこで。
「あのさ……どうせ通じないのを分かったうえで、ひとつ質問したいんだけど」
声の主は、短く切ろ揃えられた頭髪と整った顎髭が特徴的なスーツ姿の中年男性。
その首元には奇抜な柄のネクタイが。
その指には魔王様の
口元を抑えて倒れ込む召使いの少女に対し、スーツの男は問います。
「……なんで吐血してんの⁇ 攻撃当たってないよね⁇」
血でベタベタの口元を袖で拭い、召使いの少女はやっとのことで立ちあがりました。
「当たり前じゃないですか!」
メキメキと軋む、キャンバスの音。
ぶち抜かれた、人物像の腹部。
召使いの少女の横には、魔力の籠った殴打によって台無しにされたレイナの肖像画がありました。
ホント、最悪だわ。
あいつが放った膨大な魔力が込められた攻撃。
幸運にも躱すことができたけど、不幸にも一番大事な宝物のひとつを壊された。
幸せの度合いを計算したらプラマイ、マイナスね。
ぶちのめしてやる。
「あなたがいま壊した絵、誰が誰をどれだけ時間かけて描いたものだと思ってます?」
「……分からん」
少女の質問に対して、ではありません。
スーツの男は、相変わらず魔族の言語が理解できないとひとり呟いたのですが、召使いの少女はそれに答えます。
「私が! 嫌がるレイナ様を! 七時間も拘束して! それでも描ききれないところは夜中にレイナ様の寝室に忍び込んで! やっとの思いで完成させた作品です!」
自分が生み出した最高傑作をめちゃめちゃにされ、召使いの少女はカンカン。
「償ってもらいますよ、
そう言って召使いの少女は裸足で地面をひと蹴り。
足形に波打つ絨毯を取り残し、弾丸のようなスピードでスーツ男の懐に飛び込みました。
右の頬に叩き込まれる拳。
しかし。
殴られた顔には、金歯の光る口元がにんまりと開き、いやらしい笑顔が浮かびあがります。
くっ、効いてない……っ!
男性は廊下の壁をぶち抜いて吹き飛びますが、パンチに手応えがなかったことに召使いの少女は気づきました。
「俺の家はね、」
粉塵のなかで人影がむくりと、
「家庭内暴力が酷くて酷くて、そりゃもう毎日なんだよ。可哀想に、愛しい妻もきっとストレスが溜まっているんだろうね」
「罪の告白ですか……気色悪い。相手に負荷だと分かっているなら、すぐにやめればいいだけの話じゃないですか」
急に静まり返った、召使いの呼吸以外に音のない空間。
そこで。
もわっと、立ち込める粉塵に不自然な動きが現れたかと思うと、
「あ、ちなみに殴られてるのは俺の方」
埃で見通しの悪い視界に、
突然、スーツ男の大きな顔が現れます。
ボゴッ‼︎ とまるで金属でも詰まっているかのような石頭に頭突きを食らい、一瞬平衡感覚を失った召使いの少女。
「うぐ……この
その小さな身体を腰のところでふたつに折るように、スーツ男の筋肉質な太い脚が放った蹴りが炸裂しました。
今度は少女の身体が同じ壁に穴を開け、さらに奥の部屋の壁を何枚かぶち抜いて姿を消します。
スーツの男はパンパンとズボンの埃を払い落とし、
「まぁ俺が悪いんだがな。仕事ばかりで構ってあげられないんだ。そんな俺へ精一杯の反抗をするのが、きっと妻なりの愛情表現なんだろう。……でもね、」
身を縮ませて廃材を跨ぐと、開いた壁の穴から隣の部屋に移動しました。
「そうは思ってもやはり、無性に殴り返したくなることがある。あの生意気な! メスに! 立場ってもんを分からせてやりたくなるのさ‼︎ ……けど女性に手をあげるわけにはいかない、だろう?」
不意に激情に駆られたかと思えば、再び穏やかに。
スーツの男は視線を左右へと移動させ、召使いの少女を探します。
「だから俺は我慢をして、顔の傷を隠して仕事に行く。じゃあ溜まりに溜まった我慢はどうやって発散するか」
それはスーツの男の自問自答。
「お前ら悪をなぁ……じっくりと! よく味わいながら! いたぶって成敗するんだよ‼︎ そもそも俺が多忙なのは魔族、お前らのせいなんだからなぁッ‼︎」
スーツ男はさらに奥の部屋へと移動し、暗い部屋のなかに召使いの少女を見出そうと目を凝らします。
「……どうだい? 妻を愛し、人民を愛し、そのうえ戦にも出られる。かっこいい
ついに見つけた人影。
しかし、それはスーツ男の予想とはまるで違い、
「ペット飼ってるのか? すげえ、うちのドーベルマンよりでけえや」
それは、明らかに人の
複数の触手を思わせる影。
床をバターのように抉る鋭利な鉤爪。
部屋に差し込むぼんやりとした光を受けて怪しげに輝くギザギザの牙。
魔王城で飼われている魔物。
と、スーツの男が予想したその影は、不意に言葉を発します。
「困ったわねぇ、この姿はあまりにも醜くて
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