第11話

「はぁ……憂鬱だぁー」

 魔王城を横断する長い回廊。

 フェニックスの羽根で作ったダスターで天井の廻り縁に溜まった埃や隅っこに作られた毒蜘蛛の巣を払いながら、魔王レガリオの側近であるサキュバスは深い溜息を吐いた。

「レイナ様、どうかしたんですか?」

 血みどろのエプロンをかけた召使いの少女。

 剣豪ソルドメスターをそこらにあった他人ひとの畑に埋めて、代わりに何本かネギを貰ってきた彼女は、洗濯物の途中だった。

 しかし、いつもテキパキと魔王城の仕事をこなす先輩が、だらりと壁に向かって項垂れているのを見過ごすわけにはいかない。

 汚れた服が山積みの籠を抱えたまま、側近のサキュバス、悩めるレイナの愚痴に耳を傾けることにした。

「ちょっと聞きたいんだけどさ。最近あたしの変わったところって、なにかある?」

 壁に押しつけた頬をむにゅっとさせたまま、レイナが尋ねる。

「レイナ様の変化ですか……そうですねぇ」

 洗濯籠が無造作に落とされる。

 他方の腕で支えられた右手で顎を摘み、召使いの少女はしばし考えた。

「まず体重が五〇キロを割りましたね。身体が引き締まって、うっすらと腹筋シックスパックが浮かびあがって」

 その言葉を皮切りに、召使いの少女の口調が指数関数的に加速する。

「首から下の脱毛が完了したし指先のケアが行き届いてささくれ一つなく表面に艶のある爪が健康的な手足になりました。最近使い始めた香水は体臭とすごくマッチしていて混じり合ったときにサキュバス特有の魅惑的な匂いをより強めたのと、なにより毎晩風呂上がりにしているマッサージが功を奏したのかバストアップが服の上からでも分かるくらい顕著に現れて────」

「いやごめん! もういいよ! それ以上はもういい‼︎」

 あわあわと焦るレイナが、召使いの少女から無限に湧き出てくる情報にストップをかける。

「ありがとう、真剣に答えてくれて! でもちょっと、いやめっちゃ怖いのよ! なんでそこまで知ってるのさ⁉︎」

 身の危険を感じたレイナが、両腕で自分の身体を抱いて守備態勢に入る。

 対する召使いの少女。

 彼女は血みどろのエプロンの前で両手をぎゅっと握り合わせ、ニコニコと穏やかな表情で答えた。

「一番のファンですから! 知りたいことがあったらなんでも聞いてくださいね!」

 本人は冗談のつもりなのだろうが、ガチで自分より自分のことを知ってそうでレイナは気が気じゃない。

 そこまでいくとファンとは言いません。

 ストーカーです。

 いつの間にかとんでもない方向に進化を遂げていた少女を警戒しつつ、レイナは一番のファンを名乗る彼女に悩みを打ち明けることにした。

「あたし、レガリオのことが好きなんだけどさ」

「なんであんな暴君を? と思いますがね。マゾヒスト魔族、マゾ魔族なんですか?」

「マゾ魔族やめて? そんなマゾマゾしてないから」

 少し怒った口調で言うと、召使いの少女がお口チャックのジェスチャーをしたので、レイナは話を続ける。

「レガリオは愛とか恋とかからは程遠かったから、正直あたしの恋は報われないだろうなって思いながら自分磨きをしてた」

 心の内を吐露しながら、手持ち無沙汰なレイナは持っていたフェニックス羽根のダスターを毟り始める。

 うぁそれと思うものの、召使いの少女は口を閉じたまま床に散らかっていく羽根をせっせと回収した。

「そしたら急にさ! 急にだよ⁉︎ 恋心を知ったかと思ったら、相手はあたしじゃなくて、どこの馬の骨とも知らないお姫様だなんて!」

 一気に複数本の羽を毟り取って宙に投げる。

 すると、舞い落ちてきたひとつが口に入ったので、レイナはそれを「ぼぶふッ」と横に吐き出した。

「髪も鯨の髭で作った特製の櫛で綺麗に梳いて、睫毛は柔らかくてベタつかない特別なカラマス樹液でパッチリと上げて……、口紅なんて三つも使って艶のあるグラデーションにしてるのに!」

「私は気づいてましたよ! 口紅、絶滅危惧種のボルケーノグリズリーから取れる血液と、抗凝固剤にもなる超希少なバラの一番赤い花弁からのみ摂った抽出液を完璧な比率で配合した、街で一番高価なやつですよね!」

「え、あれそうだったの……」

 化粧品会社め、倫理観どうなってんだ。

「と、とにかく!」

 リピートしないことを胸に誓い、レイナはずれ始めた話を本題に戻す。

「レガリオのために可愛く、レガリオのために綺麗になったあたしじゃなくて、そこらのモブが選ばれるなんて許せないの! 映えそうなお店とか綺麗な景色とかをチェックして誘ってみても『遠い』とか言ってすぐ近くなのに面倒くさがるくせに、急いだって半日はかかるヒト族の国の王都には、遠かろうが厳重警備だろうが行くだって⁉︎」

「レガリオ様のためというより、レガリオ様とくっつきたい自分のためという方が正確な気がしますが……まぁ分かりますよ」

 こいつ、ファンだという割に全然味方しねえな⁇

「まぁ分かりますよ」なんて適当な共感じゃ、前半部分の暴力は到底カバーし切れないんですけど⁉︎

 しかもド正論で、ぐうの音も出ない。

 キレそう。

 レイナが黒い長髪を手で梳きながら、頭に昇った血をゆっくりと深呼吸で身体の方へと流していると、召使いの少女が言葉を続ける。

「距離感……というか心の壁、みたいなものがあるんですかねぇ。ほら、レイナ様っていつもレガリオ様に対して敬語ですし」

「心の壁ねぇ」

 たしかに、レガリオに敬語を使えという指示を受けているわけではない。

 王と側近なのだから当たり前の言葉遣い、と思っていたが。

 たしかに。

 距離を縮めるため、フレンドリーに話しかけて反応を見るのはアリ、かも?

「ていうか、そんなふうに思ってたなら遠征になんて行かせなければよかったんじゃないですか? 素直に好きだって伝えて止めれば」

「重いって思われたくない……」

「思う思わないじゃなく事実、十二分に重いですから……」

 まぁ別にいいんだ。

 どこぞのお姫様を追いかけたって。

 その代わり、あたしの行き場のない高密度の未練をドロドロに浴びせてやるから、重たい愛で窒息してなさいよ。

 苦しくなったら開き直るのが健康的。

 そうしてレガリオのお弁当箱に仕掛けた『ドロドロの未練』というやつを思い出してレイナはほくそ笑んだが。

 直後。

 嫌な予感に掻き立てられて駆け出した。

「あ、えッ⁉︎ どうしたんですか急に⁉︎ レイナ様ぁー待ってくださいよーっ!」

 呼び止めようとする召使いの少女の叫び声を振り切って厨房へ。

 前後どちらにも開く両開きのドアを蹴り飛ばした先。

 レイナは予感が的中する瞬間を見た。

「あいつ、弁当箱忘れて行きやがったぁぁあああッ‼︎」

 あとからゼェゼェと息切れ状態で入ってきた召使いの少女は、入り口に凭れ掛かって呼吸を整えていた。

 彼女が口を開くより先に、弁当箱を持ったレイナが叫ぶ。

「支度してちょうだい! あのバカを追っかける‼︎」

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