第3話

「側近! 側近!」

「なんですか、こんな夜中に……それにいい加減名前覚えてくださいよ。あたしは────」

「そんなことより側近、胸の調子がおかしいんだ! すぐに診てくれ、危険な病気かもしれない!」

 魔王城に帰った俺っちは、真っ先に向かった側近の寝室で緊急事態を訴えた。

 角の生えた側近のサキュバスは、花柄のついた黒いナイトガウンを身体に巻きつつベッドを出る。

「そんなこと言って、またトイレについて行ってほしいだけじゃないですか? レガリオ様も困ったものですねホント。いつまで経っても子ども」

「違うわ!」

 呆れ気味で眠い目を擦る彼女の言葉を、俺っちは遮った。

「さっき、東の森で侵入者を迎撃してたんだよ」

「今度は寝込みを襲おうってことですか。ヒト族は本当にタチが悪い。それで、あたしが仕掛けておいた罠はどうでした?」

「まさか。お前が汗水垂らして作った仕掛け、あんなやつらに使わせるわけないだろ?」

 俺っちは側近の肩に手を置き、決め顔で彼女の瞳を見据えた。

「引っかかる前に殺しておいたよ」

「いや仕掛けた意味!」

 喜んでくれるかと期待していたのだが、側近の反応はどうやら逆を示しているようだった。

 感謝のないやつめ。まぁいい。

「そのあと夜景を見ようと例の場所へ行ったんだけど、そこにヒト族がいたんだよ」

「そのとき胸部に攻撃を受けたと?」

「うーんと物理攻撃は受けてないんだけど……」

「まさか、ヒト族にも魔法を使える者が現れたとか⁇」

「いやぁ魔法攻撃でもないと思う。なんつーか、精神攻撃って感じだ。その人を見ただけで胸が痛くなったみたいな」

 そう伝えると、側近は短く考えた。

「相手は兵士ですか?」

「どこかの国の『王女』だって言ってた。『王女』がなんなのか知らないけど、武装もしてなかったし兵士じゃないと思う」

 俺っちは『王女』を名乗るヒト族の美しい曲線美を思い出して、しばし沈黙した。

 柔らかな紫色の肌。

 癖のある長い髪と、そこから覗く短い三本の角。

 ほどよく肉付いた長い四肢。

「もしかすると、」

 俺っちは酒に酔ったような微睡のなかで、あのヒト族を思い出すように遠くを眺めた。

「あれはヒト族の亜種だったのかもしれないな」

「いえ。おそらくヒト族の雌です」

 きっぱりと言い放つ側近に、俺は現実へと引き戻される。

「ん、なんて⁇」

「ヒト族の雌です」

「いやまさか。ヒト族って分裂増殖するものだろ?」

「そこからですか……」

 サキュバスは弾みをつけてベッドから飛び降りるなり、寝室を出て行った。俺っちは側近のベッドにあった大きな抱き枕を拝借して、そのあとを追う。

 触り心地がいいんだよこれが。

「まぁ侵略してくるヒト族の兵士はみんな雄ですし、見たことなくても無理はないでしょうね。レガリオ様は魔族のなかで最も力があるがゆえに魔王様なのであって、魔族には王族という概念がないから王女もいませんし」

 パンパンと彼女が手を叩くと、廊下の壁に等間隔に取り付けられたガラスケースが連続して灯っていく。

 なかに入っているのは、魔王城で飼っている鬼火だ。眠りを邪魔された彼らは、怒りで顔を真っ赤に光らせながら蠅のようにケース内を飛び回る。

 俺っちたちが向かった先は魔王城の厨房。

 レールに吊るしてあった逆さまのシャンパングラスを二人分取ってテーブルに置くなり、側近はナイフを使ってボトルをひとつ開けた。

 キンッ、という軽快な音とともに瓶の首が飛ぶ。

「……なんで酒?」

「お祝いです」

「なんの?」

 酒を注がれるままに、俺は持たされたグラスがいっぱいになるのを見ていた。

「あたしにとって、侵略してくるヒト族を嬉々として返り討ちにするレガリオ様は、カエルを殺して遊ぶ子ども同線でした。しかし、そんなレガリオ様も恋心を知るような大人になった。これを祝わずしてなにを祝うんです」

 そう言うなり、彼女は乾杯♪ とグラスを打ち合わせてグビッと一飲みで空にした。

 訳が分からない俺っちは、グラスを持ったまま顔を顰める。

「…………、恋心ってなに?」

「マジで言ってます? 魔王様」

 頬を赤く火照らしたサキュバスが俺っちのグラスを引ったくって一気に飲み干す。

 弱いくせにペース早いんだよお前は。

 二日酔いの臭え息でだる絡みしてきたら蹴っ飛ばすからな。

「じゃあそのお姫様とやらについて教えてください。レガリオ様がそのヒト族に対して抱いているお気持ちを」

 俺っちは顎に手を当てて少し考えた。

「────食べたい」

「⁇ はぁ……」

 想定外の回答だったのか側近はポカンとしていたが、俺っちは構わず続ける。

「調理するだとか咀嚼したいだとか、そういうことじゃないんだ。取り込みたいっていうか、俺っちの一部にしたいというか」

 なんだか気恥ずかしくなって、俺っちは側近からボトルを取りあげて一口飲んだ。

「天使を見たことはないけど、いたらあんな感じだと思う。あの子は翼のない天使だ。でも翼はないのに、なぜか彼女の翼を捥いでしまいたいという気持ちに駆られた。どこへも行かないように。ずっと俺っちのそばにいてくれるように」

「ははーん? そうですかそうですか。へぇ〜」

 片眉を吊り上げたサキュバスが、ニヤニヤしながら頷く。

「もうそれは完全に恋ですね。想像以上にアグレッシブで独占欲が強くて正直ドン引きしましたが」

「なんかイラッとくるな。気持ち教えろって言ったのお前だろ」

 こちらの心のなかにあるもの全てを見透かしているかのような様子が癪に触る。

 俺っちは牽制のため、なるべく怖い顔を作って側近を睨めた。

「初めてレガリオ様と恋バナができて楽しいんですよ♪」

 が、あまり効果はなかったようで、依然として悪戯そうなサキュバスはヘラヘラと楽しげだ。

「それで、俺っちはどうすりゃいいわけ?」

 妙に早い鼓動の煩わしさ。

 謎の高揚感が、食中りでもないのに吐き気を催す感覚。

 その正体が恋だと分かったところで、なにをするべきなのかが分からない。

「うさぎが別のうさぎを、鳥が別の鳥を番いとするように。レガリオ様も追いかけるのですよ、その麗しきお姫様を」

「追いかけ──」

「と言いたいところですが……、」

 反芻する俺っちを遮って、側近はシャンパンのボトルを取り返す。

「ヒト族と魔族の恋など叶いっこありません。諦めて忘れましょう。失恋してヘコむレガリオ様なんて見たくないですよ、あたし」

「おい、ここまで話広げておいてその畳み方はないだろ」

 ラッパ飲みをするサキュバスのボトルを直角に固定してやる。

 ボフッ‼︎ と吹き出し咳き込む彼女をよそに、俺っちは決意の眼差しで拳を握りしめた。

「たとえ叶わぬ恋でも、叶えようとしないのは道理がなっていない。初めてなんだ、こんな気持ち。うまくいくか悩む頭より、彼女を求める心が先に突っ走ってる。こいつは俺にだって止められない」

「そうは言ってもですね、」

 言いながら側近は、吐き出した酒でびしょ濡れになった服を肌から引っぺがし、そこに乾いたタオルを突っ込む。

 よくよく今のこいつ、かなり色っぽいんじゃないか?

 ふと、そんな考えが脳裏をよぎる。

 となると恋愛感情を抱いているか否かの違いってすげえや。

 この飲んだくれ見てたって毛ほどもドキドキしないもん。

「そこらの町娘ならまだしも、相手はどこかのお姫様。今日会えたのは単なる偶然ですよ。きっと今頃は厳重な警備が敷かれたお城のなか。レガリオ様が行ったところで、迎えてくれるのはお姫様ではなく武装した数千の兵士ですよ」

 一通り身体を拭き終えたサキュバス。彼女は床に溢れてできたシャンパンの水溜りにタオルを覆い被せ、ついでに濡れた裸足を乾かそうとペタペタ足踏みを始めた。

「だからもっと近くで恋を探しません? たとえば同じ屋根の下で日々をともにする────」

 たしかに、と俺っちは思う。

 ヒト族などという弱小種族が侵略してくるのは、たいした問題ではない。中途半端に弱いやつに限って縄張り意識が強いものだが、結局は俺っちたち魔族に勝てるほどではないのだ。

 たまに熊や大型の猫が縄張りを主張して襲ってくるが、ヒト族の侵略行為もその程度。大差はない。

「────その人はもしかすると、前からレガリオ様のことを気になっていて────」

 しかし、魔族がヒト族の里へ行くとなると、まるで話しが違ってくる。ただでさえヒト族は俺っちたちを敵視していて、一日でも早く滅ぼさんと兵士を送り込んできているのだ。そんな魔族の俺っちが乗り込んで行ったら大騒ぎになるだろう。

「────最近ダイエットの効果が現れ始めて、そろそろ気づいてくれてもいいんじゃないかって……ってこれ聞いてねぇな⁉︎ レガリオ様ー⁇」

 そうなりゃ戦争だ。

 きっと四天王だとか七部衆だとか、アホっぽい肩書を持った雑魚が束になってかかってくるに違いない。正直負ける気はまったくしないが、最近のヒト族は刀剣や弓だけでなく新たに火薬というものを手に入れて、今まで以上の戦闘力を有している。もはや手加減をできる相手ではなくなっているはずだ。

 仮に全員ぶち殺してお姫様のもとに辿り着いても────。

 弱気になりつつあった。

 ついさっき決めた覚悟が揺らぎつつあった。

 そこで不意に。

『────みんなのために必要な政略結婚なのに、私が決断力に欠ける王女だから……』

 名前も知らないお姫様の、

 か細い声が。

 泣き腫らした赤い目元が。

 まるでこの瞬間、眼前にしているかのような鮮明さで蘇ってきた。

「それでも俺っちは、あのお姫様のところへ行かなきゃ」

 言葉を区切り短い呼吸をしたのち、続ける。

「たとえ千の兵士が行く手を阻もうとも。たとえ千を超える死体の山を築くことになろうとも」

「……、」

 不満げに黙ったままの側近に気づき、俺っちは首を傾げる。

「どうした側近、腹でも痛いのか?」

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