第2話

 魔族の里は自由だ。

 みんな好きなところで寝泊まりして、適当な時間に飯を調達して、誰のものでもない大草原でゴロゴロと日向ぼっこをする。

 それに比べて弱小種族の生活とはなんて忙しなく、苦しく、不自由なんだろう。

 虫とか小魚といった類の圧倒的弱者どもはまだいい。

 強さを指標とするなら、個々は無価値に等しい。

 だからこそ群れて、単体では果たせない目的を団体として達成する。

 彼らには自身を救う力なんてない。生き方も、死に方も選べない。きっと彼らには死への恐怖、それを考える高機能を備えた脳すらないんだろう。無力ではあるけど、その苦しみを無知が救っているってわけだ。

 それに対し、中途半端な弱者は哀れなことと言ったらそりゃもう。

 あれだあれ。あー……喩えが出てこねえな。

 まぁいい。

 彼らは一定の知能と自衛能力があるせいで、分不相応な野心を抱いてしまう。

 抱えきれないものを手に入れようとする。

 誰のものでもない土地を、景色を、自然を我が物にしようとして侵略する。

 旗を立てれば、そこが自分の所有地だと思い込んで。

「あそこだ! 撃てぇッ‼︎」

 森の中を反響する銃声。

 削れた樹皮や落とされた木々の葉が舞うなか。

 違和感に気づいたヒト族の兵士たちの攻撃が止む。

「消えた⁇」

「いや周られてる! 五時の方こ────」

 手には長い猟銃を、腰には剣を携えた数名の兵士たちの声は、そこで一度にして途切れた。

 一方ではゴトン、と丸い物体が地に落ちる音。

 直後に首のない身体が膝を折って崩れ落ちる。

 他方では、垂直方向に分裂した身体が八方へ向かって花開いた。

 どこかで仲間に起こった惨劇を見た男が恐怖で叫び声をあげる。

 彼は逃走を試みようと踵を返して初めて気がついた。

 振り向けない上半身。

 反転する視界。

「そんな……くそ……クソがぁッ‼︎」

 何歩か走ったのちに地面から飛び出した木の根に躓いて倒れる自分の下半身を見届け、男は物を言わなくなる。

 あるいは取るに足らない羽虫。

 あるいは焦点の定まらない目で虚空を眺む蛙。

「さすがにもういない、よな……?」

 そんな下位種族のつまらない最期の観察を終えるなり、俺っちは月の光がよく当たる木の上に移動した。

「調査隊だかなんだか知らないけど、夜中にバカスカ騒音だしやがって。寝れやしない」

 そこで。

 眼下へと視線を向けた俺っちの目にとんでもない光景が映った。

「あぁ! あのクソ野郎ども、放し飼いしてたコカトリス一匹残らずぶち殺しやがった! 食いもしないくせに、牛糞野郎ブルシットッ!」

 次の侵略者は粉に挽いて肥料にしようと心に誓いつつ、俺っちは犠牲となった尊い命を思って胸の前で十字を切った。

 さらばコカトリス。

 肉は不味くて食えたもんじゃなかったけど、お前らの卵で作ったオムレツの味は忘れねえから。

 さてと。

 胸糞な気分晴らすにはどうするべきか。

 近頃開発したのか、ヒト族が侵略するときに持参するようになった銃というものがある。

 近接戦闘にも遠距離攻撃にも使える優れもので、特に死体撃ちをすると楽しいのだが、今日はよしておこう。

 こんなによく月が見えるんだ。

 雲もないし、服の隙間を抜けていくそよ風が気持ちいい。

 となると、するべきことは自ずとひとつに絞られる。

「夜景でも見るかぁ」

 そうそう、そうだった。こないだ穴場を見つけたんだ。

 俺っちは木から木へと飛び移り、それに疲れたら今度は翼を使わずに飛翔した。

 魔法。

 魔族のなかでも限られた者だけが使える技だ。

 夜風の匂いを嗅ぎながら低空飛行を楽しんでいると、森がひらけてきた。

 腰掛けにちょうどいい岩石と、柔らかい草花の絨毯が居心地のいい崖の淵。

 月と星々に照らされた山脈。

 遠くの方を見やると、そんな美しい山々に囲まれて盆地となったところに栄えるヒト族の街が確認できる。

 夜の街に灯った明かりの数々。嫌いじゃない。

「あいつらも静かに暮らしてくれればいいんだけどな。面白い発明いろいろするし。まぁだいたいが俺っちたち殺すための兵器なんだけど……」

 そんなことを思っていると、俺っちは見慣れない光景を目にした。

 ヒト族……?

 この夜景鑑賞にぴったりな特等席。

 上に座っても凭れ掛かっても居心地いい大きな岩石。

 そこに二人の人影がいた。

 武装はしていない。

 ただ夜空の下で横になって談笑しているだけのようだ。

 正直、すぐにでもぶち殺して特等席を奪還したいところだったが、この美しい夜景は誰のものでもない。

 それは裏を返せばみんなのものということだ。

 種族も性別も年齢も関係ない。みんなのもの。

 悔しいけど仕方ないか。

 と、帰ろうとしたそのとき。

「い、嫌です! できません!」

「いずれ結婚した暁には毎晩することになるんだ。くだらない貞操など捨ててしまえよ!」

「でも……っ!」

 度重なる侵略を迎え撃っているうちに覚えたヒト族の言語で、そんな言葉が聞こえてきた。

 俺っち飲み込みが早いからね。たぶん世界中で話せない相手いないべ。

「いいのかい、拒絶して? 私にノーというのはすなわち、常任理事国すべてにノーということに等しいんだぞ?」

「そんな……」

 なにかトラブルみたいだが、よく分からない。

 俺っちは正確な状況を把握するため、もう少しだけふたりの様子を観察することにした。

 すると、

「しつこいな! 弱小国家の王女の分際で、このシバッグ王子に楯突くんじゃねえよ!」

 直後。

 痺れを切らした様子の男が、もう一方の人影に襲いかかる。

 甲高い悲鳴が聞こえた。

 豪語しておいて知らない言葉登場⁇

 パニック状態で叫ぶから聞き取れないだけか。

 いずれにせよ、なにかよくないことが行われていることだけは分かった。

 それも、

「……ヒト族ってやつは」

 よりによって、

「いちいち胸糞悪くしなきゃ……」

 気分の悪いタイミングかつ人様の特等席を侵略して、

「気がすまねぇのかド畜生めがぁぁあああッ‼︎」

 俺っちは王子を名乗るクソ野郎の襟首を掴むなり、そのまま腕を伸ばして崖の外へ向けて宙吊りにした。

「なッ、なんだお前! 放せよ、放しやが────ッ⁉︎」

 そこでシバッグとかいう男の言葉が途切れた。

 俺っちが憎き魔族だからだろう。

 悪いことしてるのはこいつなのに、なんでそんな穢らわしい罪人を前にしたみたいに恐怖と軽蔑の目を向けるかなあ。

 割と傷つくよ? いやマジで。

 ところで、この場において二番目に悪いやつを捕まえたはいいものの、このあとどうするべきか。

 特に考えていなかった俺っちは、しばらく沈黙した。

 ヒト族の国家同士のパワーバランスがどうなっているのかは知らんこっちゃないが、そんなものを振りかざすシバッグとかいう売女の息子サノヴァビッチは誰がどう見てもクソ野郎だ。

 しかし、俺っちは攻撃されたわけでもないし、そもそもヒト族同士のいざこざに首をつっこむ筋はない。

 あ、ちなみに一番の悪役はなにも悪いことをしていない魔族の俺っちね。

 一番を名乗ることが一番謙虚な場面なんて、なかなかのレアケースだよこれ。

 そんなことを考えていると、

「あ、あの……彼を放してあげてください」

 背後から、か細い声が聞こえてきた。

 それは。

 今まで魔族の里を侵略してきた兵士たちの野太い声とはまるで違うものだった。

 柔らかで、軽快で、どこか優しく包み込んでくる。

 心地のいい楽器の音色のような響き。

 音源へと目を向けた俺っちは、目も呼吸も奪われた。

 おっと、心配しないで。

 眼球はまだ頭蓋の中だし、肺も正常に機能してるぜ!

「悪いのは力も、精神力も弱いわたしなんです。みんなのために必要な政略結婚なのに、わたしが決断力に欠ける王女だから……あぁ、力が……力があれば……」

 乱れた服から覗く紫、鎖骨、ほくろ。

 紫陽花のような丸みと肌色にかかる、癖のある長い髪。

 そして、潤んだ瞳を縁取る泣き腫らしたような赤い目元。

 胸の前でぎゅっと手を握る王女の姿を見た俺の驚愕、衝撃ときたらそれはもう。

 うっかりと掴んでいたクソ王子を放しちゃったほど。

「「「あ、」」」

 俺っちにお姫様、そしてクソ王子が三人してハモる。

 とんでもない場所で手を離してしまったことに気づいた頃には、

 ぎゃぁぁああああああ‼︎ という叫び声とともにシバッグは谷底へと落ちていった。

 やっちまったぜ、手が滑ったバターフィンガーズ

 ホントだよ? わざとじゃない。うっかりうっかり。

 直後、どこか離れたところから複数の声があがる。

「なんだ今の声は?」

「シバッグ王子の身になにかあったのか⁉︎」

「確認するぞ!」

 徐々に近づいてくる足音。

 崖の淵から心配そうに下を覗き込む王女。

 ヒト族の兵士なんて束でかかってきたって、寝てても殺せる。

『王女』を名乗る目の前のヒト族は無防備なだけでなく、そもそも武装すらしていない。

 なのに。

 なんで、こんなに身体が強張っているんだ。

 なんで、こんなに心臓がうるさいんだ。

 吐きそうなほどの高揚感に胸を押し潰されそうになりながら、俺っちは魔王城へ向かう帰路に就いた。

 あの場において一番危険度が低いはずの王女。

 彼女から逃げ出すように。

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