必ず殺します

 アレスは理解が追いつかなかった。ディカイオが淡々とニケに語る内容が、あまりにも狂っていて……。


 アレスは、僅かに開いた扉の隙間から流れてくる会話に耳を傾けていた。しかし途中から混乱し始め、流れてきた言葉はただの空気の振動として、彼の鼓膜を揺らすだけになった。言葉に伴う感情や情報は、アレスの手の届かない所にいったん棚上げされた。


「お父様。プシュケちゃんに会わせて」


 ニケの声が聞こえて間もなくして、二人の足音が遠ざかって行った。


 アレスはハッとなって、慌てて扉を通ると、二人を追うために部屋を横切っていく。



「こいつが、エクスマキナ……」

 巨大な人型遺物を目の当たりにすることで、いったん棚上げされていた感情と情報が、現実感を伴って戻ってくる。


 〈希望の家〉の子供たちは、こいつの腹の中で二度と目覚める見込みのない眠りを押し付けられているのだ。


「狂ってる。ひどすぎる……。あまりにもひどい。人間のやることではありません……」


 ディカイオとニケの後を追わないといけないのは分かっているのに、アレスはエクスマキナの中の少年少女に悲痛なまなざしを投げずにはいられない。


「……あれ?」

 アレスは頭に引っかかるものを感じた。

 

 いや、ありえないとアレスは思った。目をぎゅっと瞑り、首を振った。それからまたエクスマキナを見上げた。


「嘘だ……。ありえませんよ、そんなの……」


 アレスは壁際まで走って、そこに置かれている燭台を手に取った。そしてエクスマキナの前に戻り、蝋燭で恐る恐る、お腹の中の子供たちを照らした。


「嘘だ……」


 ありえない。彼女がここにいるはずない。


「嘘だ……。信じない。俺は信じませんよ……いやだ。嘘だ。嘘だと言ってください……」


 彼女は――。


「ソピアさん……!」


 アレスは、膝から床に崩れ落ちた。燭台が床を打ち、蝋燭が吹き飛んで火が消えた。火に照らされていたソピアの表情は一瞬で薄闇に溶け、シルエットに戻ってしまった。


 ふいに、ソピアの言葉が蘇ってくる――。

 

 ――私、髪には自信ありなんです。リボンはつけたことなかったけど、今日からイメチェンしてみようかな! ――

 

 ソピアは、プシュケからの誕生日プレゼントのリボンを胸に抱いて、幸福そうに笑っていた。


「なのに、あなたは、もう、自慢の髪にリボンを結べないんですね……。苦しいでしょう……痛いでしょう……悔しいでしょう……。ごめんなさい……。助けられなくて、本当にごめんなさい、ソピアさん……。どうか、どうか、俺を許してください……」


 アレスはやおら立ち上がると、鞘から剣を抜いた。


「ああああああああああああああ! こんちくしょうがあああああああああああああ!」


 アレスは刃をエクスマキナの脚に叩きつけた。火花が散り、ガヲォォォンとくぐもった音が木霊する。


「返せ! 返せよ! ソピアさんを返せええええええええええええええええええええ!」


 アレスはがむしゃらに剣を振り続けた。

 ガヲォォォンガヲォォォンガヲォォォンガヲォォォンガヲォォォン! 

 くぐもった音が生まれては消えて生まれては消えた。最後に力ない小さなガヲォンが生まれて消えた後、アレスは剣を下ろした。


 エクスマキナには、傷ひとつついていなかった。


「……ソピアさん……。俺は、あなたにひどいことをしたクズ野郎を、必ず殺します。待っていてください。あの野郎を殺した後は、そんなひどい場所から連れ出してあげますから。もう少しだけ、待っていてください、ソピアさん……」


 アレスは、ディカイオたちが消えた扉に向かって走った。

 扉を乱暴に蹴り飛ばして開け、道幅の狭い洞窟のような廊下を突き進んだ。

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