絶望の永久機関
〈希望の家〉という言葉を合図に、ニケの心の麻痺が解けた。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ニケは絶叫し、拳がボロボロになるまでエクスマキナの脚を殴り続けた。痛みは感じなかった。
「ニケ。ショックなのは分かる。しかしお前は、そのショックを乗り越えないといけない。お前は私の跡を継ぐ人間なのだから。王になる人間なのだから」
ニケは何も答えない。否、答えられない。言葉が見つからない。苦しい。呼吸が乱れる。
「エクスマキナの糧にするための魂は、清らかで良質でなくてはならない。だからこそ、大切に育てられ、健全な魂を育むことをポリシーとしている〈希望の家〉の子供を使うのが最善手なのだよ」
泣き疲れ、光を失った目で虚空をぼんやり眺めているニケに向かって、ディカイオは容赦なく話を続けた。
「人間の魂は12歳で最も成熟し、そこからはだんだんと衰えていく。12歳がピークなのだ。だからこそ、〈希望の家〉の子供たちは12歳で卒業させ、エクスマキナの糧にする。より長く効率的に、エクスマキナの糧として活躍してもらうためにね」
〈希望の家〉の正体。それは、エクスマキナの糧を育てるための施設だったのだ。子供たちは何も知らずに育てられ、時が来たら薬で植物状態にされる。そして最後はエクスマキナに食べられ、理不尽に魂を消化させられ続ける。子供たちは家畜だったのだ。
「……お父様は、プシュケちゃんからエクスマキナの動かし方を聞き出して、何をしようとしているの?」
ニケは勇気を振り絞って尋ねた。
「地上の文明を完膚なきまでに消し去った〈世界大戦〉。その戦争で〈イリニア朝〉が投入した最強の兵器、それがこのエクスマキナなのだ」
「お父様は、エクスマキナを使って世界を滅ぼすつもりなの?」
「そうだ。正確に言えば、リセットするのだ」
リセット……?
「私が幼いころ、敵国の賊に誘拐されて〈
気が遠くなるような話だ。壮大で、空想じみている。でも、今のディカイオに何を言おうと無駄であることは、目を見れば分かった。
ニケは無言で、力なく項垂れた。
「ニケ。前を見なさい。お前はいずれ、エクスマキナの運用の仕事を引き継ぐことになるのだ。それはミネルウェンの王の責務なのだ」
「……」
「子供たちの尊い犠牲は、決して無駄にはしない。平和な王朝を築くことで、彼ら彼女らへの手向けとしたい。心からそう思う」
「だからって……だからって、こんな非道な行いが許されていいわけがないっ! 平和な王朝なんて絵空事のために、子供たちが犠牲になっていいはずがない! 〈希望の家〉の子供たちが孤児だからって、こんなひどいこと……」
「孤児ではないのだよ」
ディカイオは、芝居掛かった仕草で両手を広げ、エクスマキナを仰いだ。
「ニケ。戦争孤児も、グールに親を殺された孤児も、〈希望の家〉には一人もいないのだよ。なぜなら、〈希望の家〉の子供たちは、みんなここで生まれたのだから」
「な、なにを、言ってるの……?」
子供たちが、ここで生まれた……? ここって、どういうこと……?
「見てごらん」
ディカイオは、エクスマキナのお腹を指差す。
「ほら、下の方にいる少女を、よく見てごらん。お腹が膨らんでいるだろう? もう臨月に入っている」
人間の残酷さに限りなどないのだと証明するかのように、ディカイオは次々と衝撃の事実を明かしてくる。ニケは戦慄せずにはいられなかった。
「まさか、糧にするだけでは飽き足りず、女の子を妊娠させているの……? 〈希望の家〉の女の子に子供を産ませて、その子供も〈希望の家〉に入れる。その子が女の子なら、卒業した後にまた子供を産ませる……。それを繰り返す……。そうして糧を調達し続けていた……。そういうことなの……?」
「完璧な解答だよ、ニケ。女の子には、そういう使い道もあるのだよ。エクスマキナ延命のために魂を燃やしつつ、お腹で次世代の糧を育てることができる」
「狂ってる……!」
「遥か昔から、そうやって〈希望の家〉の子供たちは運用されてきたのだ。確かに残酷な話ではあるが、悪いことばかりではない。〈希望の家〉の子供たちは大切に育てられるゆえに、それが模範となって国全体の優しい意識が形成されていったのだから」
これが、〈減らない国〉の正体なのだ。子供を大切にする精神は、決して優しさから生じたものではなかったのだ。〈希望の家〉の子供を糧として利用するために、まず建前としての優しさが用意され、その嘘によって優しい世論が形成されていった。民は子供を大切にするようになっていった。残酷さから生じた優しさ。そのアンバランスさは、あまりにもグロテスクだ。
ニケは耐えきれず嘔吐した。吐瀉物が床で跳ね、エクスマキナの足にこびりついた。ニケ自身のドレスも汚れた。唾を吐き、口元を袖で拭い、息を整えてから、ニケは尋ねた。
「……ねえ、お父様。聞いてもいい?」
「なんだい?」
「アンドレイは、どうなったの?」
グールマン事件で、犯人であるアステルに〈希望の家〉の子供を斡旋していた少年、アンドレイ。彼は捕らえられ、尋問を受けていたはずだ。
「アンドレイくんは、尋問の中で、頑なに犯行の動機を語らなかった。仕方なく〈先祖返り〉を使った。供述をしたあと、残念ながら彼は廃人と化した」
「……ねえ、お父様。僕、分かったよ」
ニケは流れる涙を乱暴に拭って言った。枯れたと思ったのに、涙はいくらでも湧いてくる。
「アステルがグールマンになった理由も。彼にアンドレイが協力した理由も、僕、分かったよ」
「ほぅ」
「アステルは、ここで行われている非道な行いを知ってしまった。だから卒業を目前に控えた子を誘拐して、国外に逃がしていたんだ」
「死人に口なしだから確かなことは言えないけど、おそらく正解だろうね」
ニケはぎゅっと目をつぶって、アステルの無念を想った。アステル。君は正しかった。間違っていたのは、僕だった……。
「そしてアンドレイは、他の子と同じように、糧にされた少女から生まれた子供。彼はたぶん、母体から継承した魂の記憶を、ある時ふいに思い出してしまった……」
「すごいよ、ニケ。名推理だ。そう、彼はある時、母体の記憶を思い出したのだ。拘束され薬を投与される際の記憶のみならず、エクスマキナの中での記憶も思い出したようだ。植物状態でも、魂は外部の情報を記憶し続けているということだね。まさに魂の神秘だ」
〈希望の家〉の真実を知ったアステルとアンドレイは、この非道極まるシステムから子供たちを助けようとしていたのだ。しかしニケたちが、それを邪魔してしまった。
ニケは悔しさのあまり、出血するほど強く唇を噛みしめた。
「ニケ。最後の授業だ」
ディカイオは、エクスマキナの背後に回り込んだ。そして、何かを抱えてニケの前に戻ってきた。
「え」
ニケは驚きの声を漏らす。
ディカイオが抱えていたのは少女だった。全裸の、髪を剃り上げられた少女。
「この子はね、少し前までエクスマキナのお腹の中にいた。ずいぶんと長く糧として活躍してくれたけど、この子はもう限界だ。もう間もなく魂が消える。だからこそ、エクスマキナの中から取り出しておいた」
少女はまだ生きている。弱々しいながら、胸が上下している。
「さようなら、テュシア。君は立派に、我が国に貢献してくれた。決して忘れないよ」
ディカイオは、テュシアと呼ばれた少女の体を床に下ろすと、腰の短剣を抜いた。
まさかと思った時には、もう遅かった。ディカイオは、短剣の切っ先をテュシアの胸に容赦なく突き刺したのだ。
「そんな! どうして!」
ニケは叫んで、ディカイオに飛びついた。
「魂を消耗しきった糧を、いつまでも生かしておくわけにはいかないのだ」
ディカイオはニケを押しのけながら言った。
「グールになってしまうからね」
「……え?」
「グールの正体。それは、魂を失った人間の末路なのだよ」
ディカイオはさらっと、とんでもないことを言う。
「本来、魂が消えてしまえば、同時に肉体も機能停止する。しかしエクスマキナの糧としてじわじわと魂をすり減らしていくと、不思議なことに、空っぽになった後も肉体は死なずに生き続けることができる。おそらく人体に具わっている免疫機能がそうさせるのだろう。とはいえ魂によって付与されていた人間性は完全に失われる。結果として、本能だけで動く空っぽなバケモノになるのだ」
だとすると、その事実から、ニケはとある仮説を導き出すことができてしまうのだった。
「まさか、世界中で人や動物を襲っているグールは、ここで生まれたものなの……?」
「いいや。エクスマキナで魂を消耗しきった糧は、必ず始末するようにしている。遥か昔から、そのルールで運用されている。肉体が死ねば、その体はグールにはならない。しかしながら、この世にはあまりにも多くのグールが彷徨っている。それが意味するところを、賢いお前なら理解できるだろう、ニケ」
魂を弄んでいる国は、ミネルウェンだけではない。そういうことになる。この世には、エクスマキナ以外にも、人間の魂をすり減らす非人道的な遺物が多く存在するということになる……。
他国でも、ミネルウェンと同じようなことが行われているのだ。そして抜け殻を国の外に捨てているのだろう。大勢のグールの存在は、そのことを示唆している。
ニケは数歩後ずさると、天井を仰いだ。そして絶望のあまり、大声で笑った。
なんて救いようのない世界なのだろう! あるいは、ディカイオの言うことは正しいのかもしれない。エクスマキナの力で世界をリセットし、イチからやり直す。それこそが、世界平和を実現させる、唯一の方法なのかもしれない。
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