神の糧
ニケはドアをノックして、返事を待たずに開いた。
資料室は驚くほど広かった。数えられないほどたくさんの棚が並んでいる。それらの棚には、紙のファイルが詰め込まれている。棚の合間を縫って奥へ進むと、ぼんやりと明かりが見えた。部屋のすみで、ディカイオが椅子に腰かけて資料をめくっていた。テーブルの上のランタンが、彼の手元を照らしている。
「お父様」
ニケは、ディカイオの背中に声をかけた。
「この部屋にあるのは、全てエクスマキナに関する研究資料だよ。古代文書の複製や運用マニュアルなんかもある」
ディカイオは手元の資料から目を離さず言った。
「ニケ。私と血が繋がった子はお前だけだ。よって私が没した後はお前が次の王となる。私は男だから魂や記憶を継承させることはできないが、せめて王としての心構えくらいは継承してもらいたいと思っている」
「……お父様。やっぱり、それはちょっと気が早いと思うけど」
ディカイオは口元に微笑を浮かべ、読んでいた資料をテーブルに置いて立ち上がった。
「来なさい、ニケ。お前に全てを明かそう」
ディカイオはランタンを手に取って、壁際の棚に近づく。それからその棚を掴んで手前に引いた。見た目の重量感からは想像できないほど、棚は滑らかに動いた。
棚の向こうに、階段が現れた。隠し階段だ。階段は下へと深く続いている。今ニケたちがいる地下よりも、さらに深い地下が存在するようだ。そのことを、ニケは初めて知った。
ディカイオが階段を下っていく。
ニケはその背中に続く。
階段を下り終え、まっすぐ通路を進んでいくと、重々しい鉄扉が行く手を塞いだ。
ディカイオは懐から鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込み、鉄扉を押し開けた。
「ここは、いったい……?」
ニケは部屋に足を踏み入れ、視線を巡らせて尋ねた。
小規模な旅団なら十分に野営ができるくらいの広さの、ドーム型の薄暗い空間。床も壁も全てツルツルした特殊な素材で出来ている。さっきまでの道はごつごつした岩肌だったのに、この空間だけは異質だ。明らかに、文明が栄えていた頃に作られた空間だった。
明かりの元である蝋燭は床に置かれている。壁に燭台がないからそうするしかないのだ。天井は高すぎて蝋燭の明かりが届かず、ほとんど闇に溶けてしまっている。
なぜこんな不便な作りなのだろう? この空間が作られた当時は、蝋燭とは別の方法で部屋を照らしていたのだろうか?
ニケは視線を部屋の奥へ向けた。よく見ると、奥に溜まった闇の中に、ぼんやりと「何か」が佇んでいる。それは闇に漠然とした輪郭を浮かび上がらせ、こっちを見つめている。
そう、見つめている。全体像を把握できないのに、それがこっちを見つめていることが分かってしまう。ニケの背中をうすら寒いものが走った。
「近づいてみてごらん」
ディカイオは、その「何か」を手で示して言った。
ニケは生唾を飲み込み、恐る恐る部屋の奥へ歩いていく。目が慣れてきたのと、対象との距離が縮まったのとで、「何か」の姿が鮮明な姿でニケの目に映った。
「これは……?」
それは、全長10メートル以上はあろうかという大きさの巨人だった。
いや、人ではない。確かに人の形をして、二足で立っているのだが、その体は黒鉄色の金属でできている。
見上げると、胸の部分に隆起が確認できた。おそらく女性を模しているのだろう。
胸の隙間から顔を仰ぎ見ると、なるほど、間違いなく女性を模していると分かった。ぞっとするほど整った女性の顔が貼り付いている。あまりにも整い過ぎていると、むしろ不気味さを覚えるのだと、ニケは今思い知った。
アンバランスだ。体は黒鉄色の金属製なのに、顔だけは本物の皮膚と見紛うほど精緻に人間を模している。
背後から明かりが近づいてきて、ニケの背中越しに「何か」を照らし出した。
「ニケ。これがエクスマキナだよ」
「こ、これが……」
「エクスマキナは生き物だ。もちろん、人間とは根本的に違う。内蔵も脳も魂もない。だけど、生きるための糧は必要なのだ。たとえ、こうしてジッとしているだけでもね」
「糧……?」
ディカイオはランタンを頭上に掲げて、エクスマキナのお腹あたりを照らした。
「……?」
ニケは初め、目の前の光景を理解することができなかった。エクスマキナのお腹の部分は透明(ガラス張り?)になっていて、中が透けて見える。水で満たされており、水槽のように見える。その中に、歪な形の「かたまり」が入っている。
「え……」
ニケは両手で口を押さえた。エクスマキナのお腹の中の「かたまり」が像を結び、実はとあるものの集合体だと気づいたからだ。人間だ。無数の人間が、エクスマキナのお腹にぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだ。
「お、お父様、あれって……」
口を押さえたまま、ニケはくぐもった声で言った。
「そう。あれは人間だよ。たぶん中に三十人は入ってるかな」
ニケは「ああ……」と小さなため息をついた。信じがたいものを見せられると、少しのあいだ心が麻痺して感情の爆発が保留されるのだ。
エクスマキナのお腹の中身は、全裸の少年少女たちだった。
なぜか全員、男女問わず髪を綺麗に剃り上げられている。その表情は、驚愕とも苦痛ともとれる。どうひいき目に見ても安らかではない。
「子供たちは生きているよ。エクスマキナのお腹の溶液は、彼らの体の穴という穴から中に入り込んでいる。そうすることで、エクスマキナは彼らの体とひとつになっている」
「……こ、この子たちは、いつ家に帰れるの?」
「二度と帰ることはできないよ。薬を投与し、植物状態にしてあるからね」
足から力が抜け、ニケはどさっと床にへたり込んだ。心は依然として麻痺したままだが、肉体は一足先に絶望に身を投じたようだった。
「な、なんの、ために、こんなことを……?」
ニケは震える声でなんとか絞り出す。
「さっきも言っただろう? エクスマキナには糧が必要だと」
「エクスマキナは、子供たちを消化しているの……?」
「そう。ただし、消化しているのは、肉体ではなく魂だよ。このエクスマキナは生き物だ。魂という糧を提供し続けないと死んでしまうのだ」
エクスマキナのお腹の中の少女の一人と、ニケは目が合った。
「そんな……あの子は……!」
「気づいたかい。そう、あの中の子供たちは、みんな〈希望の家〉の子供たちなのだよ」
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