秘密の地下

 アレスとニケは、暗い通路を進んでいた。

 地下なので、今が夜なのか朝なのか全く分からない。でもニケの言によれば、今は民が夕食の支度を始める時間帯らしい。アレスが地下牢にぶち込まれてから、かなりの時間が経過しているようだった。


「ニケさん、まだ着かないのですか?」


「たぶんもうすぐ……あ、ほら、見て! 梯子があるでしょ?」

 ニケがランタンを掲げると、道の先に縄梯子が見えた。

「あれを登れば、エイレネ寺院の地下に出られるんよ」


 壁に打ち付けられた太い釘にランタンを吊るすと、ニケは両手で縄梯子を掴んで登った。頂上につくと、彼女は落とし戸を押し上げ、外に這いだした。

 そして安全を確認してから穴を覗き込んで「いいよ、上がってきて」と言った。


 アレスは縄梯子を登って外に這い出た。


 出た先は、洞窟のような小部屋だった。壁や天井のごつごつした岩肌が、蝋燭の明かりによって浮かび上がっている。


「ここは寺院の真下なんですよね? なぜ、こんな空間があるのでしょうか?」


「僕にもよく分からないんよ。この地下空間の存在を知ったのも、割と最近でさ」


 ニケは足音を忍ばせて、廊下に通じる木の扉に歩み寄る。そして扉を僅かに開いて、廊下の様子をうかがった。


「よし、大丈夫そうだよ。今は誰もいない」


 アレスは、ニケの背中にぴったりくっついて、息を殺して歩いた。

 廊下は長く延びている。ところどころに燭台があって、そこに刺さった蝋燭が足元を頼りなく照らしている。

 ニケが曲がり角を確認している最中、アレスはひゅうっと冷たい風を感じた。壁に四角い穴があいており、そこから風が吹き込んできているようだった。覗いてみると、上下に空洞が続いていた。下を見ると深い闇が続いている。上を見ると、四角く切り取られた夜空が見える。通気口のようだった。

 

「いいよ、来て」


 また二人は進んだ。


 やがて、とある扉の前で、ニケは立ち止まった。


「この部屋に、プシュケちゃんがいるはず」


 アレスは、鞘から剣を抜いた。


「アレスくん」

 ニケは囁き声で言う。

「分かっていると思うけど、お父様のことは……」


「分かっています」

 アレスも囁き声で答える。

「命を奪ったりはしません」


 ニケは頷いてから、木の扉をノックした。……。十秒ほど待ったが、返事はない。もう一度ノックしても、結果は同じだった。


「お父様? 入るよ」


 ニケは扉を押し開けて、中に入った。

 

 すかさずアレスも部屋に飛び込んで、剣を構えた。


「……あれ?」


 部屋はもぬけの殻だった。ベッドのそばの椅子には革製のカバンが置いてある。岩壁をくりぬいて作られた台座には蝋燭が立ててあり、火がゆらゆらと揺れている。しかし人間は誰もいない。ニケはベッドに近づいて、シーツに手を触れた。


「……湿ってる。たぶん汗だ。乾ききっていないということは、プシュケちゃんは少し前まではここにいたはず」


「移動させられた後、ということですか」

 アレスは剣を鞘に仕舞った。

「一体どこに……」


「しっ!」

 ニケが右手でアレスの口を押さえ、左手の人差し指を自分の口元で立てた。そして耳を澄ませた。

「まずい、誰かくる! ベッドの下に隠れて!」


 アレスは慌ててベッドの下の空間に潜り込んだ。

 床に体を密着させると、足音がこんこんと響いてくるのが肌で感じられた。やがて、木の扉がぎぃと音を立てて開かれた。


「おや? ニケ。城へ戻ったのでは?」


 部屋に入ってきたのは、ディカイオだった。


「……プシュケちゃんと、お話がしたかったんよ」


「プシュケちゃんは、今は眠っている。別室で休ませているよ。後で会わせてあげよう」


 アレスは息を殺しつつ、心の中では安堵のため息をついた。プシュケはまだ無事だ。


「もう時間が遅い。今日はこの宿直室に泊まっていくといい」

 

 ディカイオは言いながら、こつこつと足音を立ててベッドのそばまで歩いてきた。

 

 アレスはぐっと息を止めた。息がかかるほど近くに、ディカイオの革靴のつま先がある。


「……お父様? ど、どうかした?」


「いや。どうもしないよ」

 ディカイオは椅子からカバンを取り上げると踵を返し、扉の前で足を止めた。

「ニケ。お前はもう17歳だ。そろそろ私の仕事を知るべきだろう」


「そんな。まだ跡を継ぐのは早いよ」


「私だっていつ死ぬか分からない。あるいは、その死は信じられないほど急にもたらされるかもしれない」


「……お父様。ほんと、どうかしたの? どうして急にそんな話を?」


「なぜだろうね。私にもよく分からない」

 ディカイオはふっと小さく息を漏らした。

「なんであれ、私はお前に知ってほしい。そして受け入れてほしいのだ」


「お父様。その、言っている意味が……」


「何時でもいい。資料室へ来なさい」


「資料室?」


「この部屋を出て、右の突き当たりの部屋が資料室だよ」


「……うん、分かった」


「秘密の場所へ案内しよう。そこに、プシュケちゃんもいる」


 ディカイオは扉を開けて廊下に出ると「では、また後で」と言い残し、扉を閉めた。足音が遠ざかっていく。


「アレスくん。もう出てきて大丈夫だよ」


 アレスはベッドの下から這いだし、椅子に腰かけた。


「バレるんじゃないかとヒヤヒヤしました……」


「僕も冷や汗ダバダバ」

 ニケは胸元をぱたぱたさせながら言った。


「資料室? そこに来いって言っていましたね、ディカイオさん」


「うん。行くしかないよね」


「突撃して、剣で脅して案内させて、プシュケを救出する。それではだめでしょうか?」


「……わがまま言って申し訳ないんだけど、まずは、僕に話をさせてほしいんよ。さっきのお父様の目は、いつもの心優しいお父様の目だった。今なら、きちんと話せば分かってもらえるかもしれない」


「分かりました。ディカイオさんは、ニケさんのお父さんですものね。あなたの言葉だったら、うまく説得できるかもしれませんね。それで、俺はどうすればいいでしょうか?」


「アレスくんにも知る権利がある。お父様に気づかれないように、こっそり後をつけてきてほしいんよ。うまく隠れてね」

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