脱出

 ディカイオの執務室でミサンガを拾い、プシュケが来ていたことを悟ったアレスは、しかし、剣を抜く暇も与えてもらえなかった。ディカイオは、いざという時のために、廊下に数人の憲兵を待機させていたからだ。

 

 憲兵たちは瞬く間にアレスを拘束し、ひと通り痛めつけた後、地下牢に連れて行った。


 簡易ベッドと、トイレ代わりの桶があるだけの、粗末な牢屋。そこに、アレスは投獄されている。手枷と足枷をはめられ、身体の自由がきかない状態で。


 別の牢屋にソウも投獄されていたはずだが、人の気配はない。彼はすでに牢屋から出され、別の場所に移されたらしい。


「ここから出してください! お願いですから! ねえ!」


 アレスは鉄格子に手枷を打ち付けながら、大声で叫び続けた。むろん助けなんて来ない。憲兵が一度「うるさいぞ」と注意にやってきただけだった。


 何とかしてここを出て、プシュケを助けに行かないと! ディカイオがプシュケに何をする気なのかは分からない。でも、彼女の身に危険が迫っていることだけは分かる。


「俺は、プシュケを守らないといけない……」

 

 プシュケの最愛の両親を殺した俺は、せめてプシュケ本人だけは守らないといけない。アレスは、強くそう思った。


 アレスは打開策をひねり出すため、頭を絞った。しかし一向に、妙案は浮かばない。自分の頭の悪さに涙が出そうになる。俺は、どうすれば……。


 そこで、ふと、話し声が聞こえてきた。


「――いかがなさいましたか?」


「ちょっと様子を見に来たんよ。お父様の命令でね。鍵、開けてもらえる?」


「かしこまりました……うっ!」


 どさりと、重いものが倒れる音がした。足音が近づいてきて、アレスの牢屋の前で止まった。


「ニケさん……」


 鉄格子の向こうに、ニケが立っていた。彼女は鍵束と、憲兵たちに没収されていた〈太陽の剣〉を手に持っている。


「プシュケは無事なのですか!?」


「イの一番にプシュケちゃんの心配とは、君はほんと彼女が好きなんだねぇ」

 ニケはふっと微笑んだ。

「プシュケちゃんは無事だよ。いまのところは」


「よかった……よかった……」


「だけど時間がないんよ。プシュケちゃんにはすでに、一度〈先祖返りリフレイン〉が投与された」


「なんですって!? あ、あれは、人間を廃人にしてしまうんですよね!?」


「そう。一度目の投与で、五割の確率で廃人になる。でも、プシュケちゃんはその五割の壁を越えて、正気へと帰還できたんよ。とはいえ、薬が抜けきった後、もう一度〈先祖返り〉が使用されると思う。二度目の投与は、十割の廃人化を招く」


「一生のお願いです! 俺をここから出してください! プシュケを助けに行かないと!」


「もちろんそのつもりだよ。ただ、ひとつだけ約束をしてほしいんよ」


「なんでしょう? なんでも聞きますよ!」


「お父様を、殺さないでほしい」


「……そ、それは」


 ディカイオはプシュケをさらって、〈先祖返りリフレイン〉を投与した。十分に死に値する。


「お願い。僕もプシュケちゃんを救いたいんよ。だけどお父様は、僕のお父様なんよ」


 そうだ。ニケにとってディカイオは、心優しい父親なのだ。


「分かりました」

 アレスは答えた。

「ニケさんが殺さないでとおっしゃるのでしたら、従います。無傷で済ますのは難しいですが、命までは奪いません。約束します」


「ありがとう」

 ニケは鍵束の中から迷わず一本を選び出し、牢屋の鍵を開けてくれた。それから牢屋の中に足を踏み入れ、アレスの手枷と足枷も外してくれた。

「これ、返すね」


 ニケは〈太陽の剣〉をアレスに差し出した。


 アレスは礼を言って受け取ると、それを腰に差した。


「プシュケちゃんは、〈エイレネ寺院〉に囚われている」

 気を失った憲兵を牢屋に引きずりながら、ニケは言った。


「エイレネ寺院?」


「ミネルウェンに伝わる神様を祀る場所だよ。すっごくプライベートな場所で、ごく一部の人間しか入ることが許されてないんよ。一応王女様である僕ですら、お父様の許可なしでは入れない」

 ニケは憲兵を牢屋に閉じ込めた。


「とはいえ寺院ですよね? どうしてプシュケはそんな場所に?」


「分からない。とにかくエイレネ寺院には広大な地下空間があって、部屋がたくさんあるんよ。そこにプシュケちゃんはいる」


「分かりました。なにはともあれ、まずは地上に出ないといけませんね。問題は、どうやって憲兵さんたちの目を盗んで行くかですが……」


「ううん。安心して。地上に出る必要はないんよ」

 ニケはそう言うと、一番奥の牢屋の鍵を開け、中に入った。


「……? いったい何を?」


 アレスの質問に、ニケは行動で返答した。牢屋の床の一角を、彼女は持ち上げたのだ。するとそこに、地下へと続く穴が現れた。巧妙にカムフラージュされた落とし戸だ。四角くあいた穴には縄梯子が掛けてあり、それで地下へと下りられるようだ。


「この隠し通路を使えば、誰にも見られずエイレネ寺院まで行くことができる」


「こんなものが……」


「僕もごく最近、偶然知ったんよ」


 二人は順番に縄梯子に手足をかけ、闇へと下りて行った。

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