プシュケがのっそりとベッドから起き上がって、怪訝な目でアレスを見た。

 

 アレスは物音を立てないように部屋のドアを開けたつもりだったのだけれど、眠りが浅いプシュケには通用しなかったようだ。


「おはようございます、プシュケ」


「いつもは寝坊助なのに今日はやけに早起きじゃん……、って、うわあ! アレス! お前、どうしたんだよ? ぼろぼろじゃねぇか!」


 アレスは、シャリテとの戦闘のせいで傷だらけだ。服は汗と血でびしょびしょで、誰が見ても寝起きとは思わない。


 カーテンを透過した朝日のおかげで部屋はぼんやりと明るかったけど、プシュケはマッチを擦って蝋燭に火をつけた。


「……階段から落ちてしまいまして」


「ほんとは?」


「……本当に、階段から落ちただけです」


 プシュケはそれ以上つっこんでこなかった。ベッドから降りると、彼女は「ちょっと待ってろ」と言い残し、いったん部屋を出て行った。


 間もなくして、水桶と救急箱を携えたプシュケが部屋に戻ってきた。裏庭の井戸で水を汲んで、救急箱は女将さんから借りたようだった。彼女は、手ぬぐいを桶の水に浸して絞ったあと、アレスの汚れた顔を拭いてくれた。


「服脱げ。拭かないと。そんで傷の手当ても」


 アレスは素直に上を脱いで、ジッとしていた。体の汚れを拭き取ってもらい、傷の手当てをしてもらった。明らかに剣で斬られた傷を見ても、プシュケは何も言わなかった。


 手当てが終わると、アレスは寝間着に着替えてベッドに入った。


 プシュケも自分のベッドに戻ると、ナイトテーブルの上の蝋燭を吹き消した。


「……なあ、アレス」


「なんです?」


「質問の答え、考えておいたぜ」


 アレスは、昨夜の夕食会の帰り道、プシュケにとある質問をしていた。その質問に対してプシュケは「考えとく」とだけ返したのだった。


「もし旅団の誰かが迎えに来たとしたら、どうするって質問だったよな? ただし、ミネルウェンの人たちにお別れの挨拶もできないほど急がないといけないって条件付きでさ」


「……ええ」


「あたし、旅団に戻るよ。また旅をする」


「……そうですか」


 アレスは寝返りを打ち、プシュケに背中を向ける格好になった。


「どうして自分がそこまで旅団やシャリテを愛してんのか、ぶっちゃけ自分でもよく分からねぇんだ。時々さ、それが自分の意思じゃないように感じる時もある。でも、やっぱあたしは、旅団もシャリテも好きなんだ。シャリテのためなら命だって惜しくないって思う」


「……馬鹿なことを言わないでください。あなたの命はあなたのものです。他人のために捨てたりしてはいけません。というか、その話はもういいです。忘れてください」


「はあ!? 自分で聞いたくせに!」


 プシュケは起き上がると、枕を掴んでアレスの背中に投げつけてきた。

 

 アレスは大儀そうに上体を起こすと、枕を掴んでプシュケに優しく投げ返した。そしてまた横になった。

 

 プシュケは、手元に戻ってきた枕を自分のベッドに叩きつけると、そこに勢いよく頭を沈めた。


「寝直すから、もう話しかけんなよ、馬鹿アレス! うんこ!」


 そしてプシュケは、頭まで毛布をかぶって沈黙した。でも間もなくして、彼女はもそもそと顔だけを毛布から出し、横になっているアレスの背中をじっと見つめた。


「……アレス。何かあったのか?」


「……俺は疲れました。寝ます」


 シャリテがもうこの世にいないと知ったら、プシュケは正気でいられるだろうか?

 

 無理だ。プシュケは完全にシャリテに依存している。プシュケにかけられた洗脳は、未だに健在だ。シャリテの死だけは、隠し通すしかない。


 それでもいつかは、自分の罪を告白しないといけない時が来るだろう。懺悔し、殴られないといけない日が来るだろう。


 果たして、プシュケは許してくれるだろうか?

 

 それを考えると、アレスの体は恐怖でぶるぶると震えだした。

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