愛していた

 アレスは、明らかにシャリテの死角を突こうと必死だった。左目の視力を失ったシャリテに対しては、それが有効だと考えたのだろう。


 馬鹿なアレス、とシャリテは思った。お前のような未熟者は、右目だけで十分なのよ。


 シャリテは、アレスの剣術の師匠だ。弟子の動きや癖は全て見切っている。ゆえに、アレスの攻撃を容易に受け止め、斬り返すことができた。


 アレスは少しずつ体を切り刻まれ、消耗していった。そして無様にも廃屋を飛び出し、走り去ってしまった。


 むろん、黙って見逃すつもりは毛頭ない。裏切り者には死あるのみ。

 シャリテはアレスの後を追いかけた。スピードもシャリテのほうが圧倒的に上だった。

 

 逃げ切れないと観念したのか、アレスはまた別の平屋の廃屋に飛び込んだ。シャリテも後から、その廃屋に悠々と踏み込んだ。

 

 この廃屋は、窓が板でふさがれているので、月光が全く差し込んでこない。扉がバタンと閉じると、屋内は濃厚な暗闇の独壇場と化した。

 

 部屋の中央に、アレスは立っていた。煌々と光を放つ〈太陽の剣〉が、汗と血で塗れた彼の顔をぼんやりと闇に浮かび上がらせている。肩を上下させ、ぜぇぜぇと息を切らしながらも剣を構えるアレスの無様は、少しだけ哀愁を誘うものがあった。

 

 対してシャリテは余裕だった。体にはかすり傷ひとつなく、疲労だって微塵も感じない。


「いったい何度打ち合ったかしらね?」

 シャリテは言った。

「お前は、一撃一撃に力を入れすぎなのよ。だから無駄にエネルギーを消費してしまう。変わらないわね、ほんと」


 アレスは、無言でキッとシャリテを睨み据える。


「ほんと、お前は美しい目をしている。純粋な殺意を湛えた目よ。だけど残念なことに、その目はあまりにも饒舌すぎる」


 シャリテが、片目の視力を失っているにもかかわらずアレスの攻撃をものともしない理由のひとつに、アレスの分かりやすさがある。アレスは攻撃や回避を行う直前、必ず目でポイントを捉えようとする。ゆえに、その目線を辿ることで、容易く意図を悟ることができるのだ。


 シャリテは、ただでさえ先読みが得意な女だ。そんな彼女にとって、次の行動をベラベラ喋る目ん玉を二つもくっつけたアレスなど、はっきり言って敵ではないのだ。


「もうそろそろ夜が明けるわ」

 シャリテは言い、剣を構えた。

「狼煙を上げて〈平和の壁〉の外で待機している仲間たちに知らせないといけない。計画は予定どおり決行するとね」


 アレスは何も答えない。いや、答えられない。彼はなおも、息を整えるのに必死だ。


「普通は死にゆく者が、最後に何かを言い残すものよね? でも、その様子だと何も喋れなそうね。だから代わりに私が、お前に最後の言葉をかけてあげる」


「……」


 アレスは何かを悟ったような表情になり、構えていた〈太陽の剣〉を下ろすと、だらりと脱力してしまった。


 ついに、諦めたのね。


「愛していたわ、アレス」


 シャリテはそれだけ言うと、床を蹴り、アレスに猛然と駆け寄った。


「俺もです」


 途端、アレスは、剣を鞘に仕舞った。

 

 なっ!?

 

 月明かり一つ差し込まない部屋の中で、〈太陽の剣〉は唯一の光源だった。それが鞘に収まったことで、部屋は完全な暗闇に沈没した。

 

 なにも、見えない……!


「くっ……!」


 シャリテは剣を振り下ろした。

 

 手応えがない。すでにアレスは、立ち位置から移動していたのだ。剣は空しく空を切る。

 

 これが、アレスの狙いだったのか!

 

 にわかに、背後で息遣いを感じた。


「……!」


 再び〈太陽の剣〉によって部屋に明かりがもたらされた直後、シャリテの背中に一本の線が引かれた。絶望的なまでに熱い線だった。


「馬鹿、な……」


 シャリテの手から剣が離れ、床に落ち、ごとっと鈍い音をたてた。


 その音の後を追うように、シャリテの体は倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る