偽の絆

「シャリテさん。教えてください。俺の母親を殺したのは、あなたたちなのですか?」


 シャリテはその問いに答えず、薄ら笑いを浮かべている。まるで悪事がバレて開き直る子供のようだ。


「答えてください、シャリテさん! 俺の故郷を襲ったのはあなたたちなのか!? 俺の母親を殺したのは、あなたたちなのか!?」


「そうよ」


「……え?」


「そうよ、って言ったの。お前の村を襲って、邪魔者を殺して、貴重な商品である子供を調達した。それは事実よ」


「そんな、本当に……」


「お前の母親を殺したのは、この私よ。私がこの手で、斬り殺した」


 アレスの脳裏に、夢の光景がフラッシュバックする。

 アレスの名前を叫びながら駆け寄ってくる、母親と思しき女性。彼女は何者かに背後から斬られて死んだ。アレスは憤怒に駆られて、仇に立ち向かう。そこで夢は終わるのだ。


 夢の中の仇の顔には黒い影が落ちていたので、面相を把握できなかった。

 しかし今、だんだんと、その影がはがれ落ちてきた。やがて、影がすっかりはがれ落ちた顔と、目の前のシャリテの顔が重なった。


 アレスの両目から涙があふれ出した。


「お、俺を、騙していたんですねっ!」

 アレスは洟をすすって、かすれ声で叫んだ。

「母さんを殺して俺をさらったくせに、命の恩人ぶっていたんですねっ!?」


 幼いアレスがどこかの悪党に誘拐されて、売り飛ばされそうになっていたところをシャリテが助けた。そうアレスは教えられていた。そして彼は、その話を鵜呑みにしてきた。シャリテを命の恩人と崇め、母親のように慕ってきた。ところが、そのストーリーは真っ赤な嘘だった。シャリテは母親代わりの恩人どころか、母親の仇の悪人だったのだ。


「アレス。お前は特別だった。ふつうの子供たちはすぐに奴隷商人に売り払ったけど、お前は手元に残しておいた。なぜだと思う?」


「知るか! このド畜生め!」


「ふふふ。いい表情ね。あの夜もそうだった。母親の仇である私に果敢にも立ち向かってきたお前の目を見て、私は一目で確信した。この少年は純粋な人殺しになれる、と」


 アレスは何でもいいから口汚く相手を罵倒してやりたかった。しかし怒りが一定を超えると、むしろ言葉が出なくなってしまう。


「私はお前を育てようと決めた。お前は私の期待どおりの成長を見せた。お前の家の家宝と思しき〈太陽の剣〉を駆使して、目覚ましい活躍を見せてくれた。でも、お前の一番の魅力は、その強さではない。相手が誰であろうと、たとえ善良な民であろうと、躊躇いなく斬り捨てられる、その残忍性こそが、お前の一番の魅力だった」


「な、何を言っているんですか……? 俺は、悪党とグール以外を斬ったことはありません! ふざけないでください、あなたらと一緒にしないでほしい!」


「悪党、ねえ……。ねえ、アレス。お前の言う悪党って、何なのかしら?」


「え?」


「お前は、斬る相手をどうやって選んでいた? 誰が善人で誰が悪党なのかを、どうやって決めていた?」


「それは……」


 旅団にいたころ、アレスは斬る相手を自分では選ばなかった。否、選べなかった。誰を斬るかは、全てシャリテが決めていた。


「そんな、まさか……!」


 アレスの脳裏に、過去の出来事が次々と蘇ってくる。


 真相を悟り、アレスは思わず嘔吐してしまった。床にうずくまり、ぜぇぜぇと肩を上下させる。


「アレス」

 シャリテはゴミでも見るような目でアレスを見下ろす。

「そんな無様を私に見せないでちょうだい。お前は冷酷で勇敢な人殺しなの。罪悪感なんて、お前には似合わない」


「いやだ……そんな……嘘だ、嘘だ……。俺は、俺は、罪のない人たちを、大勢……」


 アレスは、他の旅団や村の襲撃に加担させられていたのだ。大人を斬り殺し、場合によっては子供も斬った。スカベンジャーの一員としての職務を果たした。


 でも、どうして……? アレスはそう思わずにはいられない。いくらシャリテの命令といえ、どうして俺は、そんな恐ろしいことを何の疑問も抱かずに実行していたんだ……? 

 

 そして、どうして今の今まで、それが恐ろしいことだと気づかなかったんだ……?

 

 でも、アレスには、それよりもっと気になることがあった。


「……プシュケも、俺と同じなのですか? 村か旅団を襲って誘拐した子供なのですか?」


「そうよ」


「……プシュケを売り飛ばさずに手元に残していたのは、彼女がイリニアの血族だと知っていたからですか?」


「ええそうよ。〈星の痣〉の噂は聞いていた。だからこそ、誘拐したプシュケの背中にそれがあるのを知った時は飛び上がって驚いたわ。もちろん〈星の痣〉が本物かどうかの確証はなかった。だけど本物である可能性が僅かでもある以上、他の子供たちと同じように二束三文で売り飛ばすわけにはいかなかった。だからこそ、お前と同じように長らく手元に残しておいたのよ」


「そして先日、プシュケを取り戻すためにシャリテさんはミネルウェンに密入国した。逮捕のリスクを負ってまで密入国したのは、〈星の痣〉が本物だという確信をついに得たからですか?」


「やっぱり少し見ないうちに賢くなったわね、アレス。でも、その推理は少し間違っているわ。プシュケが本当にイリニアの血族かどうかは、実を言うと相変わらず私は判断しかねているの。でもそんなことはどうでもいい。肝心なのはね、プシュケを本物のイリニアの血族だと確信しているクライアントがいるということなの。そしてそのクライアントは、大枚を叩いてでも彼女を欲している」


「……」


「当初の予定では、プシュケの売買は、ここミネルウェンで行われるはずだったの。顧客がミネルウェンの広場を取引場所に指定してきたからね。だけど折悪く、取引の直前に暁旅団に襲われてしまったというわけ」


 旅団が〈減らない国〉を目指していたのは、プシュケを売り渡すためだった。その事実が脳に染み込んでくると、アレスは強烈な痛みを覚えた。図らずも、アレスはプシュケの人身売買に加担していたことになるのだから。


「だけどね、事情が変わったのよ。最初の顧客よりももっと高額でプシュケを買うというクライアントが新しく現れてね」


「シャリテさんは、そのろくでもないクライアントとやらに売り飛ばすために、プシュケを取り戻しにきたというわけですか?」


「そうよ」


「……建国の夢は、自分たちの国を作るという夢は、アレは嘘っぱちだったのですか!?」


「いいえ。嘘ではないわ。私は旅団が壊滅した今でも、国を興す夢は捨ててないわ。夢を捨てきれないからこそ、私はプシュケを欲しているのよ。プシュケ一人を売るだけで、それはそれは莫大な金が手に入るのだから。それこそ、小さな国を興せるくらいのお金がね」


「……どうして、クライアントとやらは、そこまでしてプシュケを欲しがるのですか? 小さな国を興せるほどの金を積んでまで、なぜ?」


「聞いた話では、イリニアの血族を使うことで、世界を滅ぼすほどの力を得ることができるかもしれないんだって」


「世界を、滅ぼす……? 全く意味が分かりません」


「私だって分からないわ。いくら高貴な血を引き継いでいようと、いくら頭の出来が良かろうと、結局プシュケは現代じゃ一人の無力な小娘に過ぎない。そんなあの子を使って世界をどうこうって言われたって、そりゃピンとこないわ。ただね、肝心なのは実際にできるかできないかではないの。なんであれ、プシュケにそれだけの利用価値があると信じる人間が実際にいる、それが私にとっては重要なの」


「……俺、ひとつ閃いたことがあります」


 アレスの脳裏に、ふと、暁旅団の姿が浮かび上がってきた。


「なにかしら?」


「……もしかして、暁旅団の目的とは、世界を滅ぼすのに利用されかねないプシュケを、事前に始末することなのでは……?」


 直後に、自分はずいぶんと頓珍漢なことを言ってしまったようだとアレスは自覚する。しかし彼が「やっぱりなんでもありません」と弁解するより早く、シャリテが口を開いた。


「ほんと、いったいどうしちゃったの、アレス? ほんとお前は、この短期間でずいぶんと賢くなったわね」


「……え?」


「お前の想像どおりよ。暁旅団の目的は、世界滅亡の鍵となりえるイリニアの血族の殲滅だと思われるわ。私たちが連中に襲われたのは、イリニアの血族の可能性があるプシュケを伴っていたからに他ならない。プシュケという鍵を消してしまえば、世界の滅亡は阻止できるのだから」


 突飛な思いつきの発言をあっさりと肯定されて、アレスは呆然とする。


「そんな……。世界の滅亡とか、そんな絵空事を信じて、連中は無関係な人を大勢殺して回っているのですか?」


「そうみたいね。弁護の余地のないイカれた集団よ、暁旅団は」


 そう、暁旅団は弁護の余地のない人殺し集団だ。でも少なくとも、連中の真の目的は(それがどんなに的外れであれ)、世界の平和だったのだ。


「少なくとも暁旅団は、私利私欲で動いていたわけではないということですね! ははは。なんだか、急に暁旅団が聖人の集まりに思えてきましたよ! 目の前に、金のためだけに人を殺すド畜生がいるものでね! ははははは!」


 アレスは急に笑い出したい気分になったので、心が赴くままに笑ってやった。


「そのド畜生の仲間のお前が言えた義理かしら? プシュケの両親を斬り殺したくせに」


「……え、いま、なんと……?」


 アレスの表情から、一瞬で笑みが消える。顔色がみるみる青くなっていく。


「もう一度言わせるの? お前も物好きね。傷ついて気持ちよくなるタイプ? まあいいわ。存分に気持ちよくなってちょうだい」

 シャリテは人差し指をアレスに向ける。

「プシュケの村を襲った時、お前は既に旅団の一員だった。お前は、私の言いつけ通り殺しまくってくれたわ」


「……」


「魂が未熟な子供を洗脳するのって、本当に簡単なのよ。『お前は正しいことをした』って言うだけでいいのだもの。そうすれば、勝手に記憶を都合よく捻じ曲げてくれる。知りたくないことは忘れてくれる。バカなお前を操るのは、特に簡単だったわ」


 俺が、プシュケの両親を……? まさか、嘘だ、そんなの……。


 いや、待て、とアレスはかぶりを振って邪念を吹き飛ばす。深呼吸をして、今にも破れそうな心臓を宥める。プシュケの両親についての話を、ひとまず高い棚にあげておく。


 心の整理を、アレスは極めて素早く冷徹にやってのける。これは彼の才能のひとつだ。


 まずは、やるべきことをやってしまおう。アレスは立ちあがると、鞘から〈太陽の剣〉を抜いた。そして切っ先を、シャリテにまっすぐ向けた。


「アレス。誰に剣を向けているのか分かっているの?」


「ここで終わらせる」


「終わるのは、お前の短い人生よ」

 シャリテは腰の剣に手をかけた。

「アレス。最後のチャンスよ。私たちと一緒に、また旅をしましょう。また一緒に人を殺しながらお金を稼いで、一緒に素敵な国を作って平和に暮らしましょう」


「シャリテさん」

 アレスはシャリテを思い切り睨みつける。

「あなたをぶち殺します」


「賢くなったと思っていたのに。お前には失望したわ、アレス」


 言下、シャリテは抜刀した。


 次の瞬間にはもう、二人の剣士の剣はぶつかり合い、激しい火花を散らしていた。


「お前と剣を交えるのは久々ね」

 シャリテは不敵に笑った。

「稽古の模擬戦で、お前が私に一度でも勝てたことがあったかしら?」


「今日が記念すべき初めてになりますよ」


「いい目をしてるわね。人殺しの目よ。しょうじき言って、とても惜しいわ。今夜、殺人の天才が一人消えてしまうのだから!」

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