拷問
しびれ薬の効果は長くは続かなかった。ソウが独自に調合した薬のようだが、即効性を得る代償として持続性は捨てたようだった。アレスは念のため診療所に一晩だけ泊まった。
翌朝、迎えに来てくれたニケに連れられて、アレスはディカイオの執務室に向かった。
プシュケは、昨夜は城に泊まったようで、すでに執務室のすみっこの椅子に座って待っていた。「生きてたか、しぶといやつ」とぎこちなくプシュケは笑った。「よかった……」
「朝早くに呼び立てて申し訳ない」
ディカイオは言った。
「アレスくん、もう傷は大丈夫かい?」
「はい。かすり傷ですので。忌々しいしびれ薬も、すっかり抜けたみたいです」
「よかった。昨日のことは、プシュケちゃんから聞いたよ」
「……あの輩は、ソウとかいう暁旅団の男は、死んだのですか?」
「生きているよ。傷の手当てをして、今は城の地下牢に放り込んである」
「殺してくれればよかったのに……」
「そうもいかないのだよ。奴には、いろいろと聞きたいことがあるからね」
それもそうか。奴を尋問すれば、暁旅団の実態が明らかになるかもしれないのだから。
「あの男を矢で射ったのは、けっきょく誰だったのでしょうか?」
「例の密入国者だと思われる。憲兵の目撃証言とも一致しているから、おそらく間違いない」
「……あれ? その密入国したという人物が、ソウだったのでは?」
「いや、ソウの侵入については、我々は全く感知していなかった。憲兵に追わせていたのは、女性の密入国者だよ」
「女性の密入国者……? えっと、その女性は、なぜソウを殺そうとしたのでしょう?」
「謎だよ」
ディカイオは肩をすくめる。
「ところで、ソウは君たちを襲った理由について何か喋っていたかい?」
「特に何も……。いえ、でも、真の目的はプシュケだと言っていました。プシュケを殺して、それで仕事は終わるはずだったって……。ワケが分かりませんけど、ソウから直接話を聞ければハッキリするかもしれません。……ディカイオさん、俺をソウに会わせてもらえませんか?」
★
「少し痛めつけてもいいでしょうか?」
城の地下へと続く石階段を下りながら、アレスは憲兵に尋ねた。
ランタンを片手に持って先導する憲兵は、背中越しに「基本的にアレスさんの意思を尊重するようにと、ディカイオ様からは申し付けられております」と答えた。
石階段を下り終え、暗く細長い廊下を進んでいくと、鉄扉にぶつかる。鉄扉の前では、若い憲兵が椅子に座り、熱心に本を読んでいた。彼は二人に気づくと、小さなテーブルに本を置いてゆっくりと立ち上がり、敬礼をした。
すでに話は伝わっているようだ。面倒なやり取りなしで、若い憲兵は鉄扉の鍵を開けてくれた。それから鍵束をアレスの連れの憲兵に手渡すと、暗い廊下をランタン片手に歩き去っていった。
鉄扉を押し開けて、アレスと憲兵は牢屋室へ足を踏み入れた。牢屋は全部で五つあるが、現在使用されているのは一つだけのようだ。
「ソウ」
憲兵は、唯一使用されている牢屋の前で立ち止まり、ランタンで鉄格子の向こうを照らした。明かりが牢屋の闇を追い払い、粗末なベッドに寝転がるソウの姿が浮かび上がる。
「怪我の具合はどうだ?」
「なかなか悪くないですよ。しかしながら、尻をうまく拭けないのはいただけませんねぇ」
ソウの両手には、長方形の木製の手枷がはめられている。上半身は裸で、胸のあたりに包帯を巻いている。右足には金属製の足枷がついており、それは鎖で壁の金具と繋がっている。
牢屋の鍵を開け、アレスと憲兵は中に踏み込んだ。
「アレスくん」
ソウは、ベッドに仰向けで寝たまま、嫌らしい笑みを浮かべる。
「昨日は楽しかったですねぇ。またヤりましょうね」
「今からいくつか質問をする。素直に答えるなら危害は加えません」とアレスは言った。
「質問ですか。いいでしょう。ちなみに僕の好きな食べ物はトウモロコシですよ」
「最初の質問です。どうして、プシュケの命を狙うのですか?」
「トウモロコシは、焼くより、たっぷりのお湯で茹でたほうが甘みが増しますので、僕は断然茹でる派ですねぇ」
「どうして、プシュケの命を狙うのですか? 暁旅団の目的はなんですか?」
「それはジャガイモにも言えることです。茹でることで野菜の才能は最大限引き出されます」
アレスは憲兵を一瞥した。
憲兵は無言でこくりと頷いた。
「おや、どうかしましたか? もしかして、アレスくんは焼く派でしたか?」
アレスは、ソウの髪を鷲掴みにすると、乱暴にベッドから引きずり落とした。
「ぐ……! ひどいですねぇ。別に僕は、焼く派を否定しているわけではないのに……」
アレスは容赦なく、つま先をソウの腹にねじ込んだ。
「ぐぁ……!」
ソウが体を丸めて身を守ると、アレスは今度は肩を踏みつけた。ガクッと、鈍い音が反響した。ソウの肩が脱臼したようだった。
「貴様が殺した人たちの痛みに比べれば、こんなの蚊が刺したようなものでしょう?」
「くふふ……。アレスくん、君は僕と同じですよ。暴力の奴隷です。楽しいでしょう? 暴力というものは」
アレスは、つま先をソウの口に突っ込むと、思い切り蹴り上げた。
白い歯が二本、宙を舞い、床を打った。ソウの悲鳴が牢屋室に木霊する。
アレスの暴行を、憲兵は静観していた。壁に寄りかかり腕を組んで、まるで職人の仕事を観察するかのように、興味深そうに眺めていた。
アレスの暴力は止まらない。旅団のみんなの無念を、拳と足に込めて、仇へとぶつけ続ける。
「アレスさん」
憲兵が、アレスの肩にぽんと手を置いて言った。
アレスはハッとなった。それから足元に転がる血まみれの男を見て、思わず後ずさった。
「申し訳ありません。やり過ぎてしまいました……」
「いえ、ちょうどいい具合かと。これでもう無駄口を叩く気にはならないでしょう」
アレスと憲兵は、二人でソウの体を持ち上げると、ベッドの上に放り投げた。
もはや抵抗する気力は残っていないようだ。ソウはひゅーひゅーと弱々しい呼吸を繰り返すだけで、身じろぎひとつしない。
憲兵は、懐から薬包紙を取り出し、慎重に開いた。薬包紙の中には、白い粉末が収められていた。その粉末については、アレスはすでに憲兵から説明を受けていた。
憲兵は言っていた。『これは〈
つい昨日、遥か東方の〈薬の国〉から届いたものらしい。本当ならもっと早く届くはずだったのだが、輸送を担当しているキャラバンがスカベンジャーに睨まれて立ち往生した影響で、到着が大幅に遅れていたのだという。
遠路はるばるやってきた秘薬〈
その用途は主に二通りあるという。
一つ目は、魂に刻まれた記憶を呼び起こす用途だ。現世の記憶だけでなく、脈々と受け継がれてきたご先祖様の記憶すら、呼び起こすことができるというのだから驚きだ。
二つ目の用途は、自白剤としてだ。〈
「鼻から吸い込ませるのが手っ取り早いのですが、残念ながら呼吸が弱いですね。口から流しこみましょう」
憲兵は言うと、金属製の小型水筒を懐から取り出す。そして、ソウの口を無理やりこじ開け、〈
ソウは糸のような目を見開き、ばたばたと暴れ始めた。すかさず、アレスはソウの足を押さえ込んだ。
やがてソウは静かになった。あまりに静かなので、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思ったが、耳を澄ますと規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
「〈
「はい。極めて危険です」
憲兵は答えた。
「一度目の使用で、五割の確率で廃人になります。二度目の使用は、過剰な免疫反応を起こして脳が壊れ、必ず廃人と化します」
「想像以上に危険ですね……」
「ここだけの話ですが」
憲兵は、内緒話特有の親密さを声に滲ませて言った。
「ディカイオ様も、昔投与されたことがあるそうなのです」
「え! 〈
「はい。まだディカイオ様が子供のころのことです。戦争のいざこざに巻き込まれて、ディカイオ様はとある国の賊に誘拐されてしまったのです。どんな情報を聞き出そうとしたのかは聞いていませんが、誘拐犯はディカイオ様に〈
やがてソウの表情に、上澄みのような笑みが浮かび始めた。
「始まったようです」
憲兵は、ソウの顔を覗き込む。
「彼は今、自らの魂に刻まれた、ご先祖様たちの記憶の中を旅しているのです」
あるいは、とアレスは思った。俺も〈
直後に、アレスはその考えを追い払った。一度目の使用で半分の確率で廃人と化す。二度目の使用では必ず廃人と化す。そんなもの、危なくて使えるわけない……。
「アレスさん。そろそろ大丈夫かと。この男に知りたいことを聞いてみてください」
アレスは頷くと、尋問を開始した。
「ソウ。聞こえますか?」
「いひひ……。聞こえますよ」
若干のたどたどしさはあるものの、ソウはしっかりと返事をする。
「ソウ。どうして貴様は、プシュケの命を狙うのですか?」
なんだかんだで〈
しかし。
「プシュケ。あの小娘は、イリニアの血族の可能性があるからです」
〈
「どうして貴様が、プシュケがイリニアの血族だと知っているのです?」
「確証はありません。でも僕たち暁旅団は、身体のどこかに〈星の痣〉と呼ばれる痣がある人物を見つけ次第、問答無用で殺すことにしています。〈星の痣〉はイリニアの血族の証ですから」
〈星の痣〉のことを、暁旅団は知っていたのか。連中は想像以上に情報通のようだ。
「どうしてイリニアの血族の命を狙うのですか? その理由は?」
「分かりません」
「もう一度聞きます。どうしてイリニアの血族の命を狙うのですか?」
「分かりません」
「……イリニアの血族を狙う理由も分からずに、人を殺し続けていたということですか?」
「はい。イリニアの血族を殺さなくてはいけない理由を知っているのは、首領と、幹部の連中だけです。僕のような下っ端には、詳しい情報は下りてきやしません。僕は命令に従うだけです」
「……俺たちの旅団を襲ったのは、プシュケ一人を殺すためだったのですか?」
「そのとおりです」
「プシュケ以外の人たちは、ただの巻き添えだったのですか?」
「そのとおりです」
「……〈星の痣〉が本物かどうかなんて、そう簡単には分からないでしょう。似たような普通の痣がある人だっているはずです。そういう無関係な人たちも、貴様は殺してきたのですか?」
「はい。僅かでもイリニアの血族の疑いがある者は、躊躇いなく殺してきました」
「無関係な人間を殺すことに、少しの罪悪感も覚えないのですか?」
「はい。僕にとって、殺しとは趣味です。感じるのは、純粋な喜びだけです」
アレスは、目の奥に涙の気配を感じた。拳に力がこもっていくのを止められない。
「アレスさん」
憲兵が、アレスの肩にぽんと手をかけた。
「続きは、私に任せていただけませんでしょうか?」
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