拷問

 しびれ薬の効果は長くは続かなかった。ソウが独自に調合した薬のようだが、即効性を得る代償として持続性は捨てたようだった。アレスは念のため診療所に一晩だけ泊まった。

 

 翌朝、迎えに来てくれたニケに連れられて、アレスはディカイオの執務室に向かった。

 

 プシュケは、昨夜は城に泊まったようで、すでに執務室のすみっこの椅子に座って待っていた。「生きてたか、しぶといやつ」とぎこちなくプシュケは笑った。「よかった……」


「朝早くに呼び立てて申し訳ない」

 ディカイオは言った。

「アレスくん、もう傷は大丈夫かい?」


「はい。かすり傷ですので。忌々しいしびれ薬も、すっかり抜けたみたいです」


「よかった。昨日のことは、プシュケちゃんから聞いたよ」


「……あの輩は、ソウとかいう暁旅団の男は、死んだのですか?」


「生きているよ。傷の手当てをして、今は城の地下牢に放り込んである」


「殺してくれればよかったのに……」


「そうもいかないのだよ。奴には、いろいろと聞きたいことがあるからね」


 それもそうか。奴を尋問すれば、暁旅団の実態が明らかになるかもしれないのだから。


「あの男を矢で射ったのは、けっきょく誰だったのでしょうか?」


「例の密入国者だと思われる。憲兵の目撃証言とも一致しているから、おそらく間違いない」


「……あれ? その密入国したという人物が、ソウだったのでは?」


「いや、ソウの侵入については、我々は全く感知していなかった。憲兵に追わせていたのは、女性の密入国者だよ」


「女性の密入国者……? えっと、その女性は、なぜソウを殺そうとしたのでしょう?」


「謎だよ」

 ディカイオは肩をすくめる。

「ところで、ソウは君たちを襲った理由について何か喋っていたかい?」


「特に何も……。いえ、でも、真の目的はプシュケだと言っていました。プシュケを殺して、それで仕事は終わるはずだったって……。ワケが分かりませんけど、ソウから直接話を聞ければハッキリするかもしれません。……ディカイオさん、俺をソウに会わせてもらえませんか?」



「少し痛めつけてもいいでしょうか?」


 城の地下へと続く石階段を下りながら、アレスは憲兵に尋ねた。

 

 ランタンを片手に持って先導する憲兵は、背中越しに「基本的にアレスさんの意思を尊重するようにと、ディカイオ様からは申し付けられております」と答えた。

 

 石階段を下り終え、暗く細長い廊下を進んでいくと、鉄扉にぶつかる。鉄扉の前では、若い憲兵が椅子に座り、熱心に本を読んでいた。彼は二人に気づくと、小さなテーブルに本を置いてゆっくりと立ち上がり、敬礼をした。

 

 すでに話は伝わっているようだ。面倒なやり取りなしで、若い憲兵は鉄扉の鍵を開けてくれた。それから鍵束をアレスの連れの憲兵に手渡すと、暗い廊下をランタン片手に歩き去っていった。

 

 鉄扉を押し開けて、アレスと憲兵は牢屋室へ足を踏み入れた。牢屋は全部で五つあるが、現在使用されているのは一つだけのようだ。


「ソウ」


 憲兵は、唯一使用されている牢屋の前で立ち止まり、ランタンで鉄格子の向こうを照らした。明かりが牢屋の闇を追い払い、粗末なベッドに寝転がるソウの姿が浮かび上がる。


「怪我の具合はどうだ?」


「なかなか悪くないですよ。しかしながら、尻をうまく拭けないのはいただけませんねぇ」


 ソウの両手には、長方形の木製の手枷がはめられている。上半身は裸で、胸のあたりに包帯を巻いている。右足には金属製の足枷がついており、それは鎖で壁の金具と繋がっている。


 牢屋の鍵を開け、アレスと憲兵は中に踏み込んだ。


「アレスくん」

 ソウは、ベッドに仰向けで寝たまま、嫌らしい笑みを浮かべる。

「昨日は楽しかったですねぇ。またヤりましょうね」


「今からいくつか質問をする。素直に答えるなら危害は加えません」とアレスは言った。


「質問ですか。いいでしょう。ちなみに僕の好きな食べ物はトウモロコシですよ」


「最初の質問です。どうして、プシュケの命を狙うのですか?」


「トウモロコシは、焼くより、たっぷりのお湯で茹でたほうが甘みが増しますので、僕は断然茹でる派ですねぇ」


「どうして、プシュケの命を狙うのですか? 暁旅団の目的はなんですか?」


「それはジャガイモにも言えることです。茹でることで野菜の才能は最大限引き出されます」


 アレスは憲兵を一瞥した。

 憲兵は無言でこくりと頷いた。


「おや、どうかしましたか? もしかして、アレスくんは焼く派でしたか?」


 アレスは、ソウの髪を鷲掴みにすると、乱暴にベッドから引きずり落とした。


「ぐ……! ひどいですねぇ。別に僕は、焼く派を否定しているわけではないのに……」

 

 アレスは容赦なく、つま先をソウの腹にねじ込んだ。


「ぐぁ……!」


 ソウが体を丸めて身を守ると、アレスは今度は肩を踏みつけた。ガクッと、鈍い音が反響した。ソウの肩が脱臼したようだった。


「貴様が殺した人たちの痛みに比べれば、こんなの蚊が刺したようなものでしょう?」


「くふふ……。アレスくん、君は僕と同じですよ。暴力の奴隷です。楽しいでしょう? 暴力というものは」


 アレスは、つま先をソウの口に突っ込むと、思い切り蹴り上げた。

 白い歯が二本、宙を舞い、床を打った。ソウの悲鳴が牢屋室に木霊する。

 

 アレスの暴行を、憲兵は静観していた。壁に寄りかかり腕を組んで、まるで職人の仕事を観察するかのように、興味深そうに眺めていた。

 

 アレスの暴力は止まらない。旅団のみんなの無念を、拳と足に込めて、仇へとぶつけ続ける。


「アレスさん」

 憲兵が、アレスの肩にぽんと手を置いて言った。

 

 アレスはハッとなった。それから足元に転がる血まみれの男を見て、思わず後ずさった。


「申し訳ありません。やり過ぎてしまいました……」


「いえ、ちょうどいい具合かと。これでもう無駄口を叩く気にはならないでしょう」


 アレスと憲兵は、二人でソウの体を持ち上げると、ベッドの上に放り投げた。


 もはや抵抗する気力は残っていないようだ。ソウはひゅーひゅーと弱々しい呼吸を繰り返すだけで、身じろぎひとつしない。


 憲兵は、懐から薬包紙を取り出し、慎重に開いた。薬包紙の中には、白い粉末が収められていた。その粉末については、アレスはすでに憲兵から説明を受けていた。

 

 憲兵は言っていた。『これは〈先祖返りリフレイン〉と呼ばれる薬です。フーテン・アサガオを原料としています』と。

 つい昨日、遥か東方の〈薬の国〉から届いたものらしい。本当ならもっと早く届くはずだったのだが、輸送を担当しているキャラバンがスカベンジャーに睨まれて立ち往生した影響で、到着が大幅に遅れていたのだという。

 

 遠路はるばるやってきた秘薬〈先祖返りリフレイン〉は、摂取した者を極めて深い酩酊状態にすることができるのだそうだ。

 その用途は主に二通りあるという。

 一つ目は、魂に刻まれた記憶を呼び起こす用途だ。現世の記憶だけでなく、脈々と受け継がれてきたご先祖様の記憶すら、呼び起こすことができるというのだから驚きだ。

 二つ目の用途は、自白剤としてだ。〈先祖返りリフレイン〉が与える酩酊感は、人から理性を奪い取る。どんなに後ろめたいことがあろうとも、質問に正直に答えてしまうというのだから恐ろしい。


「鼻から吸い込ませるのが手っ取り早いのですが、残念ながら呼吸が弱いですね。口から流しこみましょう」


 憲兵は言うと、金属製の小型水筒を懐から取り出す。そして、ソウの口を無理やりこじ開け、〈先祖返りリフレイン〉をサッと投入した。続けざまに水筒の水を流し込んで、ぐっと顎を押し上げる。


 ソウは糸のような目を見開き、ばたばたと暴れ始めた。すかさず、アレスはソウの足を押さえ込んだ。


 やがてソウは静かになった。あまりに静かなので、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思ったが、耳を澄ますと規則正しい呼吸音が聞こえてきた。


「〈先祖返りリフレイン〉って、かなり危険な薬なんですよね?」


「はい。極めて危険です」

 憲兵は答えた。

「一度目の使用で、五割の確率で廃人になります。二度目の使用は、過剰な免疫反応を起こして脳が壊れ、必ず廃人と化します」


「想像以上に危険ですね……」


「ここだけの話ですが」

 憲兵は、内緒話特有の親密さを声に滲ませて言った。

「ディカイオ様も、昔投与されたことがあるそうなのです」


「え! 〈先祖返りリフレイン〉をですか?」


「はい。まだディカイオ様が子供のころのことです。戦争のいざこざに巻き込まれて、ディカイオ様はとある国の賊に誘拐されてしまったのです。どんな情報を聞き出そうとしたのかは聞いていませんが、誘拐犯はディカイオ様に〈先祖返りリフレイン〉を投与し尋問したそうです。だからこそディカイオ様は自信をもって言うのです。〈先祖返りリフレイン〉の効果は本物だ、と」


 やがてソウの表情に、上澄みのような笑みが浮かび始めた。


「始まったようです」

 憲兵は、ソウの顔を覗き込む。

「彼は今、自らの魂に刻まれた、ご先祖様たちの記憶の中を旅しているのです」


 あるいは、とアレスは思った。俺も〈先祖返りリフレイン〉を使えば、ご先祖様の記憶を呼び起こすことができるだろうか? 夢でよく見る、あの断片的な記憶なんかじゃなくて、筋の通った明瞭なストーリーとしての記憶を、しっかりと目撃することができるだろうか?


 直後に、アレスはその考えを追い払った。一度目の使用で半分の確率で廃人と化す。二度目の使用では必ず廃人と化す。そんなもの、危なくて使えるわけない……。


「アレスさん。そろそろ大丈夫かと。この男に知りたいことを聞いてみてください」


 アレスは頷くと、尋問を開始した。


「ソウ。聞こえますか?」


「いひひ……。聞こえますよ」


 若干のたどたどしさはあるものの、ソウはしっかりと返事をする。


「ソウ。どうして貴様は、プシュケの命を狙うのですか?」


 なんだかんだで〈先祖返りリフレイン〉の効力に懐疑の念を禁じ得ないアレスは、もし仮にソウがトウモロコシについて熱く語り始めたとしても大した失望は覚えなかっただろう。

 

 しかし。


「プシュケ。あの小娘は、イリニアの血族の可能性があるからです」


 〈先祖返りリフレイン〉。どうやら、こいつの効力は本物のようだ。


「どうして貴様が、プシュケがイリニアの血族だと知っているのです?」


「確証はありません。でも僕たち暁旅団は、身体のどこかに〈星の痣〉と呼ばれる痣がある人物を見つけ次第、問答無用で殺すことにしています。〈星の痣〉はイリニアの血族の証ですから」


 〈星の痣〉のことを、暁旅団は知っていたのか。連中は想像以上に情報通のようだ。


「どうしてイリニアの血族の命を狙うのですか? その理由は?」


「分かりません」


「もう一度聞きます。どうしてイリニアの血族の命を狙うのですか?」


「分かりません」


「……イリニアの血族を狙う理由も分からずに、人を殺し続けていたということですか?」


「はい。イリニアの血族を殺さなくてはいけない理由を知っているのは、首領と、幹部の連中だけです。僕のような下っ端には、詳しい情報は下りてきやしません。僕は命令に従うだけです」


「……俺たちの旅団を襲ったのは、プシュケ一人を殺すためだったのですか?」


「そのとおりです」


「プシュケ以外の人たちは、ただの巻き添えだったのですか?」


「そのとおりです」


「……〈星の痣〉が本物かどうかなんて、そう簡単には分からないでしょう。似たような普通の痣がある人だっているはずです。そういう無関係な人たちも、貴様は殺してきたのですか?」


「はい。僅かでもイリニアの血族の疑いがある者は、躊躇いなく殺してきました」


「無関係な人間を殺すことに、少しの罪悪感も覚えないのですか?」


「はい。僕にとって、殺しとは趣味です。感じるのは、純粋な喜びだけです」


 アレスは、目の奥に涙の気配を感じた。拳に力がこもっていくのを止められない。


「アレスさん」

 憲兵が、アレスの肩にぽんと手をかけた。

「続きは、私に任せていただけませんでしょうか?」

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