ソウ

「おやおや、美しい剣ですねえ。遺物ですか? それとも模倣遺物? いやはや、実に美しい剣ですよ」


 奴は、漆黒の雨具を着ていた。フードはかぶらず、顔をさらしている。


「その忌々しい雨具……! まさか、貴様は!」


「覚えていてくれたのですね。いやはや、光栄です。暁旅団を代表して、お礼申し上げますよ。僕も、君のことは覚えていますよ。あと一歩のところで、小娘と一緒に逃げられてしまいましたからねぇ。実に悔しかったですよ」


「アレス! そいつを殺してくれ!」


 背後から、プシュケの怒鳴り声が飛んできた。彼女はアレスの言いつけを破り、小屋の物陰から飛び出していた。


「隠れてろと言ったでしょう!」


「そいつを殺して! 殺してぇぇぇ!」

 

 プシュケはそう叫び続けるだけだった。

  

 彼女はふだんからやかましい性格だけど、こんなヒステリックにわめきたてるのは尋常ではない。一体どうしたんだ?


「そいつはテリ兄ちゃんを矢で殺したやつだよ!」


「え。テリの兄貴を……?」


「あたし確かに見たんだ! そいつテリ兄ちゃんを矢で射った後笑ったんだ今みたいに!」


 いま目の前でニヤついている雨具の男は、見たところ大人ではあるようだが、まだ若い。糸のように目が細く、その目元に栗色の前髪が垂れている。頬はこけ、無精ひげが散っている。体の線は細く、けっこう小柄だ。ぱっと見は、まるで威圧感を感じない風貌をしている。しかしながら、口元に浮いた微笑が、奴の取るに足らない全体像を一気に不気味なものに仕立て上げてしまっている。


「そうか、貴様が、テリの兄貴を……!」


「はて? 誰のことですかね? 頭の禿げた青年のことですか? 刺青だらけのジジイですか? それとも、断末魔が山羊の鳴き声みたいなガキのことかなあ? あとは……くふふ、挙げ始めたらキリがありませんねぇ」


「……! 貴様の体を細切れにして鳥の餌にして差し上げますよ!」


「まったく……。僕はね、貴様という名前ではありませんよ」

 雨具の男は、わざとらしく肩をすくめる。

「僕の名前はソウ。以後、お見知りおきを。とはいえ、その『以後』は、そんなに長くは続きませんがねぇ」


 ソウと名乗った男は、鞘からおもむろに剣を抜いた。


「なるほど。逃亡中の密入国者というのは、貴様のことだったのですね?」


「だから、貴様という名前ではないと言っているのに……。はて、逃亡中とは、なんのことでしょうか? 確かに僕は密入国者です。キャラバンの荷物に紛れて、難なく門を通り抜けることができました。この国、ずいぶんと平和ボケしてるみたいですね。キャラバンの荷物をろくに確かめやしない。この国にいると、今が戦乱の世であることを忘れてしまいそうになる」


「平和ボケですって? ははっ! ボケは貴様ですよ、ボケ! よく聞きなさい、バレているんですよ、貴様の侵入はね。憲兵さんたちが血眼で捜していますよ?」


「だとしたら、まったく杜撰な捜索をしているのでしょうねぇ。僕はミネルウェンに入って以降、一度も憲兵と出くわしていませんからねぇ……。いや、嘘をつきました。つい先ほど、二人の憲兵さんと出会ってしまいました。すぐに、さようならしましたがね」


「まさか、貴様、憲兵さんを……?」


「僕としたことが、狙撃のポイントを探している最中、彼らに見つかってしまったのです。『見ない顔だが、あんたの名前は?』なんて聞かれてしまって、うんざりしましたよ。仕方ないので死んでもらいました。死体はあっちに転がっているので、もし君が生きて帰ることができたら火葬場に運んであげてください。ミネルウェンは火葬の文化でしたよね?」


「プシュケ! 奴は俺が殺してあげますから、あなたは隠れていてください!」


 アレスが言い終わるや否や、ソウは「いひひ!」と不気味に笑いながら走り寄ってきた。


 二つの剣がぶつかり合った。そして離れ、またぶつかり合う。


 五度打ち合った後、鍔迫り合いでの勝負に移った。


「……!」


 アレスは驚愕した。なんて怪力だ……!


 その小柄な風貌からは想像できないほどのパワーで、ソウは剣を押し付けてくる。このまま鍔迫り合いを続けては、アレスの顔面が真っ二つになるのは明白だった。受け流すか? よし、それでいこう! 今だ!


 アレスは体を大きくひねり、剣を手前に傾けた。


 アレスの剣が傾いたことで、ソウの刀身はアレスの後方へと受け流された。剣を受け流されたソウは前につんのめり、隙をさらすはずだった。


 しかし驚いたことに、ソウは受け流された力を殺さずに利用し、体をひねって下からすくい上げるように剣を振るってきた。


 アレスはてっきり、相手は咄嗟に回避行動をとるものと考えていた。

 剣を受け流されたら、無防備な背中への攻撃を恐れるのが人情というものだ。しかしソウは、そんなことはお構いなしに、アレスへの追撃を加えてきた。自分が斬られるかもしれないなんて恐れは、奴の中にはありはしないのだ。奴の中にあるのは、相手をいち早く切り裂いてやりたいという、せっかちな殺意だけだ。


「ぐ……!」


 ソウの剣の切っ先が、アレスの脇腹を、下から上に向かって切り裂いた。


 でも大丈夫、かすり傷だ。


 アレスはソウから距離をとり、次の斬り合いに備えた。歯を食いしばり、なんでもないって表情をこしらえる。

 

 アレスは疑問を覚えた。

 かすり傷、のはずだ。なのに、痛い。痛すぎる。傷口の上で、焼けるような痛みが飛び跳ねている。


「いひひ。痛いですか? いやはや、必死に我慢するその表情、いいですねぇ。興奮しちゃいますよ。僕ねぇ、本音を言うと、女の子より男の子を殺す方が好きなんですよ。そうそう、その顔! その顔ですよ! 必死に弱みを悟られまいとする健気な意地の発露! その顔は、男の子にしかできないんですよ!」


「ごちゃごちゃ、うるさいですね、ほんとに」


 アレスは斬りかかろうと一歩前に踏み出すが、瞬間、腰が抜けてしまう。

 あれ……? なんで? 力が、入らない……!


「いやはや、まさかこんなにも早く効果が出るとはねえ。自分で調合しておいてなんですが、意外な結果です。くふふ。どうです? 新作のお味は?」


「刃に、毒を塗っていたのですか……?」


「しびれ薬を少々ね」

 ソウは、糸のような目を更に細める。

「どんな感じですか? 傷口はどのように痛みますか? ズキズキ? ヒリヒリ? どのへんが一番しびれが強いですか? 脈拍に変化はありますか? 頭痛はありますか? 吐き気は? 悪寒は? ねえ、教えてくださいよ。後学のため、感想をお聞きしたいのです」


「ごちゃごちゃ、うるさい、ですよ……」


 アレスはよろよろと立ち上がり、剣を構える。


「強がる姿が実にかわいらしい。いやはや、早くやりたくなってしまいましたよ。しびれ薬の感想は小娘に聞くとして……。坊やには、僕の欲求を満たす玩具になってもらいましょう。絶望に泣き、命乞いをする玩具です。ぜひとも、かわいい声で泣いてくださいね?」


 ソウが、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 アレスは踏ん張って、打ち合いに備える。しかし、彼の闘志を裏切るように、足から力が逃げ去ってしまう。彼は跪き、手から剣が滑り落ちる。


「楽しい玩具の出来上がりですね」


 ソウは、跪くアレスの胸を、つま先でちょこんと小突いた。

 

 アレスの体は重力に抵抗できず、仰向けにばたんと倒れてしまった。彼の体はもう、すっかり麻痺の波にのまれてしまっていた。罵声を浴びせようと口を動かすも、舌がもつれてうまく発音ができない。口の端から唾液が漏れ、地面に滴り落ちる。


「いやはや、舌まで痺れてしまうとは、ちょっと誤算ですねぇ。これでは、かわいく命乞いをすることができませんねぇ……。くふふ、でも、泣くことはできるでしょう?」


 アレスは敵を睨み上げ続ける。涙なんて、一滴たりともくれてやるつもりはない。


「許してくださいね。本当は小娘だけを殺るつもりだったんですよ。でも君があまりにもかわいいもので、ついムラムラきてしまったんです。さて、まずは右腕から頂きますかね」


 ソウは、剣をアレスの右腕に押し当てた――。そこで。


 ひゅんっ! 

 空気が、鋭く揺れた。


「……うっ!」


 ソウの短いうめき声が、宙に散った。

 

 ……え? アレスは愕然とせざるをえない。

 

 血の霧を宙にぱっと咲かせながら、ソウはうつ伏せに倒れた。彼の背中には、一本の矢が突き刺さっている。

 

 ……プシュケがやったのか? いや違う、彼女は丸腰だったはずだ。そもそも、彼女に弓矢は扱えない。じゃあ、誰が……? 


「こっちだ! 追え! 奴は弓矢を所持している! 油断するな!」


 どこかで、男の怒鳴り声が聞こえた。間もなくして、大勢の足音が響いてきて、そして遠ざかっていった。誰かを追いかけているようだ。


 いったい、何が起きている……?

  

 あたりは、また静まり返った。

 

 それから少しして、数人の憲兵を伴ったプシュケが駆け寄ってきた。

 プシュケは、アレスとソウの戦闘中にうまく抜け出し、助けを呼びに行ってくれていたようだった。

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