告白

 翌朝。眠りから覚めたアレスが寝返りを打つと、窓際の書き物机でプシュケがペンを走らせているのが見えた。

 プシュケからは眠気の香りが全くしないので、今朝はいつもより早起きしたのだろう。


「プシュケ」

 アレスはベッドに横になったまま、声をかけた。


「なんだあ?」

 プシュケはペンを止めず、気のない様子で答えた。


「もう俺たち、ずっとミネルウェンに住みませんか?」


 ミネルウェンでの生活は、今日で十五日目を迎える。今まで旅で巡ってきた国々の中で、ぶっちぎりで一番住みやすい。アレスだけでなく、プシュケも同じように思っていることは疑いの余地がない。


 プシュケは手をぴたりと止めると、ゆっくりと視線を日記帳からアレスに移した。彼女の表情には、いつものお茶らけた陽気さはなかった。そのまなざしの冷たさに、アレスは一瞬ドキッとした。


「だめ。ずっとはいられない」


「どうしてですか?」


「だって、旅団のみんなを捜しに行かないと」


「プシュケ。何度も言っているでしょう? 生き残りがいれば、誰かが俺たちを迎えに来るはずです」


「きっと何か、迎えに来れない理由があんだよ。あたしたちだけが温かいベッドで寝て、おいしいごはんを食べるなんて、そんなの不公平じゃんか。シャリテたちが、どこかで助けを求めてるかもしんないのにさ」


 プシュケは未だに、旅団に生き残りがいると信じている。そして旅をして、いつか国を興せると思っている。


 それにしても、とアレスは思う。プシュケの旅団への思いの強さは常軌を逸している。アレスの記憶は曖昧だが、プシュケが旅団に入ったのはそう昔のことではないはずだ。せいぜい四年、いや、三年くらい前だったはず。少なくともアレスより後に旅団に加わったのは確かだ。にもかかわらず、まるで生まれてからずっと旅団で育ってきたかのように、プシュケはシャリテたちに異常なまでの愛情を抱いている。


「プシュケ。あなたは、シャリテさんに依存しているんですよ」


「はあ? ちげーし! 依存なんてしてねーしバーカ!」


「していますよ。だってあなたは……」


「わーわーわー! 何も聞こえない聞こえない! 黙れ黙れ黙れうんこうんこうんこ!」


「……二度寝します。おやすみなさい」

 アレスはため息をつくと、毛布の中に潜り込んだ。


 その時、部屋のドアがノックされた。とんとんと、控えめで上品なノックだ。


「あーい」

 プシュケが返事をした。


「入ってもいいですか?」

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、女性の声だった。


「来る者拒まず!」


 プシュケが許可すると、ドアが開いた。部屋に入ってきたのは、ソピアだった。グールマン事件で誘拐され、そしてギリギリのところで救出された、〈希望の家〉の子供である。


 今のソピアは、黒を基調としたドレスを着用し、首にはピンク色の石がはめ込まれたペンダントをしている。ずいぶんとおめかししている雰囲気だ。


「ソピア!」


 プシュケは椅子から立ち上がり、ソピアに駆け寄って抱き着いた。身長差で、プシュケの顔がソピアの胸にうずまる形になる。

 

 しょっぱなからアクティブすぎる歓迎に戸惑いながらも、ソピアは「どうも」と会釈した。

 

 アレスもベッドから起き上がり「お怪我の具合はいかがでしょうか?」と尋ねた。


「はい。怪我は大したことなくて、すぐに〈希望の家〉に帰ることができました」


「よかったです。あなたのこと、心配だったんです」


 ソピアはぽっと頬を赤く染めると、後ろ手の格好でアレスに向かって猛然と歩み寄ってきた。艶やかな漆黒のポニーテールが、ひょこひょこと可愛らしく揺れる。

 彼女の勢いに、思わずアレスは「おお!?」と声を漏らしてしまった。刺されるのではないかと一瞬心配になった。


「あ、あの、アレスさん!」

 ソピアは、アレスの目の前で立ち止まった。


「……?」

 アレスは、体をのけ反らせるような格好で固まっていた。

 

 ソピアは、ただでさえ大きなタレ目をさらに見開いて、意思の強そうなまっすぐの眉毛に角度をつけている。


「先日は、助けてくれて本当にありがとうございました!」


 そう叫ぶと、ソピアは背中に隠していた両手を、アレスに向かって突き出した。

 やはり刺されるのかもしれないと一瞬心配になったが、ソピアが持っていたのは刃物ではなく、小さな花束だった。


「これ、その、お見舞いの花束です!」


「お見舞いって、俺がされるものでしたっけ……?」


「〈希望の家〉のお庭に、綺麗なお花が咲いたんです! だから、お見舞いに来ました!」


 なんか、変な子だなとアレスは思った。だけど同時に、まだ痛々しい痣が残っている腕を必死に突き出す彼女の姿に、アレスはちょっと心を打たれてしまった。


「ありがとうございます、ソピアさん」

 アレスはふっと口元を緩ませ、花束を受け取った。

 

 ソピアは一仕事終えてすっきりしたようで、すがすがしい表情で椅子に腰かけた。


「いきなり押しかけてごめんなさい。ただ、一言お礼が言いたくて」


「大変だったな、ソピア」とプシュケは言った。「無理すんなよ~? きっと、心の傷が癒えるのには、もう少しかかるだろうからさ」


「心の傷?」

 ソピアは、心底解せないというふうに首を傾げた。

「傷どころか、私の心は今、人生でいっちばん綺麗にキラキラしていますよ!」


「はえ?」


「私、悪い人に捕まって、ひどいことされて、もう終わりだって思いました。でも、そこに王子様が現れたんです」


「お、王子様……?」


「アレスさんですよ。ニケと一緒に助けに来てくれました。グールマンから私を救ってくれました。あの時アレスさんは、私の頬に触れて、『もう大丈夫』と言ってくれました。私、その時、心から生きててよかったと思えたんです」

 ソピアは、日向の向日葵みたいな笑顔を浮かべた。

「アレスさん。私、もうすぐ12歳の誕生日なので、〈希望の家〉を卒業することになります。そしたら、その、私と結婚を前提にお付き合いしてほしいのです!」


「な、なぬ~! け、結婚を前提にお付き合いィ!?」

 たまらず、プシュケはソピアの肩に手をかけて叫んだ。

「ど、どういうことだ~!?」


「言葉どおりの意味ですよ? 私、アレスさんの恋人になりたいんです」


「だめだめ! アレスはあたしの召使いなんだぞぅ!」


 召使いになった覚えはないけど、面倒なのでアレスは黙っていた。


「それにソピアはまだ子供だろ? お付き合いなんてあたしが許しませんっ!」


「プシュケさんよりは年上ですよ、ぜんぜん」


「なぬ~!? あたしは12歳だぞぅ!」


「あら」

 ソピアは手を口元に当て、目を真ん丸にした。

「てっきり、8歳くらいかと」


「言い過ぎぃ~!」


「なんであれ、もうすぐ同い年になりますね! 私のことを子供扱いするには、少しばかり年齢差が足りないのではありませんか?」


「おお、おおおォ?」

 反論できず、プシュケは奇声をあげる。


「プシュケさんは、アレスさんの恋人さんなのですか?」


「め・し・つ・か・い!」


「そうですか。でしたら、私にもアレスさんとお付き合いするチャンスはあるはずです」


 ソピアの瞳は、曇りなく澄んでいる。


「いや、でもさ、あたしたちは、いつかはミネルウェンを出て行かないといけないんだぞ」とプシュケは言った。「あたしたちは旅人。明日は明日の風が吹く……」


「でしたら!」

 ソピアは余裕の笑顔を崩さない。

「その時は私もご一緒させてください。私、こう見えて運動はすごく得意なんです! 剣術の腕だって、なかなかのものなんですよ?」


「マジですか」とアレスが反応する。「でも、どうして? なぜ剣を使えるのでしょうか?」


「〈希望の家〉の管理官の中に、定年退職した憲兵の方がいるんです。その人から教わりました」


「憲兵仕込みの剣術ですか! もしよかったら、俺にも少し教えていただけませんか?」


「もちろんです!」


 アレスが食いついてきたのが嬉しくて仕方ないようで、ソピアはうっとりした表情で何度も頷いた。


「よし、今日は予定ありませんし、広場に行って稽古をしましょう」


「ぜひ! ああ、これってデートですよね! 素敵です!」


 デートとはちょっと、いや、かなり違う気もするが、ソピアの感性はずいぶんと独特なようなので、いちいちツッコミを入れるのも野暮だろう。


「レプリカの剣は持っていますか?」


「〈希望の家〉に何本かあるので、取ってきます!」


「分かりました。後で南門近くの広場で待ち合わせましょう」


「はい! すぐに準備します!」


 ソピアは椅子から飛び上がると、勢いそのまま部屋を飛び出していく。


「おおい! あたしの話はまだ終わってねぇぞ!」


 背中を掴むように叫ぶプシュケを無視して、ソピアは廊下をびゅーんと駆け、階段をダダダダと下りていった。


「あいつぅ~!」

 プシュケは頬を膨らませ、地団太を踏む。

「8歳は言い過ぎだろ!」


 それを根に持っていたのか。


 アレスは荒れ狂うプシュケから理不尽な暴力を受けながら身支度を整えた。


「消えちまえ、この脳筋カップル!」


 プシュケに蹴り出され、アレスは部屋を出た。

 この日は、とても楽しい一日になった。

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