イリニア朝

 少年は微動だにせず虚空をじっと見つめている。館内に迷い込んだ蝶々が一匹、彼の肩で羽を休めている。


「ヘルメス」

 ディカイオは言った。


 すると、美少年は顔をこっちへ向けた。青い瞳に、アレスたちの姿が映る。


「こちらはアレスくんとプシュケちゃんだ。ご挨拶しなさい」


「はじめまして」

 美少年は抑揚を欠いた声で言った。

「僕は自律式アーカイブ・ヘルメスです。千と三十六年前に作り出された、人型の情報記録媒体です」


 よく見ると、ヘルメスが座る鉄製の椅子は、床に固定されている。そして、彼の両足は椅子の脚に、両手は椅子のひじ掛けに、それぞれ枷と鎖で拘束されている。


「困ったことに、ヘルメスは隙あらば逃げようとするのだ」

 ディカイオが弁解するように言った。

「だからこうして、拘束せざるを得なくてね」


「僕は可能な限り人目につかない場所に隠れるようプログラムされています。そのため、身体の自由が利く場合は、人の少ない場所へと移動せざるを得ません」

 ヘルメスは、まるで他人事のように説明した。


「ずっと椅子に座ってて、つらくないのか?」

 プシュケが心配そうに尋ねた。

「あたしは本読む時は必ず一時間に一度は立って運動するようにしてるぜ」


「それは、肉体的な苦痛を伴うか否か、という質問でしょうか?」


「そっ」


「でしたら答えは『いいえ』です。僕は生物学的な意味での神経は持ち合わせていません」


 ヘルメスも、いわゆる遺物のひとつなのだろう。技術的な栄華を極めた、〈世界大戦〉以前の人類が作り出した、驚異の発明品。


「お腹は減らないのですか?」とアレスは尋ねた。


「減りません。僕は食料や水を摂取する必要がありません。エネルギーは太陽光で得ています」


 ちょうど〈太陽の剣〉と同じ仕組みだなと、アレスは密かに親近感を覚えた。


「最近は天気の悪い日が多かったから、ヘルメスはエネルギーをうまく補給することができず、ずっと眠っていたのだ。昨日の昼頃、ようやく目を覚ましたのだよ」

 ディカイオはそう説明した。


「ヘルメスのこと知りたい!」

 プシュケは目を輝かせ、無遠慮にヘルメスの頬や頭をべたべたと触りだした。

 

 触られても、ヘルメスはジッとしたまま動かない。表情ひとつ変えない。

 つられてニケもヘルメスのわきをコチョコチョし始めた。「悪戯好きの姉妹に弄ばれるクールな末っ子」とタイトルをつけて額縁に入れて飾っておきたくなるような光景だ。


「すごい!」とプシュケは言った。「触った感じ、まるで本物の人間! 肌は柔らかいし、体温まである! ……! ちんちんもついてる!」


「プシュケ、失礼ですよ」

 さすがにアレスはプシュケに軽く拳骨を食らわせた。


「ヘルメスは、古代の情報を豊富に持っている」とディカイオは言った。「そしてその様々な情報を、私たち現代人に伝えてくれた。得られた情報をもとに、私のご先祖様たちは、ミネルウェンを発展させてきた。ヘルメスは、ミネルウェン発展の陰の立役者なのだ」


 他に類を見ないミネルウェンの豊かさには、ヘルメスの尽力が関わっていたのか。


「私はある時、ヘルメスの口から興味深い話を聞いた。大昔のとある文化についてだ。千年前の王朝は、知ってのとおり〈イリニア朝〉と呼ばれていた」


 知ってのとおりと言われたけど、アレスは初耳だった。でも「むろん知っています」って顔をしておいた。


「〈イリニア朝〉は世襲制で、必ず女王が国を治めていた。そして、女王の戴冠式の中で行われる儀式の一つに、『印の証明』というものがあったそうだ」

 

 印の証明?


「代々〈イリニア朝〉を治めていた王族、いわゆる『イリニアの血族』。その正統な跡継ぎであることを証明するための儀式なのだそうだ。新しい女王が、民衆の前で裸になり、体の『印』を見せるのだという」


「ええ! みんなに裸見せるの? ぜったい恥ずかしいよそれ!」

 

 ふだんアレスの前で平気で裸になるプシュケも、さすがに大勢の前では恥じらうだろうなとアレスはぼんやり考えた。


「それでだね、プシュケちゃん。少々不躾ぶしつけな質問をしてしまうのだが、許してほしい」


「どんとこい!」

 プシュケはなぜか誇らしそうに胸を張って言った。


「アレスくんから聞いたのだけど、プシュケちゃんの背中には十字の痣があるのだよね?」


「おい~! アレスゥ~!」

 プシュケはたははっとおっさんくさい笑い方をして、アレスの腹をどすどす殴った。

「レディの体の秘密を勝手に喋るとか、お前には鬼のマナー講座が必要かコラァ?」


 言われてみれば、たしかにマナー違反だなとアレスは反省した。


「プシュケちゃん。お母様にも同じ痣があったとも聞いたけど、本当かな?」


「うーんとね、ぼんやりと、そんな記憶はあるよ。お母さんの顔も声も覚えてないのに、痣のことだけは、ちょっぴり記憶にあるんだよね~。気のせいかもしんないけど!」


「プシュケちゃん。これまた不躾なお願いになってしまうのだが、ヘルメスにその痣を見せてあげてくれないかな?」


「たははっ!」

 このおっさんくさい笑い方が気に入ったのか、プシュケは自分の額をぺちんと叩いてのけ反って笑った。

「いいよ!」


「ありがとう。もちろん私とアレスくんは退室するよ」


「その必要はないと思いますよ」とアレスは言った。「プシュケはふだん平気で脱ぎますから。たぶんこのメンツなら少しも恥じらわないかと」


「まあねー!」

 なぜかプシュケは誇らしげだ。


「……私的には、そういうわけにもいかなくてね」

 ディカイオは困り顔だ。


「ディカイオ紳士~!」

 

 プシュケがひゅーと口笛を吹いて茶化す。相手が王様だと分かっているのか。他国の王様にこんなナメた態度をとったらまず間違いなく投獄される。


「ヘルメス」

 ディカイオはヘルメスに視線を落とす。

「プシュケちゃんの背中の痣を見て、それがイリニアの血族の『印』かどうかを判別することはできるかい?」


「約80%の精度で可能かと思われます。僕のメモリには、歴代のイリニア女王全ての『印』の情報がインプットされています。それらのパターンをもとに、プシュケさんの『印』の真贋を判別します」


「ちょ、ちょっと待ってください!」

 アレスは思わず会話を遮った。

「プシュケの痣がイリニアの血族の『印』って、それでは、ディカイオさんはプシュケがイリニアの血を引く者だとお考えなのですか?」


「可能性は低いが、ありえると思っているよ。そうだよね、ヘルメス?」


「はい。イリニアの血族にあらわれる『印』は、十字の痣です。イリニアの血族――ただし女系に限ります――は、遺伝と魂の性質により、体のどこかにその痣が発現するのです」


 そりゃあ、確かにプシュケの背中の痣は十字の形をしているけど……。


「ちなみに、〈イリニア朝〉の王族は、その痣を十字ではなく『星の煌めき』のようだと形容していました。通称は〈星の痣〉でした」

 

 アレスは、プシュケの綺麗な背中を思い返した。そこにぽつんとある、痣……。十字だとばかり思っていたけど、言われてみると、確かに十字にしては少々曲線が滑らかすぎる。夜空で輝く星が放つ、あの光の模様のほうがより近い形状かもしれない。


「……ありえませんよ」

 アレスは苦笑いする。

「だって、イリニアの血族ということは、えっと、プシュケは王の血を引く者ということになるんですよね? お姫様ということですよね? そんな、まさか……。人前で平気でおならする娘ですよ?」


「人前じゃしてねぇよ!」

 プシュケは肩をいからせて怒鳴る。

「したかもしんないけど!」


 そもそも〈世界大戦〉で世界の人口の98%が死に絶えたといわれているのだ。〈イリニア朝〉だって崩壊した。とっくに血が途絶えている可能性が濃厚だ。

 なのに、イリニアの血族が現代に生きているというのみならず、なんとその人物こそがプシュケなのだと言われても、とてもじゃないけど信じることはできない。


「もちろん、私も確信をもっているわけではない」

 ディカイオは諭すように優しい口調で言った。

「それでも、確かめなくては気が済まない。それが、私の性分なのだ」


「あたしと同じ!」

 プシュケがにっと綺麗な歯を見せて笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る