アステル
二人を乗せた馬が、ぱかっぱかっと軽快なリズムを奏でながら大通りを駆け抜ける。
「グールマンの正体がアステルだなんて、僕には信じられない」
馬の手綱を握るニケが言った。
「西門へ行けば全てがはっきりしますよ」
ニケの腰に後ろから手を回し、ほとんど抱き着くような格好でアレスは言った。
安息日とはいえ、南エリアは人出が多い。そのためスピードを抑えながら馬を走らせる必要があった。しかし西エリア(工場地帯)に入ると、人っ子ひとり見当たらなくなった。
ニケは馬のお腹をポンと蹴り、ぐんぐんと加速させた。
アレスは振り落とされないようにするため、より強くニケの背中に抱き着いた。
「プシュケの推理どおりですね」とアレスは言った。「こんなガラガラなら、誰かに目撃されることはありません。堂々と、ソピアさんを西門に運ぶことができます」
プシュケの推理は、こうだった――。
『――ニケはこの前、教えてくれたよな? 西エリアの工場地帯は民家がないから、通勤のない安息日は人が全然いないってさ。それこそが、グールマンが犯行をあえて安息日に行う理由なんだ。誰にも目撃されないで安全に子供を門まで運ぶことができるからな。そんでもうひとつ、安息日にこだわる理由がある。それは門番の人数だ。さっき、安息日は門番が一人体制だって話が出たよな。つまりさ、安息日に西門には、グールマンであるアステルだけになるんだ。門番だったら、門を開けて、少しのあいだ外に出ることができる。誘拐した子供を仲間に引き渡した後は、すぐ戻って何事もなかったかのように仕事を続ける。これで、犯行は成し遂げられるってわけだ』
憲兵を心から信頼しているニケにとっては、その推理は受け入れがたいものだろう。それでも彼女は、プシュケの言葉をひとまず受け止めてくれた。
十字路を曲がると、巨大な鉄扉が見えた。西門だ。
「誰かいます!」とアレスは叫んだ。「馬車もありますよ!」
「ああ、もう! まさか本当にっ!」
ニケは悲鳴に似た声をあげる。
「何もかもっ、プシュケちゃんの推理どおりってわけかいっ!」
鉄扉は細く開いており、今まさに馬車がそこを通り抜けようとしている。
「プシュケちゃんたちがお父様に事情を話して、増援が送られてくるまでには時間がかかる! いざとなったら、僕たち二人でグールマンとやり合うことになる! 覚悟はいい?」
「覚悟など、とっくに決まっていますよ!」
「いいぞ少年、更に心強い!」
二人を乗せた馬は西門に向かって、ところどころ街路樹が生えた道を最大スピードで駆け抜ける。
「そこのお前っ、とまれぇぇぇ!」
ニケが叫んだ。
馬を引いていた何者かが、こちらに気づいて振り返った。漆黒のマントを着た大男だ。
ニケは上体を後ろに倒し、手綱を引いて、馬に停止の合図を出した。
馬が完全に停止するより早く、アレスは地面に飛び降りていた。そして鞘から〈太陽の剣〉を抜く。すでに太陽光のチャージは完了しており、刀身がみるみる橙色に染まっていく。触れたものを焼き切る、灼熱の剣と化す!
アレスは大男に突進していき、斬りかかった。
背後でニケが「待って!」と叫んだのが聞こえたけど、無視した。剣と剣が交わり、激しい火花が散った。
「今度こそ真っ二つにしてあげますよ!」
アレスは、押し付けられる刃を背後に受け流した。
「!」
大男は前のめりにバランスを崩し、アレスに背後をとられる形になった。
アレスは一抹の躊躇もなく、下段で構えていた剣を振り上げた。
しかし大男はその攻撃を予期していた。前のめりにバランスを崩した際、咄嗟につま先で地面を蹴り、前方に大きく飛び込んでいたのだ。
そのせいで、アレスの剣は大男の体に届かなかった。切っ先がマントの丈をかすっただけだった。
かすっただけでもマントの丈には火が点いた。めらめらと炎上する。大男は忌々しそうに舌打ちすると乱暴にマントを脱ぎ捨てた。
フードで隠れていた顔が白日の下に晒された。鋭い目がアレスをキッと睨みつける。大男の鼻筋の上には横一文字の傷跡がある。昨夜見た通りだ。
「最期に元気そうなツラを見られて嬉しかったですよ、傷が素敵なオジサマ。それでは、さようなら!」
アレスは、大男に再び斬りかかった。
しかし、二人の間にニケが割り込んできて、両手を広げてアレスを睨んだ。大男をかばっているようだ。
アレスは止まらざるを得なかった。
「なんのマネです!? どいてくださいニケさん!」
「めっ!」
ニケは、アレスに渾身のデコピンを食らわせてきた。
あまりの痛みに、アレスは「ぐああ!」と悶絶せざるを得なかった。
「話も聞かないでいきなり斬りかかるなんてダメでしょ! 相手が誰であろうと、まずは話し合う! ……こら、なんだいその反抗的な目は! もう一発ほしい?」
ニケは、右手でデコピンの発射準備を整えた。
「す、すみません……」
デコピンに恐怖し、アレスは思わず引き下がる。
「まったく、まるで野獣だよ、君は」
「申し訳ありません……。昨夜痛い目に遭わされたので、仕返ししたかったのです」
「殴られたら殴り返すの精神は、より大きい災いを呼び込むだけなんよ。アレスくん、ここは一旦、僕に任せてほしい」
「……承知しました」
アレスはこくりと頷くと、剣を下した。
「偉いぞ、少年」
ニケはアレスの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でたあと、大男と向き合った。
「アステル。君に説明を命ずる」
大男の正体は、やはりアステルだったようだ。あえて安息日に西門の門番を買って出る、風変わりな憲兵。
「……ニケ様。私は……」
アステルは、にわかに子犬のように弱々しい表情になる。ニケを前にすると、誰もが毒気を抜かれてしまうようだ。
「何か事情があるのだろう? 話してみてくれ」
「私は……」
アステルは「私は」を繰り返すだけで、一向に話を始めようとしない。
「きっと何かの間違いだろう? アステル、君がマジメで、誠実で、強くて、清らかな心の持ち主であることを、僕は知っているぞ」
「……」
「君はグールマンではない。西門を無断で出ようとしていたのには、何か別のやむを得ない事情があったのだろう?」
「……」
「アステル。君の無実を証明しよう」と言ってから、ニケは流し目をアレスに送った。「アレスくん。荷台の中を確かめてくれないかい?」
言われたとおり、アレスは早足で、西門前の馬車に向かった。馬車の荷台には、灰色の大きな布が被せてある。アレスはそれを掴むと、勢いよく取り払った。そしてハッと息をのんだ。
「アレスくん? どうした? 変わったものは何もなかっただろう?」
「……来てください、ニケさん」
ニケは駆け寄ってきて荷台を見下ろした。「ほらね、見なよ、荷台には何も、ない、から……!」
ニケの言葉は先細っていき、最後にピリオド代わりに「ひっ……!」と悲鳴を漏らした。
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