叫び
窓から差し込む光の筋が、部屋を舞う細かい埃を浮かび上がらせている。
ここは、どこだ……? ずいぶんと寂しい部屋だ。テーブルと椅子がたくさん並んでいるのに、そこに誰かが座って飲み食いする様子はとても想像できない。人にも時間にも見捨てられた場所なのだろう。
「プシュケ……?」
アレスは気づいた。自分の隣で、プシュケが背を向ける格好で寝ていることに。彼女の腕と足は、荒縄で縛られている。
「……ああ!」
アレスは昨夜の出来事を思い出して思わず叫び、立ち上がろうとした。でもそれは無理だった。プシュケと同じように、彼も両手両足が縄で縛られているからだ。
「プシュケ、起きてください!」
アレスは虫のように這って、プシュケに近寄った。そして体をこすりつけながら、何度も「起きてください!」と叫んだ。
やがて、プシュケは「うーん……」とうめき声をあげてくれた。
「朝ですよー! 起きてくださいおチビさん!」
「……うっさいなあ」
プシュケは不機嫌丸出しでもぞもぞする。しかし両手両足を縛られているので上手にもぞもぞできない。無様にもぞもぞする。
「……は? なんだこれ?」
プシュケは身体をゆっくり回転させて、アレスと向き合う体勢になった。
「……これさ、どういうことだよ?」
自分が無様に縛られていることを理解したプシュケは、嫌悪感丸出しで言った。
「アレス、お前はとんでもない変態だな。抵抗できない相手を一方的にイジメるのが趣味なのか?」
「見て分かりませんか? 俺も縛られているんです」
「自分のことも縛ったってことか……? より一層変態性が高いぞ!」
「あなた頭湧いておられるのですか? 襲われたんですよ、俺たち二人とも。〈希望の家〉の子供を追っている最中に!」
「……あ! な、なるほど……」
「あなたは後頭部を殴られて気絶したんです。まだ痛みますか?」
「言われてみると痛てぇな確かに」
「ひとまず、ここから出ないといけません。急がないとソピアさんが連れ去られてしまいます。俺、聞いたんですよ。〈平和の壁〉の門が開く時間になったら犯人が国の外に出ると。そして誰だか知りませんが、とにかく誰かにソピアさんを引き渡すと」
「そんな……」
プシュケは表情を凍らせる。
「アレス、立ち上がれそうか?」
「無理です。まずは手足の縄を切る方法を考えないと」
「〈太陽の剣〉はどこだ?」
「俺たちを襲った大男が持ち去っていなければ、外に落ちているはずです」
「いずれにせよ外に出ないと始まらないってわけかよ」
「そういうことです」
アレスは床を這って、外に出る扉へ向かった。
「窓の外に酩酊亭の看板が見える」
プシュケが窓を見上げて言った。
「あたしたちが今いるのは酩酊亭で間違いなさそうだぜ。昨夜、ソピアたちはここに入るとき扉を引いてた。つまり扉は外から見て引き戸。アレス、体で思いっきり押せ!」
「はいはい仰せのままに!」
アレスは扉を思いっきり脳天で押した。しかしびくともしない。
「だめです、ぜんぜん開きません。外から錠をかけられたんですきっと!」
「もう助けを呼ぶしかねぇぜ!」
プシュケが悲鳴に似た声で言った。
「おーい! 誰かー!」
「誰かあああああああああ!」
アレスも声をあげる。
「おーーーーーーーーい!」
「おおおおおおおおおい!」
アレスとプシュケは叫び続けた。しかし一向に誰かがやってくる気配はない。このあたりは空き家だらけなので、滅多に人が通らないのだ。
「あたしと同じくらいの年の女の子が連れ去られて、ひどい目に遭うなんて、そんなの嫌だ……。そんなの間違ってるぜ!」
「俺も嫌です。そんなことをする連中がいるなんて、世の中狂っています。許してはいけません。だから叫び続けるんです。信じて叫び続けるんです。おおおおおおおおおおい!」
アレスは扉に頭をがんがん打ちつけながら叫んだ。
「おーーーーい! 誰かああああ!」
プシュケも壁に頭突きを繰り返す。
どすんっ……。
突如、外から鈍い音が聞こえた。
水を打ったように、アレスとプシュケはぴたりと叫ぶのをやめた。
どすん……。また音がした。
その音が、扉を外側から叩く音だと理解した瞬間、アレスとプシュケの絶叫は再燃した。
「中にいますよおおおおお!」
「助けてーーー! お願いだっ! 助けてくれないとうんこするぞーーー!」
がんっ……。がんっ……。音の調子が変わった。何か固い物で金属を殴りつける音だ。どうやら、扉の錠前を殴りつけているようだ。
やがて、がしゃんっと、錠前がポーチに落ちる音がして、扉が引き開けられた。
洪水のようにどっと押し寄せる外の光に、アレスは思わず目を瞑る。
「だ、大丈夫!?」
戸口には、純白のネグリジェドレスを着た少女が立っていた。寝間着のようだ。片手には大きなナイフが握られている。そのナイフの柄で、錠前を破壊してくれたらしい。
「あなたは……」
アレスは少女に見覚えがあった。以前、〈希望の家〉からエピオが消えたことを教えてくれた少女だ。
確か、名前はアリシャ。
「いったい、何が……?」
アリシャは、床に転がされたアレスとプシュケを交互に見て、愕然とした様子で言った。
「説明は後です! アリシャさん、縄をほどいて頂けませんか?」
「は、はい!」
アリシャはアレスの背後にしゃがみ込むと、縄をいじり始めた。
「だめ。結び目がきつすぎて、ほどけない。縄を切るしかないよ。動かないでね、怪我しちゃうから」
「分かりました。任せます」
アリシャはナイフの扱いに慣れているようで、危なげなく縄の切断をこなした。アレスの次はプシュケのもとへ移動し、彼女の縄の切断に取り掛かった。
「アリシャ。どうして、ここに来たんだ? さすがにあたしたちの叫び声が〈希望の家〉まで届くはずはないよな」
「実は私、昨夜、アンドレイとソピアの会話を聞いちゃったの。二人が夜抜け出して、酩酊亭の廃屋に行こうって話しているのを。私、前からアンドレイが怪しいと思ってた」
アリシャは経緯を説明しながら、縄の切断を続ける。
「だから私、昨日は徹夜で見張るって決めてた。〈希望の家〉の子は、男の子と女の子で別れて、大勢で一緒の部屋で眠るの。私はナイフを胸に抱えながら、ソピアのベッドをこっそり見てた。そしたら、みんなが寝た後、ソピアは寝室を出ていったの。私は後を追った。そしたら、倉庫の中にアンドレイと一緒に入っていくのが見えて……。憲兵さんたちが見回りをしているから、私もそばの空き部屋に隠れて、倉庫を見張ってた。でも、結局朝になるまで二人は出てこなかった。もしかしたら、アンドレイとソピアは恋人同士で、その、そういうことを隠れてしていたのかなって思った……。最初は酩酊亭に行ってしようとしてたけど、もう倉庫で済ませちゃうことにしたのかなって……」
プシュケの手の縄が切れた。続けてアリシャは、足の縄の切断に移った。
「管理官が朝食の鈴を鳴らしても、二人は倉庫から出てこなかった。私は嫌な予感がして、倉庫に飛び込んだの。そしたら誰もいなくて……。私はいても立ってもいられなくなって、酩酊亭に走ってきた。そしたら、お姉ちゃんとお兄ちゃんが縛られてて……」
「お姉ちゃん、か。ふむ、いい響きだぜ」
プシュケは見当違いの感想を述べた。見た目が幼い彼女は、ふだんは年下からも「お姉ちゃん」なんて呼んでもらえないので素直に嬉しいようだ。
会話にピリオドを打つように、プシュケの足を拘束する縄が切れ、ぷつんっと小気味良い音が宙に舞った。
「アリシャさんの推理は大当たりですよ」
アレスは言った。
「アンドレイってガキは……失礼、アンドレイくんは、グールマンとグルだったんですよ。俺は二人の会話を聞きました。奴らは、日が昇って〈平和の壁〉の門が通行できるようになったら、国の外に出ると言っていました。そして仲間にソピアさんを引き渡すと」
「そんなことさせない!」
アリシャは目を鋭くして怒鳴った。
「ソピアを助けなきゃ! 門の通行が許可されるまでは、まだあと一時間半ある! まだ間に合うよ!」
「ええ、俺たちで止めましょう。門へ急ぎましょう!」
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