希望の家と誘拐犯
「ここは〈希望の家〉さ。ご両親がいない孤児のための家なんよ。戦争孤児、グールにご両親を殺された子供、生後間もなくして死に別れた子供、それから捨て子もいるんだ。孤児たちは、12歳の誕生日まで、ここで暮らすことができるんよ」
一般的に、人間は12歳で魂が成熟するとされている。おそらく〈希望の家〉の12歳という年齢制限は、そういった理由からきているのだろう。魂にとっては、12歳が成人なのだ。
「孤児の暮らす場所かあ……」
プシュケが呟いた。
「ねえ、なんで塀で囲む必要があるんだ? なんか、これじゃあ孤児たちが悪者みたいじゃんか」
ニケは、はっとした表情になった。「……確かに、塀で囲むのは、あまりいいことではないのかもしれないね。何か別に、ここを守る手段はないだろうか……」
ニケの言葉は先細って、最後のほうはアレスたちの耳には入らなかった。
「ミネルウェンにはミネルウェンのやり方があるのですよ。ニケさんを困らせるようなことを言うんじゃありません」
アレスはプシュケの頭に優しく拳骨を食らわせて言った。それからニケを見た。「このお馬鹿さんの無礼をお許しください」
「ううん」
ニケは柔らかい笑みを唇に乗せて、それが落ちないようにするかのようにゆっくりと首を横に振った。
「プシュケちゃんは、心がすっごく清らかなんだね」
「およ。なんか褒められてる? よく分かんないけど、ありがとなっ!」
「買いかぶりすぎです。プシュケはただのアホです」
「んだとてめぇー!」
プシュケは両腕をぶんぶん振り回してアレスを抹殺しようとするが、額を指先で押さえられただけで止められてしまう。
「ナメてんじゃねぇぞ! あたしはアレスと違って読み書きができるんだぞぅ! 敬えコラ!」
事実、プシュケは読み書きができる秀才だ。好奇心が旺盛で本をよく読むので、かなりの物知りでもある。だけど全く敬う気になれないのは、その幼すぎる人格のせいだろう。
「敬え! 敬えコラ!」
プシュケはアレスのすねをがんがんと蹴り始める。
ほんと短気な娘だ。この娘に武力が具わっていなくて本当に良かったとアレスは思う。
喧嘩がいつものように自然に収まると、気を取り直して三人は散歩を再開した。
見るものすべてが、アレスとプシュケにとっては新鮮だった。楽しくて、時間は瞬く間に過ぎていった。太陽は中空を過ぎ、西へと落下を始めていた。
「そういえば」
アレスは言った。
「なぜミネルウェンは〈減らない国〉と呼ばれているのですか?」
「それはねえ」
ニケはよくぞ聞いてくれましたとばかりに表情を輝かせる。
「通りを歩いててさ、多いと思わなかったかい? 子供の数が」
言われてみれば、とアレスは思った。慢性的な食糧難と、子供の「モノ化」の影響で、今はどの国でも基本的に子供の数は少ない。産んでも育てられないし、育てられても高確率で売りに出されて、劣悪な環境で酷使されて命を落とすことが多い。にもかかわらず、ここミネルウェンでは子供の数が多い、ように見える。
「たしかに!」
プシュケがアレスの分の納得も肩代わりして言った。
「子供いっぱいだよね、ミネルウェンって! 何かすごい少子化対策でもしてるのか?」
「ふふふ」
ニケはわざとらしく高慢な微笑を浮かべる。
「シンプルな話さ。ただ単に、我が国は国民がみんな心優しいんだ。『みんなで子供を育てる』という意識が定着してるんよ」
きっと〈希望の家〉も、その優しい意識の礎石の上に自然と生まれたシステムなのだろうとアレスは思った。
しかしプシュケは今一つ納得できない様子だ。
「意識だけで、子供が尊重される国ができるもんなのか? あたしにはどうも浮世離れした話に聞こえるぜ?」
「こんな世の中だし、無理もない。でもね、ミネルウェンが証明だよ。人間はどこまでも残酷になれる生き物だけど、逆にどこまでも優しくなれる可能性だって秘めているのさ」
「そっかー!」
プシュケは目を輝かせる。意外と単純な娘なのだ。
「やっぱり、この国には平和の秘訣が散らばってるんだな! よーし、いっぱい学ぶぞぅ!」
「平和の秘訣。うん、そうだね。我が国には平和がある。犯罪発生率の低さも自慢のひとつなんよ」
今は乱世。小さな国が乱立して日夜戦いに明け暮れている。世界の情勢は当然生活水準にも影響を及ぼす。今までアレスたちが旅で立ち寄ってきた国々では、犯罪が横行していた。平和と聞いていた国でも、犯罪行為を目撃しない日はなかった。そう考えると、やはりここミネルウェンは常軌を逸している。もちろんいい意味で。
日が落ちると、三人はお城へ向かった。今日は、ディカイオに夕食に誘われているのだ。
「ニケ!」
城の前の広場を歩いている時、誰かが必死の形相で駆け寄ってきた。赤毛とそばかすが特徴的な、かわいらしい少女だ。十歳ちょっとに見える。
「アリシャ? どうしたの? もうお部屋にいないといけない時間でしょ?」
ニケはしゃがみ込んで、アリシャと呼ばれた少女と目線を合わせる。
「エピオが帰ってこないの……」
アリシャは伏し目がちに、そう答えた。
「エピオが……? 最後に見たのはいつ?」
「昨日の夜。おやすみって挨拶して別れて、お部屋に戻って寝て……。でも、朝ごはんの時、エピオは食堂に現れなくて、お部屋にもいなくて……」
「つまり、夜のうちに消えてしまったってわけだね?」
「うん……。今日も、エピオは帰ってこなかったの。だから、憲兵さんたちに捜してもらおうと思って、お願いしたの」
「お願いは聞いてもらえた?」
「うん。でも、『もう一日待ってみよう』って言われちゃった……。私、そんなに待てないもん! 〈グールマン〉にさらわれでもしたら、エピオは……」
「よし分かった」
ニケは手をぽんと叩く。
「お父様に頼んで捜索隊を出してもらうよ」
「ほんと? ありがとうニケ!」
アリシャは、ニケにぎゅっと抱き着いた。
「うん。だからアリシャは、お家に戻って夕ご飯を食べなさい」
アリシャは何度もお礼を言ったあと、立ち去っていった。
「あの、ニケさん。グールマンとはいったい?」
アレスは尋ねた。
「いま噂になってるんよ。子供をさらって、グールに食べさせる殺人鬼がいるって話がね」
「え……」
プシュケが表情を凍らせる。
「なんで、そんなひどいことを……?」
「分からない。そもそも実在するかも謎なんよ。でも、ここ半年のあいだ〈希望の家〉の子供が二人消えている。それは事実なんよ」
「もしかしてさ、さっきの話のエピオって子も……」
「お察しのとおりだよプシュケちゃん。エピオも〈希望の家〉で暮らしている孤児なんよ」
すると、さっきのアリシャという少女も〈希望の家〉で暮らす子供ということだろう。わずか半年のあいだに同じ家で暮らす仲間が何人も消えては、心配になるのは当然だ。
子供、それも〈希望の家〉という限定された範囲で被害が続いている。
アレスと、それから能天気なプシュケも、そこに人為的なものを感じずにはいられなかった。
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