第三章 同人的な、余りに同人的な

【プロフェッショナル(professional)】

 プロ。主に特定の分野において、技術が優れており、質の高いパフォーマンスを行うことができる人を指す言葉である。

 対義語となる言葉にはアマチュアがあり、これは特定の分野での活動を趣味の範囲にとどめる愛好家たちの事である。

 彼らの間には明確な線引きが必要であると私は思う。プロには高いパフォーマンスが要求されて然るべきであり、要求を満たせば報酬を求める権利がある。対してアマチュアにはプロ並みの高いパフォーマンスが要求されない代わりに、報酬を求めてはならない。こうした線引きがあってこそ、互いに互いのテリトリーを荒らさないで済むのである。

 しかし、もしアマチュアがプロ並みの仕事をしてしまったら、その分野に対してそれほど高い技術や専門知識が要求されなくなったら。

 不利益が生じるのはいつだってプロなのだ。




 記念すべき第一回部活動定例会議は、終始紛糾していた。

 まず第一に、私たちは同人誌の大まかな形式から決める必要があったのだが、そこから既に議場は荒れていた。

 漫画にするか、小説形式にするか、各々の合同誌形式をとるか、作品を一本に絞るか。

 互いの意見が共通する箇所、異なる箇所が衝突し合い、まるで噛み合わない歯車を潤滑油漬けにして無理矢理動かしているかのように空回りした状態が続いた。

 そのはず、この時は誰しも平安な精神状態とは言えなかった。冷静に物事を考える余裕もなかった。

「もう遅くなったことですし、あとは後日の自分に預けて今日のところはお風呂に入って寝ましょう」

 結局この会議は、事実上の顧問による閉会の言葉でしめられた。


 帰宅部である私は普段、こんなに遅くまで学校に残ることはなかったので、夕焼け空の下セーラー服のまま友達に囲まれて帰路につくのがひとつの憧れだった。

「こうして太宰先生といっしょに帰るのも久々ですね」

「そうだね、初めてだね」

 最終下校時刻を過ぎた学校の通学路、運動部の生徒も三十分前には帰宅しており、私たち以外の人間がいなくなった、住宅街と田んぼに挟まれた田舎道を、三人で空を見上げながら歩く。

 田舎特有の広々とした景色がゆったりと動いてゆき、まるで私たちの周りだけ時間の流れが遅くなったかのように錯覚してしまう。

 真っ赤に染まる西の空、既に夜の色を見せる東の空、赤紫にグラデーションする頭上の空を見渡し、香澄がつぶやく。

「明日は雨が降りそうですね」

 暗くなった東の空で、ようやく光り出した宵の明星を見つめながら、さくら先生がつぶやく。

「そうじゃな、朝の降水確率が六十パー前後じゃった。明日の朝は気圧で頭痛くなりそうだから、遅刻確定じゃな」

 薄っすら夕日の色が残る西の空で、点滅を繰り返しながらジグザグに移動する光を見つめながら、私がつぶやく。

「ね、ねえ、あれ何?ねぇ、ねえってば!あ、消えた」

 賑やかな帰り道、いつも同じ道を通っているはずなのに、今日はなんだか、いつもと景色が違って見えた。

「ところで、ふたりの家はどのあたりなんじゃ?」

「私は大通りのマックの方ですね」

「私はヨーカドーのあたり」

「なんじゃ、皆バラバラか。オートバックスのところじゃ」

 とか何とか言っているうち、気が付けば大通りに出ていた。

「じゃあ私は向こうの方なので、曲がり角から飛び出してくる通行人等にお気をつけて」

「我もここで失礼するぞ」

 二人に手を振り、家の方向へ向くと、途端にいつもの孤独に戻った。大通りで車通りも多く、先ほどの通学路より騒がしいはずなのに、一気に静かになったように錯覚した。

 思えば、誰かと面と向かってこんなに話したの、何年ぶりだろう。休職中ののどちんこを、たんまりぶるぶるさせたせいで、すっかり喉がからから。私は水を求めて、家路を急いだ。

「だっ!?」「いでっ!」

 曲がり角に差し掛かったところである。一時停止の標識と住宅のブロック塀のわずかな隙間から、何かが飛び出してきたかと思うと、瞬時に視界からフェードアウトして同時、肩甲骨に強い衝撃が走った。

「わ、わりい。大丈夫か?」

「いてて、あ、すみま・・・」

「あれ、もしかしなくても原当麻さん?」

 どこか聞き覚えのある男子の声が頭上から聞こえてきたので、思わず顔を上げる。

 ひたいのそばに添えられた、男子特有の大きな手。さらに見上げると、そこには同じクラスの田中幸次たなかこうじくんがいた。

 彼とは転校後の小学校から同じだが、今までよく話したことがなかった。

「わりぃ、急いでたもんで」

「大丈夫、ありがと」

 彼に手をとってもらい、そのまま引き上げてもらった。

「なにか急用?」

「いや、実は家の中に鍵を忘れちって、漏れそうだからコンビニに駆け込もうと」

 思ったより急を要する要件だった。ちなみに近くのコンビニはそのまままっすぐ走って十分はかかる。

「私の家、あと五分くらいだから、貸そうか?」

「いや、そんな、悪いって」

「大丈夫、ちゃんと洋式だから」

「そういうのじゃなくて、ほら、ビッグ便の方だし」

「ウォシュレットならついてるよ」

「痔じゃないからそこはいいんだよ!」

 彼が私の自宅のトイレを借りるのを頑なに拒むので、私は彼の左手首を強引につかんで引っ張った。

 すごく歩きづらそうにしていたが、大通りの途中で粗相を犯されるよりかはましである。ここで彼を見捨て、彼が一生分のくそっ恥を背負うことになってしまっては、私の気が収まらない。

 母は珍しく出勤日、今日は家には誰もいない。

「うぁっ、でけぇ!」

 私の家を見た彼の第一声である。周りの家よりかは少し敷地は広いけど、決して豪邸というわけではなく、どこにでもある一般住宅である。

「ほんとにいいのか?親御さんは?」

「まだ帰ってきてないよ。それよりそろそろまずいんじゃ「お借りします!」」

 玄関を開けてやると、彼はそのまますごい勢いで家の中を駆け抜けていった。・・・かと思えば、再び戻ってきた。

「トイレどこ?」



「な、なんかすまんな、いろいろ」

「だ、大丈夫よ」

 ─沈黙。

「な、なあ。さっき、UFOみたか?」

「み、みたよ」

 ─沈黙。


 ドア一枚隔ててなされる、女子中学生と男子中学生の会話には、一口に男女の境界線とは言い表し難い、どこに地雷が埋まっているかわからない草原地帯を歩いていくような慎重さが求められた。

 知っている。誰かのトイレを待っている間、トイレの個室の中にいる待ち人と無理にでも会話しなければならないなどというルールやマナーは特に存在しない事くらいわかっている。だが、ここが自宅とは思えないくらい、どんよりと重たい空気が流れているリビングに、会話なしにあと何分いられるだろうか。

 知っている。これは男女ともに起こり得る生理現象であることくらいわかっている。これは歴とした緊急避難だ。しかし、私は彼を自宅のトイレに招き入れて初めて気が付いた。自宅のトイレは、状況に応じて見え方が変化する多面体であることに。

 私からしてみれば、何の変哲もない見慣れた自宅のトイレだが、彼にしてみれば、ここはクラスの女子のトイレ。彼にとってこのトイレは、紛れもなく女子トイレであり、私は男子を躊躇なく女子トイレに招き入れる貞操観念の薄い女と間違いなく思われている。

 なんということをしてしまったのだろう。

 私はふと考えた。現状このトイレは、ドアという障害物によって空間的に分節されている。このドアによって、一人の男子が個室に閉じ込められているという事実が、事態をややこしくしているのだ。いっそのこと、この障害物を取り払い、リビングとの連続空間にしてしまえば何を考えている。

 ただでさえ彼は、心もとない木製の板一枚に自分の貞操が委ねられ、不安に晒されているというのに。この板の先に、ひとりの男子中学生が他人には見せられないような姿で存在しているというだけで、ほんの一足踏み出せば人間として転落しそうな、好奇心風が吹き荒れる倫理的岸壁のふちに立たされているような気分になる。


・・・ガラガラ


 トイレのドアが開かれた。私から目線を逸らす為、やや俯き気味の彼が出てくる。

「あ、ありがとな。わりぃ、ちと臭うかも」

「い、いいよぜんぜん。・・・・うんちは臭いものだし」

「・・・・」「・・・・」

「・・・洗面台、貸してくれるか?」

「あ、うん、あそこにあるから」

 ああ、今すぐにでも地面に埋まりたい。地の底までのめり込んでブラジルに亡命したい。

「じゃ、じゃあ、帰るわ。ほんとにありがとな」

「う、うん、気をつけて」

 私は玄関を出て、彼を見送ろうとした。その時。

「あら、太宰先生と・・・田中さん」

 偶然近くを通りかかった香澄に見られてしまった。よりによって、知人に目撃されてしまった。

 なぜ!?今さっき彼女は家に帰ったはずなのに!いや、私服に着替えているところを見るに、彼女は既に家に帰った後だ。光の速さで。

 いけない、ここで誤解されてしまっては、私たちの社会的地位と名誉と進路に関わる。

「ち、違うの香澄、これはね・・・」

「田中さん、ズボンのチャック、開いたままです」

 その瞬間、今まで周囲を取り囲んでいた、生暖かくどんよりとした重たい空気が、四月の夕暮れ時の冷たい空気に様変わりして、私の背中をすっと撫でた。



 部屋のパソコンを立ち上げる。マイク付きのヘッドホンを装着し、マウスを操作する。

「久しぶり太宰さん」

「ご無沙汰です太宰さん」

「・・・お久しぶりです、相当カッカさん、シンクロニシチさん」

 画面越しに音声だけ通している相手は、相当カッカ氏と、シンクロニシチ氏。ツイッターで知り合った方々で、それぞれ大学生、専門生。進学したばかりの一年だ。

 実際に会って確認したことはないが、彼らの声が変声期を終えたばかりの独特な低音であることはマイク越しにも伝わり、言動にもやや幼さが残っている。

「声に元気がないけど、なにやらかした?」

「どうして私がやらかした前提かな!やらかしたのはやらかしたんだけど」

 彼らとは週に一、二回ほどのペースで接続している。互いに近況報告をしあったり、他愛もない話をしあったり。放課後の特に何でもない時間に、こうして他人と話している。他人と接する機会が人見知りな性格により阻害され、他人との交流経験が浅い私にとって、こうした何でもない会話のひとつひとつが貴重な訓練になる。

 ポロンという機械音とともに、もうひとり、新たに加わった。

「でえええええええええん!サィユ~ズニェ~ルシェ~ムィ~」

 早速音割れを生じさせるほど大音量で、独特な音程とそれっぽい発音の亡国国歌を己の口から垂れ流す彼に、一同顔をしかめる。

「るせえ赤の他人!」

 彼の名はソロホーズ、通称赤の他人。革命的厨二病患者である。

 彼らは各々同人サークルに所属しており、適当なイベントに自作の同人誌を並べる同人である。

 ちなみに相当カッカ氏とソロホーズ氏は廃退プロパガンダというミリタリーサークルに、シンクロニシチ氏は参天堂という創作ゲームサークルに所属している。

「いやあさ、不可抗力により今日から部活動をすることになってさ、そこで同人誌を作る羽目になってしまったんだけれどね」

「な、なんだお前、同人誌作るんか?」

「ほう、貴君も我が同志となるのか」

「いいねえ、いいねえ、納期ぎりぎりのスリルをとことん味わうがいい」

「それがさ、一か月以内に、入稿できる状態とまではいかないんだけれど、ある程度形にしないといけないような状況でさ、だいぶしんどいと思うんだけど」

 マイクが急に静かになった。

「いや、余裕じゃね?大変なのは入稿直前の作業だよ」

「貴君らが何を作ろうとしているかはわからんが、同人誌作成は生産体制と効率が重要。予め事業計画を立てておく必要があるな。特に、現実的な質と量で取り組まねば不均衡さが重なって後に負担が大きくなるぞ」

「うちはゲームしか作らんから入稿云々詳しいことはわからんけど、周り見てると個人サークルは入稿一週間前に慌ててるイメージ」

 彼らの話を聞く限り、非現実的というわけではなさそうだ。無論、当人の実力にもよるが、やるだけやってみることにしようと思えた。ひとまず、本日投稿予定の話をワープロに書き写す作業に取り掛かるとしよう。




 どうやら私の所属する文芸部には、朝活動というのがあるらしく、私は母に学校の用事があるからと告げ、七時過ぎくらいに家を出た。

 小雨が降っていた。道路に水玉模様を作る程度の、傘をさすかも迷うほど弱い雨だったが、ここのところ路上でのトラブルが多い私は、一層注意して学校へ向かう。

「原当麻さん?」

 背後から声が聞こえた。振り返ると、野球部のユニフォームの姿の彼がいた。

「田中さん」

「幸次でいいよ。昨日はトイレ、ありがとね」

「あ、うん。私のことも里美でいいよ」

「え?でも、昨日小野さんが太宰先生って」「あーあー気にしないで!」

 彼は野球部の朝練で学校へ向かうところだ。目的地が同じなので、必然的に同じ方向へ歩くことになる。前後で若干距離を開けて歩くのも、折角挨拶をしてくれた彼に対して申し訳ないような気がして、一応は彼と並列に歩いているが、なんか、凄く恥ずかしい。

 早朝なので大通りとて人通りは少ないのだが、やっぱり、凄く、恥ずかしい。

 ふと昨日の私自身の行動が脳裏をよぎる。彼の手を握って走り、自宅まで引き入れたって、もしかしなくても、相当まずいのではなかろうか。途端に頬がカッと熱くなり、胸が焼けたように痛くなった。

「と、ところでさあ、里美はなんでこんな朝早くに学校?確か、部活、入ってなかったよね」

「あ、うん、今までは入っていなかったんだけれど、昨日からちょっとね」

「へぇ、何部に入ったの?」

「・・・・ぶ、文芸部」

「・・・・なんて?」

「文芸部」

 彼は何か考え込むようにこめかみを押さえた。

「そんな部があったかな」

 やはり予想通りの反応である。ややこしい状態のこの部を、彼にどのように説明すれば良いのだろうか。

「いや、気が付かなかっただけか。俺もつい最近、この学校に水泳部があることを知ったばかりだし」

 水泳部、私もその存在を今初めて聞いた。第一、私の学校にはプールが無いのに、どこで泳ぐのだろうか。


 ほどなくして学校へ着いた。なんだかんだ、学校に着くまでの間、彼と話し込んでしまった。私の喉は朝から限界を迎えそうだった。

 厄介な噂が立たぬよう、互いに気を使って校門が見える前から別れ、私は部室へと向かった。

 ドアには鍵がかかっていたが、ドアノブを回すと直ぐに内側から鍵が開けられた。

 管理人こと、桜井先生が昨日と同様の、すこぶる教育に悪い格好をしたままドアから出てきた。

「おはようございます、まだ誰も来ていません」

「お、おはようございます先生、まさか、昨晩からずっとそこへ?」

「いいえ、とんでもない。昨晩はしっかりと自宅に帰って風呂とご飯を食べてきましたから」

 流石にその通りだとは思うが、昨日部室の床に寝転んでいる衝撃的な光景を目撃してしまったため、彼女ならやりかねないと思ってしまった。

「一足遅かったですね」

 直後に香澄が部室に入ってきた。彼女の背後にさくら先生の姿は見当たらない。

「彼女でしたら、天気の悪い日の朝に弱いため、欠席の連絡をいただいています」

 香澄はカバンを椅子に掛けると、ホワイトボードをテーブルの正面の見やすい位置に設置した。

「本日は太宰先生に、今後の予定をざっくり説明いたします」

 そう言うと、香澄は手帳を片手に、マッキーペンでホワイトボードに日付と予定を書きだした。席に着き、その様子をぼんやり眺めていると、雨で濡れたままの革靴越しに、温かく柔らかい、ずっしりとした毛玉のようなものがすり寄ってくる感触があった。

 テーブルの下を覗いてみると、リゼルくんがすりすりと足に頬ずりしていた。

「おはよ、リゼルくん」

 すると、彼はテーブルと私の膝のわずかな隙間に器用に飛び入り、私の膝に乗ってきた。頭から尻尾へ、彼の液体のように柔らかな背中を一思いに撫でてやると、気持ちよさそうに喉をごろごろと鳴らしていた。

「そういえば、リゼルくんは夜の間どこにいるんですか?」

 管理人に尋ねた。

「夜は私の自宅にお引越しです」

 ということは、管理人は毎朝、リゼルくんを抱えながら出勤していることになる。学校の他の職員にばれでもしたら、最悪彼女は何かしらの処分が下るかもしれないのに、なぜわざわざ学校に連れてくるのかと尋ねると、

「彼は文芸部の一員なので、部の活動に参加する義務があります」

との返答が返ってきた。

 ほどなくして、香澄のマッキーペンを握る手が止まった。

「それでは、ご説明します」

 ホワイトボードには、香澄のかわいらしい丸みを帯びた文字列が横方向に刻まれていた。

「まず始め、今月末までに同人誌の内容を大まかに決定し、校長に発表いたします」

「はい」

「そして、来月十二日からは中間テストがありますので、テスト期間終了まで来月の部活動は休止いたします」

「はい」

「期間が開けましたら、たとえ校長の許可が得られなくても、本格的な作成に移ります」

「待て待て待て」

 中学生にとって最も重要なステータスのひとつといえる成績、そこに傷がついてしまっては困る、非常に困る。

『生活態度1:貴君は本校の掲げる教育理念に背き、本校の伝統に泥を塗り、あまつさえ不健全な出版物を公然流布したことで社会的秩序を乱しました。よって死刑』

 私は義務教育で留年したくない。

「御心配には及びません。もし許可が下りなかった場合、当校の部活動としてではなく、あくまで個人製作物として管理人やさくら先生のお力もお借りしながら配布いたすつもりです」

 ならば安心とはならないが、そこのところは管理人とさくら先生を信じることにしよう。

「六月ころになりますと、申し込んでおりました同人即売会の抽選結果が発表されます。当選であればそのまま入稿までの作業に移りますが、二十七日から期末テスト期間に入るため、十五日から活動を休止いたします。入稿の目安は七月の二十日ごろのつもりです。以降の予定は未定です」

 見た感じなかなか良心的な設計の予定表のように思える。

「基本的に火水木、週三日を予定しているつもりですが、部室は解放しています。与えられた作業を自宅に持ち帰り行うのも結構です。お休みのさいは部員のどなたかに伝えてくだされば結構です。あ、リゼルくん以外で」

 週休四日、もしかしたらこの文芸部なる部活動は、なかなかホワイトな穴場部活動かもしれない。部活動自体が校則の穴をすり抜けていることには目を瞑る。

 時刻は午前七時半過ぎくらいであったが、これにて朝の活動はお開きとなった。


 こんなにも朝早くに教室に来ることは、一年ちょっとの中学校生活のなかでは一度もなかった。曇り空の下の、誰もいない教室は朝とは思えないほど薄暗く、夕方のように肌寒い。

 カバンを自分の席に置き、椅子に座る。教室の電気をつけるのももったいない気がして、目が悪くなりそうだが暗い教室で持参した本を開いた。最近、なぜか今まであまり触れてこなかった学園青春ものにはまりだした。普段は本を開けばすぐにでも内容に没頭できるというのに、椅子の冷たさが不愉快で、おもむろに立ち上がり窓の外を眺めた。

 野球部とテニス部が、校庭を二分して朝の練習に励んでいる。ぼんやりと眺めていたはずなのに、球拾いをしている一人の野球部員に自然とピントがあった。その野球部員が田中君であるとわかると、何故だか途端に視線を逸らしたくなった。

「ええのお、この構図は画になるわ」

 誰もいないと思われていた教室内から、その声は聞こえた。

 驚いた私は、「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げ、後ろを振り返る。そこにいたのはさくら先生だった。

「小雨降りしきる春の空、運動部の男の子おのご駆け回るグラウンドを窓からひとり見下ろし、誰にも聞かれないことをいい事にこう呟くのじゃ。『あなたのこと、ずっとみているか「やめて!」

 私本人を目の前にしてなんという妄想をしてくれたのだこのエロマンガ先生。

「そんな名前の人知らぬ」

「何用で来たの?」

「別に用など無い。ただ暇じゃったから、ここに来た」

「香澄のところではなくて?」

「・・・・お主、プロとアマの違いを知っておるか?」

 隣にやってきて、私同様窓を眺めたかと思うと、唐突に話の舵がきられた。

「何をいきなり。ううん、プロ、アマ、そうね。責任かしら」

 プロ──プロフェッショナルは『それ』で生計を立てている人、つまり、『それ』を仕事としている人であり、仕事には責任が伴う。

 対して、アマ──アマチュアは『それ』を趣味の範囲で行っている人であり、『それ』はあくまで個人の趣味の範囲の物であるため、責任などというものは存在しない。

「では、ここにプロの書いた小説と、アマの書いた小説があったとしよう。この二つの小説、面白いと思われるものはどちらじゃ?」

「それは…、やっぱりプロの小説じゃないかしら」

「なぜそう思うた」

「なぜって、やっぱりプロの方が上手だから?」

 彼女は大きく頷く。

「そうじゃな、わらわも同意見じゃ。プロが書く小説は面白さがある程度保障されており、合う合わない個人差はあれど、責任が伴う分、技術はアマよりか上なのは確かじゃ。じゃが、お主が投稿しているインターネット小説とやら、小説の面白さは全く保障されていないというのに、そのサイトには、なぜこんなにもアクセス数があるのじゃ?」

「それはやっぱり無料で読めるから・・・ってか、私が投稿していること知っていたの?」

「そうじゃ、サイト利用者にとって、もっとも大きなメリットは無料であることじゃ。それほど面白くない小説であっても、多少のエンターテインメントがあれば気が済んでしまう、そんな連中が読むのがインターネット小説。しかしな、そんな連中であっても時間は大切なんじゃ。つまらない作品に時間を割いてはいられない」

「はあ」

 彼女は一方的に話を進める。

「面白さを求めていない彼らにつまらないと言われるのは癪だろうが、現実つまらん作品は読まれない、当たり前じゃがな。では彼らの言うつまらないとは何か」

「さあ」

「面白いとわかるまでに時間がかかる小説じゃ。いっただろう、彼らも時間は大切なんじゃ。今後面白くなるかもわからん小説に、時間を割いてはいられんのじゃ。そこで、お主の投稿している小説がなぜつまらんか、見てみよう」

「余計なお世話よ」

「まず、ストーリー構成はそこそこよくできていると思われる。完全ではないが、わらわが指摘するまでもなく自覚しておろう。これは訓練あるのみじゃ。じゃが、ストーリーはどうでもよい。大切なのは、展開。読んでみると、この小説には読者の望んだ展開が見当たらんし、今後も出てこなさそうじゃな」

「どういう事よ」

「例えば、BLだの百合だの、寝取られだの、、そうだな、流行りつつある異世界、魔法、性転換、それらの要素が一切含まれとらん」

「いやだってそれは」

「わかる、お主の描くこの物語にそれらの要素はノイズでしかならん。だから、この話はどこまで続いてもつまらんのじゃ。正確には、面白さに気づいてくれる読者がおらん」

 私が投稿したシリーズ小説は、話数を重ねるごとにアクセス数が減少しており、おそらくすべての話を通して読んでいる読者はいないだろう。彼女の言う通りかもしれない。

「ところで、自分で言うのもなんじゃが、なぜこのさのさくらの同人誌が多くの読者に支持されとるか、わかるか?」

 暫く無言で考えたが、答えらしき答えを出せなかった。

「答えは簡単、読者の望む展開を考え、それを軸にストーリーを肉付けしていくので、ストレスなく望んだ展開を楽しめるんじゃ。設定に粗があったり、矛盾があったり、登場人物の言動に脈絡がなくとも、好んだシチュエーションがしっかり用意されていれば、読者は満足してくれる。じゃが、これは小説としての面白さでもなんでもない」

 私は彼女の作品をいくつも、そして何度も読んだことがある。彼女の小説で最も魅力的な部分は、濡れ場で見せられる生々しい性描写にあったが、言われてみれば確かに、直接的な表現ではないものの、さして珍しくない表現の使いまわしであったし、私自身も好みのシチュエーション、予想される展開にばかり目が行き、物語性について深く考えることはしなかった。

「じゃがな、プロの小説家は読者の求める展開を詰め込み、さらにそこに小説としての面白さも盛り込んでしまう。わらわはどれだけ人気になろうと、所詮アマチュアの人間なんじゃ」

 所詮アマチュア。この時、彼女の言い放ったこの言葉が、電流の如く私の体内を駆け巡ったかのように錯覚した。

 プロの小説家に対しての敗北宣言ではない、彼女なりの、プロの小説家に対しての尊敬と謙遜をありたけ込めた言葉であろう。

「お主、プロとアマの違いは責任云々と言ったな。読者の期待に応えられず、自身の思う面白さ、イメージを優先させた小説に人は集まらん。小説のつまるつまらん、受ける受けないは読者の所為ではなく、著者の責任なのじゃ。プロアマ関係なく、読者に小説を開かせたからには、面白くなければならない。読まれている小説には、そういった責任感が感じられるのじゃ。わかる人にはわかるなどと責任を放棄させた作品には、面白さは伴わない」

 彼女の言葉ひとつひとつに、鉛の球が鉄鎖でぶら下がっているかのような重みをもち、私にぶつかってくるようだった。

「じゃがな、じゃが、これだけは言わせてくれ。お主の小説に、その責任感が無いわけではないのじゃ、決して」

 かと思えば、いきなり金槌で殴られたような気になった。

「よく研究されておる。表現技法、話の展開に何も工夫がのうわけじゃなくて、読者にありのまま見て感じ取った情景を伝えようとする意志が見られる。話の題材も、物語自体も決して悪いものではない。才能と技術が無いだけであって、素質は決して悪いわけじゃないのじゃ」

 一瞬けなされたようにも聞こえたが、彼女なりの誉め言葉として受け取っておく。

「・・・・香澄どのは、彼女は頑なに、わらわに物語を書かせようとはせんかった。しかしの、お主がこの部を訪れた途端、彼女の眼の色が確実に変化した。香澄どのは、お主の小説を高く買って出ている。わらわが持たぬお主の発想を、香澄どのはずっと欲しておったのじゃ」

 さくら先生は、私の方に向き直り、真剣な眼差しではっきりとそう言った。

「今回の同人誌は、文芸部復活後初の出版物となるかもしれぬ。香澄どのからの言伝じゃ、お主に・・・・太宰先生に、記念すべき今回の同人誌の、監修をしていただきたい」

 これは、香澄から私にされた、最初のお願いであった。

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