第一章 未知なる空間、魅惑的な遭遇

【小説(しょうせつ)】

 それは、思い描いた情景や物語を、散文形式で第三者に伝えようとする文芸の一種である。

 古くは国家君主に対する志や政治哲学を語る『大説』に対を成す、『あくまで個人的な主張を、大衆にも理解できるよう、簡明に記した書物』という意味の単語であった。

 時代と共に、小説の意味や意義は柔軟に変化し、印刷技術の発達とともに大衆の間に広がると、娯楽としての要素が強くなってくる。

 現代では明確な定義こそ存在しないものの、小説の概念は定着していると言え、大衆娯楽の一端を担い、また先人が築き上げてきた文芸の新たな在り方を模索する手段としての存在意義を求められる。

 逆に言えば、小説は時代の変遷とともに在り方を改められてきたとも言えるわけで、例えば、近代の小説は、純文学と大衆文学の大きく二つに分類されているが、現代に書かれている小説はその区別が曖昧なものとなっている。

 敢えてそのような区別を現代の小説につけるのだとしたら、私ならばこのように分ける。


 従来型文学と、ライトノベル。




 香澄と同じ中学に行きたいという理由で、母に懇願し公立中学に進学した私は、まず始めに部活動探しに勤しんだ。

 運動部に入部することは極力避けたかった私が最初に訪れたのは、PC部だった。

 こちら、仮入部の三十分後には、既に退部していた。

 顧問の先生に引率されて部室を訪れたら、中が動物園状態だったためだ。

 私は顧問の先生に無理矢理部室に押し込められ、回転椅子が宙を舞う中、おそらく部長と思われる恰幅の良い上級生が座っていたデスクに座らせられ、マウスを握らせられると、目の前の画面に表示されていたのは『のび太のバイオハザード』のメイン画面だった。


 残念なことにこの学校、文学部なる部が存在せず、他の文化部は、来年度には廃部が決定している写真部と、部員ゼロ名の科学部、真面目に活動していない天文学部、スパルタ練習で有名な強豪吹奏楽部と、その他は全て運動部だった。

 そのため、私を含め全校生徒の四割が帰宅部という、公立中学にあるまじき大変な事態となっていた。


 学校で得られない経験値を自ら得ようと思考をじゅんぐり巡らせた結果、私は中学生活を創作活動に捧げる事を誓った。

 読書経験豊富、これまで様々な感性に触れてきた私にとって、ストーリーを考えることそれ自体は造作もない作業だった。


 ── はずだったのだが


「お久しぶりですね、原さん」

 始業式を終えた、クラスメイトがてんでばらばらに彷徨っている教室の一角の窓側の席に一人座る私の元に、懐かしい形状をした影が近づいてきた。

「香澄、おひさ」

 二年生になった今、彼女と出会うのは実に一年ぶりである。

 というのも、一年次は他クラスだった彼女は、学校にいる間は岩のように動かず、下校時は光のように去るため、顔を合わせる機会が滅多になかったのだ。

「今年度は同じクラスの様だね。にしても、一年で結構身長伸びたんじゃない?」

 中学入学時はおおよそ私と同じくらいの身長だった彼女は、いつの間にか私より額一枚ほど高くなっていた。

「そういう貴方、この一年で何も変わっていませんね。外見的にも、内面的にも」

 さすが、彼女の洞察力は鋭い。

「見える?ほんとに変わっていないんだ。恐ろしいくらいに」

「私たちの間で何か変化があったならば、差し詰め、”文字がびっしりと書かれたノートが部屋の隅に放置された状態になった”といったところでしょうか?」

 話を書いたはいいものの、これを誰かに見せる気にはなれなかった。

 おかげで、長編物語が隙間なく詰め込まれた大学ノートが、部屋の隅に詰めあげられている状態なのだ。

 ところで、何故その惨状を彼女が知っているのだろうか。

「顔からだだ漏れています」

 せめて書かれてあって欲しい。

「思い切って新人賞に応募してみるといいですわ。”期待の新星”なんて持て囃されるやもしれませんぞ」

「冗談じゃない!極々平凡な中学生が書き留めた駄文を選考会なんかに提出したら、”期待の新星”どころか超新星爆発よ」

「その台詞は自分が超新星爆発するくらい成長して輝きつくしてから言いなさい」

 そう言うと、彼女は制服のスカートからごそごそと、ガラケーを取り出した。

「こちら最近息の根を止められたpixivモバイルであります。辛うじて小説のみ閲覧可能です」

 いわゆるケータイ小説だ。

 携帯電話から作品の執筆、投稿、閲覧をする小説の事を指し、素人による作品が大半を占める為、小説を投稿すること自体のハードルはかなり低いと言える。

 しかし、それについては私はあまり乗り気ではない。

 これらケータイ小説に多く見受けられる特徴として、情景描写や心象描写が少なく、従来の小説の形式を全く辿らない奇妙な文体で書かれている。

 私はどうもこれらを、小説として認めたくはないのだ。

「つまるところ、やたら改行したり口語と文語を取り混ぜたり、!?、アラビア数字や絵文字なんかを使用するのは従来の小説に感じられた文学的雰囲気をぶち壊すから嫌いってことかしら」

「そう簡単な文章にされると、まるで私がくだらない論争を招いている厄介評論家みたいに聞こえる」

「事実そうですわ」

 彼女の歯に衣着せぬ物言いに、私は少し戸惑った。

 私の一瞬の表情の変化を読み取ったかのように、彼女は両手を挙げて無抵抗の印を見せる。

「何も喧嘩を吹っ掛けるつもりはなくてよ。私は貴方に一つ、助言をしたくて」

「助言?」

「そう助言。アドバイス。貴方の書いた小説は問うまでもなく素人が書いたものですわ」

 なるほど、つまり私の小説も玄人が書いたものと比較すれば、単なるお遊戯に過ぎないという訳か。

「そのケータイ小説に投稿する事で、何か変わるのかしら」

 私の質問に、彼女は特に考える素振りを見せずに答えた。

「それは貴方次第ですわ」


 光の速度で帰る彼女を今日も見られず、致し方なしに一人寂しく家路についた私の頭の中は、二割の期待と八割の不安が渦巻いている。

 果たして、私のような素人が書いた小説など、世に出してよいものなのか。

 しっかりと、小説として読んでもらえるのだろうか。

 帰宅後、私は階段を駆け上がり、すっかり私の物になってしまった父のPCを立ち上げた。

 マウスを握る手が汗で湿るたび、近くのティッシュで拭う。

 pixivなるサイト、それから、小説家になろうなる自由に小説を投稿できるサイトに、自分のアカウントを作成した。

 ペンネームは、大きく影響を受けた文豪からその名をとって、『太宰 勇だざい いさむ』これでいく。

 ノートに書いた話の中から、最も自信のある作品を、編集画面より打ち込む。

 それは、私が小学生のころから、妄想に妄想を重ねて設定から登場人物から世界観を構築させた、まさに長年にわたる超大作であった。

 時は近未来、核戦争によって世界人口が1/200にまで減少し、生き残った民族同士での争いが絶えない中、世界平和と人類存続の為に全民族を統一しようとするカルト教団の教徒の奮闘を描いた物語である。

 太宰要素は皆無ながら、SFとしての滑り出しは我ながら完璧だったはず。

 この作品を投稿するか否か、ニ、三分ほど部屋をウロウロしながら考えた挙句、『投稿する』と書かれた箇所をマウスでクリックした。

 ついに私の文章がインターネットの不特定多数の人の目に触れる、そう考えただけで、画面に薄っすら移った自分の目が、まるで画面の向こう側の人間が覗いているように錯覚してしまい、速攻パソコンの電源を落とした。

 結果は明日に期待することとして、小説の事を忘れ、夜は普段通りに過ごした。



 翌朝の事である。

 昨日上げた小説が気になった私は、おそるおそる投稿したサイトを開いた。

 低評価がついていないだろうか、心ない感想は届いていないだろうか、ようこそと表示された青色の画面が、いつもより長く感じた。

 私はキーボードもまともに打てず、どこのだれかもわからぬ相手から身を隠すようにマウスを握る手だけを机の上に出し、ようやくページを開くことに成功した。

 果たして、どれほどの評価が来ているのが。

 小説家になろうでは、PV数 UA数 ブックマーク登録数 寄せられた感想 各種評価などを、pixivでは、PV数 いいね数 ブックマーク数を見ることが出来る。

 ここでPV(ページビュー数)とは、ユーザーがページを閲覧した回数を示した数字であり、UA数(ユニークアクセス数)とは、そのページを訪れた人数を、IPアドレスなどから個人を判別して、同じ人物が何度訪れても1としてカウントした数字である。


 結論から言うと、評価はされていなかった。

 おまけに、小説家になろうのほうでは、pvがおよそ30ほどあったのに対し、実際に一話目に目を通してくれた読者は僅か二人だけであった。

 pixivの方は、pvが5、ブックマークは双方0件。

 私の小説は、評価云々の前に、そもそもにして読まれなかったのだ。

 私は何を期待していたのか。

 投稿して一日も経っていない作品など、読まれなくて当然なのだ。

 一日にどれほどの小説が投稿されていると思っている。

 そうだ、私、焦ることはない。

 その内、その内読まれるのだ。

 そう言い続けて、一週間が経った。

 私の作品は、とうとう一話も読まれることはなかった。


「わかりやすく落ち込んでいますね、太宰先生」

 普段机から動かない少女香澄は、珍しく私の席へ冷やかしに来た。

「差し詰め、投稿した小説がなかなか読まれずに落ち込んでいるといったところでしょうか」

 また私の顔から何かがだだ漏れていたようだ。

「そこまでつまんないのかな。私の話」

「つまんない云々の話ではありませんよ。あなた、一話しか投稿していないじゃあないですか」

「一話だけじゃダメなの?」

「当たり前田のクラッカー。貴方は一日にどのくらいの小説が投稿されていると思っていますの?」

 彼女は私の目と鼻の先に、携帯の画面を突き付けた。

「この小説をみなさいの!」

 と言われても、顔と画面が近すぎて何も見えない。

「この小説、貴方と同じ日に投稿して、もう2000PV突破していますのよ!何故だと思います?」

「なぜ?…うーんと」

「タイムアップ!では答え。この小説は、既に三話出ています。貴方の小説は…なななんとっ!一話!たったの一話、三分の一です!なんという事でしょう…」

 彼女が携帯電話を顔から離すと、確かにPV数が2000となっている表が画面に映し出されていた。

「繰り返します。一日に一体いくつの小説が投稿されていると思っていますの?一話だけの小説なんて、あっという間に埋もれてしまって、読まれませんわ」

「暫く継続して投稿しろと?」

「そう、継続して投稿して、皆の目に触れて、初めて読者の興味を引く小説へとなるのですよ。一話だけの小説なんて、よほど有名な方が書いたものでない限り、道端の点字ブロックに捨てられたレシートのようなものですわ。折角人の目に留まっても、直ぐに風に流されてネットの海を漂う藻屑と化す」

 点字ブロックが道の端にあっても困りものだが、彼女の言うことはもっともだ。

 せっかく目立つところに置かれても、自らが目立たない紙切れでは意味がない。

 大量にばら撒くことによって、より多くの人の目に留まり、初めてなんの変哲もないレシートが小説であることに気づく人が現れる、つまりは読まれる小説になる。

「よくてよ?読まれない小説は小説ではありません。ただの活字の集合体。人によっては生まれ持つ恐怖症で嫌悪感を示すでしょう」

 幸い、私には一年分のスタックがあった。

 少なくとも、三か月間は投稿できるかもしれない。

 私は、三日に一話ほど、大事に大事に投稿し続けた。

 日に日にPV数が上がっていく。

 そして、各話のページを開いてくれる読者も現れ始めた。

 今まで私の中の妄想で止まっていた話が、こうしてグローバルな場所で展開され、人々の目に留まっていくのがたまらなくうれしく思い、新しく染みついてしまった、投稿した小説情報を確認する習慣は暫く抜けそうにない。


 投稿を始めてから三週間が過ぎたある日、私はとあることに気が付いた。

「あれ、二話以降が…」

 三週間の間に七話投稿し、うれしいことに目次を含めた小説全体のPVは200まで上がったのだが。

 各話のPVを見てみると、一話目のPVが20、二話目のPVが5、三話目が1、0、0、1、2。

 ピクシブの方はというと、35、18、14、13、6、5、5。

 明らかに二話目以降、

「誰も読んでなあああああい!」

 とうとう私の小説は、『つまらない』の烙印を押されてしまったのだ。


 学校への足取りは重かった。

 私の一年間は何だったのであろうか。

 こうなることがわかっていたのならば、早々に見切りをつけて、別の何か生産的な活動でも見つけてやろうかと思っていたのに。

 今からでも遅くはない、まずは学校の非営利組織に声をかけてボランティア活動に勤しみそれから…

「みぃー、みぃー」

 何やら、住宅街の十字路のカーブミラーの下に、見慣れない段ボールがあった。

 中からとてつもなく誘惑的な、鳴き声のような音が発せられているその箱に吸い寄せられるように近づいてしまった。

 その箱を開けた瞬間、きっと面倒事に巻き込まれるだろうと考えた私は、咄嗟にその場を去ろうとしたが、やはり箱の中身の体調が気になって仕方がなくなった私は、再び箱の元へと近づくが、すでに箱の中身がわかってしまっている手前その先の展開もなんとなく想像がついているのでどうにか妙案が出てこないかと働きの鈍い朝の頭をどうにか働かせようと交通の少ない十字路をうろちょろうろちょろしていたその時、

「そうだ、携帯!」

 私は咄嗟の機転を利かせて、普段飾りっ気のない通学カバンのストラップと化している携帯電話で、電話に出る確率が女子にあるまじき低さの彼女に対して、奇跡を信じ、交通安全のお守りを握りしめ電話を掛けた。

 コール音が七、八回ほどの鳴り終えると、ぷつっという音とともに、向こう側の音声が聞こえる。

「こちらは、NTT東日本です。こちらの番号は…」

「香澄いいいいいいいい!」

 やはり奇跡など起こらなかった。

「全く、朝から騒がしい奴め」

 私の背後から、聞きなれない声が聞こえた。

 私が後ろを振り向くとそこには、私と同じ中学の制服を着た、私より頭一つ背の低い、まだ幼さが残る童顔の女子が無表情で立っていた。

「大声出したら中の子が驚いちゃうでしょ」

 そう言うと彼女は、なんの躊躇いもなく段ボールの中を開けた。

「よしよし、怖くないですよー」

 子供をあやすように優しい口調で段ボールの中のものを抱きかかえる彼女だったが、その表情からは彼女が何を思っているのかが全く感じ取れない。

 というのも、彼女の顔は目や口や鼻に至るまで、何一つ感情が宿っていないかのように動かないのだ。

「お母さんはー?いないのー?」

 彼女は段ボールを抱きかかえると、あたりをきょろきょろと見渡した。

「ねえ貴方、母猫は見た?」

「い、いえ、見なかったです」

 彼女は段ボールを抱え、そのまま歩きだした。

「ね、ねえ、どうするのよそれ。まさか学校に持っていくの?」

 訊ねてみたが、彼女は段ボールの中の猫に夢中で聞いてはいない。

「ね、ねえ、それどうする「二度言わなくても聞こえてる」

 彼女はやや苛立ち気味の声色で私の質問に反応した。

「どうするってったって、学校に持っていくしかないでしょ。あそこに放置したままでは死んでしまう。幸い、ノミやダニはついていなさそうだから、学校に持っていく」

 そうこう言っている間にも、私たちは校門の前まで来てしまった。

 三日に一日程度の頻度で校門の前に立っている学年主任が、今日は不在で良かったと心底安心する。

 しかし彼女は、校門をくぐると下駄箱へは行かず、校舎の裏側へと回るのであった。

 プレハブ小屋が二段重ねになって一列に立ち並んでいる、旧部室棟だ。

 今はもうほとんど使われておらず、生徒たちの間で、最終下校時刻を過ぎてあの場所を通ると、カーテンに女性の影が映るといういかにもな学校の怪談の舞台の一つと化していた。

「え?でもここ、鍵がかかっているんじゃ」

「もってて」

 彼女は私に子猫が入った段ボールを手渡すと、どこからか鍵を取り出した。

「なぜ貴方が鍵を」

 彼女はプレハブ小屋の一つに近づき、ドアのノブに鍵を差し込む。

 今まで開かずとされていたドアは、かちゃりと音をたてて、立て付けが悪いのか鍵を引き抜いた反動で開いた。

「この中に入れて」

 私は彼女に言われた通り、段ボールを持ったままプレハブの中に入った。

 中はなんとも個性的な内装をしていた。

 長机二台にパイプ椅子五、六脚、そのいずれにも埃被った段ボールやら、チアリーダーが使用するようなボンボンや野球のユニフォームが散乱していたり、かと思えば壁には様々な銃火器のモデルが掛けられ、余った壁際のスペースには、本格的なオフィス用印刷機と、端から端までぎっしりと収まった本によってカラフルに彩られた本棚が、何故が縦に五列、図書館でよく目にするような配置で並んでいた。

「ええ…ここに放り込んで危なくないかな」

 物が多すぎて、猫を放つには危険な要素しかなかった。


 ゴト…


 部屋の隅のほうで何やら段ボールを動かしたような物音が聞こえる。

 ネズミでもいるのかと思い、子猫が顔を出す段ボールを抱えたまま、音の方へと近づいて驚愕した。

 なんと、椅子と机に挟まれた幅二十センチそこらの隙間に、人間が倒れて挟まっていたのだ。

「ででっでえでーででででででっ…た」

 あまりに非現実的で衝撃的な光景を目の当たりにした私は、声帯を動かす労力をもこの日常離れした視覚的情報を脳で電気信号に変換する処理の為に充てる必要があった。

 体内ヤシマ作戦決行である。

「管理人、生きてるか?」

「ミサトさん、子猫が暴走しました!」

「誰が誰じゃ戯け!」

 いつの間にか手元から脱走した猫が埃だらけの部屋を走り回るものだから、部屋の埃が舞い上がり、物が床に散乱した。

「ドア、ドア閉めて!」

「まずお主が落ち着け!ああ、おい!ウゲェッ」

 走り回る子猫を捕らえようと奔走した結果、ドアの付近に立っていた彼女の脇腹へ、見事な頭突きを喰らわせてやった。

 彼女に覆い被さるように倒れる私の頭上を、ちっこくすばしっこい何かが飛び跳ねたのがわかった。

「あ、子猫が外へ!」

 私の下で伸び切った彼女そっちのけで、ドアの外に手を伸ばす。

「よしよし、どこから迷い込んできたのかなー?」

 脱走したかに思えた子猫は、静電気に乱された、肩にかかる長い髪の毛をねこじゃらしか何かのように突いていた。

 その髪の毛の持ち主は、ホットパンツに上は下着姿の、明らかに教育機関にいてはいけない格好をした大人の女性だった。

 さっきまで、隙間に挟まって倒れていた人物と同じ格好だ。

「ど、どこの誰ですが、学校ですよここ」

「‥‥いいから、とりあえず降りてくれない?話はそれからだ」

 顔は直接確認できないが、おそらく大変迷惑といった表情を浮かべているのだろうと容易に想像つくような掠れ声が下から聞こえてきたので、間違いなく迷惑をかけている張本人である私は、必死に私を持ち上げようとする彼女の腕に微細ながら手伝ってもらい、起き上がった。

「ゲホッゲホッ…、彼女は通称管理人、美術を担当している非常任教師だ」

「どーもー、貴方たちは今年からお世話になりますねー」

 女性は彼女の腕の中で大人しくしている子猫の腕を勝手につかみ、左右に振っている。

 猫は大して気にしていなさそうなのは幸いである。

「それよりも管理人、この猫の世話を頼みたいんだけど」

 それよりも私は彼女についていろいろ聞きたいことがあるのだけれどと言おうとしたが、ややこしい話になるのは容易に想像がつくので、朝礼まであと五分を切った私たちは急いで、──急ごうとしない彼女の腕を引っ張って、教室へ向かう階段を駆け上がった。

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