第32話

 大手Vtuber事務所、ハッピープレゼントVtuberプロダクション。

 略して『はぴぷれ』。

 日本のみならず海外にも浸透しつつある『はぴぷれ』の本社は見上げるほどに高いオフィスビルにあり、ボクがここに足を運ぶのも二度目になる。


「あっ、あの、追川!ひ、久しぶりだね。ふへへ。なんか、今日は忙しくなりそうだけど、わ、私もいるから、そう気負わないように、ね?」

「あ、旭川あさひかわちゃん!久しぶり!……そっか、旭川ちゃんがいてくれるなら、ちょっと安心かも」

「う、うん。えへへ//」


 年齢から推測された女性の平均身長よりも小柄なボクと、並ぶくらいに小柄な彼女は『はぴぷれ』が誇る看板Vtuberの“山茶花サンカ”の中の人、旭川 蜜柑ちゃん。


 はじめてこのオフィスビルの前にやってきた時に、今と同じように彼女に出会った。Vの時と素の時であまりにもキャラが違うから驚かされたのを覚えている。

 それに、旭川ちゃんはボクのことを前まで“追川さん”とさん付けで呼んでいたけれど、今はちゃん付けで呼んでくれた。なんだか彼女の中でボクが心の距離を縮めることが出来たような気がして、とっても嬉しい。


「えと、それじゃあ、い、行こ?」

「うん!」


 旭川ちゃんに続いてビルの中に入る。

 本当は今日、ファブリーズ・ゼロキャノンのガワをお願いしていたイラストレーターさんに直接会うということでとても緊張していたんだけれど、旭川ちゃんのおかげで少しだけそれが和らいだ気がした。



「旭川さんは追川さんとは別件で呼ばれたんですよ。なので部屋も違います」


「「えっ」」


 ボクたちが『はぴぷれ』事務所のフロアに到着すると、ファブゼロ関連の諸々の事情を知ってる『はぴぷれ』一期生のマネージャー兼秘書補佐であると自己紹介してくれた女性が出迎えてくれた。きっちりとしたスーツに眼鏡をかけて、堅苦しそうな人だなぁ、というのが彼女に対するボクの第一印象。

 ボクは彼女の「こちらです。ついてきてください」という言葉に従い、背中を追う。そんなボクに旭川ちゃんも並んで歩き始めた際に秘書補佐さんから言われた言葉が今のである。


 以前ここに来て、Vtuberファブリーズ・ゼロキャノンをやってみたいと話がまとまった時点でボクの本名は久我さんとその秘書さんにも教えてある。

 よくよく思い出せばあの場で旭川ちゃんががっつりボクの苗字を洩らしていたんだけれど、それには何も触れないことにした。


 そして目の前の秘書補佐さんがこの場でボクをファブゼロではなく本名で呼んだのは、今ここには『はぴぷれ』で働く様々なスタッフさんたちが行き交いしているからだろうと容易に推測できる。

 本来、ボクみたいな根暗陰キャにとって秘書補佐さんみたいな堅苦しそうで、しかも怖そうな人は大の苦手なはずなんだけど。


 多分、彼女のちょっとした配慮が見受けられるからかな?

 ボクは秘書補佐さんに対して萎縮していない。きっと彼女とは相性が良いのかもしれないと、そんな風に思った。


「もうすぐ旭川さんのマネージャーが迎えに来ると思うので、ここで待っててください。追川さん、貴女はこちらです。ついてきてください」

「わ、わかりました!」


 返事をしながらボクは彼女の後を追う。


 少し歩くと前回と同じ部屋の前で秘書補佐さんが止まり、ドアをノックするのと同時に彼女は自分の名前を発した。

 部屋の中から「いいよ」という久我さんの声が聞こえると、秘書補佐さんはドアを開け、ボクに部屋へ入るよう促した。どうやら秘書補佐さんの案内はここまでで、部屋の中までは入らないみたい。


 部屋に入ると相も変わらずイケオジな久我さんがニコっとボクに微笑み手をあげる。

 ボクは彼を見て軽く会釈しといた。


 そして久我さんの対面に、モダンチックなテーブルを挟んで座っている長い黒髪の女性。外見だけで判断するならば、年齢は二十代後半?あたりだと思う。白シャツにジーパンとラフな恰好をしているけれど、スタイルが良いからすっごくオシャレに見える。


 その女性はボクを見たあと、チラッと久我さんの方を見て「この子が?」と問いかけていた。久我さんが彼女に頷くと、女性は立ち上がりボクの方を向いて頭を下げてくる。


「こんにちは。イラストレーターのDeu:tziaツィアです」

「あ、えと、ぅあ」

「………」

「こっ、こんにちは。はじめ、まして。ふぁっ、ファブリーズ・ゼロキャノン、です。あ、あのっ、大ファンです!ボクがSNSで唯一、通知をオンにしているのはツィアさんです。いつも絵しか投稿しなくて、言葉は不要だと言わんばかりに問答無用の無言で世に投下されるその絵もまさに神イラストと呼ぶに値するものばかりで。とっても大好きですっ!」

「それは、どうもありがとう。とても嬉しいです」


 イラストレーターさんの中でボクが一番大好きな人に会えたことが嬉しくて、それと同時にめちゃめちゃ気持ちが昂ってテンパって、自分でも何を言ってるのか分からなくなる。


 けれどそれくらい彼女はボクにとっての憧れる人物の一人なのだ。


 ツィアさんは性別も明かしてないし、SNSでフォロワーに私生活を覗かせてはくれない。ただただ神イラストを無言で投下することを繰り返している。

 ただボクとしてはイラストに含まれる繊細さと色使いから、なんとなく女性だろうなぁとは予想していた。


 彼女の描く絵には、どれも一つの共通点がある。

 それは絵の中に必ず『真っ白な男の子』が描かれているのだ。

 男の子の表情に合わせて世界観も強調される色も異なるイラストは、投稿されれば必ず万バズする。


 時には怒った表情が。

 時には泣きそうな表情が。

 時には拗ねてる表情が。


 フォロワーたちの考察を加速させる。

 この少年は天使なんじゃないか。主さんはこの天使を通して我々に重要なことを伝えたいんじゃないか。いや、ただのショタコンじゃね?とか。


 でもそんな50万近くいる彼女のフォロワーたちが、一番ツィアさんが描くイラストについて思っているのは別のこと。

 考察でも何でもなく、大きな疑問。


 彼女は、未だ少年が笑っている絵を投稿したことが無い。

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