第12話

「うん。なんかそんな気がしてた」

「な、なななっ!?なんでここに!??」


 エントランスで旭川ちゃんと別れたボクは、受付で『はぴぷれ』Vtuber事務所のフロアを教えてもらってからエレベーターでそこへと向かった。

 そして物腰の柔らかそうな秘書のような女性に案内された部屋でボクを待っていたのは、いかにもな風体のイケおじと、旭川ちゃんだった。


「今日は来てくれてありがとう。とはもう既に知り合いなのかな?」


 それっぽい椅子に深く腰掛けたイケおじが人当たりの良さそうな笑みを浮かべてボクにそう問いかけてくる。


「さっきここのビルの前で知り合ったばかりです」

「あぁ、この子はまたビルの前でうろちょろしてたのかな?まったく旭川くん、毎度毎度邪魔になるから早く入るように言ってるじゃないか」

「あっ、いえ!ビルの前でうろちょろしてたのはボクの方です」

「……ん?」

「えっと、そのぉ、こんな大きくて立派なビルにボク一人で入るのは気が引けちゃって………」

「……あぁ、………そうか」


 なんかイケおじが疲労を滲ませた目でボクを見てきて、旭川ちゃんは目をキラキラとさせて「わかります!わかります!」と言いたげな感じでボクを見て頷いている。

 なんだこの状況。


「まぁ、いいか。それじゃ旭川くん、呼んでおいてあれなんだけど、一旦部屋の外で待っててもらえるかい?」

「あっ、わ、わかりました!」


 イケおじにそうお願いされた旭川ちゃんはコクコクと頷き返事をしながら出て行った。

 旭川ちゃんってボクと同類でコミュ障陰キャだと思うんだけれど、その旭川ちゃんがオドオドすることも無く会話出来てるってことはこのイケおじと彼女は、それなりに近しい関係なんだろう。

 さっきもイケおじは『うちの旭川』って言ってたし、このビルに入る前に旭川ちゃん自身もボクのことを『同業かと思っちゃう』とかなんとか言っていた。


 つまり、、、旭川 蜜柑ちゃんは『はぴぷれ』Vtuber事務所に所属するVと見て間違いない。


 旭川ちゃんが部屋から出て行ったのを確認したイケおじは、足を組みなおしてまた人当たりの良さそうな微笑みで口を開く。


「それじゃあ、改めて自己紹介からしようか。私はハッピープレゼントVtuber事務所の代表取締役社長である久我くが 蓮治れんじだ。今日は来てくれてありがとう」

「えっと、、、」

「もちろん存じているさ。ファブリーズ・ゼロキャノンくんで構わないよ。まだ本名を教えてもらう必要はない。そういう話はこれからだからね」


 イケおじはパチリとウインクをしてボクに微笑む。ボクが人見知りで緊張していることが分かっているのか、空気を和ませようとしてくれているのかも知れない。


「それで、旭川くんも待たせていることだし早速本題に入ってもいいかな?」

「はい……」


 もう次にくる言葉が何かは想像できている。DMを見た時点で、そしてここに呼ばれた時点で目的は一つしか無いだろう。

 ……そして、それに対するボクの答えも既に決まっていた。


「ファブゼロくん、Vtuberになってみないかい?」


 やっぱりスカウトだった。

 偶然のアクシデントでたまたま有名になれただけのボクになんの価値があるのかわからない。フォロワーさんたちには褒められる声も自分では未だにコンプレックスだし。ボクのどこに需要を見出したのかなんて分からない。


 けれどこの目の前のイケおじ――久我さんはボクをスカウトした。

 わざわざボクのことを『ファブゼロ』と愛称で呼んでまで、だ。


 きっと冷やかしでもなんでもなくて、彼は本気でボクをこんな大手Vtuber事務所に誘っているのだ。


 けれど、ボクの答えは決まっている。


「ごめんなさい。Vtuberに興味はあります、けれどボク自身がするつもりはありません」


 転生。

 もともとは配信者だったり、なんらかで活動していた者が今までの名前などを捨てて新しくVtuberなどに生まれ変わることを指す。


 こんな機会は滅多に無いかもしれない。

 企業のVになれば色々と安全だって言うし、もしかしたらチャンスをどぶに捨てるようなものかも。

 けれど、ボクは胸が痛むような感覚に襲われながらもきっぱりと彼の提案を断った。


「……そうか。………理由を聞いてもいいかな?」


 久我さんも、まさかボクにここまでキッパリと拒絶されるとは思いもしていなかったのか目を大きく見開いている。


「ボクは、ファブリーズ・ゼロキャノンとしてこうやってフォロワーさんが増える前から活動してきました。活動と言っても、主に好きなアニメや漫画について少ない視聴者さんたちと語り合うだけの雑談配信だったんですけど。それでもこんなボクと数少なくても会話してくれる一定のフォロワーさんたちはいたんです。ボクは、なによりもそういう人たちの存在を大事にしようと、こうやって有名になってから決めたんです。……もしもボクがVtuberに転生したら、ファブリーズ・ゼロキャノンが消えてしまったら、『ファブゼロ』を好きでいてくれた人たちをボクは裏切ってしまうことになる。………だから、ごめんなさい。長くなりましたけど要は、ボクはこれからもファブゼロとして活動していきたいということです」


 ボクは捲し立てるように、ところどころ声が上擦っていたかもしれないけれど言いたいこと、言おうと決めていた想いを言い切った。

 これでもしも仮にボクが久我さんから嫌われたとしても、どうせここだけの関係だし。むしろどこか言い切ったことにスッキリしている自分がいた。


 久我さんを見ると、彼は微笑ましそうにボクを見ていた。


「そうか。君の言っていることはよく分かった。そこで、異例ではあるがもう一つ提案したい」


 彼は言った。


「転生ではなく、個人から企業への移動つまりは。そして顔出しNGの配信者からVtuberへとならどうだろうか。君は名前を捨てる必要も無い、ただうちの、『はぴぷれ』のVtuberファブリーズ・ゼロキャノンになるんだ。どうだい、良い考えだろう?」


 彼は「どうだ上手いこと言っただろう」と言いたげなドヤ顔でそんな提案をしてきた。

 ドヤ顔は置いておいて、これにはボクも凄く興味のそそられる提案だと思った。



『はぴぷれ』のファブゼロ。


 それもまた数ある選択肢の一つなのかもしれない。

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