第4回 ささくれレクリエーション

…第4回お題「ささくれ」



「姉ちゃん……」


 低学年の弟が、不安な表情を浮かべて部屋に入ってきた。

 弟は私に親指を見せて「これ、変な風になった……病気かも……」と――

 大げさに言っているが、ただのささくれだ。


 自然と皮膚がめくれただけで、怪我とは言えないし病気でもない。

 無理に引っ張れば悪化するだろうけど、変にいじらず、めくれたところを切ってしまえば大変なことにはならない……

「ああこれ? 気にしないでいいから」

「うそだっ!! 絶対にやばい病気だもん!!」

 ……弟は泣きそうになりながら……この反応はちょっと面白い。


 ささくれひとつでどうにかなるほど人間は脆いわけではないけど……まあ、ばい菌が入ってしまうと色々と別の病気に繋がってしまう危険性もないわけではない。


 けど……ささくれから変異する病気も少ないはず……。ちゃんとした手順を踏んでささくれを取ってしまえば、怖くもなんともないのだけど……もっと怖い病気はいくらでもある。

 もっと痛い怪我だってこれからするだろう。ささくれひとつにここまで怯えているのは、弟からすれば初めてだからなのかもしれない。……初めてなの? ささくれが?


 今まで無自覚だっただけだろう。

 ささくれくらい、低学年ならあって当然。多めにささくれはできそうなものだしね。


「…………それね――」


 私は、そこで良いことを思いついた。良いこと? 逆かもしれないけど。


 でも、からかうわけではないのだ。弟を教育するために必要な脅しだ……、ささくれをよく知らないのであれば、未知を膨らませることで弟の生意気の抑止力になるかもしれない。


「その皮膚を引っ張るとね――あ、引っ張っちゃダメだよ? ――引っ張ると、バナナやみかんみたいに皮膚がどんどんめくれて、ひかるの体が丸裸になっちゃうんだから。

 すっぽんぽんって意味じゃないわよ? 皮膚の下の真っ赤な血管とかピンクの筋肉とかが剥き出しになるの。理科室で見たことない? 人体模型――あんな感じになっちゃうわよ。そのめくれた皮膚は絶対に引っ張らないように。じゃないとひかる、みかん人間になっちゃうからね」


「み、みかん人間……っっ」


「そ。親指のその小さくめくれた皮膚一枚で、全身めくれちゃう病気なんだから。丸裸になりたくなければお姉ちゃんとお母さんの言うことをちゃんと聞くんだよ? 分かった? もしも悪いことしたら――その皮膚をめくってみかんみたいに剥いちゃうんだから!」


「や、やめてよ姉ちゃん!」


 狼みたいに襲いかかろうとしたら逃げられてしまった。がおー、と振り上げた両手をゆっくりと下ろす……私から脅しておいてなんだけど、逃げるとは酷い子だ。

 お姉ちゃん、親切心で言ってあげてるのになぁ……。


 弟は襖に手をかけて部屋から逃げていく――かと思えば、取っ手に手をかけたまま動かなかった。……? 脅かし過ぎたかな……。

 弟は肩を震わせて……

 でも、怖がっていると言うよりは笑いを堪えているように見えて……。


 振り向いた。


 くすくす、と、人を小ばかにしたような笑みを浮かべながら、


「姉ちゃん…………みかん人間? 作り話のセンスがないんじゃない?」


「は――――はぁ!?!?」


「いや、僕ね、これがささくれだって知ってるんだよ。怪我でも病気でもないって知ってるし、実はそんなに痛くもない。今日が初めてってわけじゃないし……ただのささくれ。

 もっと言えば自分でちょっとめくったりもしたよ……。怖くもなんともないし、ちょっとめくって、よきところで切り取ってしまえばすぐに治るようなものだよ。ぜんぶ分かってるもん。

 ……その上で、泣きついたら姉ちゃんはどんな対応するのかなって試してみたら……へえ? なんだっけ? みかん人間だっけ?」


「く……っ!!」


「ささくれをめくって皮膚をぜーんぶ、剥ぐんだっけ? すごい想像力だね。まさかそんな突飛な発想力で笑わせてくれるとは思わなかったよ――姉ちゃんって面白いねっ」


 褒めているようでバカにしている。


 ……こいつ、やっぱりかわいくない!! 小さなことを怖がってお姉ちゃんに泣きついてくる可愛い弟と思った私がバカだった――。

 生意気な弟が私の前で弱音を吐くわけがないんだから……疑うべきだった。


 頼られたら親身になってしまう姉の特性を利用されたら、私だって反応しちゃうでしょ……っっ!! やられた……、姉という立場を熟知している弟の策略だった。


「みかん人間――いいんじゃない? そのネタで絵本でも書いたら?」

「あんた……これから先ずっとそれでいじるつもりでしょ……っ」


「おもしろいことは広めた方がいいと思うよ――ふふん、さっそく拡散だー」

「ちょっと待ちなさいよ友達に言いふらすなあ!!」



「――あんたたちうっさい!!」



 襖が開いて、お玉を握ったお母さんが怒鳴り込んできた。

 襖を隔ててすぐに台所なので、当然ながら会話は丸聞こえだったらしい……、お母さんは私たちの声の音量を注意しただけで、喧嘩の内容ついてはなにも言わなかった。


「……静かにやりなさい。喧嘩の中身は……まあどっちもどっちだから両成敗ね。あとでちゃんと叱ってあげるから今は好きなだけ言い合いなさい。

 ただ、手を出したらこのお玉でバカになるまで殴るからね?」


「それ、姉ちゃんにはもう意味なくない?」


「あんたマジで……ッッ」


 叩いても既にバカだから意味ないってことでしょ?

 あんたが考えそうなことなんてすぐに分かるわよ!!


 弟の頬をつまんで左右に引っ張る。すると弟も「負けるもんか」と私の頬を掴もうとして……でも手が短いから届かない……ふふふ。お姉ちゃんに勝てると思わないことね。


「残念でしたっ」


「ぷっ」

 と、弟が吐いた唾が、私の頬に付いて――――


「――潰す!!」


「ぎゃーっっ、姉ちゃんがブチ切れたぁ!?!?」



「はぁ……なんであんたらはこうも毎日ささくれ立つかねえ……」


 呆れるお母さんの前で。


 ――もう止まれない。

 弟を押し倒して関節技を決める――

「もう喧嘩売ったりしないわよね!?」

「しないしない痛いから離せブス!!」

「こいつッッ!!」

 反省の色なしなのでさらに関節技を決めて泣かせてやるわ!!



「……お姉ちゃん、やってもいいけど加減はしてあげてね」


 お母さんは最後まで見届けずに台所へ戻っていった……。

 最後のぼそっと一言、去り際に付け加えて――――。



「ささくれ立っても、すぐに乳繰り合うのよねえ――」



 そんなことないわよっ、と心の中で否定した五分後には。


 ……私と弟は、一緒にお風呂に入って湯舟に浸かり、ゆっくりと100秒数えていたのだった。




 …了

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