夏の雨
昨日できたであろう水溜りにポチャリと雨粒が落下し、波を作る。昇降口へ駆けて行くとともにその波形の数は増えていく。そして到着する頃には傘無しでは出たくない程に降り出していた。
運が良いと言えばいいのか、それとも物語の展開上必然であるからか、昇降口の鍵は開いていた。他にも私と同じように忘れた人がいたのだろうか。いや、そんなことは大して問題ではない。とりあえず教室へ急ごう。
髪の毛についた水滴を払いながら、靴箱に履き慣れた靴を揃えた。
よく考えてみると雨が降っているとはいえ、走って帰ることはできないな。課題のプリントが濡れてしまっては本末転倒なのだから。
滑り止めの付いた階段を二階分登って、二年生の教室の階に着いた。この学校はA棟とB棟とC棟に分かれているが、ここはその内のA棟、このストーリーの主人公である春の教室がある建物だ。
いや、よくよく考えてみれば私は主人公ではない。主人公は大輔というキャラクターだ。これが自分の視点であるから勘違いしていた。確か、春は大輔の隣のクラスだったっけ。
気づくと私は自分のクラスの前に居た。考え事をしていると時間はすぐに経つんだななどと考えつつ、誰も居ない教室に入った。そしてそれが当たり前であるかの様に教卓から見て右から三番目の列の一番前の机の中を漁った。
予想通り、そこには課題のプリントがあった。ただ問題はそこではなかった。
どうやって帰ろう。本当にこれが物語であるならば、この先の展開では昇降口で主人公と出会い、傘を貸してもらうことになっている。
脳裏に一つの疑問が浮かぶ。
もし、物語に背く行動をするとどうなるのだろう。
例えば、このまま雨に濡れて帰るだとか。そういうことだ。
……いや、やめておこう。何が起こるかわからない。何もわからないからこそ、妙なことをすべきじゃない。こういう時の好奇心というもの程危険なものはない。
とりあえずこのまま昇降口に行こう。そこでおそらく照太大輔と会う筈だ。
廊下を歩く度に硝子窓に雨粒が打ち付けられる。思っていたより雨が強いらしい。
元上ってきた階段を下った。昇降口に着いたが雨は一向に止む気配を見せない。
すると雨の中、傘をさした人影が視界の端に写った。
それは確実にこっちへ歩いてくる。
あちらは距離が五メートル程度になったところでこちらの存在に気が付いたようだった。
「あれ、確か隣のクラスの杉田さんだっけ。」
人影の正体は照田大輔だった。記憶を手繰り寄せながら差も何もないかのように本で読んだ台詞を口に出す。
「照田君も何か忘れもの?」
「うん、数学の課題のプリント忘れちゃって。」
「そうなんだ。私も。」
「確かこんな台詞だったはず」という確信のないままに言葉を口に出す。
それにしても、この人は何故こうも淡々と台詞を言えるのだろうか。何か、この現状を楽しんでいそうな、そんなものを感じる。
「もしかして、傘ないの?」
「あ、うん。忘れちゃって。」
「そうだよね、急に降ってきたもんね。よかったら僕の傘使ってよ。」
やっぱりか、ここまで物語の展開通りだ。
「そんな。悪いよ。」
「いいよ、僕は止むまで待つから。止まなかったらスマホあるから親に迎えに来てもらうよ。」
「本当にいいの? ありがとう。明日返しにくるね。」
「うん。じゃあまた明日!」
彼は私の横を通り過ぎて階段のほうに歩いて行った。
恐らく台詞は間違っていないだろう。物語の展開通りに進んだし。何も変化が起こらないといいけれど。
借りたビニール傘を開き、プリントを雨に濡れない位置に持って歩く。
それにしても本当に彼は鶴海夕なのだろうか。結局疑問は晴れなかった。
よくよく考えてみたら物語の展開通りに進めるならばいつ彼に聞けばよいのだろう。完全に失念していた。まずはそこからではないか。
物語上、二人で話すタイミングというのは限られている。その間、ストーリー通りに進めるのならば話すことはできない。休み時間? いや、物語に背く行動をするのもあまり良くは無いかもしれない。
本においてラストまでの出来事が全て終わった時、この世界は終わると仮定して、彼と話をするのはこの物語が終わってからにするのが得策か。
気づくと家の近くまで来ていた。そして雨も弱くなっていって、家にたどり着くころ合いには止んでいた。
なんだ、通り雨か。本にはそんな描写なかったと思うが。いや、主人公は結局家に帰れて、課題も間に合って提出していたから物語的にも雨は最終的に止んでいたのか。家の玄関の前にできた大きな水たまりを辛うじて避けて家に入った。母が濡れていないか心配していたが。大丈夫と返して自分の部屋に戻り、課題に取り掛かった。
うーん、あまりよくわからないな、この問題。教科書を読むか。
鞄から取り出した教科書を開いて該当ページを読み漁った。
......この範囲は私学習していないな。でも何とかやらないと。
知らない公式を適当に問題に当てはめる。多分これだろうという回答を書いた。多分間違っている。キリの悪い数になった。
気づくともう夕方になっていた。こういう弊害は何とかならないものか。本の中に来てまで勉強なんてしたくはないのだが。
課題プリントをクリアファイルに挟んだ。そこでまだ机の上には一枚の紙が残っていることに気が付いた。朝の魔法の紙だ。
......よく見ると今朝見たときはなかった文字が増えている。
何とか読み取ろうと試みる。
【夜学校に来て。】
確かにそう書いてある。だが行って大丈夫なのだろうか。物語の進行上そんな場面は存在しなかったはずだ。
......でもこの状況で一番欲しいのはこの今現在の情報だ。必ず相手は何か知っている。
行くしかない。もし何か起こるとしたらわざわざ呼び出さないはずだ。
......どうやら母が夕飯を作ったらしい。ご飯を食べてお風呂に入った後で学校に行こう。
これからの行動を色々決めた後で、この世界には置き傘という概念が存在していることに気が付いた。
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