久方の貸し出し
時計の針音が鳴り響く。十二時半を過ぎた頃か。いや、ここの時計は確か三分ほど早かったか。革バンドの腕時計と照らし合わせてみるとやはり一致しない。事務員はどうやら気づいてないらしい。
ここは毎日えらく静かだ。時計の音とペン先が走る音とたまにページを巡る音が喋るだけ。
そんな状況が私には心地よいのだ。教室ではこうもいかない。図書委員になったのもここでこうして本を読む為だ。誰も本を借りに来ないのだから静かに本を読める。私はここにいるという仕事をしているのだから何も言われない。
とても至福な日々なのだ。
「あのーすみません。」
やっと時計の針とペンと本のページ以外が喋る音が認識できた。
どうやらその存在にしばらく気づいていなかったみたいだ。
いつから声をかけられていたのだろうか。
「本を借りたいのですが。」
目の前にはカウンター越しに男子が立っている。顔を覗いてみるが見覚えはない。まぁ服装はこの学校のものなのだからどこかですれ違っている可能性はあるか。
いやそんな状況じゃない。カウンター越しに人がいる。本を借りに来たらしい。本を借りにここに来た人を見たのは何時ぶりだろうか。確か前回は国語辞典を借りに来た現代文学の先生だった気がする。あれは何ヶ月前のことかも思い出せない。
「……あ、貸し出しですね。」
危ない危ない。本来の仕事を忘れるところだった。
「では学生証の提示をお願いします。」
「わかりました。えーっと、これか。」
差し出された学生証には学籍番号と『鶴海夕』と言う名前が書かれていた。暫くは忘れないだろう。そのくらいここには人は来ないのだ。学校の端の方にあるのだから存在すら知らない人も居そうだ。
バーコードスキャナーでスキャンしてそれを返した。
「確認できました。どの本を借りますか?」
「これです。」
カウンターに置かれた本を見る。
タイトルは『ある雨の日の学校で』というものだ。
勿論私も読んだことがある。先日二周目を読んだばかりだ。
主人公がとある雨の降る日曜日に忘れ物に気づき学校に取りに行くと昇降口で同じクラスの女子を見つける。傘を持っていなかった彼女に傘を貸したことから物語は始まり……と程々に面白かったのを覚えている。
こちらも裏表紙に貼られたバーコードテープをスキャンする。やりなれていないから少し手際が悪いことくらいわかっている。明日少し練習してみるか。
「では二週間後までに返しに来てください。」
「あれ、カードにスタンプ押しました?」
「あ、そうだ。忘れてました。すみません。」
背表紙の裏に挟んであるカードにスタンプを押す。きちんと今日の日付が黒いインクで押されていることを確認した。
「では、またのご利用をおお待ちしています。」
って私は店の店員か。慣れないな。次に人が本を借りに来るのはいつだろうか。その時までに慣れないと今回みたいに恥をかくからな。まぁこの一連の流れの中で日付スタンプだけはきれいに押せたから今回は及第点としよう。
スタンプが綺麗に押せた時はどことなく嬉しさを感じるものだ。
……いや、あぁ、自分に甘すぎるのも反吐が出るな。前回のテストで散々だったのを自分は理解していないのだろうか。
そんなことが頭の中で渦めいて、そしてひたひたになるまで自己否定につかりきった自分を「堕留いから」と片付けてしまう自分にまた呆れ、どんどん沈み、そして溢れ出す。
--こんな時は本だ。本を読んで落ち着かせよう。
そうしてページを開いた瞬間、何処と無い眠気に襲われる。それは軈て私の瞼を下した。
十分だけ、十分だけだ。
再び、自分に甘くしてしまった事の認識は眠気に隠れて何処かに消えてしまったようだ。
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